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気の毒な日本の政治家たち

 日本の政治家たちを見ると、時々気の毒に感じる時がある。

 他国に比べ鍛え方が足りないというか、鍛えられる場もなければ政策能力を高める場もないまま国政を担う立場を背負わされる場合が少なく、そのまま何となくの数週間の短期間の選挙の結果で首相や党首などになる場合が少なくないからである。

 その結果どうなるかというと、運よく政治力のある人間がトップになればそこそこの長期政権が作れるが、大方の場合は他国に比べ非常に短期の政権で終わっているのである。

 ウィキペディアの資料によれば、明治の大日本帝国憲法以降の日本の内閣総理大臣経験者は62人いるとされるが、そのうち1年以内の短期間で終わった総理が20人もいる。

 さらに40人が2年以内しか在職しておらず、実に内閣総理大臣経験者の3分の2が2年以内の短命在職と言う実績であり、逆に4年以上の在職期間を経験したのは7人しかおらず、3年以上に拡大しても11人にしかならない。

 これに比べアメリカや韓国の大統領の任期は4年、中国の国家主席は5年であり、如何に日本の内閣が短命かが分かる。

 この原因として一つ考えられるのが、日本の政治家が政治的に鍛えられないまま政治の舞台に立つから経験不足で打たれ弱いということがあるという気がする。

 例えばアメリカなら、大体が上院議員や州知事などまず政治の実践の場で実績を積んでから大統領選挙に進むのが通常であり、大統領候補になるために実質一年近くの予備戦を党の内部で戦って候補に選ばれる必要がある。

 さらに大統領選本番でも実質半年近くの選挙戦を戦うことになるから、結局候補者は1年半近くもの間に本人の人物の政治的思想や人間性が徹底的にさらけ出されるので、選挙に出る本人は相当の準備を持って臨む必要があり、色んな弱点をつつかれる度に勉強してカバーしていくことになるから、選挙期間を乗り越えることによって大統領になる政治家として鍛えられる面がある。

 また、この選挙活動の中身も単なる選挙カーの上からの一方的な街頭演説ではなく、州によってはタウンミーティングのような非常に自治意識の高い選挙民たちの討論の中にさらされるため、国民と非常に近い距離で意見を受け止める必要があり、マイノリティーなどへのかなり幅広い視野を求められる。

 こういった修羅場を潜って成長した人間が選ばれるのがアメリカの大統領であり、こうやって鍛えられた大統領が打たれ強くなり、ちっとやそっとの事では揺るがないのは当然のことのような気がする。

 また中身は違うが中国の国家主席とて、一党独裁と言っても当然ポッと出の党員から主席に選ばれるわけではなく、長年に渡って国内のあちこちの機関を歴任するうちに組織の人間として鍛えられ、そこを勝ち抜いてきた海千山千つわものであるから、この非常に複雑な国のトップとして君臨出来るのだと思われる。

 さらにアメリカの大統領などは就任した後も非常に優秀な政策ブレーン機関がつくと聞き、ある政策方針をとった場合の影響を即座に分析レポートしてくれるから、迂闊な政策ミスはほとんどない状況にあるようだ。

 これに比べ日本の政党の政治家は、どちらかと言うと地域の地盤を受け継いできたお山の大将のような人も多く、親が死んだから出てきた二世のような鍛えられていない人がいきなり国会議員になってしまう場合が少なくない。

 そしてその議員たちをまとめる政党組織も組織と言っても、会社や役所のような固定化された組織というよりも、同じ意識を持った人が集まる寄り合い所帯的な議員連盟組織であり、そこで組織の論理や難しさを学ぶような関係になっていないというのが日本の国会議員たちの実態になっている。

 さらに実際の政治の中身についても、政策勉強は本人たちの自助努力に頼るほかなく、日本のように自治意識の薄い国民との間で幾ら討論をやっても我田引水的な利益誘導の要望しかないので、例えば国の財政危機などについては深く突っ込んだ真剣な議論や認識にならないのである。

 日本の場合は、本来ならば政治家が膨大な情報量を持つ官僚組織をうまく使いこなして政治家主導で政治を進めればいいのだが、組織に関わる人間としての鍛え方が足りないまま議員になっているため、膨大な情報量を持つ官僚たちを使いこなせず、逆に使われてしまう面もあるのである。

 結果、あまり広い視野を持っているとは言えない政治家が官僚政策に乗った格好で、わずか数週間の短期の政局の勢いで首相に選ばれたりするので、就任後の一つや二つの政策については乗り切れるが、議会運営などで一つ問題が発生したりすると、堪えきれず短命の内閣で終わってしまう結果となる。

 このような自治意識のない選挙民風土の環境の中で、鍛えられる機会もないまま短期的な選挙活動の結果だけで政治を行なっている日本の政治家たちはちょっと気の毒であるという気がする。

負の配分の時代

 先月日本の衆議院が解散して明日から総選挙モードだが、ネットを通して日本を見ていると、よくもまあこんなに沢山の政党が出来たものだとこの乱立状況にはびっくりする。

 そして主張も色々である。

 まあこのタイミングで特定の政党をどうのこうの言うのは避けたいが、一つだけ言えるのはどの政党が政権をとっても、バラ色の未来はまず描けないことは確かなような気がする。

 つまり日本にはそれだけお金がなく既に借金はほぼ限界まで積みあがっている。

 ある人が言っていたが民主党政権の最大の失敗は埋蔵金が出なかったことだと言っていた。
 全くもってその通りで、仕分け作業などそれなりに取り組んでいた面はあったものの、結果としてその埋蔵金はほとんど出ず、新たな財源を見い出せなくなった民主党は政権交代前に語っていた政策がほとんど実現できず、逆に財源不足で消費税アップの負担要求の方針となれば、今の国民から嘘つきだと言われる状況も当然とも言える。

 まあそこで民主党としては法律は通したが実際の消費税引き上げ実施前に今回の総選挙で「信を問う」ということになったのが今回の選挙である。

 しかしここで頭に置いておきたいのが、今回この選挙で再度政権交代をしようが現政権が継続しようが、日本の財政が厳しいことには変わりなく目の前には巨大な国債の債務が残っているのが現実だということである。

 しかも現在の日本の人口状況や国際経済の関係から言って日本の経済や税収が今後もほとんど伸びないというのは明らかな状況であり、少子化状況などがすぐに改善したとしても、財政にリターンできるまでには最低20年はかかるのが日本の現状である。

 故に現在のこの負の負担の配分をどうするのかが、今回の総選挙の本当のテーマなのかなという気がする。

写真はイメージ

写真はイメージ

 例えば今回問われている消費税というのは国民全員で負の負担をしましょうという提案で、平等といえば平等な面はあるが、1円足りとて負担をしたくない国民からすれば嬉しくない負の分配となる。

 またJ党の提案している日銀の国債買い取り(買いオペで)の案による財政出動は、目先のキャッシュは増え国民の負担はないように見えるものの、実際はカードローンの限度額を増やすようなもので、うまく活用しリターンが戻るような運用をすれば有効な面はあるが、少なくともすぐに国民の借金は減らず寧ろ増えるわけで、結局は後の世代へ負担を押し付けるものだと言う事も出来る。

 また公務員を減らして人件費を減らし財政に余裕を作れと言う意見もあるが、国民の一定割合が公務員になっているという現状がある以上、公務員枠を減らすということは若者世代から職を奪うというしわ寄せを押し付ける構造になる可能性があり、つまり世代間格差を生むわけで、所得税収入という意味でも決してプラスにはならない。

 また単に公共工事を減らすというのも、公共工事で仕事を得ていた人の収入を減らすという負担を押し付けるのと同じことで、その人が失業して生活保護受給者に回る可能性も十分にあり、公共工事を減らせば国の財政が改善するようなそんなに単純な話ではない。

 さらにその生活保護者や外国人に対して保護を減らし負の配分を押し付けろという声もあるが、適正化は必要な面はあるものの、まあ社会全体が厳しい中で人道的な面を含めて実質的な効果の面で財政再建の切り札になるというものでもない気がする。

 ましてや国会議員の歳費削減や定数削減など、有権者の不満のガスを抜くパフォーマンスにはなっても実質的な財政規模からすればほとんど焼け石に水である。
 寧ろ議員歳費削減により賄賂になびきやすい政治家を産む危険性や、有権者の1票の価値の減少、つまり国会や国政に届く国民の声1人当たりのパイプが小さくなるわけであり決して良い事だけではない。

 まあ今回有権者がどういった判断を出すかわからないが、税金を減らしますだのあれこれを国民に与えますなど、利益配分を語る政治家については、その根拠や財源をよく確認したほうがいい。

 要するに利益を配分しようということは、どこかに負の負担を押し付けることになる可能性が高く、それを恣意的にやるか全く理解していないかのどちらかでしかないということになり、その政策のさじ加減によっては利益を求めたつもりが有権者自らが割を食う可能性があるだろう。
 例えば親が世話になる福祉施設は出来たが、その影響で子供が就職できないという可能性はあるのである。
 また子ども手当はもらったが公共工事が無くなり親は失業したなんてことも笑い話ではない。

 つまり原則として新たな借金か負担の押し付けが無ければ新たな優遇や利益配分はもう生まれない。
 それくらい国家の財布は無限ではないことを国民は自覚しなければならない時代になっている。

 むしろそういった新たな利益配分の話より、現状の枠の中で知恵と工夫によって新たな道筋を生み出そうとする人、そういった政治家を探して見たい。
 
 さて投票、果たしてどうするか。。。。

国がタバコを禁止しないは財源だから

 中国でも最近各都市で次々に禁煙条例が出来てきており、ルール通りならば都市の公共の場所ではほとんど喫煙できなくなる状況になりつつある。

 まあ中国の場合「ルール通りならば」というのが一つのミソであり、なかなかルール通り行われないのが普通だから、禁煙条例の効果がどれだけ有効なのかはちょっと懐疑的ではある。

 それはさておき、日本や中国を含めてこれだけコストをかけて喫煙場所の規制をやるくらいなら、いっそのことタバコそのものを禁止してしまえばいいのではないかというのが非喫煙者の意見なのだが、実はそういう議論は少なくともどこの国からも一切出てこないのが常となってる。

 何故ならタバコは貴重な国の財源の一つであり、タバコを禁止してしまうということは財源を自ら捨ててしまうことになり、ただでさえ税収不足に悩む各国政府がそこまでのことをするの勇気を持つのは無理だからである。

 日本も一兆円近い税収が毎年タバコから生まれている。

 よく考えてみれば国家にとってタバコほど都合の良い課税対象はない。

 つまりタバコには常習性があるにも関わらず麻薬ほど身体への影響は大きくないものとして社会に認識されているものだからである。

 一般的にはタバコは吸い過ぎると健康に被害を及ぼすと言われているが、実際影響が出てくるのは早くても10年後20年後の話となっている。

 しかもその健康への因果関係についても科学的にあると言われてみたり実は無いんだと言われていたり色々諸説あるが、少なくとも麻薬ほど急速に体をボロボロにするものではないということは確かだというのが社会の共通認識である。
 
 それ故に麻薬ほど健康に害がない状態で常習性をもたらし、かつなかなか止められないタバコというのは各国で格好の課税の的となっていて、麻薬が蔓延するのを防ぐ意味でも古来から国家政府が独占販売権を持ち、税収源として重宝されてきた。
 
 つまりそんな便利な財源となっているタバコであるから、多少の健康被害が報告されたところで致命的にならなければ、喫煙量をコントロールすれば問題ないという見解のもと、一向に全面禁止という方向にはならないのである。

マカオ空港の喫煙室

マカオ空港の喫煙室


 
 むしろ完全禁煙になっては国は困るから、「喫煙は体に悪い」などという形だけのキャンペーンをやりつつ、実際は本気で禁煙を推し進める気などまるでなしに、“納税者”を保護し続けるのである。 

 喫煙者がよく禁煙の努力をしているがタバコを止められないという話をしているが、それは当然なことで、各国国家はタバコの持つ常習性をよく知るからこそ全面禁煙にせず収税ツールとして野放しにしてを課税を続けているのである。

 またよくニコチン中毒者から、タバコは必ずしも害だけではなく体にいい面もあり、吸うと頭がすっきりするなどの利点もあるから、積極的に吸っているのだと意見も聞かれるが、それこそが実は常習性を生む一つの要素であり、麻薬を吸う人が幻覚を楽しむのと一緒なのであるが、健康に影響が少ない(遅い)という面でタバコが相対的に認められているだけであることを自覚するべきであろう。

 こうやって考えるとタバコは国の税金のために存在してるようなもので、喫煙者は税金を払うために“納税者”として飼われてしまっているようなものである。

 まあお国の為を想えば喫煙納税もやむなしと考えるか、国の策略をNOとして禁煙の意思を貫けるか、全ては本人の考え方ひとつであるが。。。

財政改革に対する期待の誤解

ここ数年、大阪や国内で大阪市のH市長が人気のようである。

 歯に衣着せぬ物言いと行動力が人気のようで、知事時代の財政赤字に対するバッタバッタと行動した対応が庶民に受けているようだ。

 まあ長年の累積した赤字は膨大で、それに手をつけなければ破綻が見えていたから行財政改革を断行するのは決して間違いではないし、そこに府民や市民が期待することは間違っていない。
 
 しかしである。

 その期待には大きな誤解が混じっていることも事実である。

 恐らく、支持者たちの期待には行財政改革が進めば自分たちの暮らしも楽になる方向へ向かうだろうという希望が混じっていると思うが、それは全くと言っていいほどの誤解だということになる。

 自治体の財政改革を単に進めるだけでは、むしろ庶民の生活にとってはマイナスはあってもプラスになることは考えにくいのである。

 何故ならば自治体の財政改革を進めるということは、即ち財政支出が減るということであり、財政支出が減るということは、その減らされる名目が人件費であれ、公共事業費であれ、補助金であれ、とにかく府や市のエリアに対するお金の支出がなくなり、そのエリアでお金が流れなくなることを意味する。

 もちろん働きの悪い公務員や議員に払う給料などはカットされるべきものと考えるのは当然だが、例えロクでもないと思われる人々に払われる給料であっても、その人が生活をしスーパーや買い物をし飲食店で飲み食いする費用が地元に落ちているならば、その分だけ地域経済へお金が流れているわけで、それをカットすることは地元への経済流入がその分だけ無くなるということを意味する。

 それだけ自治体財政と地域経済は繋がっているのである。

 例えば100億円という金額を自治体がカットすれば、単純に言って100億円が地元に落ちなくなるということを意味する。

 当たり前だが、このような単純カットを行なえばその自治体の財政はよくなる反面で地域経済は悪化することになる。

 民間企業の社長ならば、自分の会社が黒字になればそれで十分で優秀な社長という評価になろうが、自治体の長となるとそういうわけにはいかないのである。

 もし財政支出を100億円カットするならば、財政支出以外の方法で同様の規模のお金が地域で動くような施策を取らなければ、その地域の経済は結局悪化することになる。

 このような単純カットはある意味どんな馬鹿な政治家でも出来る単純な施策で、それだけで世の中が良くなるようならば政治家は苦労しないし、最初から財政赤字など積み重ならないはずなのである。

 世の中をなんとか良くしようと補助金などの財政支出に頼った施策を積み重ねた結果出来上がったのが今の財政赤字なのであり、もちろんその中には議員たちの誰かが私腹を肥やすための下らない支出が混じっている可能性があるにしろ、財政赤字になってしまった経過にはそれなりの正義の看板があったはずである。

 それを自治体が代替策なしに一方的に財政カットのみを実施することは、ある意味地域に対する自治の放棄であり、無責任ともいえる行動となる。

 そんな対応施策が見えてこない中で、目に見えて分かりやすい結果として財政カットの数字を見せて行動力をPRする彼らに対して、我々の生活向上への根拠のない期待感を膨らませるのは誤解であり危うい気がする。

 ところでこのような視点で見れば現在野田さんやろうとしていることは理解できなくもない気がしている。

 世論は増税をする前に無駄な支出を減らせと叫ぶ声が大半だと思うが、その中身が無駄であろうがなかろうが国の支出を減らせば上述の論理でその分だけ国内にお金がまわらなくなるわけで、その分だけ青色吐息の日本経済には直接的な打撃を与える。

 ならば実際にお金を動いている部分から救い上げる消費税ならば、経済にそれほど大きな悪影響を与えずとりあえず財源を確保することができ、財政改革を進める余裕がそこに生まれる。

 ここに少し余裕が生まれれば、経済への影響を考慮しつつ代替施策を探しながら財政支出を減らす時間的余裕も生まれるであろうが故に、野田さんは敢えてそういう選択肢へ進もうとしているのではないか、H市長の空虚な躍進を見るに連れ、最近そのように感じるようになった。

 消費税の問題は選挙時のマニュフェストが絡んで、道義的問題でなかなか進めにくい問題ではあろうとは思うが、ギリシャやフランスの選挙結果を見ても分かるように個人の利益だけを欲しがる選挙民の行動というのは意外と無責任だなというのが率直な感想で、そういう面で言えば野田さんは敢えて憎まれ役や道義的違反を承知で進もうとしている姿に本気で国を建てなおそうとする覚悟が見える気がしている。

 まあただ今の内閣の東電の扱いはかなり異論があるので野田さんの施策なら何でもOKというつもりもないのだが、、、