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茨城空港へ向かう2日目の春秋航空のサービス

前回
2日目の臨時便は目的地の台風の影響が去るであろう11時出発に設定されていた。

前日同様にチェックインカウンターでチェックインすると、前日と同じ席が割り振られていた。
どうやら前日のデータがそのまま移築されて使われているようである。

そして再び、イミグレを通って中国を出国した。

この時点でまだ昨日来のお腹の調子は回復していなかったので、薬を買うことにした。

前日の出発時には薬局を見つけられなかったのだが、今回は事前調査をしたので存在を確認済みである。
この免税エリアの薬局は、セキュリティチェックを出た正面の裏側にあり、前日ももっとよく探せばすぐそばにあったのだが、体力的に余裕が無さ過ぎたので探し切れなかった。

そしてようやくこの日にそのお腹の薬を買い求めたところ、なんと日本の正露丸を勧められた。

正露丸は、まあ色々言われてはいるがいまだ健在の薬であり、中国でも食あたりの薬として重宝されているようである。

今回の搭乗口は前日同様にD229ゲートで沖合駐機場からの出発だったので、上記の薬局のそばからエスカレータを一階まで下りた。

出発時間まですることもないというか、今更買い物の予定もなかったので早めについて出発時間をロビーのベンチで待っていた。
すると、春秋航空のスタッフが搭乗者向けに中国製のカップラーメンと飲料水を配り始めた。
どうやら今回の飛び直しのお詫びとして朝食だか昼食だかの代わりという意味らしい。

私自身は中国メーカーのカップ麺はあまりおいしくないのを知っていたので、取り立てて欲しいという欲求は湧かなかったが、貰えるものは貰っておこうということで私も受け取った。

カップ麺が食事代わりというのは対応として決して満足ではないのだが、春秋航空がLCCであることを考えると、質はともかく誠意はそれなりに感じる。

さて搭乗時間が来て、空港の端の端までバスで運ばれ、再び航空機に乗り込んでみると、どうやら必ずしも全員が前日の席に座っているわけではないようであった。

顔を覚えた日本人は大体前日と同じ席に座っていたが、中国人客はかなり入れ替わっていた。

この辺りは、何とも統一性のない中国的サービスである

機体は滑走路の北の端にある駐機場から、滑走路の南端までダラダラと移動した後、ようやく飛び立った。
この日の上海の空もまずまずで、今度こそ無事に到着できそうである。

ところで、この日は朝食をホテルで食べたが、昼食は特に何も準備していなかった。
もちろん事前注文もしていなかったし、もらったカップ麺は機内で食べるのは難しそうであったので、昼食についてはどうするか考えあぐねていた。
まあ機内販売で済ますしかないかなと考え、一応現金を準備していたところ、CAの方が来て「注文はジャージャー麺でしたが、売り切れているのでご飯もので良いですか?」とたずねて来た。

「まじか?ラッキー!」

どうやら、昼食の注文まで前日のデータがスライド移行され、食事も含めて予約されているようだ。

もちろん、追加料金はなく、これで払おうと思っていた40元が浮いた。

ただ、その日は麺が品切れということなので、代わりにカレー牛肉飯を頼んだ。
前日便で香しいカレーの香りが漂っていたので気になっていたのである。

で、期待を持って食べてみたこのカレーだったが、カレーはまぁまぁなのだが、正直ライスの期待はずれ感が半端なかった。

非常に水っぽくてうまくないのである。

それでも残すのが嫌なのと、所詮無料でもらったものだからと諦め、一応は完食したが、今後自ら頼むことはまずないというレベルであった。

次回以降春秋航空に搭乗する際は、食事は一つのネックになったという印象であり、お金を出せばよくなるような状況では無さそうだ。

まぁなんというか、LCCだからなのか、中国の航空会社だからなのか全体的にクォリティは高くないのがこの春秋航空のサービス内容なのである。

ただ、春秋航空の名誉のために言っておくと、前年にピーチ航空で同様に欠航になった際は、ホテル、食事、臨時便といった対応は一切なく、払い戻しを受けただけだったので、今回無いよりマシという意味での比較をすれば、遙かに春秋航空の方が誠意を見せて対応してくれている面はある。

ドライに割り切るか、質は低くても最低限の対応があった方が良いか、どちらが好みかは人によって意見の分かれるところだが、LCCの割りには顧客対応意識があるのは春秋航空だという気がした。

そんなことを感じながら無事、飛行機は茨城空港に到着した。
現地は恐らく台風一過の状態であったはずなのだが、そんなことを微塵も感じさせない綺麗な青空が広がっていた。

中国人的な誠意感の本音

 2年前のここのブログで日本人的安心感と中国人的誠意感といったタイトルの内容の文章を書いたことがある

その時の内容は、日本はパックプラン的上限の決まった料金体系を好み、中国では月額固定額サービスはあまり好まれず、純粋な従量制課金のほうが好まれる傾向にあるようなことを書いた。

 この時点で私は、中国では不当に利益を抜いて儲けるという“悪意”が存在する為に、明朗会計ですよと顧客に誠意を示すやり方だと理解しそのように書いたのである。

 しかし、最近中国人たちと商売上で付き合っていくうちに、この点について違う見方をするようになってきた。
 その新しい見方とは、こういった大きな金額を分解して相手に見せて請求書する方法は、相手への誠意というよりも、実は自らが損をしないための防御策の意味合いの方が強いのではないという気がしてきたのである。

 つまり、「他の費用(が高いの)は私の会社が原因じゃない、私のサービス分の対価はこの部分だけなので、きっちり払ってくださいよ」というような利益確保の意図がそこに隠されているのではないかと推測している。

 要するに、売る側が損をしないために、自分の利益だけはきっちり確保し、さらに残りの責任の追わないという他人任せ或いは責任逃れという意図も見え、誠意とは違う要因がそこにあるようなのである。

 まあなんとわがままなお金への習慣かという気もするし、儲けることよりもどちらかというと損をしないための態度は、悪い言い方をすると金にがめついなぁという気がする。

 そういえば、「中国人はドーナッツが嫌い」という笑い話を聞いたことがあるが、その理由は、真ん中の穴の分だけ損した気になり、耐えられないからとからしい。
 何とも中国人達が儲けよりも損を嫌うエピソードともいえ、その表れがこの誠意のように見える費用の分割明細なのかなという気がしてしまうのである。 

嘘くさい文章

中国に来てからよく中国人の友達の履歴書など日本語チェックを頼まれる。

 その場合、意味の通じにくいところだけ説明して修正してあげるが、本人が書いた大筋は崩さず、ぎこちなさを残したままの文章で本人に返してやる。

 もちろん、こちらは日本人なのでもっと流麗な文章に直してやることも可能だが、そこまでやってしまうと、ネイティブが書いたようになってしまい嘘くさい文章になってしまうからである。

 もちろん本人にそれに近いだけの能力があれば別だが、残念ながらそこまで実力が無いのに流麗すぎる日本語の履歴書を先方に提出しても、後からがっかりされて恥をかくのは本人なので、あまり下駄を履かせすぎるのはよくないと思っている。

 まあ日本人の人事担当者の中には履歴書くらいは例えマニュアルを真似てでも綺麗な日本語を書いてくるべきだと考える人もいるかも知れないが私は全く逆である。

 私が日本で人事の仕事をやっていたときは、マニュアルそのまま的な文章を書いてくる奴がとっても嫌いで、テクニックばかりに走ってて、本人の中身が見えてこない気がしたのである。

 逆に言葉にぎこちなさがあっても、懸命に書いてきたような文章のほうが好感を持てていた。

 ただ当時の私には採用裁量権までは無かったので、私の意思で実際に採用を決めたりしたことは無かったが、上司の判断とはそんなに違わなかったような気がしている。

 そういえば先日某タレントが、部屋の大家でもあった大御所の女優に家賃滞納の詫びの手紙を送ったが、女優側が「自分の中から出てきた言葉というより、人に書けって言われたから書いたような手紙が来ました。」と反応したことがニュースになっていた。

 やはり型通りの綺麗な文章というのは、人の心に届かないということのようで、必要なのは言葉や型ではなく、伝えたいと思う本人の気持ちの様だ。

 もちろんビジネス文章と手紙の文章では、多少事情が違うと思うが、読むのが人である限り、型どおりの嘘くさい文章より、本人の心が現われているぎこちない文章のほうが読む人にとって気持ち良いものだと思っている。


日本人的安心感と中国人的誠意感

 上海にいると、日本人と中国人ではお客に対しての安心感の与え方が違うということに気が付く。

 まあ旅行会社のパック料金などを見ればわかる通り、日本人がお客様に対して安心感を与える方法というのは支払い金額の上限を示してあげるというものだ。

 例えば日本料理屋の食べ飲み放題というのはその典型で、200元という上限が決まっていれば、それが割安であろうと無かろうと余分な支出の心配がないため安心して飲み食いできるのである。

 日本の携帯電話の通信量課金のパックプランもその一例と言うことができ、どんなに通信しても上限が決まっているというのは日本人にとって非常に安心する材料であり単純な従量制課金に比べ好まれる傾向がある。

 恐らくこれは日本人が長らく月給労働体制を続けてきたサラ―リーマン的経済サイクルの知恵というか産物であって、毎月の予算枠をいかに超えずに過ごすというかという発想が染みついているものだと考えられる。

 それ故に予想外の請求が来る可能性のある従量制的課金体系を嫌い、割高になる可能性があったとしても毎月の上限額の決まっている固定額的支払い方法を好む。

 しかし、中国ではその発想の根本がまず異なっている。

 中国では日本のように上限制ではなく、使った分だけしかお金を払いたくないという意識がまず根底にある。

 故に日本のように得しているのか損しているのだか分からないような固定額サービスはあまり好まれず、純粋な従量制課金のほうが好まれる傾向にある。

写真はイメージ

写真はイメージ

 これは中国人たちの生活の中で、もらう給料にしても受けるサービスにしても未来が保障されている訳ではなく、自らの生活についても1年後や5年後がどういう状態になっているのかが想像できないという状況が根本にあり、未来何年間分を均して得かどうかということではなく、今損するか得するかが大事で、つまりは使った分しか払いたくないという考え方に繋がる。

 つまり未来を信用していないのだ。

 そのため中国人のお客に対して物を売るときのサービスの考え方は、日本人のそれと比べ微妙に異なる面がある。

 例えば旅行用の車両手配などを行なう場合、誠意的に動こうとする中国人は料金体系を細かく示し、変動要素のある駐車料金や高速道路などは客側に直接負担させるというスタンスを取る。

 これは日本人からすると総額予算が見えず不安を抱えたままの出発となるが、中国人の側からすると、車の料金以外の部分で不正に儲けたり余分な利益を得ていませんよと誠意を示すスタンスのつもりなのである。

 中国では不当に間を抜いて儲けるという“悪意”のスタンスが一方に存在する為、そうではなく明朗会計ですよというのが、彼らの誠意なのだろう。

 まあ誠意という意味では理解できなくないとは言えないが、やはり日本人にとっては総額が幾らかになるかがわからないと安心できず、そこに違和感が生じることがままある。

 こういった日本人と中国人の安心感、誠意感の意識の違いは、実は中国市場を考えたり逆に彼らに日本人向けサービス業的考え方を説明するときに、重要なポイントになってくる。

 それが分からず日本的な業務方式にこだわってしまうと昨日撤退を表明した楽天のようにやはりうまく行かないことになる。

 先日書いた餃子の例を一つとってもわかるように、お互い同じように餃子を食べているように見えても頭の中は実は全く違う意識の考え方であるのが文化の違いということなのである。

日本の商売の正直さ

今日、中国の放送局の番組であるが、秋葉原の某中古パソコンショップの取材があった。
中古品であるが故に、生じる品質の劣化部分も、きちんと店側がチェックして、悪い部分をきちんと表示してお客様に納得ずくで買ってもらおうという姿勢だ。
中には、一度も封を切らないまま中古品となった、いわゆる中古品も正直にそういう経緯で中古品扱いとして表示し、新品より数万円安く販売している。
そして、最低1ヶ月、料金を払えば最大3年の保障期間がついてくるというのだ。これにはレポーターの中国人も驚いていた。

これが中国であったらどうであろうかと考えた。
中古品も、ただ動くというだけのチェックしかされないだろうし、今回のような新古品はやはり新品と偽って販売されてしまうに違いない。
ましてや売り切り御免の中国で中古品の保障なんてものは考えにくい。
 
 こう考えると日本の商売が正直すぎる気もするが、正直な部分が信頼関係にも繋がっている。
悪い部分も含めて正直に話す、これが実は信頼への近道である。こういうところは是非中国に学んでもらいたい日本の良いところである。