Monthly Archives: 7月 2018

肥満が増えている印象の上海の街

 ここのところ上海の街を出歩いていると、非常に肥満体の方が増えたように思う。

 私自身も体形についてはあまり他人のことを言えた義理ではないのだが、そんな私から見ても以前に比べ、肥満体の人が非常に増えている印象なのである。
 私が上海に来たころにも、太った人はそれなりにいたが、どちらかというと中年のビールっ腹が主といった印象で、若い人に極度な肥満は滅多にみられなかった。

 しかし最近は体全体がずんぐり太っていて、歩くのでさえ苦しそうなレベルの肥満の人も少なくなく、昔テレビで見たアメリカの肥満者のような印象になってきている。

 先日このような印象を知り合いに漏らしたところ、ファーストフードなどの食生活の変化が要因として背景にあるのではないかと推測していた。

 さらに最近考えられる要因として、飲食店のデリバリーサービスも充実してきており、スマホから注文するだけで届けてくれるので、わざわざ街に出なくても食事が摂れる生活が可能になっている。

 こういった社会生活が便利になった結果、若者たちの栄養過多と運動不足を同時に引き起こし、肥満へ繋がっているのだと推測される。

 この現象が、上海の街だけなのか地方も同様なのかは、最近あまり地方に行っていないので実態はわからないが、デリバリーサービスが地方を網羅しているようであれば、同様の事態が発生している可能性は高い。

 スマホなどIT機器によって、世の中便利にはなってきているが、一方でそれはものぐさを助長している面もあり、健康という面では自分の身は自分守らなければならなくなってきてしまっている。

日中辞書に載っていない言葉の訳語の探し方

 中国生活も長くなってきているので、他人との意思疎通については、今ではどうにかこうにか知っている単語の範囲で意思伝達を済ませられるようになってきており、現在ではたまにしか日中辞書を引かなくなった。

 とはいえ、中国語で文章を作る必要があるような場合は、時々インターネットの中日辞書の世話になるし、辞書だけでなく念のためネットで確かめたりする。

 また中文読解も、おおよその意味は理解できても固有名詞などは知らなければそれだけで意味がわからない場合がほとんどなので、ネットの中日辞書で調べることになる。

 しかし、比較的語彙数の豊富なネットの日中・中日辞書でも調べきれない単語も世の中にはたくさんある。

 例えば、コンサートでの演奏予定の曲名とか、映画のタイトル、あるいは植物の名前などは辞書にはまず載っていない。

 例えば先日中国語で「時光倒流70年」と表記されている映画の曲があったのだが、これは邦題では「ある日どこかで」(ヤノットシュワルツ監督)と表記されている米国の映画だった。

 また「假如愛有天意」と表記されていた映画は、「ラブストーリー」(クァク・ジェヨン監督)という韓国映画だった。

 これらは、よほど有名じゃない限り中日辞書に訳語が直接載っていることはありえない。
 しかし、どうしても知りたい、調べたいというようなケースも出てくる。

 このような場合はどうするか?

 まず曲名などは、作曲者と作品番号が出ていれば、それをもとにYAHOOやGoogleなどで検索すればおおよそ答えが出てくる。
 またその作曲者のウィキペディアなどを探せば、答えにたどり着く。

 しかし、映画の題名など作品番号などが示されず、発音から中国語の当て字が使われていたり意訳が行われている場合は非常に厄介であり、邦題の特定をするのに難儀する。

 ではどうするか?

 こういった直接の辞書が役に立たない場合は、英語経由の訳語探しを試すことになる。

 どうするのかと言うと、中国語の単語そのままを例えば百度(バイドゥ)などの中国語の検索エンジンで検索をかけ、百度百科などの項目を探す。

 すると、その文章の中にかなり高い確率で英語表記などが示されている。

 植物や動物の名前なども同様で、英語の学名などが記されている確率が高い。

 このように英語の名称が判ればしめたもので、あとはその英語表記を日本語のYAHOOなどで検索をかけると、かなりの確率で日本語表記にたどり着ける。
ちなみに上記の「ある日どこかで」は英題が「Somewhere in Time」であり、「ラブストーリー」の英題はなんと「Classic」であり韓国語原題も「クラシック」の発音であった。

つまり普通の辞書でたどり着けない言葉も、英語を介すことによって答えがでやすくなるのである。

 なお、気をつけなければいけないのは、百度百科やウィキペディアなど、ネット上の情報は必ずしも100%正確とは言えないということ。
まあ映画の題名などはそれほど間違うことはないが、植物などは同じ仲間であっても地域などにより別の固有種を指す場合があるので、正確性を必要とされる場合は慎重に確認を行なう必要がある。

このように日々言葉の壁には苦しみもあるが、発見の楽しみもあり、コンサートのプログラム一つに驚きがある日常となっている。

季節外れの7月の東京のお盆は明治改暦の名残り

 現在、東京はお盆の季節となっている。

 下町などではお盆の伝統行事や飾りつけなどが行われていたりする。

 日本のお盆は8月ではないのかと思っている人が大勢いるとは思うが、現在は日本全国8月13日から15日あたりがお盆となっているが、ウィキペディアなどによると東京や神奈川、静岡あたりは7月15日がお盆とされていて、この時期にお盆の行事を行なっている。

 では、何故東京のお盆は7月15日であるのかと言えば、本来旧暦上(天保歴)で7月15日がお盆であったからであり、明治の改暦以後も7月15日をお盆としてしまったことによる。

 明治五年に実施された明治改暦、つまりそれまでの太陰太陽暦(天保歴)から太陽暦(グレゴリオ暦に日本は改暦されたが、東京では日付表記を優先して新暦でも7月15日をお盆としてしまったのである。

 しかし、これは伝統の由来を無視して移行した明治の伝統行事改悪の一例である。

 本来、お盆は「中元」(一年の中間の満月の日)に名を残すように、7月15日の満月の日に行うことを伝統とした行事である。

従って、旧暦上では意味のある7月15日(満月)という日付も、月の動きと関係ない新暦上は意味のない日付となる。

 以前から私は「日本の七夕の可笑しさ」について指摘しているが、お盆に関しても同様の状況が発生しているわけで、明治改暦によって由来を無視した伝統行事となってしまっているのである。

 また月の満ち欠けだけでなく、新暦での7月15日は季節までもがズレることになり、本来は晴れた日が続く暑い盛りの農閑期に行われていたものが、新暦移行によって梅雨の最中(今年は違ったようだが)になってしまい、東京のお盆はジメジメしたものとなってしまっている。

 これに対して東京など新暦お盆を実施する地域以外では、この梅雨のさなかでは、雨も多く人が集まりにくいため、農閑期に合わせて月遅れの8月15日にお盆を実施するようになったようだ。
 沖縄のように旧暦に従って旧暦7月15日にお盆を実施する地域もあるが、明治政府が旧暦そのものを廃止していったため、日本のほとんどの地域では、やむを得ず新暦で日程を固定出来て、かつ暑い盛りとなる月遅れの8月15日になったのであろう。

 よって、現在の新暦上では7月15日も8月15日も本来の意味から外れた伝統行事の実施日となっており、本来の由来からずれているのが日本のお盆の実情である。

 個人的には伝統を守るというなら、沖縄同様に旧暦に合わせたお盆の実施というのが本来の姿だと思うが、太陽暦のリズムが日本社会のリズムとなっている現在では、その復活は難しそうである。

 伝統、伝統と言葉を振り回しながら本来の由来を無視した形だけの伝統行事が現在の日本には多いのである。

「健康で文化的な最低限度の生活」がドラマになる!

以前、母校の先輩の柏木ハルコさんが「健康で文化的な最低限度の生活」というマンガを発表していることはここに記したが、どうやらドラマ化が実現したような情報を発見した。

 既に収録は進んでおり、関西テレビとフジテレビの製作で7/17から放送されるようだ。

 素材が生活保護とケースワーカーの話であるため、どのようなドラマになるのかは気になるところだが、宣伝素材や起用されているキャストを見ると、重々しい雰囲気は避けて比較的ライトなタッチで描かれそうな雰囲気である。

 まあ原作の漫画も、生活保護に対する重すぎる印象を避けて比較的ライトなストーリー展開となっていたが、ドラマは更に輪をかけてソフトになりそうである。

 多分この雰囲気にしたのは若い人に対して、とっつきにくさを排除して、社会の現実に触れてもらおうという試みかと思われる。
 しかし、このストーリーの本質は社会の底辺の現実や社会の在り方を考える重要な内容であるだけに、軽すぎるとコミカルなドラマやヒューマンドラマで終わってしまうことになりかねないのではないかと、ちょっと心配するのである。

 確かに原作も生活保護の社会問題を「ケースワーカーのドタバタ日記」風にまとめているのは事実だが、それは社会問題そのものを伝えたいための手法でしかなく、ドタバタ日記を書きたいわけではないはずなのである。

 しかし、ドラマ制作者がそこを理解していないと、単なるドタバタ日記になりそうなのが怖い。

 心配を予感させる状況は既に番組宣伝素材に見えており、原作では主人公は比較的地味な女の子が描かれているが、ドラマでは吉岡里帆さんというモデル出身の非常に綺麗な女優が起用されている。

 個人的には非常に気に入るルックスの女の子ではあり、確かに見栄えは良いのだがそれ故にドラマとして本質を見失う展開になりそうな点が心配される。
 また、ドラマの紹介も「福祉の現場で奮闘する成長物語!」と既に書かれてしまっている。

 もちろん、そういうコミカルな雰囲気を入口として、生活保護の実態を伝えたり、誤解を解くドラマになれば理想だが、やはりどうも心配である。

 まぁこちらは上海にいるので、まずは何とかこのドラマを見る手段をしっかりと確保して、何とか触れてみようかとは思っている。

 

クラシックな香り漂う上海音楽庁(上海コンサートホール)

 

上海音楽庁の外観

数か月前になるが上海に来て10年を超えてようやく初めて上海音楽庁(上海コンサートホール)を訪れることができた。
 上海音楽庁は、上海市の中心部の人民広場の南側、延安高架路と淮海路に挟まれた緑地帯に建っている。
 外観は西洋建築を思わせる石造りで、まさに20世紀初頭の上海を思わせる上海クラシック建築の一つとなっている。

 建物全体が盛り土的にかさ上げされ、北側の急な階段を上った階段を上って中に入る構造となっている。

 入り口を入ると、ホテルを思わすような吹き抜けロビーの正面に大きな階段が設置され、二階へと続いている。

その1階ロビーの端っこでは、現在X線検査機によるセキュリティチェックが行われており、爆発物の持ち込みなどがチェックされている。
 吹き抜けの天井の装飾は、比較的シンプルな装飾ではあるが、気品があるつくりとなっていて、ここが当時の上海の上流階級たちの空間であったことを彷彿されるような雰囲気である。

上海音楽庁のロビー天井

 一階の左側は単なる通路だが、右側にはクロークを兼ねたホワイエ(待合ロビー)があり、ガラス扉で外側と仕切られているのでとても明るい。

上海音楽庁のホワイエ

 この吹き抜けの2階に上がった吹き抜け周囲にはこのホール登場する(した?)アーティストたちと思われる録音の配信音源のリスニングスペースがあった。
 今時はこのように演奏会場でもチケット販売促進のためなのか演奏家のプレゼンが行われるようだ。

上海音楽庁のリスニングブース

  そして1階にホワイエスペースがあった部分の真上の同じ位置の2階にはカフェバーを兼ねたホワイエとなっていた。
 日本のサントリーホールでは、ここでワインが飲めるのだが。この時は午前中だったため、まだ営業していなかった様である。

上海音楽庁のバーカウンター


さて、今回の席は一階席を確保してあったが、二階席からさきにちょっと覗いてみた。

上海音楽庁の2階席

 このホールは舞台がプロセニアム方式、客席は二層式の、平面図的には楕円形に近い形をした大学の講堂のような形式のホール。
 二階席の傾斜はやや急な印象を受けたが、その割には必ずしもステージ上をに完全に見切れるほどうまく在籍が配置されているわけではないようである。

 今回のコンサートはラジオ放送用の演奏となるため、収録のために録音エンジニアのブースが設置され、調整が行われていたようである。

 で、今度は1階席に下りてみると、後部の方の座席は2階席の被りが深く、天井が低く、音響的な影響を完全に無視したというか、配慮されていない印象である。

上海音楽庁の一階席

空間全体としてもかなりデッドな印象で、残響がきれいに響く空間にはなっておらず、日本にかつて乱立した〇〇市民会館のレベルの音響空間である。

ただこのように音響的には不満は残るものの、客席の椅子は気品がある装飾でさらにこの会場を訪れる聴衆も気品のあるお年を召した方が多く、この空間が古くからの音楽ファンに支えられてれてきたことろうことを感じるものとなっている。

上海音楽庁の客席椅子

ところで、1階席の最後部の壁には、立ち席でも音楽が聴けるように簡易の腰掛的なベンチが設置してあった。

上海音楽庁の簡易ベンチ

恐らく本来は遅れて入場してきた聴衆が、演奏中に席へ移動するとほかの聴衆に迷惑になるため、楽章間になるまで一時待機する場所として設置されたものだと思うが、このホールではこのスペースまでお金をとって販売していた。

演劇でならばこの処置もわからないではないが、静寂を優先するクラッシックなどではこのスペースは販売するべきじゃないだろうと思うのだが、このスペースまで売り出すのは商魂たくましい中国的やり方ということになるだろうか?
このような、一見西洋的でありながら中国的な面も時々垣間見える上海音楽庁である。

 まぁ個人的には音の響きが好みではないので、優先的に訪れたい空間ではないという感想だが、音楽好きの一つの拠点として、今後も長く愛されることを祈っている。

上海音楽庁のステージ