お金に困ったことのない人の言葉はどこかきれいごと

最近、金融危機の影響で日本からも中国からも悲惨なニュースが伝わってくる。この世界的な状況は決して他人事ではないし、いつ自分の身に降りかかるかもしれないとして戦々恐々として毎日を過ごしているというのが正直なところである。 
 私も過去に中国に来る直前の頃、仕事がなかなか見つからず先の見えない不安な時期があったり、自分のだらしなさゆえにお金に苦しんだこともあった。そういった時期を乗り越えたからこそ、今の金融危機は非常に深刻な状態として受け止めることができる。明日仕事が無くなれば、明日業績が悪化すれば、来月給与が出なかったら、給与が遅れたら、、、途端に生活の先が見えなくなる状況は想像できる。その状況をひしひしと感じ仕事をしている。
 ところが、日本から伝わってくる政治家の発言やネット上でみる言葉の中には、どうも本当の危機というか、お金が無い人の生活の現実というのが理解できていないんだろうなと思わせる言葉が多々ある。
 表面上は「大変ですねえ」とか「なんとかしなくちゃ」とか言う言葉を発するのだが、一方で「本当に働く気があるのか」とか「人に迷惑をかけるな」とかどこか他人事のきれいごとの言葉が聞こえてくる。

 政治家なんぞは「来年度から景気対策を・・」などとのん気過ぎる言葉を言っている。そういう言葉をきくと、「あっコイツ本当に金に困ったこと無いな」と直感的に相手の本性が見抜けてしまう。悪気が無いにしろ、どこか優等生的な回答にしか聞こえてこなく、いまの優位な立場にあるポジションの「上から発言」にしか聞こえず、実質的な相手の状況を理解しているとは言い難い。来年度とかそんな先のことや、きれいごとの理想論ではなく、今日明日の生きることが危ぶまれている状況というものを彼らは理解できていない。
 本当に困ったことがある人なら「なりたくてなっているわけではない」という彼らの気持ちと「どうにもならない状況」に苦しんでいるということは想像でき、軽々しくそういった発言はできないように思う。
 もちろん日本であろうが上海であろうが、ほとんどの人は生きるために必死で働いている。しかし残念ながら自分の仕事や収入がなくなったときのことを想像できて働いている人は意外と少ないように思う。どこか自分だけは逃げ道がある、そう考えている人が少なくないように思える。
 景気がいいときであれば会社を首になったり、会社が倒産したりしても別のところを探せばいいやとか、誰かに紹介してもらおう、親に頼ろうなどという甘えも許されるかもしれないが、すでに今の時期の社会はそんな甘い状況ではない。

 今の会社を失えば、もう他に行くところはないかもしれないし、助けてもらいたい友人や親にだって人の面倒を見る余裕が無いかもしれない。そう考えればいま目先に仕事があるのなら、その仕事に必死になるほかない。
そう思って毎日生きている。



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