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買い溜めは無駄?消費税による実質の上げ幅は1.85%

 日本では10月1日から消費税が従来の8%から10%に引き上げられることが決まっている。
 誰にとっても物の値段の値上げは嬉しくない話ではあるが、買い溜めなどを検討するような慌て方をしている方は、もう少し冷静になったほうがいい。

 確かに税率としては2%上がるのだが、従来の8%からの実質の値上げ率は110÷108で、1.0185=101.85%となる。

 税込み1万円の品物であれば10185円になる状況。

 確かに値上げは値上げだが、この程度の価格変動要素は世の中に幾らでもあり、野菜や魚の季節変動や天候変動に比べたらそれほど気になるものではないという気がする。
 個人的にも上海では毎年のように3%も5%も物価が上がっている状況を体験してきているので、1.85%の上げ幅では驚かないのである。
 
 また、例えば1リットルのお酒の1.85%と言えば18.5mlとなり、大さじ1杯が15mlであることを考えると、大さじとちょっとの量である。

 その量のために、税の引き上げ前に買い溜めして取っておくことにどれだけ実質的な効果があるだろうかというところになる。
 ちょっとした料理の味付けのさじ加減や、コップに多めに注いてしまえば18.5mlなどあっという間に消費してしまう。

 それでなくても買い溜めして大量に保管してあるという意識があるとどうしても使い方が粗くなる。
 大量の在庫だと保存が悪くて腐らせてしまうこともあるだろう。
 そういう粗い使い方をしてしまえば、18.5ml分を意識して買い溜めすることは決してプラスにならない。

 むしろ税率が上がったあとに買って、「高いのだから」といって丁寧に大事に使うほうが、よほど増税分を回収できる使い方となり、無駄が無くなるという気がする。

 税率引き上げによる値上げの心理的負担は確かに小さくないが、数字の大きさを正確に受け止めないと必要以上に損をする可能性があるという気がするのである。

駐在員の悩ましい年金等級問題、出向すると受給額が下がる?

 日本では老後2000万問題の報道がなされた後に、やれ年金制度が大丈夫なのかとか、政治家の発言は無責任なのかなど、様々な声が飛び交っている。

 また来月9月1日から日中間において社会保障協定が発効し、駐在員などが日中両国で社会保険料の二重支払いを避けられる仕組みが制定されるなど、ここのところ社会保険料に対する世間の関心が高まっている。

 そんな中、ある出向駐在の方が、日本と中国における給料の支払い割合の関係で、社内で問題が生じていると話を伺った。

 その方によると、そもそも中国出向後もほとんどの部分を日本で賃金を受け取っていたのだが、日本の税務署からの指摘で、日本国内での業務実績のない従業員に高額の賃金を払っているのはおかしいとされたとのこと。
 つまり幽霊社員的な扱いになるので、特に海外が絡むと所得隠しやマネーロンダリングなどの犯罪の温床となるので、業務実態に合わせた支給を行うよう指導されたようだ。

 そこで日本の会社側は、本人への支給を現地支給の比重を高くしようと計画したのだとか。
 もちろん本人に不利のない金額で設定し、日本国内での賃金支給額を下げようとしたようである。

 ところがである。

 その出向者本人にしてみれば、日本国内での賃金が減ってしまうと社会保険料の等級が下がってしまうので、将来貰える年金の受給額に影響が出るので、日本国内給与の引き下げには応じられないという主張をしているようだ。

 確かに日本の年金制度は、加入期間に支払い続けた納付額(等級)によって、受給開始後の年金支給額に影響が出る仕組みである。
 さらに、その将来の受給額に影響がある標準報酬月額等級は、日本国内において支給される賃金を対象にして決められるので、海外で幾ら補填されていても合算して標準報酬を上げることが出来ないのである。

 つまり支給通貨比率を変えられてしまうと、賃金としての総支給額は変わらなくとも、将来的な年金支給額が下がってしまい、従業員にとって不利な変更となってしまうようだ。

写真はイメージ

 こういった問題については、上述の日中社会保障協定では、加入・非加入の話が整理されて二重払いを防ぐことが決められているだけで、徴収される社会保険等級までは配慮されたものではないので、実は役に立たない。

 このように日本の税制と社会保険制度の制度は、あまり海外出向という処理を想定して制度が組み立てられていないようで、こういった狭間の労働者を救済するような制度は調べた限りでは用意されていないようである。

 今のところの各企業の現実的な処理としては、厚生年金基金や確定拠出年金などの上乗せ部分を会社で負担して、等級が下がった部分を補填するのがせいいっぱいのようである。
 しかし、そこの本来本人負担であった費用負担分を税法上どう処理するのか?など細かい問題が残り、本人の所得になり課税されないのかなど色々問題があり、なかなか正しい正解などはないという気がする。

 このあたり、日本の外交官なども同様の問題が発生する環境はあるはずだが、税務署的には問題ないのか、日本の賃金を下げられる扱いがないのか特に話題に上がることはない。
 ひょっとすると特別のウルトラCがあるのか、ぜひ今度駐在の方に会った時にお伺いしたいものである。

 

日本人は正論に自信を持ちすぎる。

 日本と韓国の間で貿易優遇国の措置を巡って大きく揺れている。

 従来から、日本と韓国の間には沢山の火が燻っていたが、それが一挙に噴出したという印象である。
 まあ個人的な意見で言えば、私も日本の措置は当然の対応のように思えるし、日本語情報しか読んでいないバイアスはあるが、その範囲から考える限りにおいては日本の方が正論と感じるので支持はする。

 とは言え、どうも日本側はその正論に自信を持ちすぎるような気もしている。
 自信を持ちすぎるが故に、丁寧な説明を怠っているような気がしており、その為に今回必要以上に韓国側の反応を大きくしてしまっていると感じられるのである。

 例えば、韓国併合の経緯に関して言えば、日本は不当な併合ではないと突っぱねるだけではなく、当時現地には不満を感じる民衆もいたが、当時の朝鮮側の政権側と正式に結んだものであり強引な併合ではなかったことを、丁寧に根気よく発信していく必要があるだろうに思う。
 複雑な状況を含んだことを単に「合法的な併合であった」と片付けるだけでは、説得力に欠けるのである。

 そして日韓基本条約の請求権協定に絡む徴用工問題も、「もう解決済み」と一言で片づけるのではなく、上記の併合の歴史からの歴史的経過や日本の敗戦による統治放棄による経済協力金の5億ドルが個別補償の代わりに韓国に渡され、その後の補償制度は韓国政府に委ねられた約束になっていることを繰り返し丁寧に説明し、これを目先のポピュリズム的な現政権ではなく、韓国国民自身に理解をしていただく必要がある。

 こういったところを丁寧に根気よく言葉にして、向こう方やこちらの記事に拾っていただくことによって、じわじわと問題の本質というか論点が整理され、お互いの考え方が見えてくる面があろうに思われる。

 それに、向こうは向こうなりの判断基準というか、我々とは考え方の違う正義基準というものを持っている。
 上述のように、我々は日本人であるがゆえに、ほとんどが日本語のソースによって得られた情報もとに、物事の是非を判断しているのであるが、それらは日本語に翻訳する人の意図が十二分に含まれていることを忘れてはならない。
 どんなに公平に扱おうとして、人間誰しも身びいきがあり、日本語を書く日本人は、日本人を良いように扱ってしまうので、日本人が正しいのだという文章が出来上がってしまう。

 韓国側も然りで、韓国語で記事や意見を書く人もやはり身びいきで文章を書いてしまう現実があり、結局は言語の壁が自分たちを良い印象にしか書いていない文章しか読まない状況を生んでいることになり、お互い自分たちが正しいと思い込むのである。

故に本当の意味で公平な文章や記事というのは書かれにくく、そこが分離の生まれてしまう原因となる。
さらに過去のことのみならず、日韓にとって第三言語である英語でアメリカの高官が発したとされる言葉も、結局は日韓でお互い都合の良いような解釈で翻訳している現実があり、やはり公平な基準を作れなくなっているのである。
それ故に自分たちの正論に自信を持ちすぎる面が生まれてしまう。

 この日本人の正論に自信を持ちすぎる態度というのは、日韓関係のみならず中国に進出した企業における現地の会社運営において見て取れる。
 現地からの工場撤退において、法律既定の退職金を払ったのに、従業員から不満を持たれ、工場で囲まれてしまうといったトラブルはよく聞かれる。

 日本人責任者は、退職金を払ったのだから法律的に問題ないという正論をかざすのだが、解雇される従業員にとっては、その法律規定は最低ラインとして考えてしまうので、誠意としてのその上のプラスアルファを求めるのである。

 まあごね得を狙っているといえばその通りだが、彼らはその後の生活の問題があるので、最低ラインでは誠意を感じられないと考えるのであり、従業員のことを考えるのなら上積みをするのが解雇する従業員への誠意と考えるのである。

 日本人的感覚から言えば、法律ラインが従業員と雇用主の主張がぶつかる中間点なのだが、彼らはそうではないと考えるのである。
 日本人の考える法律基準による方法が条件を満たすので正論だという考え方は、確かに間違いとは言えないのだが、法律による答えだけが正論だけではない解釈もあるのであり、日本人の思う正論が世界共通ではないのである。

 だからと言って相手に妥協すれば良いというものではないのだが、法律などは過去に一度引かれたという意味だけのラインであり、相対的な存在でしかないことを忘れてはいけないのである。
 寧ろ、相手が上積みを求めるならば、こちらもゼロ基準からその正論である法律ラインまで妥協や譲歩した結果であることをきちんとPRすべきであり、そこにも誠意があることを伝えなくてはならないのである。

 一度作られた基準を壁にした構え方は、苦労して生み出したその基準そのものの位置を誤解させる可能性があり、正論を危うくするものだと感じている。
 故に我々が正論と感じているものを絶対とは思いこまず、その結論に至った経緯を丁寧に伝えることがその正論にとって必要なのではないかと私は思うのである。

カモ新幹線になりたがっている長崎のカモメ

 最近、九州新幹線の西九州ルート(通称:長崎新幹線)の是非を巡って、ネット上で色々話題になっている。
 長崎県のフル規格新幹線推進派が、佐賀県フル規格新幹線着工を迫っているが、佐賀県が首を縦に振らないという状況となっている。

 そもそもこの騒動は、全線スーパー特急方式(軌道や橋梁などの構造は新幹線と同規格とするが、軌間は在来線と同じ狭軌とする)で佐賀県も同意していたことを、フル規格新幹線に拘る長崎県が、狭軌と標準軌(新幹線の軌間幅)を行き来できる車両(フリーゲートトレイン=FGT)の使用を前提に、長崎側の区間をフル規格に変更してしまったことが発端となっている。

 ただ、この時点では佐賀側の区間は最初の合意と内容が変わらないため、佐賀県は静観していた。

 しかしそのFGTの開発が頓挫してしまい計画の目論見が狂ってスキームを変更せざるを得なくなったため、長崎県側は佐賀県区間もフル規格にしようと目論見、佐賀県側に同意を迫ることになった。

 しかし佐賀県としてはフル規格新幹線を建設しても、投資金額に見合った効果が期待できない上に、並行在来線の経営が不安定になることから、メリットが無いとして当初の合意通りに新幹線そのものを拒否している。

 全県人口が90万弱の佐賀県にとっては、生活の足を奪われかねない上に建設費負担の1100億はちょっと重すぎるのである。
 建設後の固定資産税収入分などと相殺しても結局は700億程度が地元の負担となってしまうので当然と言えば当然の判断である。

 このため、現時点での予定では長崎側からの佐賀県区間への直接の乗り入れが出来ない見込みのため、武雄温泉駅での乗り換えによるリレー方式が予定されている。
 しかし運営を担うJR九州はこの方式では採算性が悪いとしていて、全線フル規格による整備を求めているとされている。
 また同様にスーパー特急方式も採算性の面でJR九州は否定的であると言われている。

 ただ個人的にはこのフル規格新幹線なら採算性が高いという計算に疑問を持っている。

 というか、JRにとって整備新幹線はオイシイ事業なのであって推進しない理由がないのである。

 何故なら、一番負荷がかかる建設費の部分について3分の2を国が、3分の1を地元が負担してくれるので、まず建設費コストの心配がないのがこういった整備新幹線の仕組みであるからである。

 そして建設後も軌道施設そのものは保有機構が管理してくれるので、JRは使用料を払って運用だけを行えばいいからかなり負担が少ない。
 さらに収益が心配な並行在来線の運営を手放せる権利もあり、抱えたくないリスクも外してもらえる。
 つまり至れり尽くせりで儲かる状態に整えられたものがJRに提供されるというスキームが整備新幹線ということになる。

 逆にスーパー特急方式だと、従来の在来線利用区間については恐らく上下分離(設備と運営主体の分離)のスキームが適用されないので、路線の維持コストとしては地元自治体負担ではなくJRが負うということになる。
 つまりスーパー特急方式は、新規建設区間以外の従来在来線区間については軌道維持コストをJR自ら負うので、経営への負担も高くなることになる。

 よって投資効果予測の数字も、到達時間による旅客集客数の差などを加味することによってフル規格新幹線を優位とすることになる。

  つまり、フル規格かスーパー特急など在来線混合の運行体制かを比較するにあたっては、JRにとっては当然リスク(建設コスト)を地元や国に押し付けて美味しいところだけを受け取れるフル規格方式が有利だと判定する結果となるのである。

 しかし、フル規格新幹線の方が収益性は高いという結論は、JR単体の経営に有利か不利ということだけであって、国と自治体の含めた全体収益を見た場合、本当に利益性が高いのかという疑問が残る。

 もちろん、新幹線整備による集客効果はそれなりに期待できる可能性があるとは思われ観光客はそれなりに増えるとは思うが、整備新幹線の投資効果試算は、建設費調達を外部に頼った上での新幹線単体での収益率で計算されているのである。
 つまり投資効果試算でのプラスはあくまで、建設費を地元と国が負担することによってJRの収益が確保されているだけの話である。

 ここにフル規格新幹線が有利だと思わせるからくりがある。

それゆえフル規格の整備新幹線を欲しがる自治体は実はJRにとっては黒字路線をプレゼントしてくれる良いお客さんであることになり、もっと悪く言えば良い「カモ」ということになる。
 今回の九州新幹線の例で言えば、長崎県がJRのそのカモを目指していることになり、言葉遊びではないが、もともと博多と長崎を結んでいた「かもめ」という特急が、整備新幹線という「カモ」になりたがっている状況と言える。

特急かもめ

れもんらいむさんによる写真ACからの写真 )

 まあJR側にそこまで悪意の構えはないとは思うが、本来JR単体では成り立ちにくい区間の新幹線事業を、建設費を丸ごと負担してもらった上で黒字が出る状態でプレゼントしてくれる推進自治体はありがたいお客さんなのである。

 しかしJRがいくらフル規格の整備新幹線をお得と試算したところで、膨大な建設費の外部負担があっての「お得」でしかなく新幹線単体の見せかけの採算性でしかないということになる。

 では、新幹線開通した場合の地域全体に対する経済効果はどの程度あるかのというと、実はそれを明確に示す数字は見つけられなかった。

 どこかでは試算数字がそれなりには出ているのだろうが、ネットで検索しても出てくるのは上記の新幹線単体の試算だけで、自治体が負担するであろう1100億という金額に見合った効果が出る数値はどこにも出て来ない。

 まあ数字が出ていないので何とも言えないのだが、場合によっては長崎や佐賀はJRにカモを貢ぐだけの結果になってしまわないのだろうかと心配になる。
 あまりの欲しがり具合にネギまで背負っていきそうな勢いがあって、非常に心配で危うい長崎県の新幹線クレクレ病のような気がするのである。

都道府県知事の存在感

 最近、気のせいか、以前より日本の都道府県知事の存在感が大きくなっているような気がする。
 以前は都道府県知事と言えば、目立ったのは東京都知事大阪府知事くらいなもので、県知事レベルだとマスコミにその存在感が大きく取り上げられるようなことは少なかった。

 もちろんこの都府知事以外の知事も時々新聞でクローズアップはされてはいたことはあったものの、位置付けとしては地方自治体のトップであるということくらいなもので、その地元の人間には知られてはいても、全国区では誰が何をやっているのかは知られることは少なかった気がする。

 時々アイデアマン的な首長が登場すると物珍しくマスコミに取り上げられもしたが、それ以外はそれほど注目されず、存在感のなかったのが知事というポジションだった気がする。

 ところがその状況が最近変わってきたような気がする。

 最近この知事が、国などが進めようとしている方針にNOを言い出して、強く抵抗するケースが増えてきたのである。

 そのまずトップバッターと言えるのが、沖縄県の翁長雄志(おながたけし)前知事である。

 普天間基地の辺野古移転を巡って、強い反対姿勢を貫いた方であり、惜しくも志半ばで病に倒れ亡くなってしまったが知事として、最大限地元のために国と戦う姿勢をとっていた。
 それまでも沖縄県は伝統的に中央政府に対して抵抗するような知事が代々就任してきたが、最後は国に懐柔されたような印象で和解してきたような形となっており、条件闘争の駆け引きだと見られている面もあった。
 しかし、翁長知事は最後まで抵抗をし続けたのであり、その姿勢は後をついだ玉城デニー氏に受け継がれている。

 そして次に注目されているのが佐賀県の山口祥義(よしのり)知事である。

 九州新幹線の西九州ルート(別称:長崎新幹線)の建設をめぐり、全線フル規格化を実現し所要時間短縮を目指したい長崎県や長崎県選出の国会議員に抵抗し、過去の合意に基づき「佐賀県はこれまでも新幹線整備を求めたことはなく、現在も求めていない」とし、莫大な財政負担が必要とされる建設計画に異論を唱えている。

 これにより、事実上建設計画がストップし、佐賀県知事の存在感によってプロジェクトの動向が左右される状況になっている。

 さらに最近注目されているのが、静岡県の川勝平太知事
 中央リニア新幹線の静岡県内の建設区間を巡って、水源保全対策が不十分だとして工事知事が着工の許可を出さない状態が続いている。

 これらは何れも国家的建設プロジェクトに対して、地域を守るために知事が抵抗しているという図式で、過去にはあまり見られなかった各知事の明確な態度である。

 もちろん過去にも国側の方針にそれなりに抵抗した知事はいただろうが、そもそも日本の都道府県知事の大半は中央官庁の元官僚などが多く、中央省庁の役職の一部のような感覚で立候補し就任している人が多いため、中央と徹底的に喧嘩するような意識の知事は少なく、むしろ利益誘導のためのクレクレ陳情に熱心な知事が多かったような印象である。

 今回取り上げた四人は山口氏を除いて官僚出身ではないし、山口氏も総務省出身ではあるが、官民交流でJTBに出向し民間の水に浸かった経験のある方で、純粋な官僚培養とは違う方である。

 このような知事たちの存在感の増大は、実はインターネットメディアの普及が大きい様な気がする。

 これまでは都道府県知事の動向は地元紙での扱いが主で、全国区の新聞での扱いが小さかった。

しかしネットメディアというのは見出しの大きさという意味ではどんなニュースも平等となるのと、一地方のニュースでもYAHOOサイトのトップに掲載された場合は全国区のニュースになってしまうからため、これまで扱いが小さかったニュースが大きくなることが増えてきたのである。

こういった状況から古くから揉めて来た沖縄はともかく、佐賀や静岡と言った大都市圏ではない地域の知事の動向が目に入るようになってきたのである。

 また知事に与えられている建設許可などの権限が意外と大きいことも伝わるようになり、国の意向のごり押しが実は簡単ではないという事実も、この知事らのニュースが知れ渡るようになってきた。

 ただ上記以外にも、鹿児島県の三反園知事が原発停止などを公約に掲げ当選し、現在必死に働きかけを行なってはいるが、県政運営がスムーズにいってない面もあって成果は出ていないような知事もいる。
どうやら知事の権限は新しく作るものに対しては許可権限などにおいて力はあるが、過去に許可が出されてしまったような既に存在しているものに対しては決め手を欠くようである。

 いずれにしても、以前よりは知事という存在が飾り物ではなくなってきたのが最近の日本の行政状況だという気がしている。