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詰まらないトイレットペーパー

 中国ではトイレで紙を便器に流さない習慣が一般的なのは、中国へ来たことがある人には良く知られているところで、一般的な公衆トイレなどに行くとお尻を拭いた紙を捨てるカゴが便器の隣に置いてある。

 こういったことが習慣の中国のトイレでは、もし日本のように紙をそのまま便器に入れて流してしまうと詰まりの原因になることが多く、一度詰まらせてしまうと復旧させるのはやはり面倒な事になる。

 では、どうして中国のトイレが詰まりやすいかといえば、まずその理由の一つに便器の構造やパイプの細さが一般的に言われている。

 それ故に日本製のトイレは詰まりにくいということでTOTOの便器などは上海でも非常に人気で一般的によく見られ、部屋探しの際にもトイレはTOTOだから安心だと説明されたりする。

 またパイプについても実際に日本の基準よりどのくらい細いのかを調べたことはないが、排水管の基準の差はそれなりに有るようである。

 さらに油料理を多用する中国の生活文化も排水管を詰まり易くする要因の一つだと思うが、こちらはトイレが詰まる部分とはちょっと離れている。

 トイレだけに話を絞って言えば、私が思うにトイレが詰まるかどうかの決定的な要因の一つにトイレットペーパーの質の差があるように思うのである。

 ご存知のように日本のトイレットペーパーはトイレに流すのが基本なので、非常に水に溶けやすくなっているが、中国のトイレットペーパーは流さないのが基本なので、実は水に溶けやすいようにはなっていないようなのである。

 まあ私もそんなに数多くのトイレットペーパーを試したわけではないが、少なくともお店で売っている商品の表示を比べると、中国メーカーの商品はクズカゴに捨てて下さいと書いてあり、トイレに流して良いとは書いていない。

 「スーパーソフト」などといった柔らかさや肌触りを強調する商品は沢山あるが、水に溶けやすいということをアピール商品はまず見つからない。

 寧ろ2枚重ね3枚重ねなど丈夫さのような部分をPRする商品の方が目立つが、これらは恐らく水に溶けにくいので、トイレを詰まらせてしまう可能性があるのではないかと感じていて手を出していない。

 そこで私がいつも買うのは日系の王子製紙さんが作っているネピアブランドのトイレットペーパーとなっている。

王子製紙ネピアのトイレットペッパー

王子製紙ネピアのトイレットペッパー

 別に王子製紙さんからお金をもらって書いている訳じゃないが、私が過去にカルフールなどのスーパーで見た限りでは、水に溶けやすいことを謳っている商品を出しているのはネピアだけのようであり、トイレを詰まらせたくない私としてはこれ以外の選択がないのである。

 商品の説明を読んでもこのブランドだけが「水に溶けやすいので、詰まりを起しにくい」と書いてある。

王子製紙ネピアのトイレットペッパー説明

王子製紙ネピアのトイレットペッパー説明

 故に中国に来て以来ずっとこのネピアブランドを使っており、途中で多少のモデルチェンジはあったが、これを使っている限り深刻なトイレ詰まりを起したことはほとんどない。

 まあ中国にも数多くの製紙ブランドがあり、トイレットペーパー以外の紙についてはローカルでも日系でも分け隔てなく使っているが、トイレットペーパーだけはやはりこの「溶けやすい」品質が大事であり、今のところ日系製品からは離れられないような気がする。
 
 生活視点の差から来るこの機能差は今後もどうしようもなさそうである。

ラヴェルのボレロ

 ラヴェルのボレロはとても有名な曲であるが、とても不思議な曲でもある。

 リズムは最初っから最後までほぼ同じで、メロディもA、A、B、Bのパターンを繰り返し、それをひたすらクレッシェンドで曲の最後まで続けていく。

 構造だけを見れば、あまりにも単純で人々がこれを音楽として好むのかどうか疑問が湧くような内容になっており、感動する要素が見当たらないような気がするのである。

 実際、作曲したラヴェル本人でさえ、この曲が受け入れられるかどうか自信が無かったようである。

 しかし、そういった単純な構造の中に曲に変化を与えているのがメロディをソロで次々に受け継いでゆくオーケストラの各楽器達であり、楽器一つ一つの個性が音楽に様々な色を付けてゆき、同じメロディであることを飽きさせず、寧ろ心地よい興奮を与えてくれる。

 社会にいる同じように見える人間が色んな個性を持ち、それぞれの世界の側面や個性が次々に表に出てくるような、そんな印象である。

 また各楽器はメロディを奏でた後、あるいは奏でる前には小太鼓とともにリズムを刻みその音の輪を広げていく。

 これもかかわる人の輪が徐々に広がっていくようで不思議なパワーを与えられる。

 こういった同じメロディや同じリズムを繰り返しながら、その色合いを次々に変化させながらも曲は弛まなく前に進む。

 やがてソロから弦楽器のユニゾンへ受け継がれキラキラとした光を放ち始め、最後には金管楽器群が荘厳さを感じさせるような眩いばかりの光となっていく。 

 このような過程がとても心地よいのである。

 ただ単純な繰り返し、その中で同じ内容をそれぞれの人が各自の役割を受け持って支えあうことによって大きな力となって結実することが出来るようなイメージ、これがボレロの人気たる所以なのかなという気がしている。

 まあ、気を付けないと国家主義者や権威主義者に利用されかねない内容でもあるが、個々が個性を発揮して大きなものを作り上げるという意味では、私の非常に好きな曲となっている。

 日常の単調に見えるような作業の繰り返しでも、胸を張って信じて前に進むことでやがて協力者が現われ光輝く時を迎える、そんな勇気を与えてくれる力がここにあるような気がする。

バスの中の花

 数日前、某路線のバスに乗った時にバスの運転手の脇に花の鉢植えが置かれているのを発見した。

花の植木鉢

花の植木鉢

 運転手の私物なのか、バス会社の心配りなのかよく分からないが。こんな光景は初めて見た。

 まあバス会社が心配りだとして、車内に鉢を置くことが果たして適切なのかは疑問が湧くところだが、こういった無機的な置かれる植物というのは不思議と心を落ち着かせてくれる気がする。

まだ全ての車両に置かれている訳ではないようだが、こういったものは広がってくれても良い気がする。