Monthly Archives: 3月 2016

宇宙戦艦ヤマトで描かれる惑星位置を真面目に検証

 最近最新作が出て再びフィーバーしているスターウォーズだが、この状況に何となく日本人としての対抗心が頭をもたげ、日本版SFの大作と言える「宇宙戦艦ヤマト」を最近チェックするようになった。

 「宇宙戦艦ヤマト」は私が小さい頃の、もう40年以上も前に作られたアニメだが、YOUTUBEで改めて見る限りでは、そんな古い時代のものとは思えないほど、絵やストーリーがしっかりしているなという印象である。

 もちろん古いことは古いので画質がやや粗いのは目をつぶるとしても、手書きのセル画で作られたであろう映像はかなり手が込んでいて描写が細かいし、佐々木いさをさんの歌う歌・音楽も今でも古びた感じのしない不朽の名作である。
 
 さらに驚くのはしっかり物語を支えている数々の宇宙情報であり、その当時の宇宙研究の最先端であろう情報が結構細かくいっぱい詰め込まれている。

 まあ当時の日本は1969年のアメリカのアポロ計画の月面着陸の成功を受けた直後で宇宙熱の高い時期でもあり、その時期に作られた宇宙戦艦ヤマトの宇宙描写が細かいのは当然とも言える。
 
 ところで、このアニメに描かれた宇宙の情報を今になって改めて検証をしてみると、結構大きな矛盾があることを発見する。

 もちろん所詮は創作アニメなので、元々ご都合主義で描かれる矛盾の塊と言えばそれまでなのだが、今回敢えてその矛盾をちょっと真面目に検証してみることにした。

 その矛盾とは舞台となった当時の太陽系の惑星の相対的な位置のことである。

月

 太陽系の惑星は、内側から順に水金地火木土天海冥の言葉で覚えるように、太陽の周りをそれぞれの軌道で回っているが、当たり前の話だが、直線上に全惑星が並んでいるわけではない。

 つまり、それぞれの惑星が、それぞれの速度で太陽の周りを公転しているから太陽から見た惑星の方角は基本的にばらばらとなり、3つ以上の惑星が直線になるのは奇跡的な確率といえる。
 しかし、アニメではなんと地球から太陽系の外へ向かう流れの中で火星、木星、土星、冥王星と順番に4つもの惑星が登場してしまっているのである。

 これはどう考えてもやはりおかしく、こんなに都合よく綺麗に遭遇するわけはないのである。
 そこで気になって、このアニメの背景となった2199年時点の各惑星の位置をチェックしてみた。(笑)

 この際、上下のずれを表す赤緯については無視するが、2199年10月の地球から見た惑星の方向(赤経)を計算ソフトを使ってチェックすると、火星08h23m、木星21h59m、土星21h51m、冥王星09h59mという結果が出た。

  参考サイト:つるちゃんのプラネタリウム

 これを信じれば、2199年10月時点で火星と冥王星はほぼ同じ方向だが、木星と土星は12時間も違うまるっきり別の方向にあることになり、アニメのような順番では惑星は登場し得ないことになる。

 更ににウィキペディアの情報によると宇宙戦艦ヤマトの目的地であるイスカンダル星のある大マゼラン星雲は、2000年の計測で05h23mの方向であることから、2199年当時で比較的火星と冥王星の方向に近いということが出来る。

 アニメの物語では敵のガミラス帝国が太陽系の前線基地を冥王星に設置していたという話が出てくるが、この惑星の配置から推測すれば、理に適っている位置となっていたようである。

 まあアニメの作者が未来の時点の惑星の位置まで計算していたとは思えぬが、冥王星を利用した発想は結果的に正しいものであったと同時に、木星と土星の登場は蛇足であったということになる。

 しかし、あれはアニメだから実際とは違うと言いきってしまうのもまたロマンがなくつまらないものなので、アニメのように惑星が登場する時期は本当にないのかとそれぞれの惑星の公転周期などを基に、前後の年代を調べてみた。(笑)

 ちなみに各惑星の公転周期はウィキペディアのデータによると火星686.98日 木星11.86年、土星29.53年、冥王星247.74年である。

 で、再び上述の計算ソフトを使って色んな時期の星の配置をシミュレートしていくと、2181年の6月1日現在だと火星08h48m、木星09h17m、土星07h19m、冥王星07h49mとなり、この時期ならかなり狭い範囲、つまり同一方向に収まることが判明。

 しかも土星と冥王星は赤緯もそれぞれ+22h02mと+22h06mとなりほぼ重なる位置関係である。

 さらに、このタイミングだとアニメで登場しなかった天王星と海王星は、それぞれ00h52mと23h05mと離れた方角にあり、登場しないことに矛盾しないのであり、ストーリーが正当化されるのである。

 このように見ていくと、実は宇宙戦艦ヤマトは2199年ではなく18年早い2181年の5月ごろを出発として描いていたならば、天体運行の描写としては矛盾がなかったようなのである。

 まあ40年前に完成したアニメを今更このように検証しても仕方ないかも知れないが、検証の結果2181年なら有り得るのかも知れないと思うとちょっとワクワクはする話になった気がするのである。

ソメイヨシノ桜は明治政府のプロパガンダの名残?

2011年4月上野公園(花見)

2011年4月上野公園(花見)

 東京で開花宣言が行われ、上海でも各地で桜の花が綻びる季節となった。

 この桜の代表格とされているのが日本のソメイヨシノであるが、先日ラジオでちょっとビックリするような知識を聞いて驚いた。
 それはまず日本のソメイヨシノというのは1本の元木から挿し木で増えてきたクローン種でどれもDNA的には全く同じものだというのである。
 これに対して一般の山桜や大島桜などの品種は、人間の各個人のDNAが違うように系統はあっても全てが別の遺伝子を持つ存在とのことである。

 つまり、日本全国にこの季節に咲き誇るソメイヨシノは全て同じ元木のクローンであり、それ故に全国で同じ場所の桜は同じ時期に一斉に咲き一斉に散るという現象が発生し、日本の春の桜の風景となるようだ。

 しかし、ソメイヨシノはこういった独特な品種であるため自然繁殖出来ず、ソメイヨシノであり続けるには永遠に人の手で挿し木を行っていかなければならないという。

 逆に自然繁殖では別の品種と交配するしかないので、似た品種は出来ても同じものにはならないとのこと。

 ソメイヨシノはこんな特殊な品種にも関わらず、全国津々浦々の学校などに植えられて日本を象徴する風景と呼ばれる状況になっている。
 しかしよくよく考えれば南北に長い日本でこういった同一品種が全国に同じように植えられているのはちょっと不自然とも言える。

 実はこういった日本の桜の風景が生まれたのは明治以降の話らしく、それ以前は同じ桜でも山桜系など多様な品種がそれぞれの地域に、それぞれ自生しており江戸時代までは全国一様の桜の風景ではなかったようなのだ。

 それが今のようにソメイヨシノが桜の大半を占めるようになったのは、明治政府が積極的に全国の各学校や公園に植樹したからだと言われる。
 日露戦争の戦勝記念とか、天皇即位とか皇子誕生とか結構国家行事に絡んだ場面で植樹されていったようなのである。

 このあたりの詳しい経緯は調べ切らなかったが、恐らく日本の国民が天皇の臣民とされた明治において、江戸時代から分権的な藩政国家でなく「日本」という中央集権国家のイメージを醸成するために、ソメイヨシノという桜が選ばれたのではないかと考える。

 すなわち、同じ時期に一斉に咲き一斉に散るというイメージを共有させることによって、「日本」という郷土は一体なのだというイメージを固めるのに役立ったのではないかと思われるのである。

 さらに、ソメイヨシノが一つの品種のクローンであることは、天皇の下に等しく仕える臣民であれというようなイメージと共通するような面があり、そういった意味で戦前の政府は積極的にソメイヨシノを全国に展開していったのはないかという気もする。

 逆に言うと、多様性を生み出すようなその他の桜の品種の植樹は望まれなかった訳であり、多様性を排除する状況がソメイヨシノの拡大にあったとも言えるのである。

 このソメイヨシノの拡大の結果、実際例えば「同期の桜」のような軍歌に代表されるように、桜は軍人たちや日本の心のように謳われることになる。
 散り際の潔さや美しさが、桜の咲く土地に生きる日本人の心だと感じ、心を打つというようなイメージになったのである。

 しかしながら、こういったソメイヨシノが拡がった時代の背景を考えると、ソメイヨシノに代表される日本の桜の風景は、戦前の国家プロパガンダと強く結びついた影響の名残ということになり、それ故に意図的に演出された日本のイメージだということもできる。

 昭和になり戦争は終わったが、そういった桜によって意図的に演出された「日本」というイメージは現代にも続いていて、戦後も積極的にソメイヨシノが植樹され、ますます桜による「日本」のイメージ演出が加速する。
 故に戦後生まれの私もそういった「日本」のイメージの中で暮らしてきており、桜は日本のイメージとして生活をし愛着を持ってきたのである。

 しかし、この当たり前のように毎年咲くソメイヨシノの桜の風景が、実は明治政府の富国強兵や軍国主義的なプロパガンダの演出の名残かもしれないと知ると心は結構複雑である。

 もしかすると明治政府が何もしなかったならば、本来の江戸以前から続く多様な桜の風景があったのかも知れず、現代に多くの人が考える「日本」だの「日本人の心」だのと言われる部分も、もっと違うものになっていたかもしれないからである。

 まあソメイヨシノに罪はないが、全国で一斉に同じ花が咲くという風景は考えてみればちょっと異様な光景であり、不自然な演出された風景だということに気づく。

 そしてこの不自然さに気づいてしまうと、どうもソメイヨシノではない桜の風景を取り戻すべきではないかと考えてしまうのであり、明治政府の影響を排除した日本本来の自然な多様な風景を探したいと言う気がするのである。

中国がまだ旧暦を併用する理由

日本ではとっくの昔の明治5年に捨ててしまった太陰太陽暦(旧暦)だが、中国ではまだこの太陰太陽暦が生き続けている。
そのため1年の始まりを示す正月は、春節と呼ばれて未だに太陰太陽暦に基づいて行われる。
もちろん、これだけ世界との交流が激しくなっている現代では中国でも太陽暦(グレゴリオ暦)を公式暦として使用して、世界との共通軸を持つようになったのではあるが、一方で太陰太陽暦も捨てないでいる。

それは何故か?

その第一の理由として考えられるのは、太陰太陽暦の基礎となっている月の動きが実際の生活に大きな影響を与えているからと考えられる。
月の動きが生活に影響を与える代表と言えるのが潮の干満による水の動きである。

中国の沿海部は大陸棚の影響か浅い海底が多く、渤海湾などは干満の差の大きい場所として知られており、そこに繋がる黄河なども干満の影響を受け、満潮時の黄河周辺では洪水などのリスクが高まる時期となる。

同様に東西に長く伸びる長江でも影響は小さくなく、河口から1000キロ上流の武漢まで影響があると言われている。
さらに逆流で有名な杭州湾奥の 銭塘江なども潮の干満に影響を受けるため、月の状態によって洪水のリスクが左右される。
そもそも彼の地の逆流は潮の干満によって引き起こされている現象である。

銭塘江の逆流

このように中国では、各地に潮の干満によって影響を受ける地域が多く、そのためその基になる月の状態を暦によって知る必要がある状況となっている。

中国に限らず、太陰太陽暦を採用している地域は軒並み潮の干満差の激しいところであり、ペルシャ湾に面するメソポタミア文明でもやはり太陰太陽暦が採用されている。

逆に地中海のように地形上の理由で潮の干満の影響をほとんど受けないエリアでは、太陰太陽暦はほとんど採用されず、エジプト文明やローマ帝国などでは太陽の動きだけを基にした太陽暦が用いられているのである。

つまり潮の干満を知る必要がある中国では太陰太陽暦を捨てきれないのだと考える。

中秋の名月

中秋の名月(2013年9月の満月)

第二の理由として、植物や動物の生きるリズムが、月の動きに影響を受けていることが知られており、農業や漁業などに影響を与えているからだと考えられる。
例えばウミガメの産卵周期は海の干満と一致するし、海で育つ牡蠣なども干満の周期が大きく影響を与えているとされ、農業の上でも、太陽暦ではなく、太陰太陽暦を基に種まきなどを行うと成育が良いとされる。

それ故に、太陰太陽暦で月の動きを把握して行動する必要があり、太陽の位置だけを基にした太陽暦だけでは農業も漁業も都合が悪いのであろうと考えられる。
つまりそのために中国では現代でも新旧暦併用の状態となっているのだと思われる。

このことから考えると、日本の暦が明治の初めまで太陰太陽暦で、明治のタイミングで太陽暦に切り替えられたというのもなかなか興味深い変遷とみることができる。

古代飛鳥時代に他の文化同様に太陰太陽暦の暦を中国から輸入したというのは、単に中国から文明を学んだというだけではなく、海に四方を囲まれた日本にとっては、潮の満ち引きの大きさがわかる太陰太陽暦は都合が良かったから定着したとも推測でき、農漁業を行う上でも都合が良かったのだろうと考えられるのである。

逆に明治になって暦を切り替えてあっさり旧暦を捨てることが出来たのは、技術の進歩などにより潮の満ち引きなどの生活への影響がかなり克服された状況にあったからではないかとも推測される。

もちろん太陽暦の導入は明治政府の政治的意向(財政対策とか)があったにせよ、旧暦を捨てるにはそれなりの環境が整っていることが必要だったと私は思うのである。

ここが現在も旧暦を併用する中国との大きな違いと考えられ、現代の日本は海の干満によって洪水などということはほとんどなくなったが、中国では陸地の規模が違うために現代でも干満が非常に大きな影響を与えている状況であり、それ故の月の動きの把握が必須であり、太陰太陽暦を使っているのであろうに思われる。

現在は旧暦と呼ばれてしまっている太陰太陽暦だが、その内容をつぶさに見ていくと、単なる精度(誤差の多少)だけでは片付けられない面白い要素が沢山あり、中国ではそれがまだ生き残っているということに物凄く興味深い意義が感じられるのである。

中国の電源コンセントは何でもアリ?

 中国で生活していて時々遭遇するのが電源コンセントの形状不一致によって、差し込み口に挿せないというトラブル。
 まあ日本から持ち込んだ製品が使えないというならともかく、中国国内でも複数の規格が存在し、それぞれそれなりの数が流通しているから、どれか一つに統一出来ないようなのだ。

中国の電源分配コンセント

中国の電源分配コンセント

 電圧だけはさすがに統一され国内どこでも220Vではあるのだが、各地に租借地があった時代の名残なのかプラグは国内で統一されていないのである。
 もちろん電源コンセントの製品もそういった国内事情を考慮して、複数タイプのプラグに対応したコンセントがほとんどとなっていて、冒頭のようなトラブルがなるべく少なくなるようには考慮されている。

 住宅などでよく見かけるのが、下記の写真のような各タイプ兼用型コンセントで、3タイプに対応している。

中国の住宅の壁コンセント

容量内なら両方差し込んでも差し支えない。

 まず上部の二口穴のうち、角ばったタイプは米国工業規格ではタイプAと呼ばれるものでで、接地極(アース)のないタイプである。
(規格名称は基準規格により呼称が異なり、民間製品とは分類が違うので注意されたし)
 タイプAは日本や北米で広く使われているもののと同じ規格となりパソコンのように220V電圧にさえ対応していれば共通で普通に使える。

 次にその角穴に付随するように空いている丸い穴は 米国工業規格でタイプCと呼ばれるもので、やはりの接地極のないタイプである。
 タイプCはユーロプラグと言われ、ヨーロッパや南米、アフリカなどで広く使われるタイプであり、欧州系メーカーの商品などはこの規格が多い状況のようだ。

 そして残る一つが3極式の米国工業規格でタイプIと呼ばれるコンセントでオーストラリア方面に多いとされる形状。
 上記の2タイプは接地極の無いタイプなので感電のリスクが高いと言われることから、最近ではより安全な接地極のあるタイプが増えており、中国でもそれを見越してか、このタイプIのコンセントも増えている。

タイプI のプラグ

タイプI のプラグ

 さらに近年はタイプA、Cにそれぞれ接地極のついたタイプB、Hのようなものも登場していることから、それらにも対応したコンセント形状となっており、ますます複雑である。

 下記の写真は会社にあった電気の分配コンセントであるが、各々複雑な形状の穴が開いており、裏を返して対応プラグを確認すると左からI・A・C・B・G・Hという 実に6種類の電気プラグに対応できるようになっており、まさに何でもアリの状態なのである。
 (タイプGは主にイギリス、香港、シンガポール、中東などで使われてるタイプ)

結構複雑なコンセント形状

結構複雑なコンセント形状

裏には適用タイプの説明が

裏には適用タイプの説明が

 もちろん、これとて全世界をカバー出来ているわけではないのだが、少なくとも欧州と北米の主要メーカー製品は電圧さえ適合すれば、ほぼそのまま使えると言っていいのではないだろうか?

 まあこういった便利な分配器が売られているのは、逆に言えば製品側のプラグが統一されていないことの裏返しであり、壁のコンセントだけでは差し込めるプラグが限られてしまうというのが実情なのである。

 国土が広く、欧米それぞれと複雑な関係において発展してきた中国の近代の歴史が、この電源コンセントにも現れているのである。

ある会社が自滅していく理由

 最近、私が以前関わった会社が自滅しそうだとその会社にまだ残っている社員から聞いた。

 自滅というのは業績もそうだが、その会社の社員がどんどん離れてしまい、業務が回らない状況まで社員が減りつつある状況になっているようなのだ。
 むろん業績自体も良くないようで、近々に他の会社との合併も決まったとのこと。
 
 まあ、関わったことのある私から言わせてもらえば、業績悪化の原因はひとえに社長というか経営者のパーソナリテイにあり人望の無さが原因だと感じている。
 
 その社長は社員に対して人としてのコミュニケーション能力に欠け、働く気力を失せさせる振る舞いばかりをしていたように映ったのである。

 それ故に社員の定着率も悪く、私がかかわった時も何故か入ったばかりの新入社員だらけで、創業7~8年経つのに勤続3年以上の社員はたった2人だけだったのである。

 どうしてそんな状況なのか最初は不思議だったが、しばらくするとすぐに理解が出来た。

 この社長は社員を人扱いしないというか、社員に対して人としての接し方が出来ず、目先のうまくいかない状況の不満を感情的に社員にただぶつけるだけなので、どんどん社員から嫌われていたのである。

 叱るときは人目もはばからず公の場で人格的否定的な言葉を連発し、まるでパワハラの典型例そのままであった。

 ただまあ以前ブログで書いた通り、中国ではパワハラそのものが、概念として理解されていないというか、社員も嫌ならすぐ辞めるのが常であるから法的問題にならないようなのだが、法的問題にはならなくても会社が存立しない程社員が流出したら流石に元も子も無いのである。

 もちろんこの社長も一応は経営者なので、社員が流出している状況のまずさは感じていたようで、それなりの社員対策はやっていた。

 表彰制度やイベント、社員旅行など、他社でもやっているような福利厚生の社員対策は一通りやっていたのである。
 しかし、私が傍から見ていた限りではこれらはどこか形式的というか、取ってつけたような印象で、本当に社員の為にやっているようには見えなかったのである。

 どちらかというと社員のためというより、対外的な会社の見栄というかエクスキューズのため、つまり当社はこんなに社員のために配慮してますよというパフォーマンス的匂いがプンプンしていたのであり、それが証拠にいちいちSNSなどでアップして自慢しており、そのための写真撮影に熱心だったのが印象に残ったのである。

 そんなパフォーマンスに付き合わされる社員にとって、会社に居続けたいと思う理由はどこにもなく、私がかかわった時は既にチャンスさえあればどこかへ移籍しようと考えている社員ばかりになっていた。

 そして、思い起こせばこの会社が実際に自滅へ向かい始めたのは、一人の戦力だった入社4年目の社員が辞めてからであろうに思われる。
 その社員は上述した2人いた勤続3年以上の社員の1人で、成績としては毎月ノルマを満たしていたにも関わらず、社長は何が不満だったのか会議でかなり酷い言葉をぶつけたらしく、結局それが原因でその社員は退職したのである。

写真はイメージ

写真はイメージ

 それ以降その社長は社員の努力不足を理由に業績不振を口にするようになった。

 売り上げの柱の1人が退職したのだから、会社のパワーが落ちるのは当然なのだが、社長はそれを認めようとしなかったのである。

 そんな最中、私も結局追い出されるようにその会社を離れたのだが、社長以外のスタッフとは仲良しになったので、どんどんとその社長情報(主に悪口)が私に届くようになった。

 上記の退職した社員も直後に同業他社に転職したようなのだが、実はその上司は私の知り合いだったのでそれを知ったのだが、その上司の情報によると新職場では評価が高いらしく、本人ものびのびと仕事をやっているとのことのようだ。

 で、この春節前後に新たに2人が離職したらしく、その会社は社長を除けばたった3人になってしまい、もはや風前の灯火のような状態になったのである。

 そして今残っている社員でさえ次の契約更新の際に離職を考えているらしく、スタッフが全くいなくなるのは時間の問題になっている。
 しかも聞いたところに依ると、上記の社員だけでなく、かの会社を辞めて同業他社に転職した例は多く、そのほとんどは定着しているようで、戦力として活躍しているとのこと。
 業界としても確かに以前ほど活況ではないが、それなりに仕事や利益はあるらしく、業績が急激に落ちる環境ではないようなのだ。

 つまり、かの社長は自らの徳の無さで利益を減らしているわけで、そればかりか戦力に育った社員をみすみすライバル会社に渡すことになって敵に塩を送っている状況となっており、まさに自滅なのである。

  私自身、この社長に恨みはないが、二度と仕事で絡むのは勘弁と感じているし、社員を大事に出来ない経営者はビジネスを成功させられないという教訓にさせてもらっている。