Monthly Archives: 1月 2016

中国人は知らずのうちに裸にされている。

 先日、上海商工クラブの総会があり記念講演としてアリババグループの孫副総裁の講演があった。

 主にビッグデータ活用に関する話であり、内容仕組みに関しては特に目新しいものではないものの、それを実際に活用して大きな利益を上げているというところは、さすが中国というか、ちょっと前に描いていたことが現実的になっていることを知った。

 最近中国では、WECHATというSNSの銭包(お財布)が流行し始めていて、どこでもかしこも携帯に表示されるバーコードを利用して代金を決済する姿が見られるようになった。

 コンビニなど少額決済でもお客の半分近くはこの銭包決済である。

上海のファミリマート店内

まるで喫茶店のような雰囲気

 現金を用意する必要がないため、非常にスタイリッシュであり、お釣りでまごまごする必要もなく、あっという間に決済が終わるので、新しいもの好きの上海の人間たちにはどんどん受け入れられている。

 しかし、恐らくこの電子決済が、いわゆるビッグデータの収集口になっていることは大半の中国人たちは気づいていないであろうに思われる。
 つまり、携帯電話の口座で決済することによって、その携帯の持ち主が、どこに住んでいる人間で、年収はこのくらい、普段どこのお店でどんな商品を多く買い、どういった食べ物が好みかというようなことが瞬時に渡されてしまうということに気づいていないだろうと察せられる。

 気づいていない人が多いのかも知れないが電子決済というのは、単なるお金のやり取りの場だけではなく、お金を使った内容と、お金を使った人の属性をお店に渡してしまうことに他ならない。
 それ故に、中国人たちがどんどんと電子決済を利用することによって、先方にはビッグデータが蓄積され、使った側の人間像がどんどんと丸裸にされることになる。

 むろん、そういうデータを利用して販売側が商品展開したり在庫調整したりすることによって、消費者側にも自分の好みの商品が常に品切れにならず店にストックされるわけだから、メリットがあると言えば言えなくもない。

 これが上述のアリババ孫副総裁のいうデータビジネスの成功の肝ということになる。

 ただ、その代償として自分という個人のデータを丸裸状態で見せても良いのかということになる。

 実は日本で、デビットカードによる決済が進捗せず、現金決済が大半だというのはここに理由があるような気がする。
 電子決済は確かに便利ではあるけれど、セキュリティ上の懸念は拭えないし、日本人はそこまで電子システムを信用しきってないというという気がする。

 機械は必ず故障するものという意識があり、データは消える可能性があるということも知っており、さらにこういった電子決済のシステムが相手に個人情報を渡してしまう仕組みであることを知っている人も少なくなく、警戒しているのである。

 これらの幾つもの理由が重なって、日本はお金の絡む新しいシステムに関してはかなり保守的なのである。
 故にというか、日本人はまあ今後も今の中国人程には丸裸にされる速度は早くないという気がする。

 しかし、まわりにいる中国人たちを見ると、どんどんと新しいものに飛びつき電子決済を利用しており、つまり丸裸にされているのである。
 時代の趨勢としては電子決済化への流れは止められないものかも知れないが、ものすごい勢いで個人データを吸い取られていると気付いた時の中国人たちの反応を是非見てみたいものだという気がする。

寒さ冷たさは鈍感になるから危険

日本でも大雪だの寒波だので冷え込んでいるニュースが伝わっているが、この中国でも全国的に寒波が広がり、この週末は上海市内でもなんと氷点下9度を記録した。

 街中の水たまりの凍結は無論のこと、各住宅でも水道が凍結などの被害が出ているようだ。
 もともと寒さにあまり備えの少ない上海であり、「上海にストーブ文化がなく、室内でも服を脱がない」ことは以前書いた通りで、想定以上の寒さに襲われると脆いのが上海という街のようだ。

 
 ところで、このような寒さに遭遇した時に、気をつけなければならないことがある。

 それは、人間の皮膚の感覚というのは、気温が下がれば下がるほど痛みを感じるのではなく、感覚が鈍くなるのだということ。

 どういうことかと言えば、実は-10℃であろうが、-20℃であろうが皮膚が瞬間的に直接感じる痛みのような感覚にはあまり差がないのであり、冷やされる速度が違うことによる鈍感になる時間の差として現れるだけだということ。

 それ故に、寒さを一旦我慢すれば、低温の屋外で行動を続けていても皮膚感覚的には冷えているという感覚無しに行動出来てしまうのであり、肉体の冷えを忘れてしまうことになる。

 しかしこれが危険である。

 低温の中で肉体を動かしているうちは身体が動くので体温低下に気がつかないのだが、それは温度に対する感覚が鈍っているだけで、体温は確実に下がっていく。
 で、体温がある一定程度まで下がると、突然動かなくなるのであり、その時になって初めて体の主は体温の低下に気づくのである。

 私もかつて冬の中国東北部に行ったとき、-15℃くらいの環境の中で平気なつもりで歩き回っていたら、突然腿がつって、その場から動けなくなったことがあった。

 足が動かなくなるほど体が冷えているというのに、感覚が鈍っていて気がつかなかったのである。

 幸いその時は街中だったので、すぐに暖房の効いた屋内に足を引きずりながら逃げ込んだので事なきを得たが、これが人里離れた山中や郊外の誰も通らないような場所だったら生命の危機だった可能性がある。

 寒さに慣れない地域の人間が、下手にやせ我慢をして寒い中行動を続けると、思わぬ危機に陥ることもあるので、皆さんもぜひ注意していただきたい。

5年前の東北旅行の写真

5年前の東北旅行の写真

中国経済を見極めるには貿易統計に注目

 2015年の中国の国家GDPの成長率が前の年に比べて6.9%の伸び率と中国国家統計局から発表された。
 さて、GDP数字そのものに関しては、この国では国家がこうだと決めて発表したのだからその数字は正しいというほかなく意見のつけようがないのがこの国であり、その評価に関しても経済が減速したという人もいれば、まだ6.9%も伸びているという人もいるが、6.9%は6.9%である。
 
 で、表面上の結果は6.9%を達成していたとしても重要なのは実質的な経済の動きの中身である。
 
 つまり6.9%もの経済の伸びが実質的に中国国内に本当にあったのかどうかということになる。
 これについて言えば、まずこのGDPの数字が経済の実態と本当にリンクしているかどうかは怪しく、GDPの伸びを以て経済を判断するのは危ういと多くの人が言っている。

 よく笑い話的に言われるのが、ビルを建ててすぐ解体してもGDPに組み込まれることになり、仮に建設費と解体費が同額だとすればそれだけでGDPが二倍に積算されるというのである。
 ビルは結局なくなってしまって経済的には何の成長にも繋がっていないのにGDPだけが増えたというのである。
 つまり経済状況判断をするのにGDPの伸び率はあてにならないということである。

 では、何を以て目安とするのが良いのだろうか?
 
それについて先日の日本のラジオで良いヒントを言っていた。

それは貿易統計が中国の経済を測る客観的な一つの目安となるというのである。
 何故かと言えば、中国国内の統計数字があまり信用できないとしても、貿易に関しては相手国のあることだから相手国の貿易統計を見れば概ね正確な数字を推しはかることが出来るというのである。

 中国の怪しい統計数字に悩まされていた私にとってはまさに目から鱗の話である。

 で、実際その貿易の数字を見ると、何れの主要国の対中国の貿易統計を見ても、輸出入は成長鈍化どころかマイナス状況になっているようだ。

 中国側の統計でも2015年の1年間の動向を見てみると輸出は前年比-5%程度、輸入は前年比-10~-20%の間を毎月推移しており、とてもではないが経済がプラス成長の状態にある国には見えない貿易状況である。

 さらに、鉱工業の状況を示すとされる電力需要も2015年はほぼ横ばい状態で、おそらく第三次産業の発展が電力需要を支えているが、鉱工業自体は伸びず縮小気味なのではないかと推測できる。

 まあ国家統計局の数字では、鉱工業のGDPはまだ数パーセントのプラスなので成長しているようにも見えるのだが、これらの数字は恐らく出荷額ベースでのデータと推測されるため、人件費高騰が押し上げている状態だと考えられなくもなく、生産重量ベースで考えれば実質の伸びはほとんどないと推測される。

 それ故に、中国全体の実質経済というのは実はプラス成長どころか、ゼロ成長かマイナスの状況があると推測できるのである。

 ではでは、こんな状況なのにGDPのプラス6.9%というのはどうやって積み上がった数字なんだろうかというところに疑問が湧く。

 色んなデータを確認してみると、昨年は金融仲介業の伸び率だけが頭抜けて良い状態であり、前年比17%も伸びていることがわかった。

 他の産業が1桁台で止まっているのに、金融仲介業だけ伸びており、実体経済が成長していないのに意味もなく投資が過熱している状況が見て取れ、これがGDP成長を何とか支えているようである。

 つまり人件費上昇分だけ、各産業の金額ベースでの数字は伸びているように見えるが、実質の経済としては金融仲介業だけがバブル的にGDP全体をけん引しているのが実態となる。

 数か月前に上海で日本人の有る方が、「日本の報道では嫌中意識から中国経済についてネガティブな報道が多いが、多くの数字でまだプラスとなっており、日本よりはるかに良い」と解説していた講演を聞いたが、その見方はやはりどうも間違っていたようである。

 やはりラジオで言ってた通り対外的な貿易額が減少している現状が中国経済の実態を素直に表しており、GDP成長率に惑わされず経済を見極めるには貿易額に注目するのが一番良いようである。

先行き不透明の上海の空

先行き不透明の上海の空

結婚式と葬式では同じ曲が使える

 先日、人に頼まれて最近亡くなったある方を偲ぶ会のBGMの準備を頼まれた。
 はて、昔日本にいた時に結婚式のBGMはさんざん利用してきたが、葬祭系のBGMは初めてであった。

 まあ葬祭といっても正式な葬式ではなく有志が集まる「お別れ会」であったため、どちらかというと会食中心で宗教色のない会である。

 故に一面おごそかにしながら、湿っぽくなり過ぎず和やかな雰囲気の音楽BGMが必要とされると判断し曲を集めることにした。

 でいろいろライブラリーをひっくり返して選曲していったのだが、実はウェディング用のBGM集CDが結構使えることが判明した。

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 もちろん、結婚行進曲など結婚そのものを表す曲は当然使えないのだが、それ以外の恋愛が歌詞に絡むバラード系の曲というのは、意外にも葬祭系の儀式にも使えることがわかったのである。

 例えば今回利用した曲の中にはMisiaさんの「Eveything」の歌詞無しピアノ演奏版ヴァージョンを含めたのだが、この曲は基本は愛を歌う歌ではあるが、決して甘い歌ではなくどちらかというと遠く離れてしまった相手を想う悲しい曲調であり、その曲調が実は同様にもう会えない故人を偲ぶシーンでも合うように思えたのである。

このほかにも「Let it be」とかいずれもウェディングBGMから何曲かピックアップしたが、いずれもしっくりくるという印象だった。

そのほか冬ソナ(古い!)の「My Memory」のヴァイオリンバージョンや「涙そうそう」の二胡バージョンなどを色々織り交ぜて1時間くらいのBGMを組んだのだが、いずれもウェディングで使ったことのある曲であった。
 (10年前でライブラリー更新が止まっているので新しい曲は入れられなかったが・・・)

 で、実際に本番で曲を流した場面にも立ち会ったのだが、参列者はどう思ったか分からないが私的には非常にマッチングしていい選曲が出来たのではないかという印象だったのである。

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 さて今回どうして結婚式と葬式の曲が共通で使えるのかをいろいろ考えてみたが、私の結論としてはいずれも人生の区切りを示す儀式だからではないかと考えた。
 葬式も結婚式も、本人や周りの人にとっては人生の一区切りのタイミングであり、これまで歩んできた時間を振り返り噛みしめる時間になる。

 そういったシーンにおいて、実は過去を振り返り人を想うと言う意味では、感情の状態は結婚式も葬式も似たような状態なのではないかという気がするのである。

 また感情の高ぶり方も似たようなものがあり、一方は幸せ、一方は悲しみの儀式ではあるが、人を想い感極まる部分があるという意味では同じであり、いずれも人間は涙を流す。

 音楽とは感情を表現するものというのが私の基本的な考え方であり、そういった意味では結婚式も葬式も感情状態としては実は非常に近く、BGMとして共通の曲が使えるということなのだろうかと思う。

 もちろん葬式の場合は事故死など亡くなり方によっては和やかとはいかず、ただただ突然の悲しみに暮れるだけの心理状態の場合もあり、同じようなBGM選曲が通用するのかは分からないのだが、少なくとも共通で使える音楽があるという意外なことを発見し、一つ良い経験になった今回の依頼であった。

アマチュアオケはつらいよ?上海ブラスの演奏会から

上海音楽院

上海音楽院

 昨年の暮れのことだが、上海ブラスの演奏会に声がかかったので聴いてきた。
 まあ無料だったのと、生の音楽に飢えていたのもあって、足を運んでみたのであったが、結構楽しい時間を過ごすことが出来た。

 演奏水準を言いだせば、所詮はアマチュアということになってしまうが、アマチュアの演奏家たちこそ音楽が好きでたまらない人間の集まりであり、その彼らが演奏する音楽はかなり音楽愛に溢れているという気がする。

  着ぐるみ的な格好をして演奏する姿などはプロでは絶対有り得ないと言っていい演奏姿あり、非常に楽しんでいることがよくわかる。

 プロが義務で演奏をやっているとは言わないが、仕事としてこなしている面が少なからずあるのに比べ、彼らは誰に強制されるのでもなく音楽を奏でるのが喜びとして取り組んでいるわけで、それが音となって表れてくるのである。
 音楽というのは、人が楽器を弾いて人が聴くものだから、観客と演奏家の間のコミュニケーションとして捉えれば技術の上手い下手は二の次であって、演奏家の気持ちが観客に伝わればいいのである。

 休憩中にも、正式なプログラムではない小品の曲を数人ずつのアンサンブルがかわりばんこで演奏する姿も、音楽が好きでしょうがない彼らの象徴的な姿だったという気がする。

賀緑汀音楽ホール

賀緑汀音楽ホール

 そういう点で言えば、アマチュアの演奏会はある意味プロの演奏会より楽しいし、気楽に音楽に向き合える。

 ただ少し感想を言えば、アマチュアの方々の演奏会は非常に苦労して作り上げられているなぁという印象だった。

 まず、今回の演奏会では参加者の楽器構成がどうもバランス良くないという印象で、標準的吹奏楽団の構成に比べ、ピッコロやクラリネットなどの木管が少なく、その割には金管はしっかり揃っていたという印象であった。

 まあ、上海(外国)という特殊な地域の事情上、東京のように気軽にエキストラ奏者を頼めるわけではないので、どうしてもいる人間で、やれることをやろうということになるのであろう。

 しかし、こうなると苦労するのは楽譜を用意するアレンジ担当の人間と指揮者である。

 プロの楽団なら曲目によって指揮者が奏者を外したり加えたりできるのだが、こういったアマチュア楽団相手の状況では、目の前のいる楽器構成で何とかバランスを取り、音を形にしなければならない。

 例えば本来の楽譜上の音の割り振りそのままでは、バランスが悪くなったり構成する音が足りなくなってしまう可能性があるため、楽譜で指定された楽器以外の近い音域の楽器にそのメロディを割り振るなんてことも必要になるのかも知れないのである。

 また、演奏者たちの技術水準もやはりピンキリなわけで、プロ水準の人から素人同然の人もいるだろうに思われる楽団では、音を揃えて形にするのもまた一苦労な話かと思われる。
 つまりこういったアマチュアの楽団の指揮者に抜擢された方は、ある意味プロの指揮者とは違った別の才能を要求される訳であり、プロ以上に大変なんではないかと察する。

上海ブラスのチラシ

上海ブラスのチラシ

 しかし、そういった苦労を乗り越えてでもどうしても、音を奏でたい、人に聴いてもらいたいと思い、演奏を続けるのが彼らアマチュアの演奏家たちであり、上記のような大変な状況の中を察すれば、彼らの今回演奏した音楽は随分よくまとまっていたという気がする。

 今回音楽を楽しむとはどういうことなのかを改めて教えてもらった演奏会となり、招待してくれた団員の方にとっても感謝をしている。