Monthly Archives: 1月 2009

上海人は何故こんなにビリヤード好きなのか?

 日本にいると、あまり中国とビリヤードというものが結びつかないためか、中国人が実はビリヤード好きといわれてもあまりぴんとこないかもしれない。

 

ビリヤード(スヌーカー)場の看板

ビリヤード(スヌーカー)場の看板

 しかしながら、少なくとも上海においては街の主な繁華街には必ずといっていいほどビリヤード場がある。さらに中国の主要なホテルにも必ずといっていいほどビリヤード場がある。以前はホテル内の遊戯施設といえばカラオケだの、ディスコだのが主流だったらしいが今やそれを凌ぐ割合でビリヤード台が設置されている。 また普通のショッピングセンターの最上階の遊戯施設にもビリヤード場があるところもある。

 日本でもそれなりのビリヤードブームはあるが、中国の比ではなく、ある意味限定的である気がする。

 統計数字というものを見たことがないので、正確なところは分からないが、少なくとも感覚的には上海のビリヤード場の数はカラオケボックスを凌いでいると思われる。

 実はサッカー・バスケットボール以外でテレビのスポーツチャンネルで流される機会が多いのがこのビリヤードなのである。そのくらい上海においてビリヤードは浸透しているらしい。

 何ゆえにそんなに中国人にビリヤードが好まれているのか?確かに欧米嗜好の上海人からみればキューを握る姿はスタイリッシュであり、お洒落好きの上海人からは好まれる競技なのは理解できなくはない。また団体競技でなく個人競技というのも上海人にあっている気がする。

 そのほかの条件として、広い中国にあっても意外に屋外の公共エリアや運動場の少ない上海の中では、狭い場所でもできる娯楽が必要であり、天候不順な上海ではどこでもできる娯楽が必要など、ビリヤードが浸透するその環境条件としては整っているなと思わせる部分もなくはない。しかし、その浸透度たるやそういった環境条件論を上回る勢いのような感じがしており、とっても不思議だ。

 私自身はビリヤードをほとんどやらないので、彼らの輪の中に入っていく機会もないのだが、何が上海人を夢中にさせるのか?一度尋ねてみようと思っている。

 原文

会話のない親子

 今日、夕食を食べに行ったお店で、日本人と思しき親子4人組みを見かけたのだが、実はそこでちょっと気になる光景を目にした。

 その家族はお父さんとお母さんと小学3、4年生と思しき兄弟の4人で、家族のいない私からすると、なんとも羨ましき光景であるはずだったのだが、彼らは注文を終えると何と自分勝手にばらばらの本を読み出したのである。お父さんとお母さんは店に置いてあった週刊誌を、子供たちは漫画をそれぞれ読み始めたのである。

 家族そろっての食事の時間であるはずなのに、なんとも奇怪な光景である。

 毎日ずっと一緒に暮らしている親子だから、食事の時間だからといって改めて特別な会話は無いのかも知れないが、4人とも会社や学校などそれぞれのフィールドがあるはずなので、そんなにいつもいつも4人で過ごしているはずでもないに違いない。

 つまり食事を一緒にとる時間というのは一日のうちでも何分の一の貴重な時間であるはずだ。
 しかしながらそれにもかかわらず会話もせず、親子それぞれで別の本を読んで料理を待つというのはなんとも不思議な光景である。

 よく、中高生の子供を持つ親御さんが子供の気持ちがわからないなどという言葉が伝わってくるが、もしこの親子と同じ状態で食事の時間を過ごしてきたとしたら、子供の気持ちが分からなくなるのも当然のように思える。

 世界の親子が食事時にどの程度会話をしているのかわからないが、少なくとも中国に来てからこのように食事の時間中にそれぞれが違う本を読んでいるような中国人の親子を見かけたことが無い。
 恐らく子供がそんなことをしたら親に張り倒されるに違いなのが中国だ。故に親から率先して本を読んでいた姿には驚かされるのである。

 どうしても読まなければならない本であるなら後で読めばいいと思うし、ひとつの食事をするためにひとつのお店に入れば、そのお店内装やメニューなどを題材にしてそれなりの会話があってもいいはずだ。

 しかし、この親子は料理が出てくるまで結局本を読み続けた。

 実は私の家族は両親ともB型であり、弟も含めて4人ともB型の家族であったが、自分勝手なB型といわれる私の家族でさえもここまでの光景は無かった。
 親が飲食店を経営していたため普段の夕飯を一緒にする機会も多くもなかったのだが、食事時にテレビをつけることはあってもそれぞれが本を読むなどということはまず無かった。

 人と人というのはお互いに分かっているようで、なかなか細かいところまで理解しあうのが難しいのが人間である。ましてや会話が無かったらお互いにの理解なんて有り得ないように思う。ずっと会話が無ければどんどん考え方がずれていってしまい、最後には相手の気持ちが全く分からなくなったという結果になってしまうのである。

 例え喧嘩ごしであろうとも会話をしているうちは相手の気持ちの片鱗が見えてくるので、100%相手の気持ちが分からなくなることはない。でも会話がなくなってしまったらもうお手上げである。

人と人の関係において会話は大事である。つとにそう思う。

雲都温泉に行ってきました。

昨日の夜の話ですが、話題の雲都温泉に行ってきた。

 自宅に湯船が無いこともあり、最近お風呂に飢えててどうしても行きたくなってしまったので、意を決して行ってきた。行ったのは夜8時過ぎだったのだが、春節中ということもあってか、それほど混んでおらず快適に入れた。

 日本人もいることを意識してか、ここでは水着着用もありで、湯船の中に水着着用で入ることもOK。

 ジャグジーとかの設備もあり、普段の疲れが溜まりきっていた自分にとっては疲れを癒す非常に快適な空間であった。

 通常のお風呂のほかに、サウナ、スチームサウナなどもありそれぞれ試してみたが、久しぶりの体験であったので凄く気持ちが良かった。

 最近新装オープンされたようで、現在は一部のネットの書き込みにあるほど不潔な状態ではなく、店側も清潔さを保つのにかなり気を使っているようだった。

 で、奥に行くと男女共用の大きな温水プールがあり、なんと優雅にも熱帯の海底のBGVをバックに、サックスとバイオリンとピアノの生演奏が流れていた。

 音楽好きの私としてはうれしい限りだが、こんな湿気だらけの場所にピアノだのバイオリンだの持ち込んだら楽器が持たないだろうなとつまんない心配までしてしまう。

 この空間は当然のことながら、男女共用なので水着着用が必須である。カップルで遊びに来てもこの空間なら、一緒に過ごせるというわけだ。
 外には露天風呂もあったが、この日は寒かったので私は遠慮したが、気候がいい時期なら入ってみてもいいかもしれない。

 さてさて一通りの温泉浴を終えて今度は二階へ。
二階には休憩室とレストランがありマッサージなども受けられる。料金はすべてロッカー鍵の番号で最後に帰るときにまとめて支払う。このあたりは日本の健康ランドと全く同じ。レストランで軽食を、と思って入ったが、意外と本格的なメニューが並んでいて、しっかり食べられるようになっている。昼から一日過ごしても十分楽しめるような空間になっている感じだ。

 どうやら宿泊もできるようで、上海で週末にこんなところへ来てレジャーを楽しんでのんびりと過ごすというのも一興で面白いかもしれない。
 個人的にもこの空間は気に入ったので、マメに通ってみようかと思っている。

年中無休でないローソン?

古北近くのローソンだが今日の昼間に通りかかったときなんと電気が消えていて休みだった。奥では冷蔵庫の電気がついていたので停電ではない。 

休業日のローソン

休業日のローソン

 ローソンはどこも24時間営業年中無休が当たり前だと思っていたのに、やはり春節は例外らしい。

 そういえば、上海のお店でも年中無休をうたっていても春節や国慶節は休んでいる場合が多い。彼らの言う年中無休は毎週の定休日がないというだけのことらしく、それでは年中ではなく週中無休じゃないかといいたいのだが、そんな理屈をごねても仕方ないのが中国である。コンビニすら休みにさせてしまうのが中国の春節だ。

 でもこれって契約違反じゃないのか、とちょっと心配になるのだがどうなのだろうか?ちなみにここ以外のコンビニで閉まっている店は見つけなかったので誤解のないように断っておきたい。

お金に困ったことのない人の言葉はどこかきれいごと

最近、金融危機の影響で日本からも中国からも悲惨なニュースが伝わってくる。この世界的な状況は決して他人事ではないし、いつ自分の身に降りかかるかもしれないとして戦々恐々として毎日を過ごしているというのが正直なところである。 
 私も過去に中国に来る直前の頃、仕事がなかなか見つからず先の見えない不安な時期があったり、自分のだらしなさゆえにお金に苦しんだこともあった。そういった時期を乗り越えたからこそ、今の金融危機は非常に深刻な状態として受け止めることができる。明日仕事が無くなれば、明日業績が悪化すれば、来月給与が出なかったら、給与が遅れたら、、、途端に生活の先が見えなくなる状況は想像できる。その状況をひしひしと感じ仕事をしている。
 ところが、日本から伝わってくる政治家の発言やネット上でみる言葉の中には、どうも本当の危機というか、お金が無い人の生活の現実というのが理解できていないんだろうなと思わせる言葉が多々ある。
 表面上は「大変ですねえ」とか「なんとかしなくちゃ」とか言う言葉を発するのだが、一方で「本当に働く気があるのか」とか「人に迷惑をかけるな」とかどこか他人事のきれいごとの言葉が聞こえてくる。

 政治家なんぞは「来年度から景気対策を・・」などとのん気過ぎる言葉を言っている。そういう言葉をきくと、「あっコイツ本当に金に困ったこと無いな」と直感的に相手の本性が見抜けてしまう。悪気が無いにしろ、どこか優等生的な回答にしか聞こえてこなく、いまの優位な立場にあるポジションの「上から発言」にしか聞こえず、実質的な相手の状況を理解しているとは言い難い。来年度とかそんな先のことや、きれいごとの理想論ではなく、今日明日の生きることが危ぶまれている状況というものを彼らは理解できていない。
 本当に困ったことがある人なら「なりたくてなっているわけではない」という彼らの気持ちと「どうにもならない状況」に苦しんでいるということは想像でき、軽々しくそういった発言はできないように思う。
 もちろん日本であろうが上海であろうが、ほとんどの人は生きるために必死で働いている。しかし残念ながら自分の仕事や収入がなくなったときのことを想像できて働いている人は意外と少ないように思う。どこか自分だけは逃げ道がある、そう考えている人が少なくないように思える。
 景気がいいときであれば会社を首になったり、会社が倒産したりしても別のところを探せばいいやとか、誰かに紹介してもらおう、親に頼ろうなどという甘えも許されるかもしれないが、すでに今の時期の社会はそんな甘い状況ではない。

 今の会社を失えば、もう他に行くところはないかもしれないし、助けてもらいたい友人や親にだって人の面倒を見る余裕が無いかもしれない。そう考えればいま目先に仕事があるのなら、その仕事に必死になるほかない。
そう思って毎日生きている。