葦のある風景

 この季節に水辺を歩くと、が沢山生えて風に揺られる風景を目にする。

 本来はしっかりと護岸工事が行われている場所であっても、護岸の石が葦に隠されていると人工的な構造物が見えなくなり、そこが純然たる自然の風景の世界であるような錯覚を与えてくれる。

 自分が都会から切り離されて自然の中に身を置いているような印象を与えてくれるのである。
さらにこの水辺の向こう側にも背の高い木々が並び、背景の建築物を覆い隠してくれているような場所ではその思いは一層強くなる。
そこを水鳥がさーっと飛び去るようなことがあれば、演出としては完璧だ。

葦のある風景2

葦のある風景2

まるで自分が深い森に迷い込んだかの錯覚に陥る。
そういった風景に身を置くと、自分の心の中の澱が落ち、心が浄化されるような気分になる。

またこういった葦が多い繁る風景を見ると、落語「野ざらし」で語られるような人骨が見つかる葦の原をも思い出し、自然の美しさとともに自然の畏怖というか生と死の境界のような危うさも陸と水辺の間に生える葦の存在に感じる。
恐らく過去には間違って足を踏み入れ溺れたものもいたであろうに感じるのである。
そんな自然の中に身を置く人間の脆さを感じさせてくれるのが水辺の葦である。

 こういった不思議な感覚を呼び起こさせてくれる価値が葦のある風景にはある。

葦のある風景

葦のある風景

 ただ、この葦の存在は行政の護岸管理者にとっては小まめな手入れが必要な厄介な存在のようで、実は毎年ほとんど刈り取られてしまう。
 葦の刈り取り作業が行われてしまうと、作業が終わった場所では護岸の石積みが露わとなり、そこが人工的に整えられた場所であることに気づいてしまうのである。

 石積み一つが現れたくらいではそれほど風景の雰囲気は壊れないような気もするが、例え石積みの護岸でもやはりどこか人の手の存在を感じてしまうのであり、どこか興醒めしてしまうのである。
やはり葦でおおわれて川岸が見えない方が、野趣が豊かなのである。

ところで、刈り取られた葦は日本では葦簀(よしず)など日常用品に使われてきた。
現代中国において刈り取られた葦がどのように使われているのかについては、申し訳ないが私は不勉強で承知していない。

 聞くところによると日本の葦簾も現在ではほとんどが中国製になっていしまっているようだから、私が上海で見ているこの葦もひょっとすると加工されて日本に送られている可能性もあるかもしれない。
そう考えると、中国で見る葦の風景もとっても不思議な存在に見えてくる。

 ただこの日私が見たこの葦の風景も冬になる前に全て刈り取られてしまう。
その時は護岸の石積みは全て露わになり、ここは人工的に整えられた空間に戻ってしまうだろう。
そうなるとここは詰まらない風景になってしまうかもしれない

しかし季節が廻れば葦は逞しくここを覆いつくすに違いない。
だから私は来年もここで自然の空間を体験できることを楽しみにしている。





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