Tag Archives: 上司

会社の内側に向かって仕事をする上司

 上海に来る前に読んだマンガの課長島耕作の中で、今も印象に残っている言葉がある。

 主人公がアメリカ滞在中の時の話で、その時の上司が出世競争にばかりに気を取られ幹部受けの良い仕事ばかりに熱心で、大して業績に結び付かないことに一生懸命取り組んでいる人を称して「この人は会社の内側に向かって仕事をしている」と表現した言葉である。

 つまり出世競争のために、実質的な中身の無い実績作りに懸命で、ロクに大した企画も無いのに居場所確保のために「やったフリ」のポーズをとっていると判断されたようである。

 まあこういう人は傍から見ると酷い上司だが、実は日本の社会はこういう人が多いと言われており、先日日本のラジオ放送で聞いた話によれば、日本の企業は現場は優秀だが大企業で出世する人ほどロクでもない人の集まりになるとも言われ、その結果、大会社の経営陣ほど、使えない人材が多くそれが企業の停滞を生む原因になり、現在の日本経済の停滞になっていると言っていた。

 つまり、会社の内側に向かって仕事をしてきた結果で出世した人が多いため、それが結局は会社の発展の阻害となっていることのようである。

写真はイメージ

 まあ普段あまりそんなエライ人たちと接する機会も少ないので、実際どれだけ使えないかは分からないが、確かに以前いた会社でも何故この人が管理職になれたのかという疑問を感じるケースも少なくなかったような気がするし、思い出してみればそういう人は上司に対するヨイショがうまかったような気がする。

 それにヨイショするほうもする方なら、される方もやはり同じ穴のムジナでヨイショに弱く、結果そういった内側に向かって仕事をする人の連鎖が延々と繋がっていくことのようである。

 もちろん企業はビジネス社会と言っても、結局は人の社会なので、コミュニケーションの一つとしてのヨイショの存在も悪いわけじゃないが、会社の内側にばかり向かって仕事をする人は、きちんと外部の顧客と向き合って仕事をしている側から見ると厄介な存在である。

 実績が上がらないだけならまだしも、明らかに効果の上がらない仕事にお金と労力をつぎ込んで、やったフリの実績とするのはお金も時間も無駄なのであり、マイナスの存在であるはずなのである。

 実際冒頭の課長島耕作では、主人公が上司の仕事により住民から苦情が出たため、それをフォローして実績の一部を取り消して尻拭いをしているシーンがあったのである。

 しかし、そのやったフリを見抜ける上司や経営者がいないと、結局はそれが実績の如く取り上げられ出世の材料にされてしまう面があり、マイナスなのに功労者として評価されるという不思議な現象が起きる。

 こういった状況は一方で周囲の社員の不満や外部からの不評を招くことになりかねない。

 会社の内側に向かって仕事をする人を見抜けなければ、結局は色んな意味で会社が食いつぶされてしまうことになりかねないので、「やったフリ」を積極的にアピールする人には注意する必要がある。


知ったかぶりの上司

 自分より立場が上の人に堂々と知ったかぶりをされると厄介である。

 数年前、ある自分より上役的立場にある人が、WEB関連の技術者に向かって「PHPよりワードプレスを勉強した方がいいよ」と言ったのを聞いて驚いたことがあった。

 ワードプレスというのは、主にブログなどに使われているオープンソース(ソースコードが公開されている)プログラムのことなのであるが、必要な機能がコンパクトにまとまっており、最近非常に広く使われるようになっているものである。

 それに対してPHPというのはWEBを動かすためのプログラム言語の一種で、比較的平易な内容となっているため、私も本格的に勉強した訳ではないが、ちょっとなら理解できる状態になっている。

 で、上述の上役の言葉の何に驚いたかと言えば、実はワードプレスと言うプログラムはPHPの言語で開発されたものであったからである。

 つまりPHP言語で開発されたワードプレスを持ち出して、「PHPよりワードプレスを勉強せよ」と言う言葉は、その上役の無知さ加減をさらけ出す形となっており、分かっている人間からすれば「おっしゃっている意味がわかりません」状態ということになる。

 普通の素人の人間がPHPやワードプレスを知らなくてもそんな恥ずかしい事では無いが、さも物事を知ったかのように間違ったことを人に説いている姿は滑稽にしか映らない。

 しかしながら、こういった滑稽さも自分より下の立場の人間であれば、「知ったかぶりするな」と馬鹿にすれば済む話であるが、相手が自分より上役であると非常に厄介である。

 結局この時はあまりにも間違っていた講釈に対して、本人の面子もあり顔を立てる意味もあって口に出せず、指摘出来ないまま聞き流してしまったのである。

 まあこの時の件自体は自分に直接実害がない話ではあったのではあるが、結局この後はその上役の言葉が信用しきれない状態になってしまった。

 何を言っていても、もしかするとまた知ったかぶりなのかもしれないという印象になってしまったのである。

 こういった言葉の知ったかぶりは政治の世界でもよく飛び出しており、「憲法は王権を縛るものだ」とのたまわる首相や、「ワイマール憲法は静かにナチス憲法に変わった」など認識している副首相など、立場が高い人に明らかに間違っていることを堂々と知ったかぶりで話されると、やはり指摘できないので厄介であるという気がする。

 まあ誰しも人生のシーンの中で多少の知ったかぶりをすることはあると思うが、私の場合は人から「○○を知っているよね」と言われたときに、「うんうん」とうなずく程度で、さすがに調べてもいないような事を人に説くようなことはとても出来ない。

 世の中、立場がある人ほど、言葉と言うのは是非確認してから話してもらいたいものである。

労いの言葉の差

 ラジオで聞いた話だが、前首相のKさんの古くからの盟友江田さんが、Kさんについて「人を労うことをしなかった」と指摘していたそうだ。

 これに対し、昨日福島原発の現地を訪れた野田首相が現場で働く自衛隊員に対して「国民や被災者から多くの感謝を受けている。
 
 自衛隊の最高指令官として心から誇りに思う」と述べたという。

 また作業員に対して「心から感謝を申し上げます」とも述べたという。

 この件で野田さんを必要以上に持ち上げるつもりはないが、Kさんに足りなかったのはこれだと、今回の野田首相の言葉に気づかされた。
 まあ野田首相の立場では当たり前の言葉ではあるかもしれないが、前首相が口に出来なかったこの言葉が非常に大きな印象の差を生んでいる。
 この言葉一つで仕事のモチベーションは大いに変わり、組織をまとめる力というのはこの言葉ひとつがあるのかないかなのだと思う。

 まあ私も社内で人に仕事を頼んでやってもらうときは、「ありがとう」の言葉をなるべく言うようにしている。その人のおかげで自分の仕事が成り立っているからだ。
 その言葉を言うか言わないかでどのくらい差があるのかわからないが、そういえばいつも連絡だけでまだ会ったことのないスタッフの対応が少し親しみを帯びてきた気がする。
 人とは不思議なもので気を使われていると思うだけでやる気が出てくる、それはどうやら日本人も中国人も同じであるようだ。