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中国経済を見極めるには貿易統計に注目

 2015年の中国の国家GDPの成長率が前の年に比べて6.9%の伸び率と中国国家統計局から発表された。
 さて、GDP数字そのものに関しては、この国では国家がこうだと決めて発表したのだからその数字は正しいというほかなく意見のつけようがないのがこの国であり、その評価に関しても経済が減速したという人もいれば、まだ6.9%も伸びているという人もいるが、6.9%は6.9%である。
 
 で、表面上の結果は6.9%を達成していたとしても重要なのは実質的な経済の動きの中身である。
 
 つまり6.9%もの経済の伸びが実質的に中国国内に本当にあったのかどうかということになる。
 これについて言えば、まずこのGDPの数字が経済の実態と本当にリンクしているかどうかは怪しく、GDPの伸びを以て経済を判断するのは危ういと多くの人が言っている。

 よく笑い話的に言われるのが、ビルを建ててすぐ解体してもGDPに組み込まれることになり、仮に建設費と解体費が同額だとすればそれだけでGDPが二倍に積算されるというのである。
 ビルは結局なくなってしまって経済的には何の成長にも繋がっていないのにGDPだけが増えたというのである。
 つまり経済状況判断をするのにGDPの伸び率はあてにならないということである。

 では、何を以て目安とするのが良いのだろうか?
 
それについて先日の日本のラジオで良いヒントを言っていた。

それは貿易統計が中国の経済を測る客観的な一つの目安となるというのである。
 何故かと言えば、中国国内の統計数字があまり信用できないとしても、貿易に関しては相手国のあることだから相手国の貿易統計を見れば概ね正確な数字を推しはかることが出来るというのである。

 中国の怪しい統計数字に悩まされていた私にとってはまさに目から鱗の話である。

 で、実際その貿易の数字を見ると、何れの主要国の対中国の貿易統計を見ても、輸出入は成長鈍化どころかマイナス状況になっているようだ。

 中国側の統計でも2015年の1年間の動向を見てみると輸出は前年比-5%程度、輸入は前年比-10~-20%の間を毎月推移しており、とてもではないが経済がプラス成長の状態にある国には見えない貿易状況である。

 さらに、鉱工業の状況を示すとされる電力需要も2015年はほぼ横ばい状態で、おそらく第三次産業の発展が電力需要を支えているが、鉱工業自体は伸びず縮小気味なのではないかと推測できる。

 まあ国家統計局の数字では、鉱工業のGDPはまだ数パーセントのプラスなので成長しているようにも見えるのだが、これらの数字は恐らく出荷額ベースでのデータと推測されるため、人件費高騰が押し上げている状態だと考えられなくもなく、生産重量ベースで考えれば実質の伸びはほとんどないと推測される。

 それ故に、中国全体の実質経済というのは実はプラス成長どころか、ゼロ成長かマイナスの状況があると推測できるのである。

 ではでは、こんな状況なのにGDPのプラス6.9%というのはどうやって積み上がった数字なんだろうかというところに疑問が湧く。

 色んなデータを確認してみると、昨年は金融仲介業の伸び率だけが頭抜けて良い状態であり、前年比17%も伸びていることがわかった。

 他の産業が1桁台で止まっているのに、金融仲介業だけ伸びており、実体経済が成長していないのに意味もなく投資が過熱している状況が見て取れ、これがGDP成長を何とか支えているようである。

 つまり人件費上昇分だけ、各産業の金額ベースでの数字は伸びているように見えるが、実質の経済としては金融仲介業だけがバブル的にGDP全体をけん引しているのが実態となる。

 数か月前に上海で日本人の有る方が、「日本の報道では嫌中意識から中国経済についてネガティブな報道が多いが、多くの数字でまだプラスとなっており、日本よりはるかに良い」と解説していた講演を聞いたが、その見方はやはりどうも間違っていたようである。

 やはりラジオで言ってた通り対外的な貿易額が減少している現状が中国経済の実態を素直に表しており、GDP成長率に惑わされず経済を見極めるには貿易額に注目するのが一番良いようである。

先行き不透明の上海の空

先行き不透明の上海の空

韓国のコンプレックス

 昨日のブログの後、韓国に日本コンプレックスのようなものをもたらしているものは何かと、韓国と日本の歴史についてウィキペディアを中心にネット上で色々資料を読んでみた。

 まあ、あまり太古の昔から追っても意味が無いので韓国併合のあたりからである。

 もちろん、私が読む資料は日本語で書かれたものだけであり、当然日本人が書いたものであるなら日本人の視点で書かれているので、そこは流されないよう読んでみた。

 ただ、歴史的評価のわかれる韓国併合の史実などは、一応両論併記となっており、偏った視点にならないような工夫がされており、そんなに穿った見方をしなくてもおおよその流れを掴むことができた気がする。

 で、まあ私が感じたのは、韓国に劣等コンプレックスのようなものが生じたのは実は日本に併合されていた時代ではなく、日本の支配が終わった直後からのような気がするのである。

 このことは台湾の戦後史と比較するとその違いが明確になる。

 日本の支配下にあった時代の朝鮮半島は良くも悪くも安定した状況にあったが、日本の敗戦により朝鮮総督府が撤退したため、突如として半島の統治機構がなくなり、無政府状態に陥って、国内は混乱した。

 そこでソ連や中国などの共産勢力を後ろ盾とする北朝鮮政府と、共産圏の拡大を嫌うアメリカの後ろ盾のもとに生まれた今の韓国の基礎となる政府が生まれ、やがてその対立が朝鮮戦争へと繋がっていくのだが、ここで当時ロクな装備を持たなかった韓国側はアメリカや連合国軍に頼るほかなかった。

 結局、世界の軍隊が韓国領内に駐留することになるが、軍隊がいれば必ず必要になるのが慰安婦たちの存在で、韓国は日本軍の残していた慰安施設を流用して慰安所を設置し、連合国軍の兵たちに提供したとされている。

 この間、朝鮮戦争の前線は半島全土を二度も移動し国土を破壊尽くされたとされ、日本の支配下時代に作られた建物もほとんどなくなって産業基盤も失い、犠牲者数百万とも言われる半島全体の荒廃状態を生んだ。

 その後に朝鮮戦争は休戦したが、米ソの対立構造はベトナム戦争へと続き、韓国軍もアメリカ側として30万の兵を送ったが、韓国としては当時の国情から不本意ながらアメリカに同調した面もあるのではないかと思われ、さらに慰安軍の帯同が認められなかったためにその鬱憤は後に明らかになる現地での虐殺事件などを引き起こす状況となったものと思われる。

 一方で韓国本国では朝鮮戦争で産業が荒廃したため、ベトナムで戦争での特需目当てに群がらざるを得ない状況になり、さらには国内での米軍相手の慰安所運営も相変わらず続いていたようだ。

 しかも彼女たちの「働き」はやがてGDPの4分の1を占めるほど大きな存在となり、外貨獲得の大きな担い手だとして国ぐるみの売春産業が奨励されるまでになったとされている。

 つまりこの頃の韓国は、防共と自国の国富のために言わば米軍の穢れ役を国全体で一手に引き受けるような状態になっていたと見ることが出来るのである。

 一方でこの頃の日本と言えば1964年の東京オリンピック開催や1970年の大阪万博開催に代表されるように、戦争とは隔絶された世界で順調な高度経済成長を遂げている時代であり、海一つ隔てた韓国との状況とは大きな差が生まれていた。

 また台湾も日本が領土放棄した後に中華民国への統治移行が比較的スムーズに行われたようで、移行後にも何度か大陸との軍事的緊張の高まりは有ったが、戦火に見舞われることはなく領土も民衆も平穏にここまで来ているという状況となっており、同じ時期に日本の統治下から開放された韓国とは対照的な道を歩んでいる。
 
 日本にとっては平和憲法に守られて当然の如く戦火から離れたその道を歩んで来た感のある終戦後からの時間であるが、同じように米国と同盟関係を結んできた韓国からすると、韓国だけが世界の穢れ役を引き受け苦汁を舐め苦労をしてきたと感じ、逆に日本だけ米国から防共の役割を免除された不平等さを感じていた可能性はある。

 また戦争で負けたはずの日本が繁栄し、その支配から解放されたはずの自国が上まわれないことに理不尽さを感じていた可能性はある。

 その後、韓国も日本の資金提供などにより漢江の奇跡と呼ばれるほどの経済発達をし、1988年にはオリンピックの開催、さらには2002年にはサッカーのW杯も共同開催をするまでになったのだが、やはりどこか日本の評価を追い抜くまでには至らなかったようで、日本に対する嫉妬的な反日活動は収まらなかった気がする。

 つまりこれらの事業をやり遂げた後でさえも未だ国家としての自信を取り戻せる状況にはならなかったようなのである。

 ひょっとするとは未だどこかで売春国家の目で見られる侮蔑を受けているのかもしれず、かつて風俗で働いた女性が無かったことにしたいと思うような過去の劣等コンプレックスを引きずっており、その原点として日本の残していった慰安婦施設が狙い撃ちされ、あれは自国の意思で作ったものではなく日本に強制されたものだと、世界に対してエクスキューズしているのかもしれないという気がする。

 まあ日本は敗戦によって統治放棄をし、さらに日韓基本条約により戦後処理は終了しているはずなのだから、それ以降のことはもう韓国自身の責任であるのだが、未だ国としての自信を持ち切れていない劣等コンプレックスが続いているのか、日本に対して異常なまでの執着心を見せているのが現在の韓国の実情のようである。

経済力学による日中言語の逆転という現実

 現在、日本で2カ国語放送といえば当たり前のように英語と日本語だが、現状を考えてみると中国語の放送が全くないのは少々不思議とも言える。

 それだけではなく、街中の表示も英語の表記はあるのに。中国語表記がある場所はかなり少ない。

 最近でこそ有名な観光地はかなりハングルと中国語簡体字が表示されるようになったが、それでも英語表記に比べるとかなり少数派だ。

 今回帰国してみて、日本の中に中国人があれだけ観光客や労働者として存在しているのに、日本の生活文化の中に中国語の表示が少ないことが非常に目についた。
 まあもともと日本も中国も漢字表記の文化だから、字の形や意味の微妙な違いはあれども基本的意味は大体一致しているので、わざわざ日本で中国語表記をしなくても意味の理解においては彼ら中国人は問題なく理解できる土壌があるという考え方も出来る。
 
 また英語はいろんな場面で世界の公用語として使われているが中国語はそこまでの世界的広がりがあるわけでもなく、確かに話す人数は多いが地域的に偏っており世界の公用語のひとつとして使われているわけではない。
 そういった整理の基、日本国内での中国語表記は必要ないと結論できるのは簡単である。

しかしである。

 この2カ国表記というのはどうやら経済の力関係を表していると最近考えるようになった。

 つまり経済力が下の国は、経済力が上の国の言葉を学ぶという言語の経済力学が働いているのではないかという考え方だ。

 例えば日本から見てアメリカの方が経済力が上だったので、日本人は英語を学んでいるが、その逆に日本語を学ぶアメリカ人は一部の文化的関心を持つ人以外は非常に少ないと思われ、つまり外国言語を学ぶということは圧倒的に経済的理由によるものといえる。

 そして日本と韓国や日本と中国の関係も同様で、日本国内に中国語表記やハングル表記のお店は非常に少ないが、中国の上海や北京などには日本語表記の日本料理店が数多く存在し、日本料理店ならずとも日本語を学ぶ中国人や韓国人は大勢いて、自国内外で日本人相手の商売をしている人は数多くいる。つまりそれは彼らにとって日本語を使えるほうが経済的に有利だと考えているからである。

 逆にこれまで中国語や韓国語を学んでいる日本人というのはどちらかというと文化的興味から学んでいた人がほとんどであろう。

 この理屈で言うと今のところまだ日本国内に中国語表示をしている場所が少ないのは、それだけ日本より中国のほうが経済力の低い状態にあるからで、経済的優位性を求めて日本に来る中国人は日本語を学べという状態になっているということになる。

 もちろんここ数年、金持ち中国人の日本観光は多少増えてはいるが、それはまだ観光的要因に留まっており街中の中国語表示や中国語によるテレビ放送を必要とするほどのものではない。いまのところ日本に来る中国人や韓国人はやはり多少なりとも日本語を学んできている。
  
 しかし近年、その状況は逆転するかもしれないという予測が現実的なものになってきた。

 今年中に中国がGDPで日本を抜くと言われている。

 そして5年後には日本の2倍に達するという予測も出ている。

 もちろん2倍程度では人口が多いので国民一人当たりではまだまだ日本が上だが、少なくとも国全体の経済力としては完全に逆転する形になる。
 そうなったときに日本国内の「言葉」の問題は果たしてどうなっているか?

日本国内は今までどおり英語と日本語の2ヶ国語表記のままいられるのか?このあたり非常に疑問になってくる。
 

 例えば今の日本の外資企業が社内公用語を英語とするように、中国企業に買収された日本の会社は社内の公用語が中国語になったりするかもしれない。

そんなひどいことと思うかもしれないが、実際日系企業は逆のことを中国人従業員に強要している現実があり、経済力が逆転すれば逆もまた然りである。

 さらに日本の街中の表記に中国語表記が増え、テレビの2ヶ国語放送は3ヶ国語が標準になるかもしれない。

 そして第2外国語として中学生から中国語を学ぶような時代がやってきて、国民全体が国力向上のため中国語を学べという時代がやってくるかもしれない。 

 実際、現時点でも中国語を学ぶ日本人学生の増加は増えているといわれ、これは文化的関心ではなく完全に経済的理由だと思われる。

 私も正直な話をすれば中国に対する歴史文化的関心が高いわけではなく、恥ずかしながら三国志などは断片的に話を少し知っているだけで中国という国そのもに高い興味があるわけでもなく、まあどちらかというと経済的理由で中国語を学んだということになり、この流れの中の一人になっているとも言える。
 
 こうやって考えていくと経済力の逆転が、言語表示の逆転になる現実が、今目前に迫っているといえ、日本人全体でその覚悟をする時期がやってきたのかもしれない。