使うと失礼な謙譲語

 よく「一国民」「一市民」「一利用者」などといちいち「一」をつけて自らをへりくだっていろんな意見を言う人がいるが、この自らに「一」を頭につけるというのは場合によってはどうも相手に失礼に当たる気がする。

 つまり、「一」をつけるという言葉の裏には、「本当は自分は一じゃないんだが」という、優越感・傲慢さが本人に見えるからである。

写真はイメージ

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 本来は主語は「私は」でいいはずなのに、わざわざ「一」をつけて自分を小さくしているんですよとPRする必要はないのである。
 「私」というのは基本的にPRしなくても「一」のはずなのである。

 故に「一○○」などと言えるのは、明らかに立場がある人に限られ、例えば市長や市議が「一市民」としてモノを言うのは意味がある。

 かつて、かの小沢一郎さんが、自らを「一兵卒」として呼んだことがあるが、あれは代表選挙に敗れた後だったから、使い方としては正しい気がする。

 しかし、そういう明確な社会的な立場が無い人が、客先相手でもないのにへりくだるというのはやはりどこかおかしい。

 実はへりくだったつもりが却って自らの尊大な意識をPRすることになるのである。

 現に「一国民として」「一市民として」「一利用者として」などの言葉で検索をすると、へりくだる必要もなさそうな立場の人が非常に強い意見を述べている。

 「私は○○なんだが、腰を低くして言っているんだ」という傲慢さがどこかにありそうな印象を受け、却ってかなり尊大に感じてしまい、じゃあお前は何様なんだと反発を感じてしまう。

 まあ日本語とはかくも難しく、使い慣れない言葉を意味も考えず使うと恥ずかしい思いをする場合があり、自らの戒めの意味を込めて是非気を付けたい。





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