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半馬交通管制の意味

 今日買い物に出かけたところ、バス停の情報モニターに「半馬交通管制」なるものの通知が出ていた。

 写真を解説すれば「半馬」のための交通規制が行われると言う意味の情報である。

バス停モニターの通知

バス停モニターの通知

 まあ「半馬」が何のことだ分からなくても、交通規制が行われる時間と場所の通知だけ読み取れれば事足りるのだが、それでは何ともモヤモヤしてしまう。

 この「半馬」という表現がいかにも分かりにくく、半分の馬と理解しようとするとまず本当の意味にたどり着けない。

 私も瞬間的には意味を飲み込むことが出来なかったのであるが、交通規制がかかるということから推測して、数秒後にようやく意味が分かった。

 この「半馬」とは、実は「ハーフマラソン」のことなのである。
 
 中国語でマラソンは「馬拉松」と書くのだが、これがハーフマラソンの場合は正式には「半程馬拉松」という表記になる。
 半分の距離のマラソンと言う意味である。

 そしてこの半程馬拉松を省略した表現が「半馬」となる。

 言われてしまえば、納得するこの省略表現かもしれないが、突然出てくると分かりにくいわけで、半分の馬の意味を探して迷走してしまいそうな表現である。

 ちなみにこの「半馬」を中国人にぶつけたところ、やはり私と同じように最初は首をひねっており、理解するまで非常に時間がかかってしまっていた。

 中国人だって「馬拉松(マラソン)」なら大方の人が理解できると思うが、「半程馬拉松(ハーフマラソン)」になってしまうと、その競技の存在すら理解していない人も大勢いると思われるし、ましてやその略語までは判断できないのは実際のところのような気がする。

 「半馬」とは何とも分かりにくい略語であり、その略語で交通規制を通知するのはどうもそぐわないと言った印象である。

 私は今年で上海滞在10年目になるが、長く中国で暮らしていてもこういった不可思議な省略表現に時々出くわし、中国語のその意味を理解するに時間がかかることが間々あるのである。

 


ゴールまで放映しないマラソン中継

 もう日付が変わってしまったので昨日になってしまったが、昨日の夜はモスクワで行われている世界陸上の女子マラソンの中継放送を見ていた。

 中国だとCCTVと上海のスポーツチャンネルで世界陸上の放映をところどころ抜粋で中継をやっていた。

 で、私はこの中国の放送とネットを通じた日本の放送の双方を並べて見ていたのである。

 まあネットを通して見る日本の放送の方が解説も実況も日本語であるのでわかりやすく、更に日本向けに独自の映像ディレクトがされており、観戦するにはこれだけで十分なはずなのだが、いかんせんネットであるが故にやや画面がフリーズしやすい。

 それに対して、中国のテレビ放送はテレビで見るので画面も大きく美しいし、当然のことながらフリーズもなく見易かったので並べて両方見ていたのである。

 そして驚くことに同じライブ放送にもかかわらず、中国の放送の方が2分ほど早く進んでいた。

 つまり日本のネットを通じての視聴は日本国内の地デジの問題とそれをネットで再配信処理したりする処理速度の問題などで、2分と言う遅延が起きていたのかもしれないと推測できるのである。

 よって中国の放送の方が、わずか2分だがよりリアルタイムの中継であるということもあって、中国の放送の方も見ていたのである。

 また実際の映像についても、中国の放送は中国人選手が出場していたこともあって、日本の中継にはない中国人選手を追いかけた国内向けの独自の映像もあり、その違いも楽しむことができたのである。
 
 ところがである。

 中国側の放送を見ていたところ、上位を走っていた中国人ランナーの1人が、急遽体調不良か何かのトラブルで30キロ地点前後で棄権をする状況が発生してしまった。

 中国の選手は全部で5選手が参加していた様だが、この棄権した選手以外はかなり後位だったようで、この選手の棄権ごは他の選手は中継カメラには写されず、中国側としては期待の目玉の選手がいなくなたような状態になってしまったのである。

 で、それが原因かどうかは分からないが、なんとテレビ中継が20時ころからバドミントンの世界選手権に切り替わってしまい、女子マラソンの中継は最後まで放映されずに打ち切られてしまったのである。

 これを見て私は何という放送をする放送局なのだろうと呆れてしまった。

 しかも、切り替えられた後のバドミントンの中継が中国人の選手の出る試合だったら理解するのだが、映された試合はデンマークと韓国のペアの対戦だったのである。

 こうなると私にはもう理解不能である。

 あらかじめ決まっていた放送枠であるなら、マラソンを最後まで中継できる枠を取っていなかったことになる。

 過去の例を見れば女子マラソンの優勝タイムは2時間20分から30分くらいなので、全部を放送するつもりがあれば、せめて2時間半くらいの放送枠は準備するのが普通だが、切り替えられた時間を見る限り放送枠が最初から足りなかったのではないかという気がする。

 或いは自国の選手が上位に食い込まなかったので、諦めて放送を切り替えたことも考えられるが、中国メディアのニュースによれば19位、28位、34位に中国人の選手は走っており、彼女らを完全に無視するのはいささか気の毒な気がする。

 そして何より国際大会のスポーツ中継をやっているのだから、例え自国の選手が奮わなかったとしてもせめて優勝者がゴールするまでちゃんと放送するのが筋じゃないかと思うのだが、結局今回はゴールシーンまで放映されず途中で打ち切られてしまったのである。

 個人的には中継自体は日本側のネットを通じて最後まで見届けたので、不足ではなかったものの、中国のこういったスポーツ放送の姿勢にはやはり首をかしげたくなるものがある。

 まあ、こういった放送というのは実は放送局側の問題ではなく、国民の観戦態度の問題でもあるのだが、そういった国際意識を育てるのもスポーツ中継を行なう放送局側の責任であるような気がしており、今回のマラソン中継打ち切りは何とも後味の悪いものになってしまった。
 
 実際今回優勝したケニアのキプラガト選手のゴールでの笑顔は清々しく、さらに3位に入った日本の福士加代子選手の笑顔も日本代表選手である贔屓を割り引いてもとても素敵だったので、中国の人にも是非見て欲しかったという気がする。

 スポーツは本来相手へのリスペクトが必要であり、特にマラソンという競技は100mの短距離走などと違って参加をして最後まで走り抜けることだけでも偉大であり、自国の選手を贔屓するのは仕方ないにしろ、その完走者には国境の枠を超えて讃えてあげるべきだという気がするのである。

国費外国人留学生は宣教師的役割を負う

猫ひろしさんのオリンピック出場資格問題が世間を賑わしている。

 まあこれはどう見てもカンボジアという国と猫さん双方の売名行為にほかならないような気がする。

 特にカンボジアは、世界に対してというより日本に対して自国をPRしたいという意図が見える。

 何故ならばきっと猫さんよりももっと早いマラソンランナーが、ケニアなどにはいるであろうにも関わらず、わざわざ日本人の猫さんに国籍を取得させたというのは、明らかに猫さんが経済大国日本の日本人で、有名人であるからにほかならないからである。

 つまり猫さんはカンボジアという国にとって日本に対する宣伝塔という位置づけで国籍を取得したことになる。

 当たり前の話だが、国家が一外国人に対して何か便宜を図るということは、その国にとって何らかメリットが存在するから便宜を図るのであり、何の意図もなしに外国人に便宜を図るようなお人よしの国は世の中にあるまい。

 つまり、便宜を受ける外国人はそれだけ相手国の思惑を背負わされているわけである。 

 これは今回の件に限らず留学生に対する奨学金なども同様だと見ることができる。

 例えば日本政府は日本の国費で外国からの留学生を大量に招いているが、これは当然国際貢献などという表面的な建前では終わらず、将来的に日本がその国へ経済進出するための人材的な基礎固めの意図が存在する。

 よって日本に招れた留学生たちは、例え明文化されたり義務化されていないにしろ、日本文化の伝播を背負う宣教師的な役割を背負うことが求められる。

 そうしてODA事業をやりやすくしたり、国連などの様々な国際舞台の上で親日的立場の国を増やし、日本の経済進出にとって地ならしをしてくれる立場を期待されるのである。

 このように、言葉は悪いが日本も留学生を使って国力拡大の努力を行なっているわけである。

 逆に言うと、我々日本人が外国の国費で留学をさせてもらうような機会が与えられた場合には、単に相手の国のお金で勉強させてもらえるなどという綺麗ごとでは済まない訳であり注意する必要がある。

 相手の国の立場に立って考えてみれば、何のメリットも目論見もなしに外国人にお金を出して学ばせるようなことはまずあり得ないからである。
 つまり今回のカンボジアの猫さんに対する対応と同様に、外国の人間に留学費用を国費で出すなどということは、その外国人の母国へ対する何らかの戦略的意図がそこに存在するからお金を出すのであり、そういった目論見なしにお金を出すはずがないのである。

 故にもし便宜を受け取ってしまったものは当然その時点でその国の目論見を背負わされることになり、例えば母国へ対しての広告塔や宣教師的な役割、極端な場合はスパイ的役割を担うことになる。

写真はイメージ

写真はイメージ

 従って相手国の意図を考えず国費外国人留学生の選考に合格し「自分は選ばれた!」などと自慢すればそれは完全にピエロであるし、分かった上で便宜を受け取るなら相当したたかな生き方ということになる。

 もちろんこれは相手国の思惑がどこにあるかにもよるが、例えば中国は世界文化遺産への中医学の申請でもわかるように、世界に対して薬品権益の拡大を狙っている面がある。

 つまり何とか中国の薬剤を日本で売れるようにしたいらしく、それに必要な人材を育て日本へ売り込む戦略を立てているようでそのために国費留学生で人材を招いている。

 最近気が付けば、日本のテレビやマスコミに対して懸命にそういった人材の露出を図る姿が多く見られるようになり、日本人がテレビ番組や講演活動などで文化の売り込みを必死に行っている姿が目に付いているが、これらはまさに育てた人材の宣教師そのものの活動ということになる。

 つまりそういった意味での商売をしやすい環境づくりのために、国費で外国人留学生を受け入れているわけであり、いうなれば自国の営業マンや宣教師として働いてくれる人間を育てているのである。

 よって、そういう風に外国の国費を使って学んできた人と相対するときは、相手は国家の思惑や特命を何かしら背負っているため、表面上の部分だけで話を鵜呑みにしてはいけないし、また逆に己にそういった外国からのオイシイ話があっても、うかつにそれに乗ってしまえば何らかの国家の思惑を背負わされ、さらにその後他人から色眼鏡で見られる人生になる可能性があることを肝に銘じて行動するべきであろう。

 つまり普通の人にとっては外国からお金をもらって育てられた人を同じ国の人として素直に信用するには抵抗があるし、さらにそこにはその外国に対する国家観が非常に大きく影響するからである。

 まあ国家への帰属意識のあり方は人それぞれだが、今回の猫さんのようにどこに帰属意識があるのかはっきりしない人間は、いずれに国からも信用されなくなるというのが人の社会というもので、彼にベトナムに骨をうずめる覚悟が無ければ、外国の思惑は背負うべきではなかったというのが私の意見である。