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ひけらかしの心理

 社会の中には、どうしても自分の知識や物などをひけらかさずにはいられない人がいる。

 やれ「俺はこれを持っている、凄いだろう」「俺はこれを知っている、お前は知らないだろう?」「俺はあそこに行ったことがあるんだ」「俺はこの肩書きだ」などなど、、自分の知識や所持品、行動、さらには立場などをやたらひけらかす。

 まるでその知識や物を持っていることが偉いことであるかのように上から目線で他人に物を語る。

 まあこうなってはどんなにすごい知識であっても馬鹿の一つ覚えと大差なく、周囲にこういったモノ自慢や学識自慢の薀蓄を語る人がいるとちょっとうんざりする。

 こういう「ひけらかしたがりの人」はどこの世界にもおり、現在発展途中の中国も競争社会であるためか物自慢をする人が増えている気がするが、何故彼らはこういったひけらかしをせずにはいられないのだろうと考えてみた。

 この点についてネットなどでいろいろ調べてみたところ、何となく納得する回答を見つけた。

 そこに書いてあったのはこういったひけらかしをする人は、実はそういった形でしか他人とコミュニケーションの取れない、一種のコミュニケーション障害だというのだ。

 もちろん人によって程度の差はあるが、要するに母親に褒めてもらいたい子供のように、世間や相手に自分を見て欲しいという承認欲求が強く、自分の物や学識を振りかざすことによって、コミュニケーションを取ろうとする心理らしい。

画像はイメージ

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 つまり相手をリスペクトする心理より自分を認めて欲しいという欲求の方が強いから、自分の物や行動をひけらかす以外の手段では、相手とのコミュニケーションが取れないことになる。

 また自分に自信がなく不安であるため、弱いことを隠すために相手を上回る点をやたら強調し、自分のポジションを確保したいという意識の表れでもあるらしい。

 もちろん、こんな一歩通行的なコミュニケーションでは他人との意思疎通がうまくいくわけがないのだが、成長過程での訓練不足でそれ以外の手段を持てていないので、結局は例えマイナス反応であっても最低限度相手の反応がある自らのひけらかしに走り、極端な場合は自分と共通の世界を持つ相手とだけしか交流しないオタク化してしまうようだ。

 まあこうなってしまうと気の毒と言えば気の毒だが、現代社会のようにSNSやブログ、ツイッターなどコミュニケーションツールと言いながらどちらかというと言いっ放しで終わることの多いツールが発達する中では、相手の話を聞くことよりも自ら発信して反応をもらうほうが自らの承認欲求を満たす確率が高いような印象を持つ人が多いのかもしれない。

 こう考えてみると、ひけらかしをする人を気の毒だなという視点で大目に見てもいいのかなという気もするが、実際そのひけらかしを目の当たりにすると、やはりうんざりしてしまうのが実際のところである。

原文


iPadはなくてもいいなと思った

遅ればせながら、ある場所でちょっとだけiPadをいじらせてもらった。
そこで感じたのは、確かに性能のよさは感じるが、これは情報を受信するだけの人の道具だなとということ。

 まあこれ一台で音楽も聴けるし、映像も見れるし、メールも送れるのは便利であると思う。

 つまり、誰かが作った情報を受け取ったり探したりするにはそれなりに使えそうだが、私のように情報を受け取るより発信するほうが多い場合にはこれではちょっと操作性が悪過ぎる。

 タッチパッド画面ではとても細かい作業に向かず、変にオート化されているためちょっと油断をすると意図しない動き方をしてしまう。
 もちろん使いなれていないという理由も大きいが、私にとってはあの画面は操作性が良いとは言いがたい。

 音楽を聴くとか、そういった受動的な情報の流れがほとんどの場合はあれで問題ないと思うが、それとてポータブルで音楽を聴いたり映像を見たりすること自体に環境には限界があるし、最近は私自身が外出中にヘッドフォンで音楽を聴くという行為自体を最近あまり好んでいない。

 今の私にとってはヘッドフォンを外し、耳に入ってくる情報のほうが余程情報量が多いように感じるし、頭に刺激的なのだ。

 つまりそれらの情報をシャットダウンして自分の殻に閉じこもってしまって時間を過ごすという状態がとても勿体無いように感じ、故に音楽を聴いて自分の殻に閉じこもるのは家にいるときか、気分が落ち込んでいるときくらいのものになってしまっている。

 まあ、そうやって考えるとあそこまで大きいものを持ち歩いて、外部で情報を拾うという行為は特に必要なく、まあせいぜいスマートフォンがあれば十分かなと思うし、発信を考えた場合は、作業をするのにノートパソコン以上のものが必ず必要になる。

写真はイメージ

写真はイメージ

 最近、ある組織で全員にiPadを配るといった行為をよく耳にするようになったが、あれは教科書や参考書を配る行為とあまり変わりなく、つまり「情報の受信者となれ!」という意図がそこに見え隠れする。

 世の中にiPadが流行って増えるのは個人的にはどうでもいいことだが、「情報の受信者となれ!」と価値観を押し付けられるのは嫌なことかなと感じてしまう。
 まあiPadが流行するということは、いかに個人がメールの送受信程度しか情報発信を必要しない社会になり、いかに情報の受信専門で生きる人間が増えてしまったかという証拠でもあると思う。

 前々から感じていたことではあるが、いろいろあれこれ工夫をして新しいことを考えたい私にとってiPadは中途半端で使い勝手が悪く、別になくてもいいものであるなと確証したのが今回のiPadの感想である。

職場放棄する未熟なリーダー

 最近、何かと話題になっている日本の某都市の市長さん。
 マスコミが議場にいるから議会に参加出来ないといっている話が伝わっている。

 マスコミが何を言ったのか知らないが、彼の行動は一つの組織を預かるリーダーとしてあるまじき子供染みた行動で、有権者を馬鹿にした話である。
 まあ日常のマスコミの一方的な報道に関しても全く問題が無いとはいえないが、反対意見とまっすぐ向き合えないのは自治体を代表するリーダーとしての資質に問題があるであろう。

 完全な職場放棄である。
 
この市長、初当選の時から何かと話題になっており、過激な発言がそれなりの支持を得られたから市長に当選できたのであろうが、最初から行動が奇をてらいすぎておりいずれメッキがはがれるであろうと私は見ていた。
 そう思っていた一番の理由は、この市長は他人とのコミュニケーションが非常に下手であると感じていたということである。

 彼はブログ市長といわれるほど、ブログが好きらしいが「ブログ=一方的な意見の主張」であり、ブログは他人とのコミュニケーション形成に一定の成果を果たせども、一対一の完全なコミュニケーションツールではない、ブログはコミュニケーションツールというより、どちらかというとマスコミ的な一方通行発信の要素が強いツールである。

 こういったツールは、日常では情報発信手段を持てない一般個人のためのオピニオンツールとしては非常に強力な威力を発揮すると思えるが、この市長が未だにブログを頼り続けているということは、一般人のそれとはまた意味が違ってくる。

 つまり、この市長が市長というパブリックなポジションにつき、どうどうと個人の意見を言える立場になったにも関わらず、未だにブログに傾倒しているということは、彼が対人コミュニケーションに未熟で、対面で意見を言うことができず、ブログでの一方的な意見発表に固執しているという見方が出来る。

 つまり相手の意見を聞きながら自分の意見を言うというコミュニケーション能力に欠けたり或いは未熟だったりするので、自分に反対する意見が出てきたときに相手と意見を調整しながら問題を解決するといった行動が取れず、結局はそれを排除するような方法でしか問題解決できないのである。
 現に、この市長は市職員を懐柔する努力を全くせずに、個人の一方的な考え方を是として押し付けてしまったために、職員側を敵に回してしまった。市長の主張する市の財政再建などは確かに正論かもしれないが、手段に問題がある。荒療治とも呼べないような稚拙な手段で相手を硬化させてしまっている。まあ内容は善であっても独裁的手法ともいえるかもしれない。

 彼に投票した有権者は、こういった市長の過激な行動が既存の硬直化した行政システムを打ち破ってくれると思ったのかもしれないが、他人とのコミュニケーションがとれず引きこもってしまうような人間に果たしてそんな力があるだろうか?

 ブログという自分のフィールドで立派な意見主張をするのは勝手だが、リアルな世界でまともなコミュニケーションや行動が取れないのでは話にならない。

 しかも組織のTOPである重責を忘れて業務放棄などは職責の自覚と責任感の欠如に他ならない。

 こういう見せ掛けだけの、人間として未熟なリーダーがトップに立ってしまった組織の人間はとても不幸であると思う。

 最近どうもこういった人間が増えている。

計算機をやめてExcelを

日本では散々当たり前のように使いこなしていたExcelだが、上海に来てから使う機会がめっきり減った。
確かに日本の会社での業務は800人からの社員のデータを扱うような仕事をしていたので何千件というデータを日々非定型に処理するのにExcelの利用は必須だった。

しかし、上海に来て以降、仕事が変わったこともあるが、社内でExcelを共有することがなくなったのも私自身がExcelを使わなくなった一つの要因ではある。

 いや正確に言うと皆使ってはいるのだが、作表するだけのワープロとしてExcelを使っているのだ。
 図表は作るが定型的な業務を省力化するための計算ツールとしてはあまり使われていない。

 縦横合計の計算くらいは埋め込んでいるようだが、それ以上の式を埋め込んでいる人はほとんどいないのである。
 で肝心な計算はどうしているのかというと電卓を叩いて計算しているといった有様である。

 これはとても勿体ないことである。

 なぜ彼らはExcelもっと活用できないのだろうと不思議になった。
 Excelはご存知の通り、かなり複雑な条件式や計算式を組み込みつつ、簡易データベースとしても利用できる非常に汎用性の高いソフトである。
 一アプリケーションという位置付けに留まらず、現在のパソコンを使った業務の必須ソフトといっても過言ではない。

 確かにExcelの計算式は慣れない人にとっては一見複雑そうに見えるかも知れないが、少なくとも電卓を叩いて計算できるような内容なら、何の苦もなく対応でき、それほど複雑な計算式にはならない。
 
 そしてひとつの雛形を作ってしまえば毎月、毎週、毎日、毎案件ごとに使用でき、繰り返し作業というものを省力できるのだ。

 そういった繰り返し作業は日々の業務の中で非常に無駄な部分であり、できる限り省力化するのが業務改善である。最初の取っ掛かりは面倒くさいかもしれないが、一度作ってしまえば後々楽ができる。それがパソコンを使った業務の最大の利点である。

 しかしながらまだ中々浸透しないのが現状である。彼らを見ていると、最初の面倒くささの壁がどうやらまだ高いらしい。しかも分からないことに対する拒否反応がものすごく高い。

 また、定型化して合理化するという発想がまだ足りない。

 故に私の周囲にExcelの便利な使い方を教えるのに日々苦心している。もちろん中国語で、、、Excelの中国語メニューがまだ全部理解できず日々苦戦中ではあるが、これも最初の取っ掛かりであるゆえ仕方ない。

 今後計算機を使わせないようにするためにも日々格闘が続く。