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甲子園女子マネ問題に見る安易な時代錯誤論

 先日、夏の甲子園大会の事前練習において、大分高校の女子マネージャーが禁止されているグランドへの立ち入りを行なって注意されたとの報道があった。

 禁止されている理由としてグランド内は危ないから安全上の理由から女子は立ち入らせないのだという理由が伝えられている。

 これを巡って、ネット上では「今時なんて男女差別なルールなんだ」とか「男子ならケガをしてもいいのか」などと言う意見が飛び交っている。
 一見至極まともに聞こえるこれらの意見だが、私からするとあまりにも安易な時代錯誤論というか、陳腐な男女平等論に映る。

 どうも、これらの意見はこのルールが定まった本質的な理由を見誤っているという気がするのである。

 女子がグランド内に立ち入ってはいけないのは、確かに女性本人を守るという意味があるのかもしれないが、理由はそれだけではないと思われるからである。 

 つまり、全員が男子生徒で構成されている甲子園の高校野球の選手たちの中に、女子マネージャーが紛れ込むことによって高まる危険要素が別に存在すると言えるからである。

 その危険要素とは、私が推測するに男子選手たちの気が散って集中力を欠くということではないかと思われる。

 グランド内は非常に硬い硬球が飛び交ったり、バットが振り回される空間であり、集中力を欠いてちょっと気を許せばあっという間に大けがに繋がる場所である。

 数年前札幌ドームでボールに集中していなかった観客の女性が失明してしまった事故があったが、野球が行われるグランドという空間はそれほど危険と隣り合わせなの場所となっている。
 つまりそういった空間だからこそ、常に緊張感を持って動かなければならないのであり、集中力が求められる場所なのである。

 もちろん野球部の女子マネージャーをやっているような女の子ならば、本人がグランドが危険な空間であることくらいは心得ているだろうが、問題はそこではないのである。

 男子だけで練習や試合をやっている分にはグランド内でそうそう緊張感や集中力を崩すことはないかもしれないが、異性である女子マネージャーがうろうろすれば、男子たちの集中力が削がれる原因となる可能性が高いのである。

 女子マネージャー本人が危険を自覚して行動できたとしても、実はうろつかれたほうの男子は女子がいるだけ(可愛いならなおさら)で気もそぞろになるわけで、その結果集中力を欠いてケガに繋がる危険度が高まるということなのである。

 つまりかのルールは女子マネージャーの身の危険だけを心配して作られたルールではないのだろうと思われるのである。

大分高校の女子マネージャーの首藤さん

大分高校の女子マネージャーの首藤さん(引用元

 まあ自チームのマネージャーであれば日常から顔を合わせているので、甲子園だからといって突然ドギマギすることもないかもしれないが、対戦チームに可愛い女子マネージャーが現れれば、ドギマギするのが若い男子高校生の宿命といえ、理屈で整理してもどうにもならない人間の本能なのである。

 つまりそんな状態で選手がもし野球に集中せず敵の美人マネージャーに気を取られれば、怪我をする危険度が増すという話なのであって、それ故に女子の出入りは禁止するというルールなのであろうと察する。
 
 もし女子マネージャーのグランド入りを許すルールとなれば、可愛らしさを逆手に取った攪乱要員として女子マネージャーをグランドに送りこむ卑劣な学校も絶対ないとは言えず、やはり好ましくないと言える。

 こういったことから考えて行けば、男子だけで行われる高校野球のグランドに、女子が踏み入れることを禁止するルールは一定の合理性があると考えられるのであり、安易な男女平等論では片付けられないものといえるのである。

 それなのに分かったような論理ですぐに時代錯誤論や男女平等論を振りかざす世の中の反応は、どうもあまりにも安易で浅はかな反応だという気がするのである。

冬だけのうつ病

 先日、日本のYAHOOの記事の中に冬の時期にだけ起こる冬独特のうつ症状があるということが載っていた。
 冬の期間だけ、気分が落ち込んだり異様な眠さに襲われる、あるいは無気力になったり集中力に欠けるといった症状が現れ、春になると大体が自然に治癒するそうだ。

 こんな病状があるのだと知って、自分のこの冬を振り返ってみると、病気と判断される程重いかどうかはともかく、傾向として思い当たらないフシもないでもないかなと感じた。

 ここ数年冬になると、日中から眠気に襲われる度合いが異様に高く、仕事やその他の取り組みに対するテンションがやはり低かった。
 体格から来る無呼吸症候群かなと思ったが、どうもそうでもないような気がしていた。

 電話一本、メール一本の行動が、分かっているのになかなか腰が重く、体がだるくて次の一歩に対する行動が遅くなるのである。

 とくに非常に寒い日は、体温も上がらずこの傾向が特に強い。

 寒さに対する単なる怠け心とは、ちょっと性質を異にする状況で、やる気はあるのに頭と体が思うように行動できないのである。
 まるで体が熊のような冬眠状態の陥ったのではないかと感じるほどだった。

 こういう時は音楽を聴いたり、シャワーを浴びてテンションを上げるとまあそこそこの状態まで回復できるのだが、またしばらくするとその状態に戻される。

 最初はこういった症状を年齢的な体力の衰えから来るもの、或いは更年期障害の一部のようなものとも考えたりもしたが、どうも違っていた。

 今回この冬のうつ病の話を知って、自分のだるさの症状に対する一番しっくりくる答えのような気がした。

冬の上海の街中

冬の上海の街中

 治療には日光を沢山浴びたりするのがいいと言うくらいだから、冬の日照時間の減少とそれなりの因果関係がありそうで、3月くらいには治るというのも合点がいく。
 特に上海の場合は、東京よりも件の大気汚染などの影響でなかなか本当にすっきりした青空は見られず、日照時間としての実際の数字比較はわからないが、体感的には日照量がかなり少ない気がする。
 日本に帰った時に青空に感動するくらいその差があり、上海の空は常に濁りどこか重苦しいのである。

 体温が上がるとテンションが戻るというのも、冬の外気温の低下に伴う体温の低下も影響していると思われ、暖房費を気にせずガンガンと部屋を暖めて体を冷やさないようにしておいた時には、それほどテンションが下がらなかったのである。
 よって3月になると自然治癒するというのはこういう気温の面もあると思われる。

 現在3月がもう目前であり、気温が上がってきていることもあって、私自身も確かに楽になってきている実感があり、仕事に対するテンションもかなり戻ってきた。

 私の状況は、その重さはともかくこの冬に「冬のうつ病」的症状があったと考えて差支えないのではないかという気がする。

 まあこんな状況であったにもかかわらず、今年は特に大きな問題も発生せずきちんと脱出できそうだが、冬は毎年やってくるため次の冬にはどう備えるべきか、今のうちから対策を考えておく必要がありそうだ。


心の問題はやっぱり音楽で回復

 ここ一週間、宴会続きで疲れ気味ということもあってちょっと仕事のテンションが下がっていた。

 しかも睡眠を十分とってもなかなか回復できないでいた。

 体力的にある程度は回復したはずなのに、テンションがあがらない、集中できない、ペースがあがらないのナイナイづくしで、無理をしようとすればするほど空回りで前に進まない状態だった。

 おまけに鼻が詰まりグズグズになり、胸も痛い。

 全く絶望してしまいそうなくらいのテンションの低さだった。

そこで結局ここですがったのはやっぱり音楽だった。

 ここ数日も音楽を聴かなかったわけじゃないが、パソコンのスピーカーを通して聴いていたので、イマイチ頭に響いてこなかったのである。

 そこで改めてヘッドフォンを通して音楽を聴くことにした。

 さてヘッドフォンを、、とその前に綿棒で耳掃除。

 すると出てくる出てくる耳のゴミが、これもテンションを下げていた原因のひとつだったかもしれない。

 さて今日聴きはじめたのは、なんといきなりマーラーの「復活」
1時間半もかかる大曲である。

 壮大で非常に好きな曲なのだが、逆に壮大過ぎて普段の生活の中でちょっとだけ聞くというわけにはいかない曲である。

 私が持っているのは小澤征爾&ボストン響一枚きりなのだが(正確には2枚組だが)、この演奏でこの曲を好きになったわけであり、テンションを取り戻すのは十分である。

 細かい曲目解説はどこか解説資料でも見て頂きたいが、5楽章からフィナーレに向かう荘厳さはすさまじいものがあり、クリスチャンではない私もあの荘厳さの前にはアドレナリンを大量に分泌する。そのテンションといったら申し訳ないが第九の比ではない。

 かつて一回だけ舞台でこの楽章を使ったことがあるが、今になって思うと使いきれていなかったと思う。

 そしてこの曲をたっぷり1時間半聴く。集中力が必要だが気持ちが音楽に乗せられていくので全然苦しくない。そしてフィナーレを迎える。

 聴き終えた後は虚脱感というか、ある意味すっきりした気持ちになる。モヤモヤとした心が洗われたといえば正しいのだろうか。

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 誰でもこの曲で元気が出るとは思わないが、とにかくパワーは凄く鳥肌が立つほど気持ちいいので一度は体験してみてほしい荘厳さである。

 そして私はこの曲のおかげですっかりテンションを取り戻した。

 そうすると鼻のグズグズまでは取れないが、仕事のテンションは随分高まって頭が回るようになった。

 なんと肩こりや指の痛みも随分とれた気がする。

 結局は気持ちの問題だったようである。
 仕事に穴を開けたやつへの恨み辛みがが鬱積していて心が凝り固まってて、そんな気持ちが肩や指先に影響していたようである。

 うーんマーラー様様である。

涼しくなったらブルックナー

 ブログとして音楽について書くときは比較的誰にでもわかりやすい曲についてなるべく書こうと思っているが、まああまりライトな曲ばかり聴いていると思われるのも嫌なので今回はついて来れる人が減ってもいいので少し重めに、、ブルックナーの話題。

 年がら年中クラシックの曲を聴いている私でも、さすがに上海の真夏の時期にはブルックナーの曲を聴こうとは思わない。

 上海の真夏の暑さに頭も心も参っていて、ブルックナーの交響曲が紡ぎだす分厚くそして思慮深い音楽の響きに、とてもじゃないが頭も心もついていけないからだ。

上海大劇院

上海大劇院

 しかし秋に入り気温が下がり始めると、途端に頭と心の重しが取れたようにブルックナーの曲を受け入れる余裕が生まれる。

 その中でも現在はまっているのが最後の未完の交響曲である第9番である。というかブルックナーのCDはほとんど実家に置いてきてしまっていて、手元にあるのはカラヤン&BPOのブル9と、ベーム&VPOの4番くらいなものであるので仕方ない。
(肝心なチェリビダッケエディションは家でしっかり眠っている)

ブルックナーの曲は全体的にアダージョ的な雰囲気が漂っているイメージがあるが、現実的にはそうではなく、その曲に人間の内面の激しい信仰心的な動機がずっと漂う。

 とくにこの第9番は死を間近に感じたブルックナー自身が己の激しい炎を燃やすがごとく強い音を響かせる。「愛する神へ捧ぐ」と譜面に記されたとされるこの曲はそんじょそこらのロックなんぞ顔負けの非常に重厚かつ激しい音楽が展開する。

 そして断筆となった最後の楽章では死への悟りのような主題と、死が差し迫った瞬間に神の降臨のような光が差し、最後は静かなコーダで天に召されるように音が消えていく。
 そこがブルックナー好きにはたまらない至福の瞬間をもたらし、心に余韻を残す。。。

 こんな風にたっぷり60分もかかかる音楽をじっくり聴くにはやはり真夏の上海は暑すぎる。涼しくなって体力と集中力に余裕があってこそのブルックナーなのである。

 まあただ出来ることならCDではなく、いい環境、いいオケ、いい指揮者、そして良い聴衆と一緒に(ちょっとイヤミか)ナマで聴きたいというのが本音である。
 ブルックナーの響きを感じるにはやはりCDでは物足りなすぎる。。。

 

集中力を欠いたときに取り戻す方法

私はかなりの気分屋なので中国に来る前から、時々集中力を欠いてしまうことがある。

 最近は外国にいる疲労なのか、中国だから特別なのかよくわからないが仕事中にもまるっきり集中力を欠いてしまうことがあるようになった。もちろん年齢から来る要因もあろうかと思うが、元々「堅実」という言葉から程遠く「集中力だけ」で仕事を乗り切っているB型なので、集中力が切れてしまうともう全く仕事にならならない。

 それで生きていけるなら良いのだが世の中そんなに甘くないので、どうにか集中力を取りもどして仕事に集中しなければならない。

 そんなふうに気持ちがいろいろ散ってどうにもならないときに、私が集中力を取り戻すためによくやるのは、ヘッドホンで好きな曲を思いっきり大音量できくことである。

 静かな部屋で、外界からの情報をシャットダウンし、目を閉じて音楽を聴く。出来れば横になれるとなおいい。

 私はたまたまクラシックが好きなので主に使うのはクラシックの曲になるが、自分が好きな曲ならジャンルはこだわらなくてよいように思う。

 ただし、できるだけ外界を忘れるため、聴く音楽は、大音量で聞く価値のある、激しくてスピード感があり、かつスリリングな曲のほうが気持ちを集中しやすい。

 一般に静かな曲のほうが集中力をを高められると言われるが、それは普通の集中力を保てている時の話で、集中力を欠いているときは、静かな曲を聴いても重さを感じるだけで、その重さにとてもついていけない。

 集中力を欠いているときは、まず好きな音楽で「心」に活力を与えることが大事なので、心が好む曲を聴くことが必要になる。
好きな曲に心が向いて、心に活力が取り戻されたなら、あとは心が音楽を追いかけることによって自然に集中力を取り戻すことができる。
 この方法をやるには人にもよるが5分から10分以内くらいの曲が適当である。
それ以上長く音楽を聴き続けると、もともと力が弱いところからの回復なので、集中力を無駄に浪費してしまい、今度は息切れして集中力の持続性がなくなってしまうのである。

現在、私が時々この集中力ために聞く曲の一つが、グリンカ作曲歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲である。この曲は何しろ曲調が明るくて良いのである。気持ちを明るいほうへ持って行ってくれる。
なので、集中力かつ元気が欲しいときは重用している。

このような方法は以前日本にいたとき、芝居の本番の前に役者が集中力をなくしたときに、よくやらせていた方法で、目の前の状況を乗り切るには一定の効果があった。音楽の不思議な効用の一つである。
但し、この方法は一時的なカンフル剤のようなものなので、何度も連続して使える手ではなく一時しのぎと考えたほうがよい。従ってこの方法で山を乗り越えたときや、この方法でも駄目だったときは、寝れるのなら素直に寝たほうがいい。