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ようやく連敗脱出

 贔屓のファイターズがようやく連敗を9で止めた。

 とはいえ失策5という褒めるような内容ではなく、最後は相手の暴投で勝ち越しという最悪の内容で、勝ったという喜びには程遠い結果ではあったが、とにかく勝ち星がついて連敗は9でストップした。

 この連敗の間、かのチームと私の間にはプロ野球チームとファンという関係しかないにも関わらず、実は何故か私個人の事についてもチームと同期するように色んなことがうまく前に進まず、精神的にも重苦しい日々が続いていた。

 それ以前もチームが勝っている日は調子がよく、負けた日はうまくいかないというように、チームの調子と自分の調子が不思議なくらい連動していたのである。

 そしてようやく今日、実は私個人の問題にも少し解決の兆しが見えてきたかなという時にこの連敗ストップである。

 チームに入れ込み過ぎていると運命も連動してしまうのかどうか知らないが、とりあえず今日は何とか良い結果が見えたのでちょっと一安心というころ。

 是非、このまま早くファイターズもろともと一緒に浮上したいものである。


やっぱり本厄だったような

 実は私は昨年から本厄の年だった。

 厄年というのは一般的には体力的に下り坂の差しかかるところで病気をしやすいので気をつけなさいと言うことになっている。

 そう思って振り返ってみると、春節の発熱から始まり、春の鼻の手術や秋の発熱、目の腫れなど、結構体のあちこちにガタがきているなと思う面は沢山あったので本厄の年そのままだったと言えなくない状況になっている。

 そして明けて先日も発熱。

 ということで言えば、旧暦で言えばまだ厄年は終わっていない。

 実はその後の後日談もあり、金曜の夜の食事後に食べた物を吐いてしまうような事態もあり、実はまだ体調が安定している訳ではない。

 どうも胃が本調子ではない様なのだ。

 咳もまだ止まっていない。

 まあゆるりと静養するのは簡単なのだが、果たしてリハビリ的に復帰のエンジンをふかさずともいいのかなと考えてしまうが、現実そこまで体がついていきそうな感じはしないので休まざるを得ない。

 それに外に出たところで上海の大気の悪さの中では、更に体調を悪化させるのがオチだと考えるとやはり無理は出来ない。
 そんな中、土曜日に野暮用で江蘇省の田舎までちょっと足を延ばしたら、流石に上海よりは空気が綺麗で心地よく、何日か上海の田舎で休養して過ごそうか?そんな気持ちになる環境であった。

 本厄が終わる春節まであと3週間あまり、どうやら焦らずどこかで時を待った方が良さそうな気がしてきている。


買わず外れず運のうち

 そういえば日曜日の有馬記念、先日どうどうとブログに予想を書いたが見事外れてしまった。

 さすが伝統を誇る清水寺で今年の一字は伊達ではなく見事な「金」だった。

 また尖閣の周りを思えば2着オーシャンブルーも世相を反映してなくもなく、これは見逃していた。
 また選挙を振り返れば比較2位となった民主党の党カラーはブルーであった。

 さらに権威を振りかざすH市長率いるあの党は突然の選挙で今回出遅れ、何とか追い詰め2位には届かなかったものの3位に食い込んだところも3位となったルーラーシップのレース運びと重なる。

 こうやって考えると無理やりのようでも何となくストーリーが一致する。
だから有馬記念は不思議なのである。
 
 とはいえ、実は今回は馬券を依頼するのを忘れていて結局買わなかった。

 故に結果的に負けもしなかった。(笑)

 まあ予想は大外れだが、買わず外れず運のうちで損もしなかったのでヨシとしたい。

万馬券

 実は先々週に日本に一時帰国していた。
その時、ちょうど競馬のエリザベス女王杯が実施されたので親に付き合って少しだけ買った。

 すると、なんと3連単で万馬券!
が実は当たったのは父親の買った馬券であったが、私も馬連の方を当てた。

5万円当たった馬券

5万円当たった馬券

 まあ比較的に人気馬だったので私の方は馬連で1790円であり、運試し程度に100円しか買わなかったので当然リターンも1790円。

 父親の方はなんと50810円もつき、父親はこの馬券と合わせて全部で3千円程度買ったようだが、勝った単価は100円ずつなのでリターンも50810円。

 早速翌日払い戻しに行くが、馬券は払戻しと同時に取られてしまうので記念撮影というか証拠撮影。

 私の差引利益は1290円程度であるが、運試しと考えれば十分に気分がいい結果である。

黄水晶を買ってみた。

同僚が金運の効果があるというので黄水晶を買ってみた。
直径6cmのもので28元(約400円)である。

水晶の玉

水晶の玉(脇は大きさ比較のライター)

 まあこういった縁起物については自分は考え方の整理が決まっていて、この水晶そのものに特別なパワーがあると信じて買ったわけではない。

 もちろんそういった効果があることに越したことはないが、もしそんな力が実際にあるとするならば、そういった神秘的な力は諸刃の刃で有る可能性があり、プラスの作用があればどこかにマイナスの作用も生じるはずなので、どちらかというとあまり強烈な力に支配されることは好ましくない、私はそう考えている。

 ならば、どうして今回のような水晶を買ったか?

 偏に自分の心理的効果のためである。
 こういったものを買うことによって、もう少しお金に関心を持とうという心がけのための象徴のような存在として買ってみたのである。
 いつも目にする場所に置き、気持ちの中にお金に縁があるようにと心がけることによって本当にお金に縁が生まれるのである。

 実は、神社のお守りが何故効果があるのかということを、以前からよく考えていた。

 つまり、安全祈願、合格祈願、大願成就など色んな名目のお守りがあるが、別にそれらは神様の神秘的な効果が現れて願いが叶う訳ではないと私は考えている。

 お守りは単なる自分の気持ちの象徴であり、実際は自分の心がけそのものが願いを叶える、そう考えている。

 安全を祈る気持ちでお守りを持てば、常に日ごろから安全に注意をするようになりお守りがそれを思い出させてくれる。

 大願を祈って毎日お守りを懐に入れ精進すれば、大きな願いも叶うのである。

 もちろん願いが大きければ大きいほど、成就に必要な覚悟や苦労も大きくなり心が負けそうになる場合も必ずあるはずだが、そこにお守りがあれば自分の初心を思い出すことが出来て、困難を突破できる可能性を持つ。お守りにはそんな効果があると考える。

 よく値段の高いお守りは効果が高く、安いお守りは効果がないと考える人がいるがそれは大きな間違いである。

 毎月数万円のアルバイト料しか稼げない高校生が願いを込めて買う1万円のお守りと、数百億の財産を持つ人が気軽に買う100万円のお守りはどちらが効果があるといえるであろうか?
 言い換えればどちらの思いのほうが強いであろうかということになる。

 この場合、収入の大部分を使ってまで願いを叶えたい思う高校生の気持ちのほうが強いとはいえないだろうか?

 つまりお守りは値段ではなく、願いを叶えたいという気持ちに対してどれだけ自分の持っているもの、つまり時間であったりお金であったりするものを注ぎ込む覚悟をするかという決意表明の象徴であるので、表面上の単純な金額の大小ではその効果を計れないのである。

 もちろんお守りを買っただけでは効果はあるはずも無く、願いをかけた分だけの努力をしなければ大願だけではなく小願も叶うはずもないことは言うまでもない。

 また大願という程でなくても、安全祈願の面でも日々の心がけを大事にすることが結果的に自分の身を守ることになる。

 そのいい例が工事会社の安全祈願で、日本の工事会社は毎朝の安全祈願を欠かさず行っているが、たまに榊の水を替えるのを忘れたり、どこかの段取りに手を抜いたときに限って実際に事故が起きてしまうそうだ。
 もちろんそれは神様の神秘的な力のいたずらでもなんでもなく、安全に対する人間の僅かな気の緩みが社内のどこかに生まれている影響で事故が起きてしまうのである。

 つまりそういった日常の安全に対する僅かな心の緩みを生み出さず、緊張感を保つために彼らは毎朝の安全祈願を行っている

 逆に言うとそのくらい毎日神棚に向かって自分の心を戒めなければ緩んでしまうのが人間の心だとも言え、一見無意味とも思える形式的なことを厳格に繰り返すことにこそ実は意味が存在したりする。

 さてさて話を黄水晶に戻すが、こういった心理的願掛けとも言うべき意味で今回はこの黄水晶を買ってみた。

 決して高い金額の買い物をしたわけではないので重大な覚悟というほどの決意は無いが、それでも一種の願掛け的な意味合いを込めて買ったのは事実である。

 実際、この黄水晶を購入後から日々よい影響を願うようになったのは確かで、できることならそのままいい結果が生まれることを祈りたい。
 さてさて来年はいい年になりますように。