フィギュアスケートの安藤美姫選手が突然4月に出産していたと告白し、世間が大騒ぎになっている。
報道番組内で「スケートよりこの命を選んだ」と発し、賛否両論色んな反応が聞こえるが、私はこの彼女の出産を聞いてそのニュースに驚きはしたものの、妙に納得感があった。
何故なら、フィギュアスケートはスポーツと言いながら、テクニカルの要素の他に表現の要素を多分に含む競技で、その表現力には選手本人が持っている感情の情緒性が大きく影響するからである。
つまりアスリート的要素の他に、女優的要素(男子もいるが)が必要とされるのがフィギュアスケートの世界であり、とりわけ安藤美姫選手のその情念的表現力と言うのは、現役選手の中でも群を抜いており、彼女が他の選手よりも感情的な面での熱さを持って滑っているのだということは、演技を見ていれば分かるのである。
安藤選手は競技生活のピークだった数年前にモロゾフコーチとの関係が噂されていたが、そのことについて番組のインタビューで彼女は「彼がリンクのサイドにいると力強かった。練習でダメでも、本番でできる気持ちにさせてくれる存在だった」と答えており、この時点で彼女がスケートへの情熱よりも愛の存在が競技生活を支えていたと捉えることができる。
そんな安藤選手が、ある意味コントロールしきれないほどの感情を愛に注ぎ、恐らくモロゾフコーチと別れた後もその愛を引きずり、その愛の力の勢いで妊娠・出産に至ってしまった結果になったことは、別に驚きでもない。
まあ現代社会における突然の妊娠はアスリートとしてだらしないとかなどの非難の声は確かにあり、周囲に迷惑をかけた面も多大にあると思うが、恐らく自分の情熱に従って生きてきたのが彼女の生き方であろうし、それを抑え込めるくらいなら逆にスケーターとしても大成していなかったように思うので、今回の結果はある意味必然であったように思う。
そのくらいフィギュアスケート選手には愛情的情緒の問題がつきまとい、フィギュアスケート競技のトップ選手には個人の愛情面にまつわる話題がほかのアスリートよりも多いのである。
例えば日本の男子も現役中にも関わらず近年次々と結婚を発表しているし、国外では同性愛者をカミングアウトしているトップスケーターも多く、我々のようなストレートな感情よりも自覚的な分だけ情熱は強いのだろう。
また女子のキムヨナ選手は韓流ドラマの如く激しい情熱の民族の血であり、恐らく浅田真央選手というライバルに対する感情が周囲の反日感情などに押される形で、彼女をトップアスリートに押し上げた面もあると思われる。
ただ彼女自身は恐らく反日感情的な怨念を競技に持ち込みたくない面もあると思われ、彼女の選曲は情念的なものを排したスタイリッシュな選曲が多く、相手を倒すというより相手に関係なくエリート的にトップになりたいという姿勢が選曲からも見てとれる。
それに対して日本の浅田真央選手を支えているのは恐らく亡くなった母親への愛情であり、それが彼女を支えるエネルギーとなっているように思え、それが選曲や演技にも表れているような気がする。
競技経歴を見ても浅田選手が一番伸びたのは母親との闘病生活時代が一番伸びていた時期でもあるような気がするのである。
その感情エネルギーの方向は恐らく来シーズンの選曲から見る限り今でも変わっていないのだろうと思われ、浅田選手が最近発した言葉を拾ってみても「結婚して子供を産みたい」であり、男性への愛ではなく亡くなった母に近づきたいという意識があるのだと思われる。
まあ浅田選手も安藤選手のように男性への愛に生きる心を注ぎ込むような状況になったら彼女の演技もまた一皮むけて違うものが出て来るかもしれないが、母親への気持ちがそれをさせないであろう。
ただ、今回の安藤選手の出産ニュースは母を目指す浅田選手にとっても多大なる刺激を与えるような気がしており、ラストシーズンとなると言われる来シーズンの浅田選手の演技に変化があるのかも知れない。
人として愛に生きる人たちのスポーツだからこそフィギュアスケートは面白く美しいのである。
フィギュアスケートと音楽(2010年2月25日記)