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使うと失礼な謙譲語

 よく「一国民」「一市民」「一利用者」などといちいち「一」をつけて自らをへりくだっていろんな意見を言う人がいるが、この自らに「一」を頭につけるというのは場合によってはどうも相手に失礼に当たる気がする。

 つまり、「一」をつけるという言葉の裏には、「本当は自分は一じゃないんだが」という、優越感・傲慢さが本人に見えるからである。

写真はイメージ

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 本来は主語は「私は」でいいはずなのに、わざわざ「一」をつけて自分を小さくしているんですよとPRする必要はないのである。
 「私」というのは基本的にPRしなくても「一」のはずなのである。

 故に「一○○」などと言えるのは、明らかに立場がある人に限られ、例えば市長や市議が「一市民」としてモノを言うのは意味がある。

 かつて、かの小沢一郎さんが、自らを「一兵卒」として呼んだことがあるが、あれは代表選挙に敗れた後だったから、使い方としては正しい気がする。

 しかし、そういう明確な社会的な立場が無い人が、客先相手でもないのにへりくだるというのはやはりどこかおかしい。

 実はへりくだったつもりが却って自らの尊大な意識をPRすることになるのである。

 現に「一国民として」「一市民として」「一利用者として」などの言葉で検索をすると、へりくだる必要もなさそうな立場の人が非常に強い意見を述べている。

 「私は○○なんだが、腰を低くして言っているんだ」という傲慢さがどこかにありそうな印象を受け、却ってかなり尊大に感じてしまい、じゃあお前は何様なんだと反発を感じてしまう。

 まあ日本語とはかくも難しく、使い慣れない言葉を意味も考えず使うと恥ずかしい思いをする場合があり、自らの戒めの意味を込めて是非気を付けたい。

鹿児島県の上海研修計画は本当に無駄か?

 鹿児島県で知事が上海―鹿児島線の航空路線維持のために、県職員を1000人研修旅行の名目で上海へ派遣する計画を立てて大きな波紋を呼んでいる。

当然そこに税金が投入されるから県民も黙ってはおらず、反対の声が相次いでおり、方々から非難の声が上がっている。

 この非難の声を受けて、知事側では1000人の計画を300人に縮小したようだが、それでも反対の声は収まらない。

 まあ私は鹿児島県に大した縁もゆかりもない人間だから、この問題の当事者として首を突っ込む資格はないのだが、個人的にはこの知事の判断は凄い英断という気がしている。

 確かに1億1800万円の出費は小さくないが、これは自治体としての生き残りをかけた一つの投資の意味があると思っている。

 つまり業績が苦しい会社が、社員の給与を昇給せずに持っている予算で新たな投資をしようとしていることと同じように映るのである。

 もちろん、税金が絡むだけに各方面から非難が出ているが一般の会社であれば新規投資せず社員の給料に回せと言うことにはならないような内容である。 

 私はこの上海研修という投資による航空路線の維持には2つの意味があると思っている。

 一つは、航空路線の維持による経済関係の固定化による経済インフラの維持と、県が取り組んでいる医療事業の損失防ぎのための維持コストという意味。

 たかが週数便の航空路線とはいえ、定期便が続くか途切れるとでは経済的結びつきの影響は大きく違う。

 さらに、県が取り組んでいる中国富裕層をアテにした医療事業も70億のお金が投資されていると聞き、この路線がその生命線だということであれば、1億円程度の追加費用は経営判断としては止むを得ない気がする。

 そしてもう一つが県職員の意識改革という意味。

 実は、本当の意味で言えば路線維持よりこちらの方の意味が重要だという気がしている。

 私は鹿児島県の職員の方達とは直接話したことはないが、他の自治体の方々が上海を訪れてきたときに何度か話をさせていただいていて、そういった人達と話をしていつも思うのは、日本の事なかれ主義がしみついているというか、危機意識に乏しい意識であり、国際感覚の欠如というきがするのである。

 つまり世界に視野が広がっておらず、日本のモノサシだけ話をしている人が多いのである。

 鹿児島県庁の人がどういう意識を持って働いているかは知る由もないが、どの自治体も同じ地方公務員気質があるとすれば、鹿児島県にも同様の風潮があったとしても不思議ではない。

 故に鹿児島県の知事はこういった航空路線維持の名目を借りて、実は県職員の意識改革のために上海への団体研修旅行の計画をしたのだと思われる。

 まあ上海にこだわるのが良いかどうかという問題は多少残るが、そういった地方公務員たちに意識改革をさせるには今回の路線維持目的の派遣はいいきっかけだという気がしている。

 もちろん、そういった意識改革を起させるにはのんべんだらりとした観光旅行で終わらせては効果も何もないわけで、現地で働いている日本人との交流を持つなどして、国外からの日本を見る視点を知る研修でなければならず、参加者に目的意識を持ってもらう研修でなければならないという気がする。

 そういった意味ではいま伝わっている研修計画は、いかにも公務員的な保守的な研修計画でありやや物足りない印象はあるが、それでも行く意義はあるという気がする。

 まあ個人的には1000人が300人とかなり縮小したことが非常に残念だが、これほどの規模で一遍に職員が海外体験をすれば、計画が一通り終わった後の鹿児島県の県政が、他の自治体より一味違ったものになるような気がするし、そうなることが期待できるこの研修旅行計画だという気がしている。

マイカー族の環境意識

 まあこれは中国に限らず日本でも同様なのだが、大気汚染などのニュースに煽られて環境の大切さを騒ぐものの、自らの行動には反映できず変えられない人が多い。
 (もちろん私自身も含めてだが)

 例えばマイカーを運転して、空気の綺麗なところへ遊びに行った場合に、都会から行ったドライバーは「空気が綺麗なところはいいね」などと言っているのだと思われるが、空気がいいと感じているのは本人だけで、その場所にとっては都会から来たマイカーそのものが汚染源の一つであり、空気を悪化させて要因となっていることに気が付いていない。

 都会から来たドライバーは、本人にとっては都会の悪い環境から逃げ、本人周辺の環境改善を行なったつもりでも、来られた側からすれば都会から悪い空気をわざわざ持ってきた人間に過ぎないのである。

写真はイメージ

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 本当に環境を意識しているのなら現地の環境負荷を最小限にするために公共交通機関を利用すべきなのだが、まあマイカー族にはそういう意識があるとは思えず、どう考えても客観的には自己中心的な行動となる。

 また田舎に逃げず都会生活で過ごす時間も同様で、例えば外は空気が悪いと言って、室内に籠ってガンガンに暖房をかけて過ごせば、これまた電力使用の増加に繋がり、発電所に負荷をかけることになり、環境汚染物質の更なる増加に繋がる行為となる。
 つまり自分で自分の首をさらに絞めている行為とも言える。

 ことほど左様に人は意識とは裏腹に環境に負荷をかけている行動をとっており、特に環境に敏感だと言われるミドル層ほど実は自らの生活が環境悪化に拍車をかけているのだが、それに気づいているのか気づいていないのか「環境」を声高に騒ぐのもやはりミドル層である。

 もちろん環境をあんまり意識過ぎると身動きが全く取れなくなってしまうが、ニュースに煽られて自らの行動を振り返らずに「環境破壊だ」などと馬鹿みたいに叫んでいるだけでは結局自らの足元をすくわれることになる。

 環境問題を含めて、どんな社会問題でも大体においては我々の行動の反映なのであるから、他人事的な浅はかな社会意識提言では解決できないことを我々はもっと知るべきであろう。