Yearly Archives: 2007

第九の習慣のない中国

12月に寒さは一段と厳しさを増してきたが、日本にいたときのようなせわしさはどうも感じない。まあ上海なんぞは一年中人間がうようよしているし、中国人にとっての本当の新年は春節であるので、12月だからといって特に変わる部分もないのかもしれない。
 そのせいであろうか、こちらにいる私もどうも年の瀬という意識がない。
 日本のような特別なクリスマスセールの賑わいもなければ日本の風物詩ともいえる第九も、こちらのそんな季節感の中ではまったく聞こえてこない。
 上海で演奏されるクラシックの演奏会のプログラムをみてもやっぱり第九は見あたらない。最近はヨーロッパでも日本の影響を受けてか年末に第九を演奏する習慣が生まれつつあるらしいのだが、いまだベートーベン全盛の中国のクラシック音楽事情においても、第九の特別の位置づけは感じられない。これは新年の時期が違うからであろうか?いや違う春節前にだって第九なんぞ聞かれやしない。

 実は第九という交響曲の中身を考えてみるとその答えが見えてくる気がする。第九の全4楽章の構成は、一楽章二楽章三楽章と悩み・苦悩・回顧の過程を経て、それをつきぬけ歓喜の歌にたどり着くという構造をもった曲である。つまり苦悩、苦悶の過程を経たものにしかその歓喜は味わえないような曲なのである。
 日本人は正月を迎えるために、12月にその一年の集約を求めようとする。一年を振り返り10大ニュースをつくってみたり、テレビ番組や音楽関係の授賞式も集中的に行なわれ、ボーナスや個人所得の年末調整など12月に一年のまとめがどっと集中する。それ故あの第九の最後の追い込みのようなメロディが非常によく似合う。
 ところが中国では、まず過去を振り返るという習慣や意識が基本的に薄く、それ故現在が過去の積み重ねという意識もない。さらに未来へ進むための苦悩・苦悶という言葉には縁遠い気がする。中国人だって悩まないことは無いだろうが日本人が経験するそれとはどうも次元が違うようである。従って同じ新年を迎えるという状況においても、日本人は過去を整理して保存しようという意識だが、中国人は過去をきれいさっぱり捨てて新年を迎えようという意識のような気がする。
 そんな発想の中国人にはどうも第九の理念はしっくりこない。そこが中国に第九が根付かない理由かもしれない。

フェリーで黄浦江を渡る

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以前から乗ってみたいなと思いつつ、なかなか機会を見つけられなかったのだが、今日久々に外灘まで出向いて、挑戦してみることにした。外灘の観光客相手の豪華な仕様の客船と違い、こちらは完全に庶民の足として利用されている、いわゆる「渡し舟」である。
 乗り場も大通りから少し引っ込んだところにあり、バスの起終点ともなっているようで完全に市民の足のネットワークに組み込まれている事がわかる。
切符はバスの始発駅のような鉄格子に囲まれた販売所で売っているが、私は交通カードを持っていたので改札口のようなところを通過する時に、バスに乗車する時と同じ様に、カードをかざせば通過できる。ただしここで注意が必要なのは、バイクなども同じ渡し舟に乗るので、それぞれに読み取り機が別に設置されており、かざす機械を間違えてしまうと高い料金が加算されてしまうので、よく確認してからカードをかざした方がいい。大人一人0.5元!安い!

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そして、実際の船はいたって簡単な構造で、屋根付のタグボートとのような、何の敷居もない人とバイクと荷物が混在するような空間が存在するだけの船であった。その空間の端にお年寄りなどの身体的弱者のための気持ちばかりのベンチはあるが、それ以外は何にもない、ただ立った状態で向こう岸に着くのを待つしかない空間である。まあお世辞にも綺麗な空間とは言い難い。
ここへ来る前は、香港の香港島と九龍半島を結ぶスターフェリーのようなものを期待していたが、見事に期待を裏切られたというか、ある意味想像通りというか中国的な渡し舟以上のものではなかった。
船に書かれている定員をみると1000人と書いてある。実際1000人が乗る事はないであろうが、ここに1000人乗った状態を想像すると、とても恐ろしい状況だ。遭難船から避難したボートの状態よりひどいかもしれない。
出航ベルがなると、自動ドアならぬ自動鉄格子ががーっと音をたててしまり、さながら奴隷船のイメージが先にたってしまう。

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こんな船だがやっぱり黄浦江を渡る時間は川面を渡る風が心地よい。近くに外灘と浦東の空間が見え、黄浦江を行き来する貨物船の姿もよく見える。反対岸まで10分にも満たない短い時間だが上海の都会にあって、貴重な心地よい時間である。
あっという間に反対岸に船が着くと、乗った側と反対側の鉄格子が開き、桟橋をわたってバイクと人があっという間に下り、ゲートを出た先に待つバスなどに人が散っていく。
こちら側でも市民の足に完全に組み込まれている。今後トンネルや橋の整備で淘汰されていく運命にあるこの渡し舟であろうが、今しばらくは市民の足として頑張ってほしいものだ。というかそれまでの間であってももう少し綺麗に欲しいものです。。。

オリンピック期間中は北京に住めない?

最近北京に住み始めた知り合いが、アパートの一年契約をしようとしたら六月までしか契約しないと言われたらしい。どうやらその大家はオリンピック期間中の相場を見て、値上げするかホテルとして貸し出すことを目論んでいるらしい。確かにオリンピック期間中はどの開催国も開催期間中はホテルの価格が高騰する。だからある程度の値上げは目をつぶろう。しかし一般住民のアパートまで値上げされたらたまらない。オリンピックがあろうが無かろうが北京に住む人間の生活は変わらず存在し、オリンピックがあるからといって収入が増えるわけではないので、家賃が払えず住み続けられない人が北京を捨てるかもしれない。都市機能というのは役所の人間から掃除のおばちゃんまで非常に複雑な社会構成の上で成り立っている。だから家賃の値上げによって北京から貧しい人が住み続けられないような状況になれば、実は北京という街そのものが機能しなくなるかもしれない。そうなればオリンピックどころではない。

そういえば先日行なわれた、北京マラソンへの周辺住民の無関心振りが、日本でも話題になっていた。オリンピックとマラソンの単独大会では規模が違うとはいえ、翌年オリンピックが行なわれる都市とは思えないほどスポーツそのものには盛り上がっていない。
 チケット販売のニュースを見ていても、買える金も持たないのに転売目的のために申し込んだ人が多数いたらしい。どうやらこの国には北京オリンピックを金儲けの契機としかみていない人が大勢いるらしい。
 オリンピックが終わったら住む人が減ってしまって街が廃れてしまったなどということがない事を願いたい。