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日米地位協定の壁は日本の司法制度と日本政府

先日のニュースで、米軍が沖縄に派遣される海兵隊向けに1998年に作った指示書において、「日本の裁判手続きは悪名高い」と説明されていたと報道されていた。

昨年から続くゴーン氏を取り巻く司法の手法の例を見るように、日本の司法制度は世界から見ても異例であり、自白偏重主義と言われるように、自白を得るまで何度も別件逮捕拘留延長を繰り返して、徹底的に長期間身柄を拘束するような取り調べを行うことが知られている。

 冒頭の「悪名高き」は恐らくこういった日本の取り調べ手法を指して評価したものと思われる。

昨年の籠池夫妻の拘束も10カ月に及んでかなりひどい扱いだと感ぜられ、本人らが言うように、対立する官邸サイドからの口封じの国策捜査とに見えるほど異様な拘束期間であり、個人的にもこういった日本の司法手続きはやはり異様と感じる。

一方、沖縄では在日米軍軍人の犯した罪について、日米地位協定の存在によって日本の司法によって裁きにくくなっているという状況が存在する。
米軍は沖縄への派遣そのものを勤務中であるとして、それを理由に日本の裁判ではなく米国の軍事裁判を優先したり、検察庁が起訴するまで身柄の引き渡しが認められず十分な捜査が出来ないなど、日本にとっては身分不平等な状況が発生しているとされる。

 もちろんこれは沖縄だけでなく、日本全体で存在する状況だが、沖縄で事件が多いため特に沖縄関連の問題として取り上げられている。

 この状況に対して、地元沖縄や各識者などからは日米地位協定の見直しをアメリカ側に求めるように政府へ働き掛けているようだが、政府が実際に動いているのか動いていないのか分からないくらいに状況は全く進展しないで今に至っている。

それは何故か?

恐らく冒頭のニュースの認識がアメリカ中に蔓延しているからにほかならないだろう。

つまり日本の司法手続きは「悪名高い裁判手続き」なのであって、法の正義や人権に対してきちんと保護が配慮された司法が整っていないと認識されているからである。
アメリカの司法がどの程度人権を守っているかなどの具体的な詳細は分からないが、少なくともアメリカ人からは日本のそれはアメリカより遥かに酷いと認識されているのである。

故に、日本で裁判など受けようものなら、罪が確定してもいないのに罪を自白するまで拘置所に長期間拘束され、下手をすると冤罪で牢屋に入れられる可能性があると、受け止められている可能性が高いのである。(実際そうであるが、、)

つまり、日本の法の正義のための手続きが、アメリカ人側に全く信用されていない状況となっている。
よって、そんな日本の司法土壌のまま、日米地位協定についてアメリカ人に改訂を求めても、相手は首を縦には振らないのは当然のこととも思える。

では何故日本の司法手続きは悪名高いままなのか?

これは個人的な見解になってしまうが、日本の司法が酷い理由は、司法が司法として権力から完全に独立しておらず、権力者の手先として機能している面が少なからずあるからであろうに思われる。

これまでの長い歴史を振り返っても、国を訴えて起こした裁判は圧倒的に国に有利な判決が出ており、日本の司法は国政者の統治ツールとして機能している面がある。
 その流れにおいて、完全な独立性を持つような司法制度への変化は結局権力者側からは望まれず、今をもって「悪名高き」司法制度は手付かずのままが続いているということになる。

こう考えると、日本の司法制度がもっと全うなものにならない限り、日米地位協定は改善されず、沖縄の人の心休まる日々は戻ってこないということになる。

つまり日米地位協定が改善されない壁の正体は、実はアメリカ側にあるのではなく、日本の司法制度こそが壁なのであり、日本政府の仕組みなのではないかという気がするのである。

会社の内側に向かって仕事をする上司

 上海に来る前に読んだマンガの課長島耕作の中で、今も印象に残っている言葉がある。

 主人公がアメリカ滞在中の時の話で、その時の上司が出世競争にばかりに気を取られ幹部受けの良い仕事ばかりに熱心で、大して業績に結び付かないことに一生懸命取り組んでいる人を称して「この人は会社の内側に向かって仕事をしている」と表現した言葉である。

 つまり出世競争のために、実質的な中身の無い実績作りに懸命で、ロクに大した企画も無いのに居場所確保のために「やったフリ」のポーズをとっていると判断されたようである。

 まあこういう人は傍から見ると酷い上司だが、実は日本の社会はこういう人が多いと言われており、先日日本のラジオ放送で聞いた話によれば、日本の企業は現場は優秀だが大企業で出世する人ほどロクでもない人の集まりになるとも言われ、その結果、大会社の経営陣ほど、使えない人材が多くそれが企業の停滞を生む原因になり、現在の日本経済の停滞になっていると言っていた。

 つまり、会社の内側に向かって仕事をしてきた結果で出世した人が多いため、それが結局は会社の発展の阻害となっていることのようである。

写真はイメージ

 まあ普段あまりそんなエライ人たちと接する機会も少ないので、実際どれだけ使えないかは分からないが、確かに以前いた会社でも何故この人が管理職になれたのかという疑問を感じるケースも少なくなかったような気がするし、思い出してみればそういう人は上司に対するヨイショがうまかったような気がする。

 それにヨイショするほうもする方なら、される方もやはり同じ穴のムジナでヨイショに弱く、結果そういった内側に向かって仕事をする人の連鎖が延々と繋がっていくことのようである。

 もちろん企業はビジネス社会と言っても、結局は人の社会なので、コミュニケーションの一つとしてのヨイショの存在も悪いわけじゃないが、会社の内側にばかり向かって仕事をする人は、きちんと外部の顧客と向き合って仕事をしている側から見ると厄介な存在である。

 実績が上がらないだけならまだしも、明らかに効果の上がらない仕事にお金と労力をつぎ込んで、やったフリの実績とするのはお金も時間も無駄なのであり、マイナスの存在であるはずなのである。

 実際冒頭の課長島耕作では、主人公が上司の仕事により住民から苦情が出たため、それをフォローして実績の一部を取り消して尻拭いをしているシーンがあったのである。

 しかし、そのやったフリを見抜ける上司や経営者がいないと、結局はそれが実績の如く取り上げられ出世の材料にされてしまう面があり、マイナスなのに功労者として評価されるという不思議な現象が起きる。

 こういった状況は一方で周囲の社員の不満や外部からの不評を招くことになりかねない。

 会社の内側に向かって仕事をする人を見抜けなければ、結局は色んな意味で会社が食いつぶされてしまうことになりかねないので、「やったフリ」を積極的にアピールする人には注意する必要がある。

アキレス腱断裂を見破れない医者

ちょっと前のことになるが、知り合いから紹介された人が松葉づえを突いていたので

「どうなされたのですか?」
と質問したところ、スポーツで無理をしてケガをしてしまったんですという答えが返ってきた。

「大変ですね、骨折ですか?」

と尋ねると、なんとアキレス腱断裂だという。

筋肉系は骨折より厄介なケガである。

 よくよく話を聞いてみると、ケガをした直後にある病院に行ったらレントゲンを撮ってもらったものの、骨折が見つからなかったために打ち身ということでシップだけで返されたのだという。

写真はイメージ

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 しかし、どうにも何日経っても痛みが引かないため、別の病院で診てもらったところ、アキレス腱断裂がわかったとのこと。

 しかも、アキレス腱断裂だと分からなかった期間の分だけ、治り難い状態に悪化していた様だ。

 幸い、何とか最悪の状態には至らず済んだようで、間もなく歩けるようになるとのことだったが、全くひどい誤診をする医者がいた者である。

 アキレス腱断裂と言えば非常に大きなケガであり、それを見破れない医者とはどんな勉強をしてきた医者なのであろうか?

 

 その人に病院の名前を聞いたところ、

「ああ、あそこか、、、」

と知る名前の病院が出てきた。

 まあ上海の病院の中でもどちらかと言えば胡散臭い評判の多い病院である。

 胡散臭い噂はよく聞くが、アキレス腱断裂を見破れないほどひどいとは、ちょっと困ったものである。

 実は中国にはこんな医者が結構いるらしい。

 その医者が本当に信頼できるのかどうか、見極めが大事だ。

スキャンダル

 巨人軍の原監督の身辺が揺れている。

 まあ今回の個別の問題はともかくとして、人の人生というのは男女問わず出会う異性に大きな影響を受け、順調な人生を歩んでいるように見える人ほど、異性問題がきっかけで評価がガラッと変わるケースが少なくない。

 最近ではタイガーウッズや、ホイットニーヒューストン小林幸子さんなんかなども、異性関係が原因で評価を落としてしまった人たちだろう。

 彼ら彼女らには気の毒だが、天は二物を与えないというか、そういったところで人間の評価というか人生の栄枯はバランスが取れていて、勝ちっぱなしの人生というのは世の中にそうそう存在しないというのが、どうも面白い。

 異性で人生が変わると言えば、上海の駐在員たちの中にも帰任命令が出ても帰らず、会社を辞めてこちらで職を探したり仕事を始める人も少なくなく、よく聞くと女性の影が後ろに見える場合も少なくない。

写真はイメージ

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 場合によっては日本の奥さんと離婚してまで中国人女性と結婚した話だって、一つや二つではなく、出会ってしまったが故のスキャンダルは上海でもたくさん存在する。

 こういった色んなケースを見てて気が付いたのだが、今回の原監督の状況もきっとそうだと思うが傍から見て順調に見えるときこそが、実は人生最大のモテ時でもあり危ういのではないだろうか?

 つまり順調な時こそ、余裕が生まれ警戒感が薄くなる。

 人は順調に飛ばしている時こそ、そういう時期はやはり男女問わずモテて、よほど自戒しないと転びやすくなるのである。

 まあ私の方は人生が全然順調ではないので、モテ時とは縁がないのではあるが、この世間の教訓は肝に銘じていつかモテ時が来たら役立てたいと思う。(笑)
 

日中の一人前感覚の差

一人前と言ってももちろん食事の差ではない
(もちろんこれも大きな差があるが、、、)
職業や仕事の成長レベルや到達度における「一人前」のことである。

どの時点で一人前になったかというのは、つまり人が生きるための自信を得るかの分岐点であるように思うが、日本人と中国人ではこのポイントに非常に大きな差があるような気がする。

 このポイントが違うからこそ、中国人は日本人から見て非常に自信家であるように見えると同時に、何にも分かってないのに自信たっぷりで愚かだなぁという印象を持つケースが多い気がする。

 具体的には、中国人の場合は仕事の手順を教わって一通り作業をするようになった時点で、本人は一人前の仕事が出来るようになったと思っているフシがある。

 「もう俺はこの仕事ができるんだ」と。

 故に就職1年にも満たない奴がいっちょ前の口をきき、さらに数年すると学ぶことが無くなったとさっさと転職する。

 しかし、日本人の尺度から言えば、それは単なる仕事を始めるスタート地点に立っただけで、仕事が出来るようになったとは言えないという判断になる。

 教師や医師を例にとればわかりやすいかもしれないが、教員試験や医師の国家試験に合格して、晴れて教員免許や医師免許を取ったとしても、それは教育する資格や医療を行なう資格を得ただけで、その職業としてまともな仕事が出来る状態になったとは決して言えないのが日本人の尺度である。

 ところがこの免許をとった時点でもう一人前になったと思ってしまうのが中国人たちの尺度のような気がする。

 しかし日本人から見ればそこからがスタートであり、教師であれば幾つか担当クラスを数年持ち何百人もの生徒と向き合う経験を経てようやく一人前の教師になったのかなという判断になる。

 医師で言えば、医師試験合格後、何年にもわたって日々多くの患者と症例を診てそれらと向き合う経験を経てこそ、ようやく一人前の医師と評価される。

写真はイメージ

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 逆にそういった経験を経ないうちは、その職業においてまだ半人前としか評価されないのが普通で、故にそこに気が付かず例えば自分を一人前になったと思い込んで「教育とは」とか「医学とは」とかなど一人前ぶってその道に関する本を書いたり講演を行なったとしても、見向きもされず馬鹿にされるのが通常の評価である。

 むしろ、そんな経験の浅い人間が一人前ぶったことをすれば、己の身の程知らずを晒す結果となり、プラスの評価を得るどころか、ああこいつは免許を持っているが実際その道の奥深さを何も分かってない世間知らずなんだなとマイナスを評価を受けることになる。

 それだけ社会は経験を重んじ、経験を経て本人なりの道の歩き方を会得した人間にだけ一人前の評価を与えるである。

 故に経験が浅い時期に書いて評価される本は、せいぜい試験合格までの奮闘記レベルのものであって、そのステップの経験に興味をひかれることはあっても、普通はその人間のその職業への見識や研究成果が評価されるわけではない。

 本当にその人がその職業の道にいる人間として評価されるのは、やはりそれなりの経験を積んでからであり、自分なりの職業手法を確立してこそ初めてそこからが一人前と言える状況になる。

 しかし、少なくとも現在の中国においては経済発展の歴史が浅いという事情もあって、どの分野においてあまり先駆者がおらず、それゆえ日本人からみてロクに物事を理解していないように見える人間でも、その分野の数少ない経験者として一人前の顔をして仕事が出来る状態にある。

 まあその人間が慎み深ければその後の成長にも期待はできるが、誰とてその分野の数少ない経験者として持ち上げられればやはり人の子であり天狗になりそれが成長を妨げる。

 これは経済発展の過渡期として致しかない中国の現状における事情なのかもしれないが、このことは実は個人にとっては本当の一人前の状態に向かう向上心を失わせる不幸な環境でもある。

 しかも中国はなまじっか日本という“真似できる”見本がすぐそばにあったが故に、中国や中国人たちは自ら苦労して開拓しながら成長するという経験を得る機会を失っており、他国の文化技術を輸入し表面上を真似しただけで自分自身や自国が一人前になったと思い込むしかなかった状況は、実はこの国家にとっても本当の意味での力強い成長を妨げる不幸な要因になっているような気がする。

 ここ10年、日本が青色吐息ながらでもいまだ踏ん張っていられるのは、戦後に経験を積み重ねて本当の一人前になった人間がまだ数多く残っているからに他ならないのである。