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緊急時の外国語アナウンスの必要性。

 上海でも東京でも、地下鉄やバスなど公共の交通機関に乗るとたいていは現地の公用語とともに、外国語として英語の自動アナウンスが流れるようにシステムが整備されている。

 ただ、この外国語放送に使われる言語の99%は日中ともに英語であり、残念ながら上海で日本語アナウンスを聞いたことはないし、日本で中国語のアナウンスも聞いたことも無く、日本の一部の列車に中国語と韓国語の表記がある程度だという気がする。

 つまりどこへ行っても英語以外の外国語の案内はほとんど無いのだが、まあ英語があればかなりの割合の外国人のはカバーできるという前提であろうし、実際英語の普及率は高いので、外国語放送はほぼ英語とされているのが今の社会の一般的慣習になっている。

 これらの英語放送によって実際どの程度の外国人が助けられているかはわからないが、現地の言語だけの場合に比べ遥かに頼りになり助けになっていると推測される。

 しかしである。

 実はこれらの外国語アナウンスはほとんどは自動放送で決められた定型句しか伝えてくれないため、平時には役に立つが、ひとたび運行に異常が発生したような時には全く頼りにならないものとなる。 

 例えば地下鉄の運行に支障が生じた際に、車掌を通じて車内放送は行われるが、これらは全て現地の言語でしかなく、車掌は英語の案内まではしてくれない。
 列車の臨時通過や運行打ち切りが決まったような場合は、非常に困ってしまう。
 こうなると言葉の分からない外国人は現地の乗客の反応を見て状況を推測するだけの行動しかとれず、何で電車は動かないのかとかいつ運行再開するのかなど、全く状況が把握できず、非常に心細い状態となり、乗り間違いや降り間違いなどが発生する可能性が高くなる。

 そして火災発生などの緊急時はもっと大変で、いまどき最小限の英語自動放送くらいはあるかもしれないが、やはり細かい指示まではとても行き届かないと思われる。
 しかし外国人にとって本当に状況を理解するアナウンスが欲しいのは実はこういった緊急時であり、判断のミスが命の危険に繋がる可能性だってあるので、状況を把握できる情報が必要なはずである。

 そうは言っても恐らく上海や東京の地下鉄運転手や車掌にそこまでの外国語能力を求めるのは酷だろうし、全ての車両に対してそんな人材を揃えるのはほぼ不可能であるのが現実である。
 まあ運営側からすれば乗客全体のほんのわずかしかいない外国人のためにそれほど投資できるはずもなく、今の時点では外国人が列車やバス乗車時に何か起きてしまったら諦めるというの現実なのかもしれない。

 ただこれは人命にかかわる大切な部分でもあるので、コストの問題はあったとしてもそれなりに何か策は講じた方がいいという気がする。

 さすがにありとあらゆる状況に対応するというのは無理かもしれないが、例えば緊急時放送用の外国語放送パターンを数多く用意したりするのは可能だという気がする。

 さらにイザいう時のために集中司令室を通じて車内へ外国語アナウンスを届けられるように、英語が出来る要員をどこかに数人待機させるとか、今の時点で考えればそんな対応なら可能ではないかと思われる。

 まあ上海なんかはまだ地震が少ないので日常の危険要因はそれほど多くないが、地震国日本の東京は2020年にオリンピックが決まったという事情もあるわけで、海外から来た外国人に対して平時だけでなく緊急時にも日本人と同レベルの情報が提供できるよう、社会の知恵を働かせてほしいという気がするのである。

左脳を休みたい。

 文章を書くにしろ計算をするにしろ、普段目一杯活用しているのは左右の脳のうち左脳のような気がする。

 日常の一日を振り返っても朝から晩まで左脳が活躍している。

 特に外国に暮らしている私としては中国を読み取るのにもやはり左脳を使う。

 一言くらいのフレーズなら直感的に右脳で拾いとれなくはないが、文章として読み取り、さらにそれを翻訳しようなどと思った時は、日本語の組み立てが始まるので左脳の大活躍となる。

 またエクセルで計算式を組む作業や、HTMLのタグを眺めるのも結構好きな方で、結局は左脳の出番であり、左脳を働かせるのは非常に好きな気がする。

 ただ夢中になっている時は非常に楽しいが、ある時突然思考回路がダウンをする。

 理論的な思考に入ろうとしても脳が拒否反応を起しているような状態になり何も手が付かなくなる時が突然訪れるのである。

 まあいうなれば脳のオーバーヒート状態ということになろうか。

 そんな時は、音楽や映像の出番になる。

 まず同じニュースでも映像つきニュースを見るようにする。

 その方が圧倒的に頭に取り込みやすくなる。

 当たり前のことだというかもしれないが、映像つきのニュースが分かりやすいのは、左脳の論理的思考の負担を軽くしてくれるからであり、映像のインパクトで記憶するのと同時に一方で左脳を休ませることができるのである。

 また左脳を完全に停止して右脳だけで映像や音楽に向き合うのも効果的で、左脳を休ませることができる。

 最近ここしばらく、暑さもあってか脳がオーバーヒート気味であり、左脳を休ませる必要があるような気がしている。

英語はもう話せない

上海生活も3年を超えてくると、上手下手は別にして中国語で話すという習慣が身についてくる。
母国語以外の外国語といえば中国語という状態になった。
まあ当然といえば当然で、中国にいるのだから必然的に中国語を使って生活している。

しかしこうなってくると時々厄介なことが起きてくる。英語の会話が全くできなくなったのである。
まあもともと英語は学生時代から大変苦手な教科で、お世辞にも上手とは言われない私の英会話であるが、これでも曲りなりに英語を使って一人でスペイン旅行をしてきており、最低限の意思疎通は行なって旅行をしてきたのだから、英語を少し話すことはできたわけである。

しかし、今となってはそれは全く過去の栄光となった。

今はもう英語を話すことが出来なくなった。とはいえ全く忘れてしまった訳ではなく、ヒアリングや読解に関しては、分かる単語量は多くないが、結構早口の英語を言われてもそれなりに相手の意図を拾うことが出来る。
しかし話すことに関しては全く出来なくなった。

何故なら英語を話そうとしても口の中から自然と中国語が出てきてしまうのである。

”Are you Japanese?”という英語の質問に”対”(dui4)とつい中国語で反応してしまう。

運よく英語で話し始めることができても、結局最後は
“7 O””clock的時候(de shi2 hou4)”
(7時頃)
と中国語になってしまう。

先日、
She is 我的(wo3de)  friend!
(彼女は私の友達)
と言われ、違和感なく英語として受け取ってしまったが、当然のことながらこれは英語では無い。

こんな状態私だけかと思ったら英語話せない病は、上海に来ている多くの日本人共有の悩みとなっているようだ。

もちろん両方悠長に使いこなす人はいるのだが、私のような中途半端な人間は結局どんどん英語から遠ざかっている。
もちろん中国語がどんどん上達しているのならそれもありだが、どちらも中途半端な状態になりつつあるような気がしてしまう。

 せめて母国語の日本語だけは忘れまいとこうやってブログなどで日本語に接している上海生活の毎日である。

原文

韓国語の勉強をまたはじめた

まあ特に大きな理由があるわけじゃないが、将来に関する漠然とした不安もあって韓国語の勉強を始めている。

中国語だってまだまだ中途半端ではあるのだが、この3ヶ国語ができるとアジアでは割と便利である。

実は韓国語は以前もかじったことがあり、文字は読めるし発音はできるので挨拶と自己紹介くらいはできる。
それに韓国料理は無茶苦茶すきだ(関係ないか、、、)

 故にとっかかりはゼロではないので根気さえ続けば、日常会話くらいはできるようになるんじゃないかとタカを括っている。
まあ年齢が年齢なので苦労するのは確実なのであるが中国語でさえ勉強を始めたのは34歳のときなので怖がる理由もない。

 幸い(というか確信犯的にだが)、以前日本で勉強していたときに初級の教科書は中国に持ち込んでいるので、当面は学習教材は何とかなりそうで独学で頑張ってみようかと思っている。韓流ドラマのDVDもたくさん売っており、そういう教材もたくさんある。

韓国語は発音に関しては中国語ほど面倒くさくないし、とりあえずニュアンスは掴んでいるのでそこで苦労はしない気がしている。単語は一つ一つ丁寧に覚えるしかないが幸いにも韓国語は中国語と日本語の中間のような存在でさらに英語などを語源とした外来語がたくさんあり、結構覚えやすい。

問題は文法だがよく言われるように語順が日本語に似ているので、ここを根気良くやれば会話にはなんとかなりそうな気がする。

まあ会話が成立するレベルに達するまで半年はかかりそうだが、会話の練習がしたければ、知り合いの朝鮮族の人や龍柏の韓国料理街など練習場所はたくさんあり、練習場所には事欠かないので上海は恵まれた環境である。

 とりあえずは足繁く韓国料理屋に通うことになりそうだが、あまりキムチ臭くなりすぎないようにだけ気をつけたい。

中国語が流暢になりつつあるのはいいが

さすがに中国に3年もいると、中国語会話に慣れてくるので、最近初対面の中国人と中国語で挨拶すると外国人だと思われなくなってきた。

 どうやら言葉の発し方がかなり自然に近くなりつつあるようだ。

 まあ上海だと地方から出てきた田舎の人も大勢いて、彼らの普通語も決して上手とはいえなく、中国人同士の会話の中でも綺麗な発音とそうでない発音があり、中国人同士でも会話に詰まるような光景を良く見かける。

 その状況を考えれば、私の中国語もそんな普通語の下手な中国人より良い状態になっているだけで、本質的に上手になったとはいえないのかもしれない。
 しかしまあ言葉がそれなりに上達しているということは素直に嬉しい限りである。

 ただこのように私の中国語が自然に彼らに伝わる回数が多くなるに比例して困ったことも多くなる。

 それは何かというと、挨拶会話の発声ばかりが流暢になっていっても、肝心の中身の語彙が余り増えていないからだ。

 こちらが挨拶で簡単な中国語を流暢に話してしまうと、先方はこいつはネイティブ中国人だと思いこんで、途端に先方の会話が早くなる。そしてどんどん複雑な話を持ちかけてくる。

「まってくれ、俺は中国人じゃないからわからない」というと途端に相手はきょとんとする。「なんだ、中国人かと思ってた」といわれる。

 まあこちらがぎこちない発音をしていれば最初から外国人と分かってもらえ、丁寧に応対してもらえるのかもしれないが、なまじっか会話のリズムだけがネイティブっぽくなっているので、相手にとってはどこまで丁寧に会話すればいいのか良く分からなくなる。
結局「お前はどうしてそんなに中国語が上手だ」といわれ、また先方の容赦ない自然なスピードの会話が始まる。

 こちらも耳はスピードに慣れてきているのと、会話の内容を勘で推量するのは得意なので会話の初期段階にはそこそこついていけるのだが、やっぱり段々と話が深くなるにつれ辛くなる。
 そして分からない言葉や、表現法を知らない言葉が出てきた途端にしどろもどろになってしまうのがいつものパターンである。結局最後は友人や同僚を頼ることになる。

 「しまった慣れる順序が逆だったか」といまさら後悔しても始まらない。会話が埋まるように徐々に語彙のほうもう増やしていくほかない。

 でも初期会話が自然だといいこともたくさんある。

 つまり日本人だとばれないのである。

 日本人とばれないと、タクシーでも商店でも無謀にふっかけられることが少なくなり、また初対面の中国人でも、外国人としての壁を感じず素直に接してくれる。 良くない対日感情を持っている人にも気づかれにくいので無用なトラブルを避けることが出来る。

 商売の相手であれば、「こっちは中国語を理解してますから、ごまかそうとしても駄目ですよ」という自然なけん制にもなり、それなりの危険回避にもなる。

 もちろん、ネイティブの中国人同士でも騙されるのが中国の社会だから、日本人だとばれなくても安心できるわけではないのだが、それは日本の一般常識で回避できる事例が大半で、治安の良い上海では常識的な行動をしている限り大怪我は少ないように思える。

 まあ中国に来てから生活の中の自然学習以外は、勉強という形で中国語に取り組んでいないので、この上のステップアップを目指すためには新たな勉強も必要だなぁと考えている今日この頃である。