自然災害死亡者を犠牲者と呼ぶのはおかしい

 先日も御嶽山の噴火の事故について書いた際にこの点に触れたが、世間の報道ではやたら自然災害の死亡者に対して「犠牲者」と言う言葉が氾濫しているが、どうもこの言葉の使い方は変であるように感じている。  つまり今回亡くなった方 Continue Reading →

平等ではない人の死

 御嶽山の噴火から半月以上経った今でも、未だ捜索が続いており、それに合わせて連日報道も続いている。  上海にいるので日本のテレビのワイドショーの様子は分からないが、少なくともYAHOOなどに上がってくるマスコミ報道では、 Continue Reading →

中国語は「以上」と「以下」の区別が曖昧になっている

 日本語でも良く話題になり、検索すると沢山登場する「以上」「以下」「超過」「未満」の意味合いの区分だが、どうも漢字の本場中国では、同じ漢字を使っていながらこの区分が意外ときちんと区分されて使われていないような気がする。 Continue Reading →

反体罰時代の「教鞭をとる」

 今日聴いたラジオの中で、何気なく「私は長年教鞭をとっていまして」と言う言葉を耳にした。  どうやらその方は教師をやっていた方の様だったが、私はどうもこの「教鞭をとる」と言う言葉に違和感を感じた。  確かに教師を務める人 Continue Reading →

中山公園は「ナカヤマ」か「チュウザン」か

上海・中山公園龍の夢ショッピングセンター

 上海の「中山公園(zhong_shan_gong_yuan)」の読み方である。  まあ外国の地名なので、どちらが正確などという答えも無いのだが、日本人の中でも人によってその読み方に結構違いが出てきている。  幾人もの日 Continue Reading →

落合博満さんの名言

 先日、落合博満元中日監督の名言を集めたサイトを見つけた。  落合さんは、現役時代も監督時代も一癖も二癖もある雰囲気で、その独特の考え方などから「俺流」などと評されもしたが、考え抜かれた意識から出て来る言葉は非常に含蓄が Continue Reading →