自己満足な東京五輪誘致

2020年のオリンピックに東京が再び立候補し、オリンピック委員会に申請書を提出したというニュースが入ってきた。

 まあ誘致活動そのものには反対はしないのだが、ニュースを見る限りどうも訴えるコンセプトにインパクトがない。

 東京オリンピックを積極的にやろうという思わせる動機に欠けるのだ。

 確かに東日本大震災からの復興というのは一つの動機づけにはなるが、今回開催しようとしているのは東京であり、東北ではないが故に微妙に焦点がぼやけてくる。

「何故、東京なのか」という報道陣の問いに対して、今回招致委員会が掲げたテーマは「日本復活五輪」と「東京の都市力を世界に示す」ということなのだそうだが、これはどうも自己満足な言葉にしか聞こえない。

 もちろん日本人にとって、オリンピック開催を東日本大震災からの復興や経済低迷からの復活の足ががりにしたい気持ちは十分理解できるが、実はこのこと自体は世界から見ればある意味どうでもいいことなのである。
 まあ世界の国々は日本の震災に対し道義的人道的立場から復興を願ってくれているかもしれないが、それが単純にオリンピックという形に結びつくとはどうも考えにくい。

 つまり復興はして欲しいが、それは一般的人間の慈愛であり、そこにオリンピックを開催する意義までは見いだせないのではないかと思われる。

 また同様に「東京の都市力を」と言われれても、やはり世界の人にとっては東京に都市力があろうがなかろうがどちらでもいいことなのであり、そこにオリンピック開催の意義を見出すのはとても難しい。

 いずれにしても結局は東京の自己満足な主張でしかなく、今回東京で開催することが世界の人々にとってどういう意味があるか?という点がまるで考慮されていない。

 この点を考えると、「南米初のオリンピックを!」と掲げたリオデジャネイロに負けた2016年の開催地争いの反省がどうも生かされていない気がする。

 結局、東京が過去の「都市力」のストックを引っ張りだして使うだけでは、初開催を目指すイスタンブールなどとの争いに開催意義で負けてしまうのは目に見えていて、施設状況などで質的に他の都市を上回っているなどと考え楽観視するのは傲慢な考え方としか言えないであろう。

 じゃあ、どういった点をPRすれば東京に意義が生まれるか?

 非常に難しい話だが、やはりオリンピックぐらい大きなイベントの誘致には、世界の人が一目置くような東京から世界に向けて発信できる新たな価値を生み出していかなくてはいけないのだと思う。

 それはコンパクト五輪などといった、小手先のテクニック的な話ではなく、世界の人の心に届く理念なのではないかという気がする。

  例えば、前回もある程度あった環境関連のコンセプトをさらに推し進め、コンクリートではなく「木」の文化によって地球にやさしい街づくりをPRしたり、屋上緑化推進による省エネ都市の実現、さらには都市における森の再生事業、スポーツの自然への回帰などをテーマにして、震災から復興段階にある現在だからこそ取り組めるテーマを見つけ、実際の都市再生と両輪で五輪誘致を推し進めるべきなのではないかと感じる。

 そして先進国にも発展途上国にも見習ってもらえるような市民の知恵を生かした都市の豊かさと自然保護が共存できるモデルケースを目指し、そこでのオリンピック開催を訴えれば、それなりの開催意義を感じてもらえるのではないかと思う。

 故に今回のオリンピック誘致があろうがなかろうが、その理念を実現するための努力が必要であり、それを実現させるんだという気概を都側が見せ、都民がそのことにプライドを持って取り組めるような土壌が醸成されれば、この街をオリンピックを通じて世界に見せたいという雰囲気も生まれ、そうすれば自ずとオリンピックもついてくるのではないかという気がする。

 戦後復興の最中に開催した前回の東京オリンピックもそんな雰囲気があったのではないかと想像する。

  とにかく今のような過去のストックに頼った小手先の自己満足な誘致活動では、東京の再生もオリンピック誘致も駄目なような気がする。

 オリンピックは挑戦する姿が人を惹きつけるということを忘れちゃいけない。



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