Monthly Archives: 1月 2017

ガラケーから格安スマホに乗りかえた。

 昨年末に日本に一時国したさ際に日本契約の携帯電話を格安スマホに乗り換えた。
 上海に来て10年になるが、一時帰国の際や昔の人間関係から全く切り離されてしまうのも嫌だったので、日本の携帯番号はずっと維持してきたのである。
 で、この10年ガラケー端末のままずっと維持してきたのだが、一昨年から日本で格安スマホ制度が始まり、スマホであっても毎月の維持コストが比較的低価格でキープできそうな見込みになったので、機を見てスマホへの乗り換えをしようと目論んでいた。

浅草寺

浅草寺

 もちろん、日本に一時帰国するのは多くても年に数回なので今後もガラケーのまま維持しても良かったのだが、ガラケーのままだとデータ通信をWIFIに流せないので、帰国の度に料金プランを変更して帰国月のコスト上昇を抑えていたような経緯があり、それを携帯端末から操作したりするのが毎回結構面倒臭かったのである。

 これがスマホだと通信はWIFIが使えるので、レンタルのモバイルルータと組み合わせたり、市中のホットスポットの活用でデータ通信量を最小限に抑えることが出来、コストも抑えられると踏んだのが今回乗換えを目論んだ理由である。

 つまりスマホの高機能を求めるというより維持コスト削減に目的があり、当然ながらスマホであってもガラケー回線の維持費より安いプランを探す必要があった。

 しかし実際探してみると、わがままな要望だったと思っていた割には意外なほど簡単に商品が見つかった。
 今まで月額1500円ほどをAUのガラケーに払っていたが、これが1000円前後に抑えられるプランを各スマホキャリアに見つけたのである。
 ただ、長年(12年ほど)使っていたAUにも多少愛着があり、義理立てではないが、取り敢えずはAUショップにも赴き、まずは現時点で可能なプランを提示してもらったのである。
 しかし提示いただいたプランは、以前の認識よりはかなり安い価格帯まで下りてきているものの、やはり月額3500円程度が必要で、とてもじゃないがガラケーから乗り換える必然性を感じない価格だった。
 またAUの2年縛りの割引プランもちょうど更新のタイミングであることに気づき、乗り換えには絶好のタイミングであり、この機を逃す手はないという状況だったのである。

 そんな自分の現状を把握して腹が決まり、その後某格安スマホ会社への乗り換えに絞って検討を始めた。

 で検討を始めると上記のプランは確かに月額使用料が安いのだが、残念ながら端末代が別なので、スマホ本体をどこかで調達する必要があった。
 その格安スマホ会社にも端末とのセットプランなどが沢山用意されていたが、どれも数万円台であり、端末代金を分割払いにする手もあるが、それだと結局ガラケーの月額使用料を上回ってしまうし、まぁ日常から使うなら出す価値もあるが、年に数回の一時帰国のためにはちょっと大きすぎる出費かなと感じた。

 そんな時、ふと現在中国で使っているスマホにSIMスロットが2つ付いていることを思い出した。
 
 もしや日中のSIMを2枚差しでもいいじゃないのかと思い、早速ネットでその中国スマホの通信バンドやスロットの規格などを確認したところ、どうやら適合しそうだった。
 故に今回は最悪の場合は当面中国スマホに2枚差しになってもいいなと考えたのである。

 で、このように心が決まったので早速移行手続きの行動開始であり、まずはAU側の残存ポイントの整理から始めた。
 電話会社を移行してしまうと、こういったポイント類は一切無効になってしまうので、勿体ないので残っているうちに消費してしまうのである。
 まずAUポイントをAUプリペイドカードにチャージし、それを今度はマツキヨでの購入費用に充当した。
 商品の金額調整が難しく端数も出るので全額は無理だったが、おおよそ9割方を消費することに成功した。

浅草のマツキヨ

浅草のマツキヨ

 こうやってAU側を未練もない状態にした後はいよいよ本格移行の開始である。
 まずガラケー端末上で、現在の電話番号を移行するモバイルナンバーポータビリティ(MNP)をするための予約番号を取得する。
番号移行は10年以上も付き合ったキャリアを裏切るようでちょっと心が痛んだが、こちらも背に腹は代えられず、仕方ないと割り切った。
 そしてこの予約番号を持って格安スマホ会社に番号移行の手続きをする。

 ネット上で申し込むことも出来たが、私の滞在期間が限られていたため、手っ取り早くSIMなり端末なりを手に入れるため直接窓口に向かったのである。

 で、現場に着いていろいろ端末を見てみたものの、どうにも適当な端末の目星がつかなかった。
 それならばということで、窓口で中国から持ち込んだスマホで動作チェックをしてもらったところ問題が無いとの判定となり、結局中国スマホへのSIM2枚差しを選択し、SIMカードだけを契約したのである。

 ただ、中国スマホ端末には何らかの機能ロックが入っているようで、スマホ会社が用意するアプリがインストール出来ず、アプリによる格安通話サービスは受けられないようだった。
 これに関しては利用頻度も低いことから、将来的にいつか中古か格安の日本仕様スマホを見つければいいとの判断でその場は見送ることにした。
 これで取り敢えず電話番号を維持したままの目先の予算カット作業は完了した。

 これにより今後もし日本に一時帰国する日が決まればネット上でプランを変更すれば、数百円の差で通信量の増量も出来、上海に戻ったらすぐに元に戻せるようなので、無駄なコストを発生させず柔軟な運用が可能になった。
 まあたかが数百円の違いかもしれないが、コストのコントロールが可能になったという面で、大きな一歩となった今回の乗り換えだったような気がする。

上海の町にシャッター街が誕生しそうな2017年?

 中国は旧正月である春節を直前に控えて、町が静かになりつつある。
 地方から出稼ぎに来ている人が帰省し、次々とこの街を去るからである。

 ところが、どうも今年は何となくいつもの年とはちょっと違う雰囲気になっているような気がする。

 というのは、この時期ローカルのお店が春節休みになって行くのは例年のことなのだが、どうも一時休業ではなく店を閉店して引き払っている姿を多く見かけるような気がするのである。

飲食店のシャッターが閉まる

飲食店のシャッターが閉まる

 店の中の主だった道具が運び出されて、新たな借り手を募集する張り紙が多くみられるのである。
 私が来たころからやっていたようなローカルの飲食店たちも次々に店を閉めていた。
 建物自体が取り壊されるのかなと思われる場所もあるが、そうでない場所でもかなりの数が閉店している。

建物が撤去されるための移転

建物が撤去されるための移転

 恐らくはン年前春節の時期に借りた店舗が更新の時期に来て、家賃の値上がりを言われたため商売の継続を諦めたようなケースが数多くあるのではないかと察する。
 まあ、ここ数年の上海の不動産価格上昇はその前にも増して激しいと言われる一方で、経済そのものは伸び悩みが言われ、不動産価格と実体経済のバランスが崩れつつあると言われる。
 飲食店経営者だって、売り上げが伸び続ければ家賃の値上げにも耐えうるだろうが、実体経済が追い付かない現在、家賃の値上げ程には売り上げが伸びないのだろう。
 故に、古くからある店舗も出ていくことになる。
 まぁ、大家とすればすぐに次の借り手が見つかれば何の問題もないのだろうが、町全体の様子をみていると、そう簡単に借り手がつくか心配になってくる。
 全ては春節明けの様子を見てみなければどうなっていくかは断定できないが、このまま借り手がつかなければひょっとすると上海全体の不動産バブルが崩壊し、上海の街のあちこちにシャッター街が誕生するかもしれない。
 そんな危惧を感じた上海の街の風景である。
 

木嶋真優with上海交響楽団inSSOコンサートホール

従来から切望していた上海交響楽団ホールでのコンサート鑑賞を先日ようやく体験することが出来た。
上海に10年以上滞在しながら恥ずかしながら上海交響楽団のコンサートは初めてである。

まあ、これまでも興味がなかったわけじゃないが、上海でチケットを予約して買うという行為自体がちょっと面倒くさいのと、上海に来てからお金や時間の使い方が全く変わってしまい、人付き合い等に消費されるので、こういった趣味にお金や時間を注ぐ余裕が少なくなってしまったというのがあった。

さらに中国の鑑賞環境は決して良いものではなく、高いお金を出しても環境にがっかりする比率が高く、なかなか足が向かなかったというのも理由としてあった。

ただそういった中で、ここ数年上海に質の高いコンサートホールや劇場が増えてきたこともあり、最近コンサートホール巡り的な興味が復活し、特に上海交響楽団音楽庁(コンサートホール)は音響環境をぜひ体験したくてチャンスをうかがっていたのである。

実は上海交響楽団は意外と人気が高いようで公演直前だと安いチケットは入手しずらく、今回は昨年上海で行われたアイザックスターンコンクールの優勝者と一昨年のデンマークの指揮者コンクールの優勝者という若手の組み合わせなので知名度が低いためか人気薄で、楽々と安いチケットが手に入ったのである。

で、そんな意識のため、チケットを手に入れてから後から出演者を見たのだが、木嶋真優さんという日本人ヴァイオリニストがソリストとして名を連ねていたのを発見した。

恥ずかしながら日本の音楽界の動向をこの10年ほとんどチェックしていなかったので、彼女がどんな演奏家なのかはよく知らなかった。
で、ネットで調べてみるとアイドル演奏家のような笑顔が素敵な写真が沢山出て来たため、そういうタイプの演奏者なのかなぁと思ってがっかりしかけたところ、YOUTUBEで出ていたコンクールのファイナルの演奏を聴いて非常にびっくりした。
なんて凄い演奏をするのだろうと。

正直な話、こんなに魅了されたヴァイオリニストはおよそ初めてだった気がするくらい衝撃的だった。
その後、ネット情報でいろいろ調べていくと、結構日本では著名なヴァイオリニストであることがわかり、その知名度の高さに改めて納得したのである。

そんな映像を見てしまったため、コンサートへの期待はますます高まった。

さて、当日は20時開始というちょっと遅めの演奏会であったが、ギリギリの到着となった。

初めて踏み入れるコンサートホールのホワイエはまあまあ品良くは作られていたが、日本の公共ホールのようなシンプルさ優先のデザインで、豪華な雰囲気というものはそれほどない印象だった。

上海交響楽団ホールホワイエ

上海交響楽団ホールホワイエ

コンサートホールに入ってもそれは同様で、椅子や床、壁などの素材は合板の化粧板が使われ、サントリーホールなどに比べるとやや高級感に欠け重みのない素材の造りだったのである。

上海交響楽団ホールの座席

上海交響楽団ホールの座席

ホール全体は、一応ワインヤード形式的に段々畑のような客席ではあるが、正面側の奥行きが浅く傾斜も比較的急なため、ワインヤードというより円形ステージというか、コロシアム的なステージの取り囲み方ですり鉢に近い空間という印象だった。

上海交響楽団ホールの客席

上海交響楽団ホールの客席

で、早速演奏会が始まり響き方に注意して鑑賞していたところ、音が空間を回るような印象で、サントリーホールのような厚みと奥行きを持った響きとはちょっと違うタイプの空間であると感じた。
恐らく、天井やステージ裏の網込みのような部分が適度に音を吸収し、過剰な響きを空間に残さない工夫がされているのであり、客席裏の通路も扉無しで抜けた状態で、音を籠らせない工夫になっていた。

 結果として音が溶け合うわけでもなく薄味に仕上がっており、雑味がなく比較的素直な音響空間になっていると言ってしまえばそれまでだが、音が濃厚に響く空間を期待した私にとってはちょっと肩透かしを食らった印象であった。

上海交響楽団ホール

上海交響楽団ホール

 そんな空間の中、1曲目のリムスキーコルサコフの「皇帝の花嫁」序曲がさらっと演奏された後、いよいよ期待の木嶋真優さんの登場である。

 今回プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番という比較的珍しいプログラムで、私も1番は確かどこかで聴いたが2番は初めてという気がする。

ただこの曲はソリストの、魅力が最大限に引き出される曲であり、協奏曲と言いながらヴァイオリンの独壇場のような曲である。

しかも、今回の指揮者である台湾人の庄東杰さんは、コンクール優勝歴があるとはいえ協奏曲の経験が浅いのか意図的なスタンスなのか分らないが、オケ側がソリストに対して引き気味な演奏となってしまったため、ますますソリストが目立つ演奏となった。

 結局、リズムさえあまり噛み合わなかったような印象であり、情熱的に激しい演奏をする木嶋さんと、それに合わせず淡々と弾くオケ側の落差が印象的だった。
それを象徴したのが、本番中には珍しく楽章間で木嶋さんが指揮者に一言二言話しかける場面があり、恐らく演奏に関して何らかの要求があったのだと思われる。
 彼女には恐らくオケ側に対するイライラもあったのだと察せられたし、聴衆の私でさえ上海交響楽団という楽団の姿勢や力量に疑問を感じるほどおかしかったのである。

 まあそんなこともあっても木嶋さんの奏でる音は素晴らしく、私自身は彼女の演奏だけでも十分魅了された。
 音色が深い上に力強く存在感もあり、今後も彼女の音楽を聴いていたい、そう思わせるほど印象的な演奏だったのである。

 そして、そんな状態の協奏曲の後、休憩を挟んでラフマニノフの交響曲第2番がメインプログラムであったが、これはまぁまぁ普通の演奏が行われ、オケも良く鳴っていてあのコンチェルトの演奏はなんだったろうと思うくらいオケの演奏の質が違った。

 練習量の差なのかソリストとの相性の差なのか分らないが、同じ日の同じオケの演奏とは思えないくらい差があったのである。
 ただ、まあ個人的な理想を言えばラフマニノフならやはりもっと分厚いうねりが欲しく、やはり表現という意味では物足りないかなという演奏であった。
 上海交響楽団は上海という大都市のオケであり、そこそこ伝統もあるから恐らく演奏者の技術力は低くないはずだから、あとはシェフの味付けが必要なだけであろうに思う。
恐らくこのオケには情熱的な表現ができる、広上さんとか佐渡さんタイプの指揮者が必要かなという気がした。

まぁ、そんなことをうだうだ感じた初めての上海交響楽団の演奏会鑑賞だった。