Monthly Archives: 7月 2011

とってつけたような知識の押し付け

最近地下鉄の中のモニターでよく流れている科学の豆知識的な番組。
宇宙についてとか、地球の自然についてとか、はたまた中医学的知識などが放送されているのだが、どうもそれらに全ておいて共通して感じるのは「AはBである」といった紋切り型の知識の押し付けである。

 それぞれの科学分野においては、世の中にはいろんな考え方や学説があり、その「AがBである」ためにはいろんな条件が必要であろうと思われることに対して、たった一つの視点から「AはBである」ということをただひとつの真理であるかのように断定的に言い切っている。

 私はこの点が非常に気になる。

 その伝えている事実自体は間違っているとまで言わないまでも、条件が崩れれば正しくなくなるであろう場合が多々あるからである。

 中国の実際の教育の内容は知らないが実は全てがこれ式なのであろうかと思うとちょっと怖い点がある。

 もし中国の教育が全てがこれ式であるならば、「AがBである」ことの理由を知ろうとする訓練がされていないことになり、その成立条件が崩れたとき、どうして「AがBではなくなる」のかについて理解できないと思うからだ。

 今回の高速鉄道事故で「雷が原因である」といった報道を盲目的に信じている中国人の姿がテレビで報道され、このことも非常に気になった。

 雷で事故が起きたとすれば、雷がどうなったからあの事故に繋がっのだとという思考の組み立てが本来あるはずなのだが、そのインタビューに答えている彼はそれなしに盲目的に信じていたのである。

 また中国伝統の知恵とされている中医学の知識などもよく「Aを食べるとB」だという現象は多く整理されているが、「何故、Aを食べるとBになるのか」について成分分析などを検証しているといった事実はほとんど見たことが無く、どうも表面的現象を取り上げた自然科学の端緒とは言えても医学とまで言えるような理屈・理論はあまり表に出てくるような状況にはなっていない。

写真はイメージ

写真はイメージ

 掘り下げてみれば実はAがBになっているのではなく、AがCになるとき、Dという条件であればさらにCがさらにBになるのかもしれず、Dの条件によってはAはBにはならないかもしれないのに「Aを食べるとB」という知識で終わっている。

 これらのように、どうも中国人たちは「AがBである」という形で覚える以外の形で、別の答えの可能性があるかもしれないという考え方に慣れていないようだ。

 逆に我々日本人からすると、そんな「AはBである」式の決め付けの押し付け的な言葉は、どうも思慮が浅く見え辟易するのであり、そこがいろんな場面で日本人が中国人を馬鹿にするひとつの理由であるように思う。
 
 事故で亡くなられた方は気の毒だが、まだちゃんと事故原因究明も安全対策も施されていないのに、「もう安全」という言葉をそのまま信じらされている方々が日本人からするともっと気の毒だと思う。

今回の高速列車の事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

上海ワルツ

星鰻はアナゴだった。。

 昨日は土用の丑の日なのでお昼に鰻を食べようかと考えたが、適当な友人が見つからず一人で食べに行くのもさびしいなと考えつつ何となくローソンに入ったら、偶然「鰻おにぎり」なるものを見つけた。

 おお!

うな重ではなくちょっと寂しいが、まあ今日はこれでいいやとお昼のお弁当の一部として買って帰った。

 ところがである。

食事をしながら、社内の中国人スタッフに今日は土用の丑の日といって、日本人は夏バテ予防に鰻を食べるのだが、今日はこれで済ましたんだと言ったら、日本語のわかるスタッフに、

「これはアナゴですね、星鰻っていのうはアナゴです」
と突っ込まれてしまった。

ええーー?

そう言えば、いわれてよくパッケージを見ると確かに星鰻と書いてある。
うーん、鰻の文字に釣られててっきり鰻だと信じ込んでいたが違うらしい。
これじゃ鰻の代わりにはならないなぁと思いつつ、結局そのおにぎりをぱくついた。

 そして、結局この日の鰻への挑戦はこれっきりだった。
 まあ要するに夏バテしなきゃいいんだろ、などと思いつつ土用の丑の日を終えた。

 まあひとつ勉強になったということである。そして来年はこの失敗を二度と繰り返すまいと心に誓った。(笑)

なでしこの勝因はケアの差?

 W杯でアジアで初めて優勝したなでしこJAPAN、誰も語ってないので自分で書くが、今回の試合中継を見ていて印象に残った対称的なシーンがあった。

 それは、90分のゲームを終えて延長戦に入るまでの両チームの時間の過ごし方である。

 アメリカチームはなかなか打破できない苛立ちの表れなのか、監督が一生懸命に日本の壁を突き破るための作戦を話していた。その間アメリカチームの選手たちは立って一生懸命に話を聞き入っていた。

 それに対して日本チームはピッチに立っていた全員が足のマッサージなど体のケアにまわっていたのである。
90分の疲れを可能な限りとり、延長戦の30分間に備えていたのである。

 結局その休憩の間、アメリカチームは全くといっていいほどボディケアをやらずにすごし、逆になでしこはほとんどコンディションケアのためだけに時間を使った

 つまり片方は作戦会議で時間を過ごし、片方はコンディション作りに時間を使ったのである。
 
 アメリカチームは体の大きな選手が多かったので頑丈なアメ車のごとくあと30分くらいのゲームのコンディションには自信があったのかもしれない。

 日本は体が小さい分元々ボディケアには非常に気を使っていたのかもしれないまたもうあの時点まできたら、なでしこたちにとって作戦どうこうが問題ではなかったのかもしれないし、自分たちのサッカーを最後までやりきすれば必ず勝てる、そう信じていたからこそ作戦ではなく、コンディションを優先したのかもしれない。

 お互いどんな理屈の元でそう過ごしていたのかは実際に訊いてみないとわからないところではあるが、とにかくこれを見ていたとき、私はなんとなくなでしこたちの勝利を確信した感がある。

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 そして延長戦が始まった。

 私の見立てが正しければ、前半を無失点で乗り切れば後半にチャンスが来る、そう見ていた。
 
 そして私の予感はあたりつつあった。アメリカチームのパワーやスピードは確かに相変わらずの感があったが、既に延長前半からパスやキックの精度が落ち始め、ミスが目立ち始めていた。

 まあ延長前半終了間際に点をとられてしまったときはさすがに計算が狂ったなと思ったがそれでも焦りは感じなかった。

 あと15分もあるじゃないか、時間がなくなるまでチャンスはいくらでもあるし、相手は必ずへばってくる、そして同点にすればこちらのもんだ、そう思って見ていたのである。

 そして終了間際に沢選手の同点ゴール。

 私はここでまだ同点なのに不思議と勝利を確信した。

 同点とあればPK戦で、おそらくアメリカチームの選手にPKのキックを確実に蹴る精度は残っていないだろうと感じていたからである。同点にされた精神的ショックも小さくないはずである。

 そして案の定、PK戦が始まると、アメリカの選手のPKは精度を欠き3連続で入らなかった。

 PKを止めた海堀選手の功労の価値を下げるつもりはないが、延長前に体のケアを怠ったあの休憩時間のすごし方があのミスキックや海堀選手にコースを防がれるキックに繋がったような気がするのである。

 そしてなでしこの勝利。

あの休憩時間の過ごし方、つまりケアの差が今回の明暗を分けた、私はそう思っている。

 
とにかくおめでとう、なでしこJAPAN!

日本の被災者のために車を売ったドイツ人の話

 今回のなでしこJAPANの記事を追いかけていたらこんな記事に出くわした。
 毎日新聞社のサイトに出ていた話だが、日本の大震災のあと救助ボランティアとして日本へ駆けつけたドイツの人の話である。

 アンドレアス・タイヒャートさんというドイツの元消防団員の方で、3月の震災直後に日本にやってきたが、被災地で見た泥の中の木の人形を一心不乱にふく老人の光景が忘れられず、自分ボランティア資金が底をついたにもかかわらず「全てを失った人を見た後、私の車なんか何の価値があるのか考え込んでしまった」と自分の車を売って資金を得て、再度5月に日本へやってきて被災地支援活動をやったという。

 そして今回のなでしこJAPANの活躍にさらに背中を押され、スポンサーを探してまで三度日本を訪れ、被災地支援活動に奔走し、恐らく今回の優勝シーンも日本で見たであろうとのことだ。

 このようなタイヒャートさんの人道的な行動力には敬服するばかりであり、日本人としてこの行動に感謝するのと同時に、外国人にこれだけのことをやらせておいて、被災者と同じ日本人である自分の行動がまだまだ中途半端であることを実感した。

 まあ私はお金の面では売るような車もないので気持ちばかりの義捐金を出すのが精一杯だが、全てを失った人のことを思えば、まだまだ自分にはやれることがあるんじゃないかと考えてしまう。

 そして今回のなでしこJAPANの優勝についても、一番苦しいであろうと思われたドイツ戦の前に震災のビデオを見せられたという記事を読んだ。
 この件が選手たちに、背中の後ろにいる人たちを感じさせる強烈なメッセージとして伝わり、どんなに苦しくても投げだせない気持ちの強さが生まれ、今回の驚異的な粘りを生んだのだと言われている。
 今回なでしこたちが優勝できたということは恐らく日本が負った傷がそれだけ深く癒えていないということの裏返しであるように思う。

 そう、まだ震災は終わっていないし、過去にもなっていない。そのことを忘れそうになっている自分をこの記事は気づかせてくれた。

 自分にできる行動を改めて考えたい。

※元記事が無くなってしまったので記事を転載されている方のブログを掲載します。

興味深い中国の課外活動体系

 中国の生活にもすっかり慣れ、ある程度中国の事情は把握したつもりでいたが、実は自分とは直接関係ない世界にはまだまだ日本とは違う世界が沢山在る。

 その一つが小学生たちの生活である。

 もちろん私も日本の小学校に通っていたから、日本の小学校の状況に関してはある程度の様子はわかる。

 確か自分が小学校のときに、高学年からクラブ活動があり、朝晩と参加していた記憶がある。
 私は体が柔らかかったので器械体操クラブにいて、でんぐり返しが結構得意だった。
 もちろん、学校の体育館を使って練習していた。

 しかし、実はそこが中国の学校の事情とは違っていた

 どこが違う「そこ」なのかというと、中国の児童や生徒たちもやはり授業以外の「課外活動」のようなものに参加しているのだが、実は中国では学校内でその「課外活動」をやらないのである。

 ええー?
 学校でやらない??どういうこと?

 中国人の同僚に聞いたところ、学校は勉強するだけの場所と割り切って存在しているようで課外活動は全く別の場所で行なわれる

 それが、少年宮といわれる課外活動センターであるらしい。

 初めてこの事実を聞いたときちょっと軽いカルチャーショックを受けた。

 そうなんだぁ、、、

 同僚の話によると近隣の小学校から、同じ内容の課外活動に参加する少年少女が集められ、複数の学校の児童が学校とは違う枠組みの中で音楽やスポーツなどの活動に参加するようである。

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 実は上海以外の中国の他の都市もほぼ似たような状況で、中国全国で同様にやはり授業と課外活動は分けて実施されているとのこと。

うーん、5年近く上海にいて初めて知った真実。

 まあ学校の人間関係を外れて活動することが本当に良いことなのか悪いことなのかの議論はともかくとして、実際、児童たちはこれらの活動をどのように選択参加しているのか、例えば大会などはどう運営されているのかなど、質問して聞いてみたいことが山ほど沸いてきた。似たような学校教育に見えて、全く違う側面を持った中国の教育スタイル。

 非常に興味深い異国中国の「課外活動」の状況である。