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上海の地下鉄はジェットコースターの原理で動いている?

 上海の地下鉄の地下区間の駅で列車が入ってくる方向を眺めていると、わずかばかり上り坂になっており、低い位置からライトが上向きに照らされてはいってくることに気づく。
 たまたま特定の駅でそうなっているのではなく、かなり多くの駅でそういう構造になっており、駅のホームの天井に列車のライトが映り、床側が照らされることはあまりない。
 また、列車が発車する際に動きの変化を注意深く見守っていると、列車の加速は前へ押し出て速度を上げていくというより、前方から引き込まれるように加速度的に出発していくことに気づく

 まるでするすると落下する井戸の釣瓶のような印象である。

 恐らくこの速度変化と到着直前の上り坂は偶然ではなく意図的につくられたものである。

 正確な地下鉄路線の垂直断面図を見たことはないが、恐らく断面図を見れば駅のある部分が高い山の上のようになっており、駅と駅の間は谷のように窪んでいるようになっているはずである。

 もちろん、駅は地表との連絡に便利な場所に作り、駅と駅の間は地表の建物からなるべく離してトンネルを掘って、振動などの影響が出にくい構造にしたいという意図もあるだろう。 

上海地下鉄13号線南京西路駅

上海地下鉄13号線南京西路駅

 しかしこの地下の山谷構造の理由は省エネ理由であると察することができる。

 山谷構造の何が省エネかというと、上海の地下鉄は重力を利用して列車を動かしているのだろうと思われるのである。

 列車は駅を出ると、初期起動こそモーターを使った電気動力で車両を動かすが、駅を出るとすぐに下り坂になるのでブレーキ制御を解除すれば、車両は重量に引っ張られるように自由落下的に坂の下へ引っ張られていくのである。

 そして坂を下り切り、今度は上り坂の段になると慣性のエネルギーをそのまま利用し、駅への坂を上っていく。

 ただし、慣性力だけでは坂を上り切れないため、最後の駅に到着する前にモーターで推進力を補助して、駅までたどり着く。

 このあたりは実際に列車に乗っていると感じ取ることができ、駅を出発した列車が加速して走り出した後、フラットな部分あるいは上り坂にかかったような段階でスピードが落ち始める。
 そのまま次の駅に着くのかなと感じ始めた直後に再度加速がかかる。

 これは坂を上り切るエネルギーが足りないため上り坂で推進力を付加した結果であり、駅へ到着する際にブレーキをかけるタイミングが早すぎた故の補正加速ではないようである。

 つまり上海の地下鉄では、可能な限り地球の重力と慣性力を利用してモータによる電気エネルギーの消費を節約しているようなのである。
 いうなれば遊園地のジェットコースターと同様の発想で列車走行の際に極力エネルギーを使わず動かしていることになる。

 もちろん、例え何らかの都合で駅間で列車が停止してしまっても、モーターの力で上りきって駅に到着することが出来る。

 まあこの発想は決して上海だけが特別というわけでなく、日本でも東京の大江戸線のような比較的新しく深い場所を走っている路線では採用されている方式のようであって、最新の地下鉄では常識に近い路線設定のようだ。

 意外なところに省エネの工夫が仕掛けられている上海の地下鉄である。 

人として愛に生きるフィギュアスケーターたち

 フィギュアスケートの安藤美姫選手が突然4月に出産していたと告白し、世間が大騒ぎになっている。

 報道番組内で「スケートよりこの命を選んだ」と発し、賛否両論色んな反応が聞こえるが、私はこの彼女の出産を聞いてそのニュースに驚きはしたものの、妙に納得感があった。

 何故なら、フィギュアスケートはスポーツと言いながら、テクニカルの要素の他に表現の要素を多分に含む競技で、その表現力には選手本人が持っている感情の情緒性が大きく影響するからである。

 つまりアスリート的要素の他に、女優的要素(男子もいるが)が必要とされるのがフィギュアスケートの世界であり、とりわけ安藤美姫選手のその情念的表現力と言うのは、現役選手の中でも群を抜いており、彼女が他の選手よりも感情的な面での熱さを持って滑っているのだということは、演技を見ていれば分かるのである。

 安藤選手は競技生活のピークだった数年前にモロゾフコーチとの関係が噂されていたが、そのことについて番組のインタビューで彼女は「彼がリンクのサイドにいると力強かった。練習でダメでも、本番でできる気持ちにさせてくれる存在だった」と答えており、この時点で彼女がスケートへの情熱よりも愛の存在が競技生活を支えていたと捉えることができる。

 そんな安藤選手が、ある意味コントロールしきれないほどの感情を愛に注ぎ、恐らくモロゾフコーチと別れた後もその愛を引きずり、その愛の力の勢いで妊娠・出産に至ってしまった結果になったことは、別に驚きでもない。

 まあ現代社会における突然の妊娠はアスリートとしてだらしないとかなどの非難の声は確かにあり、周囲に迷惑をかけた面も多大にあると思うが、恐らく自分の情熱に従って生きてきたのが彼女の生き方であろうし、それを抑え込めるくらいなら逆にスケーターとしても大成していなかったように思うので、今回の結果はある意味必然であったように思う。

アイスダンス

アイスダンス

 そのくらいフィギュアスケート選手には愛情的情緒の問題がつきまとい、フィギュアスケート競技のトップ選手には個人の愛情面にまつわる話題がほかのアスリートよりも多いのである。

 例えば日本の男子も現役中にも関わらず近年次々と結婚を発表しているし、国外では同性愛者をカミングアウトしているトップスケーターも多く、我々のようなストレートな感情よりも自覚的な分だけ情熱は強いのだろう。

 また女子のキムヨナ選手は韓流ドラマの如く激しい情熱の民族の血であり、恐らく浅田真央選手というライバルに対する感情が周囲の反日感情などに押される形で、彼女をトップアスリートに押し上げた面もあると思われる。

 ただ彼女自身は恐らく反日感情的な怨念を競技に持ち込みたくない面もあると思われ、彼女の選曲は情念的なものを排したスタイリッシュな選曲が多く、相手を倒すというより相手に関係なくエリート的にトップになりたいという姿勢が選曲からも見てとれる。

 それに対して日本の浅田真央選手を支えているのは恐らく亡くなった母親への愛情であり、それが彼女を支えるエネルギーとなっているように思え、それが選曲や演技にも表れているような気がする。
 競技経歴を見ても浅田選手が一番伸びたのは母親との闘病生活時代が一番伸びていた時期でもあるような気がするのである。

 その感情エネルギーの方向は恐らく来シーズンの選曲から見る限り今でも変わっていないのだろうと思われ、浅田選手が最近発した言葉を拾ってみても「結婚して子供を産みたい」であり、男性への愛ではなく亡くなった母に近づきたいという意識があるのだと思われる。

 まあ浅田選手も安藤選手のように男性への愛に生きる心を注ぎ込むような状況になったら彼女の演技もまた一皮むけて違うものが出て来るかもしれないが、母親への気持ちがそれをさせないであろう。

 ただ、今回の安藤選手の出産ニュースは母を目指す浅田選手にとっても多大なる刺激を与えるような気がしており、ラストシーズンとなると言われる来シーズンの浅田選手の演技に変化があるのかも知れない。

 人として愛に生きる人たちのスポーツだからこそフィギュアスケートは面白く美しいのである。

フィギュアスケートと音楽(2010年2月25日記)

自己満足な東京五輪誘致

2020年のオリンピックに東京が再び立候補し、オリンピック委員会に申請書を提出したというニュースが入ってきた。

 まあ誘致活動そのものには反対はしないのだが、ニュースを見る限りどうも訴えるコンセプトにインパクトがない。

 東京オリンピックを積極的にやろうという思わせる動機に欠けるのだ。

 確かに東日本大震災からの復興というのは一つの動機づけにはなるが、今回開催しようとしているのは東京であり、東北ではないが故に微妙に焦点がぼやけてくる。

「何故、東京なのか」という報道陣の問いに対して、今回招致委員会が掲げたテーマは「日本復活五輪」と「東京の都市力を世界に示す」ということなのだそうだが、これはどうも自己満足な言葉にしか聞こえない。

 もちろん日本人にとって、オリンピック開催を東日本大震災からの復興や経済低迷からの復活の足ががりにしたい気持ちは十分理解できるが、実はこのこと自体は世界から見ればある意味どうでもいいことなのである。
 まあ世界の国々は日本の震災に対し道義的人道的立場から復興を願ってくれているかもしれないが、それが単純にオリンピックという形に結びつくとはどうも考えにくい。

 つまり復興はして欲しいが、それは一般的人間の慈愛であり、そこにオリンピックを開催する意義までは見いだせないのではないかと思われる。

 また同様に「東京の都市力を」と言われれても、やはり世界の人にとっては東京に都市力があろうがなかろうがどちらでもいいことなのであり、そこにオリンピック開催の意義を見出すのはとても難しい。

 いずれにしても結局は東京の自己満足な主張でしかなく、今回東京で開催することが世界の人々にとってどういう意味があるか?という点がまるで考慮されていない。

 この点を考えると、「南米初のオリンピックを!」と掲げたリオデジャネイロに負けた2016年の開催地争いの反省がどうも生かされていない気がする。

 結局、東京が過去の「都市力」のストックを引っ張りだして使うだけでは、初開催を目指すイスタンブールなどとの争いに開催意義で負けてしまうのは目に見えていて、施設状況などで質的に他の都市を上回っているなどと考え楽観視するのは傲慢な考え方としか言えないであろう。

 じゃあ、どういった点をPRすれば東京に意義が生まれるか?

 非常に難しい話だが、やはりオリンピックぐらい大きなイベントの誘致には、世界の人が一目置くような東京から世界に向けて発信できる新たな価値を生み出していかなくてはいけないのだと思う。

 それはコンパクト五輪などといった、小手先のテクニック的な話ではなく、世界の人の心に届く理念なのではないかという気がする。

  例えば、前回もある程度あった環境関連のコンセプトをさらに推し進め、コンクリートではなく「木」の文化によって地球にやさしい街づくりをPRしたり、屋上緑化推進による省エネ都市の実現、さらには都市における森の再生事業、スポーツの自然への回帰などをテーマにして、震災から復興段階にある現在だからこそ取り組めるテーマを見つけ、実際の都市再生と両輪で五輪誘致を推し進めるべきなのではないかと感じる。

 そして先進国にも発展途上国にも見習ってもらえるような市民の知恵を生かした都市の豊かさと自然保護が共存できるモデルケースを目指し、そこでのオリンピック開催を訴えれば、それなりの開催意義を感じてもらえるのではないかと思う。

 故に今回のオリンピック誘致があろうがなかろうが、その理念を実現するための努力が必要であり、それを実現させるんだという気概を都側が見せ、都民がそのことにプライドを持って取り組めるような土壌が醸成されれば、この街をオリンピックを通じて世界に見せたいという雰囲気も生まれ、そうすれば自ずとオリンピックもついてくるのではないかという気がする。

 戦後復興の最中に開催した前回の東京オリンピックもそんな雰囲気があったのではないかと想像する。

  とにかく今のような過去のストックに頼った小手先の自己満足な誘致活動では、東京の再生もオリンピック誘致も駄目なような気がする。

 オリンピックは挑戦する姿が人を惹きつけるということを忘れちゃいけない。