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安直すぎる議員定数削減論

 最近、日本の国内の政治改革や財政改革を叫ぶ人たちがほぼ口を揃えて言うのが、国会議員の議員定数削減せよという意見の気がするが、私はちょっとこの考え方は安直すぎるという印象を持つ。

 確かに国のコストのことだけを考えたら不必要な費用はできるだけ削減して欲しいというのは正論ではあり、国会議員が費用に見合った働きをしていないと考えれば数を減らしてスリムにするということはそれなりに筋が通っている。

 しかしである。

 代議士という言葉がある通り、もともと国民一人ひとりの意見を代弁するのが議員であり、そのために国会へ行って働いてもらっているということは忘れてはならない。

 つまり本来の民主主義の理想論から言えば、国民全員が政治に参加し国全体の運営の責任を取るのというのが原点であるが、物理的にはそんなことが不可能であるが故に便宜的に代議士制というスタイルをとっているのが実際だ。

 よってそういう原点に立ち返って議員定数削減論を鑑みれば、議員の定数を削減するということは国民一人あたりの政治への影響力をさらに小さくするということになり、国会議員一人が背負う国民の数が増えることによって、有権者一人一人にとっては個人個人の意見を国会に伝えるパイプがどんどん細くなるということに他ならない。

 つまり選挙で投票に行っても死票が増えるし、議員個人に有権者として国政への要望を伝える機会も減るのである。
 それだけ政治に参加させてもらえる機会を奪われるということになる。

写真はイメージ

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 そう考えると、単にコストのことだけを考えて議員定数削減を叫ぶというのは少々安直すぎる気がするし、自らが政治に参加している国民の1人ということを忘れ、他人に政治をまかせきりになっている無責任な意識態度の現われように映る。

 もちろん国の財政状況を考えれば議員定数削減案というのも一つの方策としてアリであるが、そのために削られる国民の意見を吸い上げる機会というものに対して何らかの手当てをしなければ、ますます国民に無責任な議員が増えてしまう気がするし、政治参加の自覚がない「人任せで文句だけ言うお客様な国民」が増えてしまう気がするのである。
 
 どこかの国と違って国民が政治に参加できる日本人の権利は大事にしなくちゃいけないと思う。

給料を受け取って仕事をしろ

 日本の細野大臣が省内の不祥事に関連して、大臣給与は返納するということを明言したというニュースを目にした。

 これに関して私が感じるのは彼の対応は無責任だなということ。

 彼に限らず過去に給料返納したりして責任を取ったりしているフリをしているケースがままある。

写真はイメージ

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 これらの対応は一見格好いい発言のように見えるが、この行為は私には非常に無責任に映る。
 どんな職位であれ、給与や報酬は責任の対価であるからである。

 つまり大臣給与を受け取らないという行為は大臣の責任を果さなくてもよいというポジションを与えてしまうことにもなりかねず、また大臣報酬を受け取らなくても困らないという余裕のスタンスも見え隠れし、本当に真剣にギリギリの状態で戦う意思があるのか、その姿勢を疑ってしまう行為にも見える。

 大臣という肩書を付けるなら大臣としての報酬を受け取り、その報酬の責任分だけ大臣というポジションの責務を果たすのが筋で、責任を果たせないなら報酬を返納するなどといった躊躇半端な対応を取らず、本来は職務を辞するかあるいは100%の大臣給与を受け取り別の形で責任をとるべきではないか、私はそう感じる。

 これを一般の企業に置き換えても、組織の責任者が業務を50%しかやらなかったから後から50%の給与を返上しますといって済む話ではないはずで、100%の報酬に対して100%の職務を行うのが報酬というもので、業績の良し悪しはともかくポジションとして100%の責任を果たしてもらわなければ、任命側から見て運営上非常に困る話であろう。

 もちろん業績評価というのは別に存在し、業績が悪ければ交代・降格などの判断が下されるが、少なくともそのポジションが必要であるから責任と報酬が設定されているのであり、職務に対して無責任な行為は業績の善悪の比ではない打撃を経営者など任命側に与え、給与を返納された程度では埋まらない穴を開けることになる。

 今回この細野大臣がどういった職務を行っていくか分からないが、大臣給与を放棄したりせず、決められた報酬を受け取ったうえで、その職務の責任を全うすべきだと私は考える。

 そのことを分からずして、マスコミや国民も報酬を受け取らないことで責任を取った行為を良しとしてしまう困った風潮がある。