Monthly Archives: 9月 2013

詰まらないトイレットペーパー

 中国ではトイレで紙を便器に流さない習慣が一般的なのは、中国へ来たことがある人には良く知られているところで、一般的な公衆トイレなどに行くとお尻を拭いた紙を捨てるカゴが便器の隣に置いてある。

 こういったことが習慣の中国のトイレでは、もし日本のように紙をそのまま便器に入れて流してしまうと詰まりの原因になることが多く、一度詰まらせてしまうと復旧させるのはやはり面倒な事になる。

 では、どうして中国のトイレが詰まりやすいかといえば、まずその理由の一つに便器の構造やパイプの細さが一般的に言われている。

 それ故に日本製のトイレは詰まりにくいということでTOTOの便器などは上海でも非常に人気で一般的によく見られ、部屋探しの際にもトイレはTOTOだから安心だと説明されたりする。

 またパイプについても実際に日本の基準よりどのくらい細いのかを調べたことはないが、排水管の基準の差はそれなりに有るようである。

 さらに油料理を多用する中国の生活文化も排水管を詰まり易くする要因の一つだと思うが、こちらはトイレが詰まる部分とはちょっと離れている。

 トイレだけに話を絞って言えば、私が思うにトイレが詰まるかどうかの決定的な要因の一つにトイレットペーパーの質の差があるように思うのである。

 ご存知のように日本のトイレットペーパーはトイレに流すのが基本なので、非常に水に溶けやすくなっているが、中国のトイレットペーパーは流さないのが基本なので、実は水に溶けやすいようにはなっていないようなのである。

 まあ私もそんなに数多くのトイレットペーパーを試したわけではないが、少なくともお店で売っている商品の表示を比べると、中国メーカーの商品はクズカゴに捨てて下さいと書いてあり、トイレに流して良いとは書いていない。

 「スーパーソフト」などといった柔らかさや肌触りを強調する商品は沢山あるが、水に溶けやすいということをアピール商品はまず見つからない。

 寧ろ2枚重ね3枚重ねなど丈夫さのような部分をPRする商品の方が目立つが、これらは恐らく水に溶けにくいので、トイレを詰まらせてしまう可能性があるのではないかと感じていて手を出していない。

 そこで私がいつも買うのは日系の王子製紙さんが作っているネピアブランドのトイレットペーパーとなっている。

王子製紙ネピアのトイレットペッパー

王子製紙ネピアのトイレットペッパー

 別に王子製紙さんからお金をもらって書いている訳じゃないが、私が過去にカルフールなどのスーパーで見た限りでは、水に溶けやすいことを謳っている商品を出しているのはネピアだけのようであり、トイレを詰まらせたくない私としてはこれ以外の選択がないのである。

 商品の説明を読んでもこのブランドだけが「水に溶けやすいので、詰まりを起しにくい」と書いてある。

王子製紙ネピアのトイレットペッパー説明

王子製紙ネピアのトイレットペッパー説明

 故に中国に来て以来ずっとこのネピアブランドを使っており、途中で多少のモデルチェンジはあったが、これを使っている限り深刻なトイレ詰まりを起したことはほとんどない。

 まあ中国にも数多くの製紙ブランドがあり、トイレットペーパー以外の紙についてはローカルでも日系でも分け隔てなく使っているが、トイレットペーパーだけはやはりこの「溶けやすい」品質が大事であり、今のところ日系製品からは離れられないような気がする。
 
 生活視点の差から来るこの機能差は今後もどうしようもなさそうである。

ラヴェルのボレロ

 ラヴェルのボレロはとても有名な曲であるが、とても不思議な曲でもある。

 リズムは最初っから最後までほぼ同じで、メロディもA、A、B、Bのパターンを繰り返し、それをひたすらクレッシェンドで曲の最後まで続けていく。

 構造だけを見れば、あまりにも単純で人々がこれを音楽として好むのかどうか疑問が湧くような内容になっており、感動する要素が見当たらないような気がするのである。

 実際、作曲したラヴェル本人でさえ、この曲が受け入れられるかどうか自信が無かったようである。

 しかし、そういった単純な構造の中に曲に変化を与えているのがメロディをソロで次々に受け継いでゆくオーケストラの各楽器達であり、楽器一つ一つの個性が音楽に様々な色を付けてゆき、同じメロディであることを飽きさせず、寧ろ心地よい興奮を与えてくれる。

 社会にいる同じように見える人間が色んな個性を持ち、それぞれの世界の側面や個性が次々に表に出てくるような、そんな印象である。

 また各楽器はメロディを奏でた後、あるいは奏でる前には小太鼓とともにリズムを刻みその音の輪を広げていく。

 これもかかわる人の輪が徐々に広がっていくようで不思議なパワーを与えられる。

 こういった同じメロディや同じリズムを繰り返しながら、その色合いを次々に変化させながらも曲は弛まなく前に進む。

 やがてソロから弦楽器のユニゾンへ受け継がれキラキラとした光を放ち始め、最後には金管楽器群が荘厳さを感じさせるような眩いばかりの光となっていく。 

 このような過程がとても心地よいのである。

 ただ単純な繰り返し、その中で同じ内容をそれぞれの人が各自の役割を受け持って支えあうことによって大きな力となって結実することが出来るようなイメージ、これがボレロの人気たる所以なのかなという気がしている。

 まあ、気を付けないと国家主義者や権威主義者に利用されかねない内容でもあるが、個々が個性を発揮して大きなものを作り上げるという意味では、私の非常に好きな曲となっている。

 日常の単調に見えるような作業の繰り返しでも、胸を張って信じて前に進むことでやがて協力者が現われ光輝く時を迎える、そんな勇気を与えてくれる力がここにあるような気がする。

バスの中の花

 数日前、某路線のバスに乗った時にバスの運転手の脇に花の鉢植えが置かれているのを発見した。

花の植木鉢

花の植木鉢

 運転手の私物なのか、バス会社の心配りなのかよく分からないが。こんな光景は初めて見た。

 まあバス会社が心配りだとして、車内に鉢を置くことが果たして適切なのかは疑問が湧くところだが、こういった無機的な置かれる植物というのは不思議と心を落ち着かせてくれる気がする。

まだ全ての車両に置かれている訳ではないようだが、こういったものは広がってくれても良い気がする。

東京オリンピックは早起き五輪?

 2022年にカタールで開催が決定したはずのサッカーのワールドカップに関してFIFA(国際サッカー連盟)が、真夏の開催は不可能との声明を出したことが数日前にニュースになっていた。

 まあ真夏には50℃を超える環境では、スタジアムに冷房を入れることは出来ても、国全体を冷やすことは出来ず、観客や各チームの練習施設までは冷房つきにするのは無理だということのようだ。

 今後、開催時期の変更か開催国の見直しを迫られることは間違いなく、いずれにしてもタダでは済まず、今後紆余曲折のすったもんだが予測される。

 ところで、真夏の暑さと言えば先日オリンピック・パラリンピックの開催が決まった東京もその例外ではないような気がする。

 開催要項によればオリンピックが7月24日から8月9日パラリンピックが8月25日から9月6日となっていて夏真っ盛りの開催となっている。

 1964年の東京オリンピックを知っている人はあの開会式の青空のような爽やかなオリンピックを想像していると思うが、あの時は何といっても10月10日(かつての体育の日)が開会式であり、秋開催だったのでスポーツの秋に相応しく、爽やかな開催運営が行われたのではないかという気がする。(私の生まれる前なので想像だが)

 ところが今回決まった2020年の大会は何と7月から8月、9月初めの時期であり、ちょうど子供たちの夏休みを意識して設定したとしか思えないような日程である。

 まあこの日程ならば東京の子供たちは通常なら夏休みに入ったばかりで、じっくりと家でテレビ観戦したり、競技場に足を運ぶことも出来るだろうし、ボランティアスタッフとして借り出したい高校生や大学生もやはり夏休みであり、動員が期待できることもあってこの季節に設定したと思える。

 されど東京のあの時期は、1年の中でも暑さのピークを迎える時期であり、最高気温が35℃を超える可能性があり、とても日中は屋外競技のアスリートたちが競技を行うに適した環境とは思えないという気がするのである。

 ならば、どうするか?

 屋内競技はともかく屋外競技は昼間を避けて1日のうちで涼しい時間を探して競技を行うのではないかという気がしており、つまりは暑い日中を避けて、早朝あるいは午前、そして夜間に競技を実施することになる気がする。

 特にアメリカに人気の高い競技は、アメリカのゴールデンタイムを意識することもあって早朝や午前中に決勝が行われるなどということが十分あり得る気がする。

 例えば陸上の100m決勝が午前8時だの9時だのということが十分考えられるのである。

 またマラソンのスタートも午前7時とかとんでもない設定も考えられる気がするし、北京五輪の時は実際午前7時30分だった。

 こうなると出場する選手のコンディション作りはもちろん、競技を支えるスタッフや現場に出かけて観戦するお客も大変で、何れもかなりの早起きが必要になる。

 逆にサッカーの試合は欧州を意識して試合開始が20時や21時からとかになる可能性もある気がするし、ひょとすると朝8時からの試合などと言う事も考えられなくはないが、コンディション作りがやはり大変だろう。

 まあその代わり、本家が日本の柔道などは屋内であることを含めて、20時とか21時に決勝が行われるようなタイムスケジュールで組まれると思うが、夜遅くなると今度は選手は食事のとり方などが難しくなるという気がする。

 いずれにしろ、7月下旬から8月といった開催時期を設定したからには、選手たちは暑さか、変則時間帯のいずれかを我慢しなければならないという気がしており、結構コンディション管理が大変な大会になるのではないかという気がする。
 更にそれを支えるスタッフも大変であり、訪れる観客もきっと苦労するに違いないという気がする。

 また通常ならこの時期に平行して行わわれる夏の高校野球とか高校総体、インカレなどの大会はどうなってしまうのだろうと心配になる。

 さらに今回東北の復興と言う名目があると言いながら、オリンピックの開催時期は東北4大祭りにもほぼ重なる時期で、これらとの関係がどう扱われるかも気になる。

 また国民的儀式ともなっている2回ある原爆の日とも重なってしまう。

 まあ各所で色んな調整が行われるのだろうと思われるが、真夏のあの時期にドカンと落ちてきた巨大なスポーツイベントは、かなり広い範囲の思いもよらない色んな所まで余波が届くような気がする。

満月の演出

今日は中秋の名月で満月の日となっている。

 満ち欠けをする月が真ん丸の姿を見せるのは約1ケ月に1回であるが故に、満月というのは特別な印象を持って人々に迎えられる。

 ただ、最近感じるようになったのは、満月が人々に強い印象を与える要素として、単に丸いということだけでなく、出現する時間帯にも一つの大事な要素があるのではないかと思うようになった。

 満月というのは当たり前だが、必ず西へ沈む太陽と入れ替わるようにして東の空から夕方にゆっくりを顔を出す。

 しかもそのタイミングで顔を出す月は、月からの光が地上の大気で屈折してくるため赤く見える。(夕焼けや朝焼けの仕組みと同じである。)

 このように夜の中が暗闇になりかけた瞬間に顔を出す赤い物体というのは如何にも魅惑的な演出という気がする。

 しかも、人間という生物は昼から夜に変わる夕方のタイミングが心理的に一番不安定な時間帯と言われ、そんな時間帯に人の心に興奮を呼び強く起こすとされる「赤」という色が闇に顔を出すというのは、やはり人の心をざわつかせるのは当然だとも言える。

 さらに水分が3分の2を占める人間の身体が、海が月と太陽の引力からの影響を受けて満ち引きを起すのと同様に、何らかの作用を強く受けるのも当然と思える。

 そういった幾つもの要素が一気に重なる満月の夕方というのは、生物である人間に多くの不安定要素を与え、印象的な夜にさせるだと思われる。

 古くは狼男など満月の晩にこういった逸話が残されているのは、こういった幾つもの自然の演出の産物だという気がする。

 さあさあ、今夜の空は運よく晴れてきたようなので、無事お月見が出来そうだ。