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スマートフォンと子供の視力の関係

 先日、中国の新聞で電子機器と子供の視力に関する記事が出ていた。
それによれば両親がパソコンやスマートフォンなどを年中使っていると子供にも悪影響が出るのだという。

 まあ、私も仕事上、年がら年中パソコンに向かっており、目への悪影響は身に染みて感じているからこの調査結果は何の驚くべきことでもない、

 しかし、親のこういった生活行動が子供に大きな影響を与えているとなると、大人の行動が子供の健康に与える影響を改めて意識せざるを得ない。

 特に目というのは、なかなか鍛えるのが難しく、一度衰えたら復活するが中々難しいとされている。

 野球のピッチャーやバッターが、足腰に問題はなくとも目の衰えから引退を決意するケースも少なくないと聞く。

 そのくらい目の役割は、小さくなく一生を左右するものとなる。
 しかし、今の世の中は電子機器の画面を見ずに生活することは不可能に近く、しかもスマートフォンのような小さな画面が横行している。

 タブレット型端末であっても画面が小さいことには変わりなく、決して目に優しいとは言えないだろう。

 今の最新型のタブレット型端末やスマートフォンの画面がかつての液晶画面などに比べどのくらい目に優しくなっているか知らないが、恐らくあの画面を凝視することが視力に影響を与えることには変わりなく、例えば小さい子供にタブレット型端末を渡して遊ばせることは、子供の視力に影響を与えることは必至なのではないだろうか?

 そうなると平気で子供にタブレット端末を渡す親はちょっと配慮が足りないということになる。

写真はイメージ

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 もっとも先日ラジオで聞いたところによると、例えば図鑑などの類は子供は電子機器より本を好むらしく、大人の都合で整理され便利になった情報の塊より、本が与えてくれる世界感や、本そのもの存在感が好きらしい。

 電子機器の目の影響を気にする大人としてはまずは一安心といったところか。。

IPADで医師も教師も削減?

 昨年だったが、中国のどこかの大学の講師が「iPadの無い生徒は授業を受けるな」的な発言をして論議を巻き起こしていたニュースがあったのを思い出した。

 この講師は、教育に便利なiPadを理解できない、持たない人はアホだと言わんばかりの態度だったようだが、どうもアップルに妄信している人は技術の進歩と己の立場の関係がよく分かっていないことに驚く。

 もしこの講師の言うとおり、iPadが教育に力を発揮することが事実であれば、危うくなるのは生徒より講師の身分であるからである。

 つまりiPadの中に優秀な教育ソフトを入れてしまえば、講師がわざわざ講義を行わなくても生徒はどんどん授業を進めることが出来るようになる。

写真はイメージ

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 よって人件費のかかる講師を呼ばず、iPadを持たせ教育ソフトで授業を行なえば、少なくとも座学で学ぶ部分はほとんど完結してしまうことになる。

 故に授業は実験が必要なような場合の助手がいればよい程度になってしまい、講師という身分はほとんどいらなくなる。

 つまり講師が褒めたiPadの普及がその講師自身を将来追い出すことになるのが現実の世の中なのである。

 そういった現実も予測できず平気で「iPadの無い生徒は授業を受けるな」的な発言をしてiPadの普及を促そうとする講師はやはりどうもアホに見える。

 また先日病院にかかったとき、医師の操作する画面を見ていたら病状に合わせて薬が選択できるような画面になっており、医師の判断ミスが極力排除されるような仕組みになっていた。

 どうやら最近は医療の現場でもこういうIT化が進んでいるらしく医師も判断ミスが軽減し楽になっているようだ。

 しかしつきつめて言えば、こういった医療のIT化もやはり医師削減へと進んでいることになる。

 つまり、患者がiPadのようなタブレット端末を使って、問診票の時点から記入し、疑われる病気や症状を確認する画面に次々進むことができれば、医師の問診や判断は半分以上は不要になる。

 そして電子問診の結果、自動的に必要な検査項目が表示され、それに従って血液検査など各種検査を受け、その結果を投入し最終的に可能性のある病名を判断することが可能なシステムは技術的には難しくないはずで、それを実施するか否かという段階には恐らく来ているはずである。

 これにより医師の人間的判断が介在する余地は非常に小さくなり、そういったシステムの構築が進めば恐らく今後は高度な医療判断や治療が必要な面にだけ人材がいればよいことになる。

 結果、大幅な医師削減や人件費軽減が進み、どうしても人手が必要なケアの部分に病院の重点は移ることになる可能性がある。
 つまりiPadなどIT化の普及が医師を減らすことにも役立つことになるのである。

 よって、こういった医療の急速なIT化は現場にとっては諸刃の刃になるため、普通に考えれば既得権益者の医師が色んな理由をつけて反対するだろう。

 まあ人として至極もっとな反応だが、やはりそれを理解せずして医師自ら安易に医療のIT化などと声高らかに叫ぶアホも時々いる。
 病院経営者ならともかく、一介の医師がそれを言うのはちょっと不思議な光景だ。

 これらの講師も医師もどちらもよほどアップルに妄信しているアホか生き残る自信がある人だが、まあ将来が見えている上での自信とも見えず単に無知で身を滅ぼす方向へ進んでいるように見える。

 世の中の技術の進歩はもちろん止められないが、他人が作った価値に舞いあがっていると自分の足元をすくわれるのが今の社会である。

iPadはなくてもいいなと思った

遅ればせながら、ある場所でちょっとだけiPadをいじらせてもらった。
そこで感じたのは、確かに性能のよさは感じるが、これは情報を受信するだけの人の道具だなとということ。

 まあこれ一台で音楽も聴けるし、映像も見れるし、メールも送れるのは便利であると思う。

 つまり、誰かが作った情報を受け取ったり探したりするにはそれなりに使えそうだが、私のように情報を受け取るより発信するほうが多い場合にはこれではちょっと操作性が悪過ぎる。

 タッチパッド画面ではとても細かい作業に向かず、変にオート化されているためちょっと油断をすると意図しない動き方をしてしまう。
 もちろん使いなれていないという理由も大きいが、私にとってはあの画面は操作性が良いとは言いがたい。

 音楽を聴くとか、そういった受動的な情報の流れがほとんどの場合はあれで問題ないと思うが、それとてポータブルで音楽を聴いたり映像を見たりすること自体に環境には限界があるし、最近は私自身が外出中にヘッドフォンで音楽を聴くという行為自体を最近あまり好んでいない。

 今の私にとってはヘッドフォンを外し、耳に入ってくる情報のほうが余程情報量が多いように感じるし、頭に刺激的なのだ。

 つまりそれらの情報をシャットダウンして自分の殻に閉じこもってしまって時間を過ごすという状態がとても勿体無いように感じ、故に音楽を聴いて自分の殻に閉じこもるのは家にいるときか、気分が落ち込んでいるときくらいのものになってしまっている。

 まあ、そうやって考えるとあそこまで大きいものを持ち歩いて、外部で情報を拾うという行為は特に必要なく、まあせいぜいスマートフォンがあれば十分かなと思うし、発信を考えた場合は、作業をするのにノートパソコン以上のものが必ず必要になる。

写真はイメージ

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 最近、ある組織で全員にiPadを配るといった行為をよく耳にするようになったが、あれは教科書や参考書を配る行為とあまり変わりなく、つまり「情報の受信者となれ!」という意図がそこに見え隠れする。

 世の中にiPadが流行って増えるのは個人的にはどうでもいいことだが、「情報の受信者となれ!」と価値観を押し付けられるのは嫌なことかなと感じてしまう。
 まあiPadが流行するということは、いかに個人がメールの送受信程度しか情報発信を必要しない社会になり、いかに情報の受信専門で生きる人間が増えてしまったかという証拠でもあると思う。

 前々から感じていたことではあるが、いろいろあれこれ工夫をして新しいことを考えたい私にとってiPadは中途半端で使い勝手が悪く、別になくてもいいものであるなと確証したのが今回のiPadの感想である。

IT化を支える奴隷的作業

中国でも最近新聞でITという言葉が踊るようになったが、記事を読んでいるとどうもITの本質を理解していない記者が多いことに気づかされる。
 IT、つまりインフォーメーションテクノロジーというのは、情報を電子化することにより、情報を多くの人間で共有化し、必要なときに必要な情報をよりきめ細かな形でいつでも引き出せる、そういった意味で素晴らしい技術だ、、、と多くの人は理解している。

 まあこの意味では、ITへの理解は確かに間違っていない。

 しかし、そういったITのよい面だけを夢のように語る人間は、ITを支える仕組みを到底理解しているとは言い難いと感じる。

 ITは、情報を引き出す部分だけをみれば確かにスマートに見えるが、当たり前のことだがITというのは魔法でもなんでもなく、単なる情報整理の技術でしかないので基本的にはインプットしたものしかアウトプットできない。

 もちろん情報さえあればそれをいろんな角度の切り口で切り出すことは可能だが、とにかく電子化された情報がなければ情報を整理して、エンドユーザーがアウトプットを引き出すことができないのである。

 つまり電子化された情報を引き出すには、情報を電子化する作業が必要になり、よりきめ細かな情報を提供するには、よりきめ細かな情報のインプットが必要になる。

 その情報に要求される「きめ」が細かくなればなるほど情報量は膨大になり、それをインプットするための膨大な作業が必要になる。

 しかもルールを守ったデータ投入が行われなければ、正しい情報も出てこない。 

 故に実はそのスマートさを生み出すためには舞台裏でものすごい努力が必要になるのである。

膨大な資料

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 例えばこれらを人力でこなすためにはそれこそ奴隷的ともいえる情報処理投入作業が必要になる場合もある。

 業務をIT化すれば業務が楽になると考える人もいるようだが、実はそれは大いなる勘違いであり、むしろ業務量は増える場合が多いと考えて間違いない。

 つまりITという技術は、その技術を生かすためのより多くの情報を必要とするため、それを収集投入するためのコストが必要となる。

 逆に少ない情報に対してIT化コストをかけても意味が無く、大量の情報があるからこそIT化が必要になるともいえるので非常に厄介である。

 故にITをビジネスとして導入しようとした場合は、技術構築の部分のみならず、情報投入の部分に膨大なコストや手間がかかることを忘れてはならないのである。

 そこを忘れてシステムを導入するだけで、IT化が進むと考える人がいかに多いことか?

 さらにiPhoneのようなエンドユーザー端末、つまり情報を引き出す側の技術を手にしただけで、ITが分かったように語る人の姿は非常に滑稽だ。

 まあ技術の進歩そのものは私も否定するものではないが、あまりにも「IT」という言葉に踊らされて魔法のように感じている人が世の中に多いということに危惧せざるを得ない。
 何事も同様だが、スポーツ選手や映画俳優など、素晴らしい結果を見せる人の裏には、そこに辿り着くために他人以上の努力の時間の存在があり、IT技術もその例外ではないのである。

インターフェースの勝利は見習うべきだが

iPod、iPhone、iPadとアップル社が立て続けにヒットしてきた新商品。

実は私自身どれも買っていない。
ただ自分自身買ったことはないが目にしたり触ってみたことはある。
しかし、結局買うには至っていない。

何故だろうか?

これらのアップル社のヒットに共通するのは1にも2にもインターフェイスの使いやすさにあることはいうまでもない。

機械的な操作ではなく、タッチパネルを使った直感的な操作で簡単に取扱いが出来るので「機械が苦手な人」、つまり難しいロジックを考えることが苦手な人でも取り扱えるようになった。

 故に今まで機械操作に煩わされてきた人たちが、こぞって飛びついたように思う。

上海のアップルストア

上海のアップルストア

 しかし、アップル社の各商品がインターフェイスの素晴らしさでヒットしてきたということは裏を返せば、インターフェイス部分を除くと実は特別目新しい機能が存在するわけではないような気がする。

 音楽を聴いたり写真や動画を撮ったり、はたまた本を読んだり、、、つまり今までばらばらにあった商品の機能が融合されただけという言い方も出来る。

つまり代替が利く

 もちろん、アップル社の製品はどの機能も高性能化しているのであろうから同列で評価することは出来ないが、基本機能という意味では他の商品でも寄せ集めれば埋めることが出来、どうしても彼らの商品でなければない機能というものは見つからない。

故に、どうしても彼らの製品を買うべき必然性が無く、自分は今までアップル社製品を買わずに来てしまったのかなと思う。

また、そのウリであるインターフェイスのスムーズさも、かの製品を自分から遠ざけている面もある気がする。

 元来、車の運転もオートマ車よりマニュアル車のほうが好きな私であるので、あまりにもスムーズなインターフェイスというは、逆に操作をする側の楽しみを奪い物足りなさを感じてしまう。

音楽を聴くということについて、音が綺麗に鳴り聞こえればそれでいいという画一化された価値観を押し付けられているような気がするのである。

 人間が物事を楽しむポイントというのは、企画された音楽や映画を、単純に観たり聴いたりといった部分だけでは実は完結しないというような気がする。

 うまく説明できないが、チェーン店のレストランで各店共通化された美味しい料理を出され、その食べ方も決まっているというような価値観の押し付けをされているような窮屈さを感じてしまうのである。

 本来は料理とは基準レシピはあっても、それが全てではないので作る側にも創造性があり、また食べる側にも創造性があるものでそれがまた楽しいのである。

 それと同じで、音楽とはスタジオで録音された曲を1曲単位で機械で聴くということが、現在のスタイルとして「規格化」されているが、実はそれが全てではないのが音楽である。

こういった意味で創造性があるようで、実は価値観の画一化を行なっているのが彼らの商品のような気がする。

故に1ユーザーとしては彼らの商品を拒否をするわけではないが、必ずしも相容れない部分があって今まで買わずに来た気がする。

 さなれば、今後も彼らの商品は買わないのではないかという気もしている。

さてさて、まあこういった個人的見解はともかくとして、彼らからビジネスとして学ぶべき点を探すと、どんな商品でもインターフェイス一つでヒット商品に変えてしまうことができるのだというところである。

 上記に書いたように、基本機能としてはノートパソコンでも代替できてしまうような機能を、タッチパネルなどのインターフェイス一つでユーザーを引き付けヒット商品を生み出してしまう。

 世の中には非常に高機能を持った面白い商品なのに、どうにもインターフェイス機能が駄目で扱いにくくヒットしていない商品が少なくない。

 そんな状況にも関わらず、こういったインターフェイスだけで(と言ったら失礼かもしれないが)ヒットする商品があるということは、ビジネスを考える上で非常に参考になると思われる。

 つまり、機能はみんなに使いやすくして使われてナンボということになるであろうか。是非参考にしたい彼らのヒットの秘訣である。