Monthly Archives: 9月 2014

国慶節連休の天気はぼちぼちっぽい。

 つい先日ブログ内に天気予報を設置した。
 上部↑のメニューか下記のアドレスで見ることが出来る。

http://shwalzer.minibird.jp/weather

 それによると、明日からの7日までの国慶節連休は概ね曇りがちだが雨の心配はない上に、気温もそれほど上がらないので外出にはまずますの天気となるようだ。
 7日間のうち、今一番良い天気予報となっているのは4日付近で、もし外出するならこの日が良いということになる。
 今のところこちらの予定としては溜まっている作業を消化する日に充てようと考えている国慶節連休だが、ずっと「こもりっきり」も体に悪いので、4日あたりに少し遠出を考えてみようかと思っている。

上海でカエルとニワトリを発見

 最近、いずれもバス停でバスを待っている時に都会の上海には不似合いなものを発見した。
 一つは先日の雨の夜に見つけた蛙である。
 近くに水路などないのに、ピョコンピョコンと大通りに飛び出してきた。

上海で見つけたカエル

雨あがりに大通りにカエルが!

 二輪車レーンの内側を縁石に沿ってぴょこぴょこと跳ねながら移動して行った。
 幸い夜間だったのでそれほど車通りの激しくない時間だったが、車道レーンに飛び出してしまったら助からないであろうし、二輪車レーンでも電動自転車に踏みつぶされたらやはり終わりである。 
 そのくらい無防備な蛙であった。

上海のカエル

ひょこひょこと移動中

 幸い、私はその蛙の悲劇を見届けることなく自分の乗るバスがやってきたので嫌な思いをすることなくその晩は過ごせたが、まあ折角目にした縁なのだから、あの蛙にも無事生き延びて寿命を全うして欲しいと感じた。
 まあ鳥などに食われてしまうなら仕方ないが、せめて人間社会の犠牲になってほしくないと思うのである。

 そして、その数日後に今度はバス停で今度はなんとニワトリを発見した。
 住宅団地と道路の間の緑の茂みの中で、餌を探しているニワトリが3羽もいたのである。

上海のニワトリ

住宅団地の敷居と道路の間の茂みにいた!

 恐らくどこかで肉食用として販売されていたニワトリが逃げ出してしまったのだと思うが、発見した場所の2~300mの範囲にはそんなニワトリを売るような店もなく、どこから来たのか全く不明である。
 あるいは電動バイクかトラックで運搬中に落ちてしまった可能性もあるが 特にケガを負った様子もないので、落ちたとかそういう原因でもなさそうだ。

上海でニワトリ発見

どうしてここにいるのだろう?

 まあ、何れにしての中国でこんなニワトリがうろうろしていたら捕まえられて人に食われてしまうのが運命のような気がする。
 都会のように見えてもまだまだこんな生物がところどこに入り込んでいるのが上海の今の状況である。

中国ではマンチェスターユナイテッドの試合放送が減っている?

 以前のブログで、中国のテレビ放送ではサッカーのプレミアリーグが人気で、上位の人気チームの放送が気軽に見られることは書いたが、最近やや異変が起きている。

 それは中国のプレミア人気の象徴のような存在だったマンチェスターユナイテッド(マンU)の試合の放送が減っているようなのだ。
 もう各種報道で知られているように、このチームにいた日本代表の香川真司選手は既に古巣の独ドルトムントに復帰し、そのほか従来の 主力であった選手が追い出されるようにこの夏に次々移籍して、その代わり高額でかき集められた有名選手がファンハール新監督の元で試合に出場するようになってきている。

 しかし、その高額の投資も今のところ効果は見えないようで、現在5試合を紹介した時点で1勝2敗2分けの12位に低迷しており、失敗と言われたモイーズ前監督の前シーズンを下まわる低迷ぶりとなっている。

 そんなチーム状況が反映しているのか、今日はウェストハムとのアウェイの試合があるはずなのだが、私の家で上海のテレビ局が放映する五星体育というスポーツチャンネルではマンUの試合を観戦できる放送は今のところ見当たらない。

 今夜放送予定に入っているプレミアリーグの試合は、リヴァプールVSエヴァートン、チェルシーVSアストンヴィラ、アーセナルVSトッテナムで、確かに3カードとも人気チームが絡んでいるものの、従来ならここにマンUのカードが入っていても良さそうだが、他のチャンネルや録画放送も含めて今のところマンUの今夜のカードを放送してくれるところは見当たらないのである。

 まあ現在韓国でアジア大会が開催中で、放送枠が相当そちらへ取られていることもあるが、それにしても全く取り上げないというのは、放送の優先順位が下がってきていることを意味する。

 もちろん今までもマンUの試合が100%放映されてきたわけではないと思うが、今週は全く放映されない状況をみると、どうも中国のファンもマンUの最近の低迷とドタバタ振りに距離を置き始めている状況があるのではないかと言う気がするのである。

上海地下鉄10号線に支線がある理由

 2010年に開通した上海の地下鉄10号線だが、この路線は西側の末端で、龍渓路駅から上海虹橋国際空港側と龍柏・航中路方面への路線に分割され、Yの字型の路線網体系となっている。
 私は以前から何故10号線は途中で分岐しているのだろうと不思議に思っていた。
 10号線の基本構想は虹橋空港・上海虹橋駅という一大ターミナルへの乗り入れのはずで、龍柏・航華新地区という住宅団地はそれなりに人口が多いことは承知しているが、
わざわざ地下鉄の支線を設置するような場所かと言えば、少々疑問が湧く場所だった。
 まあ交通需要がそれなりにあったとしても、上海の軌道交通網の中で路線が途中で分岐している箇所はほとんどなく、この10号線のほかは今のところ11号線だけで、分岐する路線はどちらかと言えばは例外なので不思議に感じていたのである
 しかも11号線は昆山へのルートが嘉定へのルートから分岐するといった大義名分があるが、10号線の場合はいかにも中途半端であった。

 で、ようやく支線がある理由が最近分かったのである。

 実は紐解いて見れば答えは簡単で、10号線の支線には電車の車両基地があるというのが最近分かったのである。
 位置的には紫藤路駅の南側のブロックの敷地内に車両基地が設置されている。
 一応、地下から地上には出てきているものの、車両基地の上部は現在ビルを建築中の為、塀の外から中を窺い知ることは出来ないようになっている。
 だが、確かに車両基地があるような架線が見え隠れするし、この敷地には将来地下鉄博物館が出来るようなことが工事の目隠しパネルに書いてあり、車両基地を生かしたレジャー開発などが行われるようである。
 つまり10号線に支線がある理由は、本線のすぐそばに車両基地を設置できるような場所が確保できなかったため、龍柏地区に車両基地を設置し、引き込み線を兼ねて旅客輸送が可能な支線を設置したというのが実情のようである。
 紐解いてみれば単純な理由であるが、龍柏地区に路線を引く人知れぬ非常に深い理由があるのかも知れないと深読みしていた私には、ちょっと拍子抜けするような理由だったのである。

中国人は拍手が上手じゃない?

 昨日、突然昔の同僚に誘われてクラシックのコンサートに行ってきた。
 18時に電話があって、その晩の19時開演のコンサートに誘われたのである。(笑)
 無謀とは思ったが、無料のオケコンサートという言葉に負けて急いでタクシーで駆けつけてしまった。
 このコンサートは同済大学の礼拝堂で行われた学内招待コンサートのようで、オーケストラはミュンヘンから来たという「新ミュンヘンオーケストラ」?といった2005年に設立されたかなり若い楽団で、あの有名なミュンヘンフィルやバイエルン管とは違うオーケストラで私も知らなかったオケであった。
 まあプロの様ではあるが、言葉は悪いがアマチュアよりは上手ではあるものの水準としてはそれほど高くはなく、日本の大学オケなんかよりはちょっとうまいという感じのレベルだった。
 もちろんレベルの良し悪しに関わらず生の演奏を聴くというのは大変貴重な機会なので、そのレベルの見極めも含めて十分楽しんできた。
 演奏されたのは、ベートーベンのエロイカと、ショパンのコンチェルトである。
 (ブラームスのハイドン変奏曲は遅れたので聴けなかった。)
 で、まあ演奏はそういうことで十分楽しめたのだが、やはりというか、聴衆マナーは最低だった。
 日本のプロの演奏会では休憩中はともかく演奏中は絶対有り得ない事であるが、聴衆がスマホやタブレットを持ち込んで写真をパシャパシャとっており、中にはフラッシュを焚いて写真を撮っている人までいたのである。
 更に言えば会場の公式カメラマンでさえ、褒められた撮影スタイルではなく、普通はゲネプロの際に済ませておくべきような撮影を、本番で立ち上がって動きながら撮っていたのである。
 そのほか人が年中出入りするし、子供も遠慮なく駆けずり回っており、じっとしていられないのは仕方ないにしろ、もう少し親が静かにさせるべき酷い状態だったのである。
 要するに、皆コンサートに集まって来てはいるものの、「体験記念」の記録に忙しかったりしてロクに集中できず音楽を聴いていないのである。

 そういった観客の態度は拍手にも現れており、拍手をする人はマナー的な決まり事の意識でいかにも形式的な形で拍手をするし、逆にマナーを知らない人はヤル気のない拍手しか送らなかったりする。
 要するに、演奏者とのコミュニケーションとしての拍手の意味を理解していないので、拍手に慣れていないようだった。
 まあ中国の人達は、もともと知らない他に対してコミュニケーションや気配りをするという事には長けていないので、拍手もといった手段も権利主義的に要求される形式的な意味を外されてしまうと、実は上手な拍手が出来ないのかも知れない。

 そのように感じた昨晩の彼らの拍手だった。
 拍手の音一つとっても、民族気質の差が出てくるから人の社会と言うのは不思議なものである。