Tag Archives: 感情

熊本地震災害に対する複雑な思いとガレキ拒否の記憶

 一昨日、熊本で大規模な地震が発生し、家屋の倒壊や建物の下敷きになって死亡する人が出るなど、第一報を聞いた時に想像していた状況に比べ、被害が大きそうな状況にちょっと驚いている。

 震度7はさすがに大きかったというか、地震対策の進んでいる日本であってもやはり被害が出てしまうのが地震という自然災害なのであろう。
 とにかく救助が進み一人でも多くの人が助かって欲しいと感じている気持ちには間違いがない。

 ただ、今回の地震について上海にいる自分が大して手を差し伸べられないことについては東日本大震災の時と同じなのだが、被害について積極的に手を差し伸べたいと思うかどうかの点の感情は、東日本の時の感情とは同じものとは言えないものとなっている。

 それは5年前の東日本大震災の時に受けた九州の人間の非協力的な態度のしこりがまだ記憶に残っているからである。

 2011年当時、東日本大震災において甚大な被害を受けた福島や岩手、宮城では、ガレキの処理に大変困っていた。

 そこで環境省の役人が全国の都道府県に協力を要請したのだが、九州の各県ではなんとこれらのガレキ受け入れ要求を拒否したのである。

 特に熊本県では、熊本市など県内8団体が明確に揃って受け入れ拒否を環境省に伝えたと報道されていた。

当時のガレキ拒否の記事 (引用元)

当時のガレキ拒否の記事
引用元

 これは東日本にいる人間、特に東北に関わりのある人間にとってはショッキングな反応であり、災害時の緊急性を共感してもらえない状況だと映り、熊本や九州の人間の冷たさを見せつけられたような出来事だったのである。

 もちろん、拒否する側にもそれなりの理屈はあるだろうし、放射能の危険性を心配する気持ちはわからないではない。

 しかし、九州地方環境事務所では「安全に処理する環境設備には環境省が責任を持つので何とか協力をお願いしたい」と話しており、つまり放射線レベルに問題の無いガレキの受け入れの協力要請という話であり、量的問題はともかく安全性の不安に配慮した提案のはずだった

 それ故に、少なくとも熊本市に協力する気さえあれば検査を厳格にすることなどで、不安を解消することは可能だったはずで何らかの協力は出来たと思われるのだが、結局は協力自体が全く拒否されたのである。

 私からすれば、それほどまでに放射能に不安がある住民感情なら九州には川内原発など幾らでも拒否すべき存在があるはずなのに、それを受け入れておいて、危険性が低いガレキを受け入れられないという反応は、災害対応に協力する意思がないだけのように映ったのである。

 確かに同じ日本という国の枠にあるとはいえ、会津と薩摩長州の間に今も感情的しこりがあると言われるように、もともと東北の人間にとって西日本や九州の人間は馴染みにくい存在であり、それ故に先方でも災害時の緊急性を共有していただけなかったのであろうに思う。

 そんな過去の経緯の記憶もあって、今回の熊本に震災が発生しても、被災者には素直に同情できない感情が存在するのである。

 まあこんな複雑な感情はあるが、あの時にガレキの受け入れを拒否した人と今回被災された方は同じ人ではないと自分に言い聞かせ、現在は災害救助の状況を見守っている。

結婚式と葬式では同じ曲が使える

 先日、人に頼まれて最近亡くなったある方を偲ぶ会のBGMの準備を頼まれた。
 はて、昔日本にいた時に結婚式のBGMはさんざん利用してきたが、葬祭系のBGMは初めてであった。

 まあ葬祭といっても正式な葬式ではなく有志が集まる「お別れ会」であったため、どちらかというと会食中心で宗教色のない会である。

 故に一面おごそかにしながら、湿っぽくなり過ぎず和やかな雰囲気の音楽BGMが必要とされると判断し曲を集めることにした。

 でいろいろライブラリーをひっくり返して選曲していったのだが、実はウェディング用のBGM集CDが結構使えることが判明した。

am900_bi037

 もちろん、結婚行進曲など結婚そのものを表す曲は当然使えないのだが、それ以外の恋愛が歌詞に絡むバラード系の曲というのは、意外にも葬祭系の儀式にも使えることがわかったのである。

 例えば今回利用した曲の中にはMisiaさんの「Eveything」の歌詞無しピアノ演奏版ヴァージョンを含めたのだが、この曲は基本は愛を歌う歌ではあるが、決して甘い歌ではなくどちらかというと遠く離れてしまった相手を想う悲しい曲調であり、その曲調が実は同様にもう会えない故人を偲ぶシーンでも合うように思えたのである。

このほかにも「Let it be」とかいずれもウェディングBGMから何曲かピックアップしたが、いずれもしっくりくるという印象だった。

そのほか冬ソナ(古い!)の「My Memory」のヴァイオリンバージョンや「涙そうそう」の二胡バージョンなどを色々織り交ぜて1時間くらいのBGMを組んだのだが、いずれもウェディングで使ったことのある曲であった。
 (10年前でライブラリー更新が止まっているので新しい曲は入れられなかったが・・・)

 で、実際に本番で曲を流した場面にも立ち会ったのだが、参列者はどう思ったか分からないが私的には非常にマッチングしていい選曲が出来たのではないかという印象だったのである。

1093429116

 さて今回どうして結婚式と葬式の曲が共通で使えるのかをいろいろ考えてみたが、私の結論としてはいずれも人生の区切りを示す儀式だからではないかと考えた。
 葬式も結婚式も、本人や周りの人にとっては人生の一区切りのタイミングであり、これまで歩んできた時間を振り返り噛みしめる時間になる。

 そういったシーンにおいて、実は過去を振り返り人を想うと言う意味では、感情の状態は結婚式も葬式も似たような状態なのではないかという気がするのである。

 また感情の高ぶり方も似たようなものがあり、一方は幸せ、一方は悲しみの儀式ではあるが、人を想い感極まる部分があるという意味では同じであり、いずれも人間は涙を流す。

 音楽とは感情を表現するものというのが私の基本的な考え方であり、そういった意味では結婚式も葬式も感情状態としては実は非常に近く、BGMとして共通の曲が使えるということなのだろうかと思う。

 もちろん葬式の場合は事故死など亡くなり方によっては和やかとはいかず、ただただ突然の悲しみに暮れるだけの心理状態の場合もあり、同じようなBGM選曲が通用するのかは分からないのだが、少なくとも共通で使える音楽があるという意外なことを発見し、一つ良い経験になった今回の依頼であった。

人として愛に生きるフィギュアスケーターたち

 フィギュアスケートの安藤美姫選手が突然4月に出産していたと告白し、世間が大騒ぎになっている。

 報道番組内で「スケートよりこの命を選んだ」と発し、賛否両論色んな反応が聞こえるが、私はこの彼女の出産を聞いてそのニュースに驚きはしたものの、妙に納得感があった。

 何故なら、フィギュアスケートはスポーツと言いながら、テクニカルの要素の他に表現の要素を多分に含む競技で、その表現力には選手本人が持っている感情の情緒性が大きく影響するからである。

 つまりアスリート的要素の他に、女優的要素(男子もいるが)が必要とされるのがフィギュアスケートの世界であり、とりわけ安藤美姫選手のその情念的表現力と言うのは、現役選手の中でも群を抜いており、彼女が他の選手よりも感情的な面での熱さを持って滑っているのだということは、演技を見ていれば分かるのである。

 安藤選手は競技生活のピークだった数年前にモロゾフコーチとの関係が噂されていたが、そのことについて番組のインタビューで彼女は「彼がリンクのサイドにいると力強かった。練習でダメでも、本番でできる気持ちにさせてくれる存在だった」と答えており、この時点で彼女がスケートへの情熱よりも愛の存在が競技生活を支えていたと捉えることができる。

 そんな安藤選手が、ある意味コントロールしきれないほどの感情を愛に注ぎ、恐らくモロゾフコーチと別れた後もその愛を引きずり、その愛の力の勢いで妊娠・出産に至ってしまった結果になったことは、別に驚きでもない。

 まあ現代社会における突然の妊娠はアスリートとしてだらしないとかなどの非難の声は確かにあり、周囲に迷惑をかけた面も多大にあると思うが、恐らく自分の情熱に従って生きてきたのが彼女の生き方であろうし、それを抑え込めるくらいなら逆にスケーターとしても大成していなかったように思うので、今回の結果はある意味必然であったように思う。

アイスダンス

アイスダンス

 そのくらいフィギュアスケート選手には愛情的情緒の問題がつきまとい、フィギュアスケート競技のトップ選手には個人の愛情面にまつわる話題がほかのアスリートよりも多いのである。

 例えば日本の男子も現役中にも関わらず近年次々と結婚を発表しているし、国外では同性愛者をカミングアウトしているトップスケーターも多く、我々のようなストレートな感情よりも自覚的な分だけ情熱は強いのだろう。

 また女子のキムヨナ選手は韓流ドラマの如く激しい情熱の民族の血であり、恐らく浅田真央選手というライバルに対する感情が周囲の反日感情などに押される形で、彼女をトップアスリートに押し上げた面もあると思われる。

 ただ彼女自身は恐らく反日感情的な怨念を競技に持ち込みたくない面もあると思われ、彼女の選曲は情念的なものを排したスタイリッシュな選曲が多く、相手を倒すというより相手に関係なくエリート的にトップになりたいという姿勢が選曲からも見てとれる。

 それに対して日本の浅田真央選手を支えているのは恐らく亡くなった母親への愛情であり、それが彼女を支えるエネルギーとなっているように思え、それが選曲や演技にも表れているような気がする。
 競技経歴を見ても浅田選手が一番伸びたのは母親との闘病生活時代が一番伸びていた時期でもあるような気がするのである。

 その感情エネルギーの方向は恐らく来シーズンの選曲から見る限り今でも変わっていないのだろうと思われ、浅田選手が最近発した言葉を拾ってみても「結婚して子供を産みたい」であり、男性への愛ではなく亡くなった母に近づきたいという意識があるのだと思われる。

 まあ浅田選手も安藤選手のように男性への愛に生きる心を注ぎ込むような状況になったら彼女の演技もまた一皮むけて違うものが出て来るかもしれないが、母親への気持ちがそれをさせないであろう。

 ただ、今回の安藤選手の出産ニュースは母を目指す浅田選手にとっても多大なる刺激を与えるような気がしており、ラストシーズンとなると言われる来シーズンの浅田選手の演技に変化があるのかも知れない。

 人として愛に生きる人たちのスポーツだからこそフィギュアスケートは面白く美しいのである。

フィギュアスケートと音楽(2010年2月25日記)