知り合いのTさんが突然亡くなったと知らせを受けた。
調子が悪いので先週日本へ帰国して検査を受けたら末期がんで余命一か月という事だったらしい。
しかもその一か月も持たず数日で天に召されてしまったとのこと。
先月末に元気な姿を見ており、一緒に酒を飲んだので非常に驚いている。
今回この訃報を伝えられても、いまだに信じきれない思いである。
ただ亡くなったTさん自身も、余命診断を聞いて本人自身も驚いただろうに思う。
もちろん具合が悪くて帰国したのだろうから、自らの病状の深刻さはそれなりに感じていたとは思うが、そんなに余命が残されていなかったというのは驚きだっただろう。
しかも結果的に数日で亡くなってしまったのでは、身辺整理すら満足に出来なかっただろうに思う。
こちらは未だにショックは消えないが冥福を祈りたい。
振り返って、もし自分が余命宣告されてしまったらと想像してみた。
まず、お断りをしておきたいのは、今現在一応健康に過ごしており、自ら命を絶ちたいと考えているわけではない。
でもやがて来る自分の死ということは常に心のどこかに意識したほうがいいし、余命宣告された際に行動すべきことを考えておいた方がいいような気がする。
まあ最後はどうにもならない訳であるから、自分が死ぬ時の事ことまでも心配しても仕方ない面もあるが、やはり、他人への迷惑は最小限度にしたいし、自分がコントロールできる部分はなるべく自分がコントロールしておきたいという希望もある。
余命が分かった時にやらなければいけない事は、身の回りの品物の整理である。
身の回りの整理というのは、引っ越しのようなもので、必要のないものをどんどん片付けていく事になろうか?
生活用品は、死を迎える日まで使うのであるから捨てられないが、必要最低限以外のものや、趣味で集めたようなものは残しておきたいもの以外はどんどん整理することになるであろうか?
最終的には他人に託すべくほかないものなどもあるが、それ以外は自分が元気なうちに整理できるのが理想である。
幸いにして現代はパソコン文化が浸透しているので、データとして保管できるものは極小化できるので、物理的にかさばって残すものはかなり減ってきている。
そして伝えるべきことの整理である。
遺書というまでのものでなくても、亡くなった後にこうして欲しい、この人に伝えてほしいというような事は残したほうがいいような気がする。
パソコン内の写真のストックやブログのパスワードなども最終的に誰かに託さないと消滅してしまうので、処分は他人に任せるにしての、手を入れられるように手段は残しておきたいのである。
そして、最後に死ぬまでにやっておきたいことを考える。
残っている体力にもよるが、果たせるチャンスがあるなら果たしておくのが余命期間を有意義に過ごす過ごし方かなとも思う。
まあ今のところの私の人生ではたしていない夢としては、「ベルリンフィルを生で聴く」「満点の星空を眺める」「ホタルの群舞を見る」などである。
この話はいつかじっくり機会を見てまとめたい。
ただ今回のように、人の健康というのは何時終わりが来るか分からないから、急に終わりが見えてしまう可能性がある。
まあどのくらい先を宣告されるかにもよるが、準備という意味では半年~1年くらいの期間を与えられたほうが、覚悟と準備をする時間としてはありがたいだろうが、Tさんのように一か月といわれると身辺整理で精いっぱいになるかもしれない。
Tさんはそれすら出来なかったと思われる。
もちろん、長生きを目指して日々を健康に過ごすことは大事なのであるが、最終的に絶対に避けられない死というものをもっと考えなければいけないなと今回のTさんの件を知らされて思ったのである。