Monthly Archives: 7月 2009

中国人にとっての静岡県の魅力

 昨晩、静岡県人会があり招かれて参加してきた。実はなんと地元のテレビ局が取材に来ていた。彼らはここ数日上海の観光地を取材していたのだという。

 一見すると通常の旅レポート番組のようだが、世間の状況を考えれば、低迷している静岡-上海間の航空路線のテコ入れのための番組制作に他ならないことは明白だ。

静岡のテレビ局の中継

静岡のテレビ局の中継

 先月6月4日に開港した富士山静岡空港だが、すでに国際線の低迷が報道されている。

 特に週4便が運行されるはずだった静岡-上海間は予約率の低さから運行キャンセルが相次ぎ搭乗率も40%に留まっている。このような状況が続けば、この路線を運航している中国東方航空は見切りの早い中国人の会社だけに、あっという間に減便の判断が出かねない。

 そんな状況を危惧した県やその他の機関から要請のあっての今回の取材であろう。

 県人会参加者も、上海の通常の県人会の会合の通例を上回る120人もの参加者がいた。

 私も含め必ずしも純粋な静岡県民だけではないにしろ、上海にこれだけの静岡関係者がおり、静岡と上海の思いのほか強い結びつきに驚かされる。まあ一見すると一航空路線が開設される状況もわからなくないようには見える。

 されど、逆に言うとたった120人なのである。

 もしこの参加者全員が飛行機に乗ったとしても、B737クラスの小型機がようやくいっぱいになる程度で、当然のことながら毎便にこの全員が乗るわけではない。ほとんどが、1年に1往復か2往復。多くても月に2回程度が限度でそんなに年中行き来するわけはない。

 もちろん今回上海の全静岡関係者が集まったわけではないが、日本の人口比から考えるとこの何十倍もの関係者がいるとは考えにくい。故に上海滞在の日本人だけでは到底航空需要を満たせず、当然のことながら、観光客へのアプローチが重要になる。

 テレビ取材のほうは、当然ながら日本人に伝える上海の魅力を取材に来たようだが、静岡県からは静岡の観光PR関係の機関の人たちが来ていて中国人に対して静岡の魅力をPRし観光客を誘致しようと必死のようであった。

 そこで、中国人にPRできる静岡の魅力は何であろうと考えてみた。(ようやく本題だ。)

 県の方々は「富士山」と「伊豆の踊り子」という二つのアイテムをTOPに据えて県の魅力をPRするつもりのようだが、私の見方は少々違う。

 富士山はともかく、「伊豆の踊り子」は少々中国人には理解しがたい素材のように思える。

 総じて日本の「踊り」や「舞」の文化は生活文化から生まれており、「舞」や「踊り」の形の意味する所は、日本の生活文化の中にいなければ理解しがたい部分が多い。

 確かに彼女たちの衣装の派手さや豪華さは分かりやすい面はあるが、逆にいうとそれ以上のものが外国人に伝わるとは考えにくい。
 故にわざわざそれだけを見に来るだけの魅力になるかどうかは疑問なのである。

 では踊りが駄目なら何が静岡として中国人にPRできるか?

 それはずばり「」だと思う。

 中国人全体を相手にするか、上海人をターゲットにするかで、その中身は多少違ってくるが、今回上海路線のテコ入れということで言うならば、上海人の胃袋を狙うことが重要である。

 そして彼らの口が好む静岡の名産といえば、私は焼津のマグロ浜名湖の鰻であるように思える。
 最近の上海の健康ブームで刺身を食べる上海人が急増し、上海人相手にマグロを提供している某日本料理店が成功し、上海で何店舗も出店しているという現実がある。

 また「鰻」は従来から上海人の食文化の中に存在し、日本で出されたとしても全く抵抗が無く、おいしい鰻であれば飛びつくはずである。さらにお茶も、香りと味が良いものであるなら魅力として惹きつける要因になろう。

 こうやって整理してみると、外国人用として新たに無理やり切り出した日本の魅力より、日本人が普段から静岡の魅力として観光に訪れている要素を、素直に表に出したほうが魅力として受け入れてもらいやすい気がする。この理屈で言えば温泉も然りである。

 先の「伊豆の踊り子」の例を考えると、確かに伊豆や静岡の象徴的な存在の一つであるが、彼女たちの存在は温泉地における余興としての副産物であって、我々が観光客として温泉に入りに伊豆へ行くことはあっても、少なくとも現代では「伊豆の踊り子」を見に伊豆へ行くことはないのでないか?

 そう考えると、月並みながら、静岡の魅力というのは「富士山」「食」「温泉」であるように思う。

 勝手な私見であるが、いかがであろうか?

 上海に住み、中国人の嗜好を理解しはじめた者の意見として是非ご参考にしていただけたら幸いに思う。

二度目の依頼の無かった仕事

振り返ってみると、昨年は引き合いがあって今年は音沙汰が無かった仕事がいくつかある。

 先方の都合でその仕事自体がなくなっている場合もあるが、よくよく調べてみると他の業者と取引しているような形跡を見つけてしまったことがある。

 つまり、前回の仕事以降、自分の会社の仕事がお客に満足してもらえず、何らかの形で見限られたような格好になっている。

 まあこういうことが分かると悔しい限りだが、実は見限られた理由に心当たりが無いわけではない。

 一つは締め切り期限などの問題で、ギリギリで押し込んだり、遅れたりした仕事は二度目が回ってきていない。

 もう一つは、客先の要求をこなすのに手間がかかって何度もやり取りしたような仕事も二度目の依頼が回ってきてない。

 どちらも信用や会社としての能力が見限られた形になっており、そういう面では非常に悔しい。

 昔読んだ本で、指揮者の小澤征爾氏が修行時代にあるオーケストラへ客演した際にマネージャーに「一発で成功させろ、二度目の依頼がなかったら失敗だと思え」といわれたらしい、確かにその通りである。

 普通の仕事の場合でも、二回目の依頼がこなかったら仕事は失敗したと考えるのが正しい。その失敗の理由が一時的な仕方ない理由である場合もあるが、ビジネスの上で「今度こそうまくやる」は通じない。

その理由だって回避できる方法はあったはずである。

 一つの失敗は全ての失敗に通じると心得て今後仕事に臨みたい。

原文

副鼻腔炎はでんぐり返しで治す

長く引っ張っている副鼻腔炎を真剣に治すことにした。
とにかく鼻が臭くてたまらない。
おそらく周りの人間にも結構迷惑をかけていることであろう。

さて副鼻腔炎は手術か薬で治すほか無いといわれているが、手術しても時間がかかる根気の必要な治療である。

手術をするかは医者と相談しつつよーく考えるとして、とりあえず市販の点鼻薬と飲み薬でがんばってみることにした。

普通の風邪と違って2~3日で直るわけではないので、長期の服用が必要だ。
で飲み薬はまあ、普通に飲めばいいのだが点鼻薬の方はちょっと厄介である。

 実は鼻の穴の奥のほうに患部があるため、普通の姿勢で点鼻薬をさしても届かない。故に薬を差す姿勢に一工夫必要になる。
つまりどうするかというと四つんばいになり、頭を床につけておへそを見る姿勢をとって、鼻に薬を差す。

 傍からみるとでんぐり返しを途中で止めたような姿勢だ。でもこうしないと薬が喉に回ってしまい、患部に届かない。故に毎回この姿勢が必要になる。
 部屋で実施する分にはベッドの上で行えばいいが、会社ではとてもこの姿勢はとれない。
結局は今は家と会社が非常に近いので、この点鼻のために毎回家に戻っているが、非常にわずらわしい。
 でもこうするほかない。

毎日朝昼晩のほぼ決まった時間にベッドの上でのでんぐり返しの姿勢をとるようになった、
 もし窓の外から私を観察している人がいたらイスラム教の信者が毎回礼拝を行っているように思うかも知れない。(笑)

 これらの努力のおかげで鼻づまりはかなり解消し、おかげで寝ているときの呼吸はだいぶ楽になったような気がする。
しかし、まだ嗅覚が戻らない。美味しい食べ物の匂いが分からない。
臭い匂いはまだまだ付きまといこれらは鼻が治っていないことを示している。

完全に嗅覚を取り戻すための根競べ、つまりでんぐり返しはまだまだ続く。

計算機をやめてExcelを

日本では散々当たり前のように使いこなしていたExcelだが、上海に来てから使う機会がめっきり減った。
確かに日本の会社での業務は800人からの社員のデータを扱うような仕事をしていたので何千件というデータを日々非定型に処理するのにExcelの利用は必須だった。

しかし、上海に来て以降、仕事が変わったこともあるが、社内でExcelを共有することがなくなったのも私自身がExcelを使わなくなった一つの要因ではある。

 いや正確に言うと皆使ってはいるのだが、作表するだけのワープロとしてExcelを使っているのだ。
 図表は作るが定型的な業務を省力化するための計算ツールとしてはあまり使われていない。

 縦横合計の計算くらいは埋め込んでいるようだが、それ以上の式を埋め込んでいる人はほとんどいないのである。
 で肝心な計算はどうしているのかというと電卓を叩いて計算しているといった有様である。

 これはとても勿体ないことである。

 なぜ彼らはExcelもっと活用できないのだろうと不思議になった。
 Excelはご存知の通り、かなり複雑な条件式や計算式を組み込みつつ、簡易データベースとしても利用できる非常に汎用性の高いソフトである。
 一アプリケーションという位置付けに留まらず、現在のパソコンを使った業務の必須ソフトといっても過言ではない。

 確かにExcelの計算式は慣れない人にとっては一見複雑そうに見えるかも知れないが、少なくとも電卓を叩いて計算できるような内容なら、何の苦もなく対応でき、それほど複雑な計算式にはならない。
 
 そしてひとつの雛形を作ってしまえば毎月、毎週、毎日、毎案件ごとに使用でき、繰り返し作業というものを省力できるのだ。

 そういった繰り返し作業は日々の業務の中で非常に無駄な部分であり、できる限り省力化するのが業務改善である。最初の取っ掛かりは面倒くさいかもしれないが、一度作ってしまえば後々楽ができる。それがパソコンを使った業務の最大の利点である。

 しかしながらまだ中々浸透しないのが現状である。彼らを見ていると、最初の面倒くささの壁がどうやらまだ高いらしい。しかも分からないことに対する拒否反応がものすごく高い。

 また、定型化して合理化するという発想がまだ足りない。

 故に私の周囲にExcelの便利な使い方を教えるのに日々苦心している。もちろん中国語で、、、Excelの中国語メニューがまだ全部理解できず日々苦戦中ではあるが、これも最初の取っ掛かりであるゆえ仕方ない。

 今後計算機を使わせないようにするためにも日々格闘が続く。

仕事の採算性

 最近ある部門での仕事で非常に利益の低い仕事があった。

 ほぼ一人の日本人スタッフがつきっきりで約3ヶ月対応したのだが、そのスタッフの一か月分の給料に足らない程度の利益しか上がっていなかったのである。
 その担当スタッフに、目論見と大幅に狂ったのか?という質問したら、最初から利益目標など存在していないという答えが返ってきたから驚いた。

 つまり平たく言うとそのスタッフは、いくら儲かるか分からないまま仕事をしていたのである。

 これには飽きれた。

 どんな小さな仕事でも常に採算性というものが付きまとい、採算が取れるように計画を立ててはじめるのが仕事である。
 どんなに甘甘の見通しの採算計画であろうとも、一応うまくいったら儲けが出る予定でスタートさせるのが仕事である。

 もちろんこれは商品一個一個の利益の問題ではない。

 商品一個売って、一つ一つに利益が乗るのは当たり前の大前提で、書くのもばかばかしいことである。

 利益計画とはその仕事のトータルの儲けを考えるということである。
 つまり例えば月間100万円の利益を出すために、1個100円の利益の商品をどうやって1万個売るかを考え、3000個しか売れなかったら採算割れなのだから、最低限でもそこを守るにはどうしたらよいかと考えるのが仕事である。

 もし最初から3000個も売れそうになかったのならその仕事には手を出さず、もっと利益率の良いほかの仕事を探すのが経営判断であり、仕事の判断である。

 それを利益計画も何も立てないまま仕事を始めたのでは、儲からないのは当たり前である。

 結局、今回の場合そのスタッフの2か月分の給料が赤字として計算される。
もちろん実際にはそのスタッフは別の仕事もやっていたから単純な赤字として計上するわけではないが、そのスタッフの仕事がまったく利益になっていないのは明らかで、極端な話を言えばその仕事をやらないで、その時間ほかの場所でアルバイトをしていただいほうが良かったような状態である。

 利益が上がらなかったこと自体はもちろん問題だが、それよりも利益目標を立てずに仕事を始めている時点でそのスタッフの仕事はアウトなのである。

 最初から100万円儲かる計画を立てなければ、10万円だって儲からず、損をするかも知れないのがビジネスである。もちろんただ計画を立てれば良い訳ではなく、計画と現実の差をどう縮めていくかを考えつつ進めるのが当然で、常にその差異の原因を分析しつつ埋めていくという作業が必要になる。

 こんな基本的なこと、改めて書かなければならない状態であることが非常に悲しい。