Monthly Archives: 4月 2012

24時間の強要の社会

 また日本で交通事故が起きた。

 深夜に金沢からTDLに向かうバス。

 運転士が居眠りをしていたということで、まあこの運転士や運営会社の責任は免れないところではあるが、それにしても深夜バスである限り、このようなリスクは避けられないような気がする。

 それにしても日本をはじめとして、社会の中にはありとあらゆる場所で24時間稼働が強要されている。

 今回の深夜バスは分かりやすい例であるが、走っているバスだけでなく高速道路を運営する会社や、それを監視する交通機動隊、さらに病院などは当然24時間体制で動いている。

 そしてその背後には、携帯電話やインターネットを支える通信会社、その電力を支える電力会社や発電所勤務の人などもやはり24時間稼働だ。

 

写真はイメージ

写真はイメージ

今の社会は当たり前のように24時間電話が繋がり、水道をひねれば水が出て、スイッチを突ければ電気がつく。

 我々はこのような24時間同様のサービスが提供されることを当たり前のように強要するのだ。

 強要しているつもりはないという人もいるかもしれないが、夜中に突然電気が切れたり、銀行でお金が下ろせなかったら誰だって文句を言うだろう。

 結局はそうやって24時間稼働していることを自分ではない誰かに強要していることになり、誰かに24時間稼働を強要するということは、その誰かは朝起きて夜寝るというサイクルではない時間帯で生活していることになる。

 まあ他人事だと思えば睡眠時間さえ足りていれば問題ないと思うか知れないが、夜起きて昼に寝るという生活サイクルの逆転は本人の体に何らかの無理を要求することになる。

 今回の事故を起した運転士だって、それなりの注意を払って生活していたに違いないが、どこか体調を調節しきれず居眠り運転に繋がってしまったのだろう。

 今回犠牲になってしまった人達には気の毒だが、深夜バスというのはやはりそれなりにリスクが伴うし、24時間稼働を要求し過ぎている我々への警鐘という気がする。

 24時間稼働の全てを否定する気はないが、こういった人の体に無理をさせることによりリスクが増大するような24時間の強要は社会としてなるべく避けるべきであろうと思う。

春なのに高い空

「天高く」とは晩秋の空の枕詞だが。、今日の上海の空は雲が高かった。

上海の春の空

上海の春の空

風が強いせいもあるのか、黄砂の影響とかはあまり感じられない。
 とにかく陽射しの強さがとても暑く、朝早く行動したせいもあり夕方にはつかれてしまった。
 でもこういう空を見ると気持ちが疲れが心地よく感じられる。

外灘の時計台は何故時計台と呼ばれないか?

上海外灘の海関時計台

上海外灘の海関時計台

 写真は有名な外灘の風景だが、右側に映っているのが海関(税関)の建物で建物上部に時計台が乗っかっている。

 時計台があるということでシンボル性があって上海の外灘の写真には必ず紹介されるこの建物であるが、説明文章では上海税関と紹介されることはあっても時計台を主としてはあまり紹介されない。

 Googleで「上海」「時計台」と検索をしてみても、確かにこの建物の情報は出てくるものの、ラーメン屋の情報が混じったりしてきて「時計台」という言葉で絶対的な地位な存在となっていないのがこの建物である。

 我々日本人からすると、こういった建物の外観であれば税関であることよりもまず「時計台」と呼ばれて然るべきだという気がするがそうはなっていない。

 ロンドンのビックベンや札幌の時計台など、一般的に時を告げる建物はその街の中心でシンボル的役割を担っていて、時を告げること自体が重要な役割になっている訳で、時計ではないが日本のお寺の鐘なども同様の役割を負い日本中に存在する。

 しかしである。

 上海での紹介のされ方からわかるように少なくともこの上海の建物は時計台であるよりも先に税関の建物としての価値が重要になっている。

 つまり、中国では時を告げるという機能が税関より低い価値で扱われ重要視されていないことがわかる。

 時を告げる価値が重要視されていないということは、即ち中国人は時刻を知ることを必要としていないということに繋がり、つまり時計を必要としてないことに繋がる。

 中国に暮らしていればすぐわかることだが、上海市内には日本に比べれば驚くほど時計が少なく意識的に探さないと時計を見つけることができない。

 例えば日本だとどんな駅にも大きな時計がいくつも設置されているが、中国では駅でさえ時計を探すのが難しく、一生懸命探さないとなかなか見つからない。

 一応列車情報案内板の中には確かに時刻が表示されているが、すぐそばまで近寄らないと見えない程に字が小さく、とても時間表示が大事にされているとは言い難い状況なのである。

 こういう状況の中で暮らしていると、中国人が時間にルーズであると言われることに非常に納得する。

 確認する手立てが少ないので、時間を守るという意識が育たないのだ。

 そういえば中国語の語彙の中には日本語ほど時間を表す言葉が多くないようにも感じるし、時間帯があまり細かく表現される機会も少ない。

 さらにインターネットで時計の歴史を調べてみても中国に関する記述は非常に少なく、火薬や紙を発明した技術はあっても時計の開発には必要性を感じなかったということになるだろう。

 つまりあの外灘の建物は、恐らく当時の人間の見栄で西洋式に恰好つけて時計台を乗っけて建ててはみたものの、結局時間を重要視しない文化の中国人にとってはあまり意味のない時計機能だったことから、時計台としては認識されずに税関の建物として歴史を経てしまったのだと思われる。

 上海人たちの物まねグセと見栄っ張りなところは昔も今も変わっていないのである。

 まあこうなると逆に中国中に時計を送れば時間を守る癖をつけさせられるのではとも考えてみたが、時計を送る意味の「送鐘」は葬式を意味する「送終」と発音が重なり縁起が悪いとされ、文化的も障壁が存在してしまっているため、それも容易ではなさそうである。

 とはいえこんな話、最近は実は時計を拒否する(時間を守らない)言い訳が起点だったのではないかという気がしてしまうのは中国人の嘘に慣れてしまったからであろうか。。。。