先日ある飲み会で日本人美容師と思しき方が、中国人女性に対して、もっと髪型をこうすれば男の子にモテるよと話仕掛けている光景を目にした。
この光景を見ていて思ったのは、私からするとその女性は黒髪のストレートの綺麗な女性であり、今更わざわざカールやパーマなどのアクセントを付けなくても十分に美しいように映ったのである。
もちろんその美容師は職業柄から女性がオシャレに髪を飾ったり髪型を変えたりすることに夢中になればそれだけ商売にも繋がるわけで、そのために焚き付けている面もあるだろう。
しかしそれだけでなく、どうも最近美容師と呼ばれる人たちには「おしゃれ・流行は絶対だ」的な思想が間違って染みついているのではないかという気がしたのである。
つまり、「よりおしゃれであることはより良いこと」だというベクトルである。
それは一見正しいようだが、やはり偏った一つの見方にしかすぎないという気がする。
例えば「流行に敏感である」ことは、一般的には良い意味で捉えられているが、悪い面から捉えれば実は「流行に流されやすい」ことをも意味し、節操がなかったり自分という軸を確立できていない悪い意味も含んでいる可能性があるのである。
それゆえに、自分を流行に弱い人間だと思われたくない女性ほどいわゆる保守的な髪型、例えば黒髪のストレートこだわっている気がしており、派手な髪への装飾を嫌っているように思える。
おしゃれが進んだとされる上海でも、街中を観察する限りでは、上海はまだそういった保守的な意識の女性が多いような気がする。
また男性からも黒髪ストレートが根強い人気といわれるのは、やはり同様の理由と思われ、流行に流されにくいという保守的なイメージから「芯が強い」「保守的で生活が安定」「浮気の心配が少ない」」「服代がかからない」などといった安定性への期待から人気が高いのではないかという気がする。
さらに言えば、女性というはファッションや流行に対して男性の目より同性の目をより強く意識するとされる。
つまり男性の目を意識して服や髪型を選ぶより、同性同士の仲間内の視線の中で可愛く映りたいものを選んでおり、仲間内で敬遠されるような奇抜すぎるものは避けて選んで着たりしている。
男性(異性)に対する振る舞いに関しても同様で、男性にどう映るかも大事だが、男性にどのようなアピールしているように見えるかという女性側の視線を非常に意識して行動しているのが女性とされる。
故に女性からの批判的視線を無視すれば、多くの男性に媚びるような大胆なファッションや振る舞いも行えるが、媚びたような態度は同性から蔑まれる面があるため、その行動は所属する女性集団に強く影響される。
それゆえに多くの女性は男性受けするおしゃれだけに走ることを控えているわけで、世の中の全ての女性がセクシー合戦にならならないのはそういった理由からだと思われる。
またセクシーすぎる女性は男性にとっても印象的ではあるが競争率の高さや軽さを感じる部分が不安要素となるため、結婚のような安定的な関係を求めるにはマイナスと判断される面があり、必ずしもセクシー=モテるわけでもない。
こうやって考えていくと、服や髪型に「よりおしゃれであること」や「アピール度が高いこと」が、女性たちにとって必ずしもプラスではないことになり、逆に「アピール度」を抑えることが本人や周囲に安心を与えプラスの評価となる面があることになる。
実はこのバランスの中で世の中のおしゃれや流行の軸は形成されているのであり、美容師の考えるような「おしゃれベクトル」の反対側では、常に「保守的な外観」へのベクトル方向の意識が働いているのである。
まあこの保守的な外観イメージも実は時代とともに移り変わっていて常に一定ではないのだが、やはり美容師たちの思う流行のおしゃれベクトルだけが世の中のファッションを決定したり、価値を持っているわけではないのだと私は考える。
そこはおしゃれを引っ張る美容師たちだからこそ、勘違いしてほしくなく、逆に意識してもらいたいことだという気がするのである。