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半年で4人の若手社員がガン手術の職場

 私の職場ではなく、上海以外の友人の職場での話だが、この半年で4人もの若手同僚ががんの手術を受けたそうだ。
 しかも40歳以下の女性ばかり4人だそうである。

 その友人の職場は60人程度の会社で、工場とかの現場系ではなく、従業員60人程度の事務系の会社である。

 まああまり詳しいことは聞かなかったが、がんの種類はそれぞれ違うらしく、何かこれといって特定の原因が見つかりそうな状況では無いようだ。
 その本人も体調が本調子ではない状態が最近続いていて、そんな周りの状況もあって、得も知れぬ不安にかられて、私に訴えてきたようだった。

 しかしながら60人程度の会社で4人というのはすごい確率である。

 率にして6.7%と、1%を遥かに超える。

 日本のデータでは40歳以下の場合はがんの発症率は0.1%を少し超える程度であるようであり、1%を超えただけでも多いのに6%超えとは驚きである。

 これは何らかの特定の原因が引き起こしたのではないかと疑いをかけるのに十分に足る状況であり、単なる偶然なのかどうかは検証すべきであろうに思う。

 過去には胆管がん印刷業従事者に多発して、ようやく原因がわかったような事例もあるし、今まで知られなかった要因がありうる可能性は捨てきれない。

 職場で流行った特定の食品、あるいは職場の建物や空調環境などのオフィス環境など、調べて見る価値はあるのかなという気がする。

 その友人に対しては、不安なら上司に調査を要求し、拉致があかないなら離職も検討したほうが良いとアドバイスしてあげた。
友人の無事を祈るばかりである。


 

上海の役所は複合プリンター機が一人一台与えられている

 先日、会社の業務の都合で上海市の某お役所に手続きに行った時のことである。

 受付時間にお昼休みが有るのは知っていたが、ちょっと早めについてしまい、まだ寒い時期だったので、建物内部で待つことにした。
  私が到着した時は、案の定昼休みで、職員はほとんど席におらず、食事にでかけているようだった。

その役所は最近リニューアルしたばかりで、内装も新しく広々としており、従来の中国のお役所のイメージを覆すようなオープンカウンター形式の事務スペースとなっていた。

 で、そんな人のいない事務スペースが目に入り、かなり驚きの光景を目にした。
 なんと、事務員のデスクスペースの一つ一つに、パソコンと共に各自専用の複合印刷機が設置されていたのである。

上海の某役所のオフィス

 まさかと思い目を凝らしてみたが、やはりそれぞれ単体のプリンターではなくスキャナ付きの複合機なのである。

 なんと贅沢なオフィス待遇であろう。

 日本の一般的な小さな会社であれば、オフィス一つにたった1台の複合機というケースは少なくない。

 もちろん大きい会社であれば部門ごとに1台とかの設置基準で置かれていると思うが、すくなくとも個人オフィスを覗いて、一人1台などという環境を整えているオフィスは見たことがない。

 しかし、この上海のかの役所では一人一台の複合機が整えられたデスクがずらっと並んでいるのである。

 何とも贅沢な光景である。

 しかも中国でも既にペーパーレス化が進んでいる状況であり、プリンター自体の需要が少なくなっているのに、この状況である。
 このような状況は一般の会社での投資効率という面からは過剰としてされてしまうかもしれず、逆に褒められた状況ではないような気もする。

 では、ここでは何故一人一台なのか?

 一つの理由としては公務員としての体裁というか、面子の部分で、職員一人一人に平等な装備を準備するという考え方が基本にあり、その装備の一つが複合機ということになったのかもしれないと考えられる。

 全員に同じ環境を用意し、少なくともプリンターから遠い近いなどで作業効率に差が生じないためという配慮なのかもしれない。

 私の推測が正しければ実に社会主義的な平等主義の発想ということになろう。

 ただ管理という観点から考えれば、不正防止という意味もある可能性がある。

 複数人の共有プリンターだと責任の所在が不明確になり、不正書類の作成や、私的利用が横行する可能性があるが、個人別プリンターでは利用責任が明確になり、不正がしにくい状況になるからである。
 役人の不正浄化を進めている中国の状況から考えると、異様とも言える対策が取られる可能性は有るのである。

 まあいずれにしてもとても恵まれた事務環境を用意されている上海の役所の公務員たちのようである。

皺寄せのドミノ倒し

どんな会社でも事情はそんなに変わらないと思うが、一人の社員が休むとき余程その社員が外部に対して用意周到に手配をしておかないと、結局は社内の誰かが休んだ人間の分だけ仕事を背負い込むことになる。

 もちろん背負わされた人間とて、もともと本人の受け持ちの仕事が有るので、休んだ人の仕事を請け負った分だけ自分の仕事が出来なくなる。あるいは残業費などコストに跳ね返ってくる。

 そして、皺寄せを食った人の仕事が100%進まなかった場合、今度は更にまた別の社員にその皺寄せが行く。このように一人の人間が休むことによって他の社員にドミノ倒しのように仕事の皺寄せの波紋は広がる。しかも元々の担当ではない仕事をカバーすることになると、本来の担当が同じ仕事をするよりさらに余計に時間がかかる。
つまり影響を与える人数が多いほど、そのドミノ倒しの影響は深く大きく拡大することになる。これは企業の規模によらず同じことである。

 このことに気がつかず、休んだ当の本人が、自分の担当の仕事がカバーされたからといって、休んだことが会社に大きな影響を与えなかったと考えるのは大間違いなのである。

 まあ生身の人間であるから、病気その他の理由で止むを得ず休むことは誰にでもあり、それを相互カバーしあうのが会社という組織なのだが、そうは言っても誰でも一方的に皺寄せを食わされるのは勘弁願いたいところであり、他人の業務をフォローしたばかりに自分の仕事の成績に影響が出てしまうのは非常に具合が悪い。

 ならば休んだ人間の仕事を一切引き受けずにその皺寄せを拒否しても良いようなものだが、結局は会社という組織で仕事をする限り、そんなことをしたら対外的な信用問題になってしまうので、信用を失わないためにもそれなりにカバーせざるを得なく、結局はドミノ倒しの影響を受けてしまう。

 こういった休むことの影響の大きさを感じていない社員がもしもいたとき、早く本人に気づかせないと目先の実業務への影響はもちろんのこと、周囲に休み得だと思われたら本人と周囲のスタッフの関係が悪化し職場全体の士気に影響する。

例え休まなくても、自分が従来すべき仕事を他人に頼むことが多いような人は、相手の仕事への影響を把握していない自己中心的な意識の場合が高い。

 会社組織というのは契約という関係で成り立ってはいても、やはり人間が働いている以上、人間同士の相互信頼が大事で、助けてもらったら助け返すことが必要である。必ずしも回数の均衡は必要無いかもしれないが、一方的な負担と相手に感じさせた場合はやはり信頼関係が崩れてしまう。つまり休暇一つとっても、例え契約上認められた休暇であっても、こういった業務配慮や人間関係を無視した自己中心的な休暇取得は非常に危険なのである。

 迂闊な休暇取得をしたばかりに、その仕事の皺寄せがドミノのように巡り巡って本人の肩を叩くことがあるのかも知れないのが会社という組織であり人間の社会であろう。
 こういった社会関係に対するの基本的な認識の足りない大人が、最近増えているような気がする。

 
原文

SOHOの限界

 インターネットが普及し、IT技術が発達しつつある現代のビジネスシーンにおいて、SOHOというワークスタイルが理想だという言葉がよくきかれる。
 SOHOとはつまりスモールオフィスホームオフィス(Small Office Home Office)の略で、IT技術の発達により今までのように都心のオフィスにわざわざ人が出勤しなくても、ネット回線を通じて情報のやり取りを行なえば、大きなオフィスは必要なく、それぞれの自宅で仕事をすればよいといった意味で、将来のワークスタイルの理想像としてこの言葉が扱われている。

 確かに現代社会においてはそれだけのIT技術が発達し、中国においてでさえブロードバンドや3Gモバイルがどんどん普及しているので、それらを可能足らしめる十分な技術環境がほぼ整いつつあるとはいえる。

 しかしながら、ここに一つの視点の落とし穴がある。

 このSOHOというワークスタイルは、個人事業主など労務管理の必要なく、結果のみが問われる場合においては非常に有効だと思われるが、そうではなく一般的な労使関係で雇用される従業員やそれらを抱える会社組織に対して適用するにはあまり適当では無いということだ。

 言うまでもなく会社組織というのは専門性の組織連携によって生み出される合理性が、個人で仕事するよりアドバンテージがあるので会社組織という経済単位が生まれているだが、その会社組織が会社として機能にするためには、必ずといっていいほど綿密な連携が必要となる。
 この点においてはオフィススタイルがSOHOに対して圧倒的優位性をもっているのは自明の理である。

 しかしながら、現在では既に同じオフィス内にいても情報のやりとりをメールのみで行なう場合も多く、必ずしも対面で仕事をしているわけではないので、もしこれがSOHOに置き換わっても基本的に業務効率の面でそれほど大差ないようにも見える。
 しかし残念なことに、これをSOHOに置き換えてしまうと、同じオフィス内でメールだけで仕事をする場合に比べてもさらに業務の効率性は落ちてしまう。

それは何故か?

 実はそこに大きく人間的要素が介在するからである。
つまり「できる」ことと「やる」ということは同じでは無いということである。
技術的に可能だということと、それを実行するということの間には大きな隔たりがあり、実は働く人間のモチベーションによってこの溝が埋まるかどうかが決まる。
 
 オフィスに出勤すれば、必ず他の社員の目があり、少なくとも自宅にいるよりは緊張感を持って仕事に取り組むことになる。また時間管理の面でも朝決まった時間に出勤し決まった時間に退勤するというコアの時間があるとないとでは、生活リズムの面でもやはり業務に対峙する姿勢が異なってくる。

 また単純に業務環境の面でも差が大きく、モバイル機器がどんなに発達しても、やはり外部環境とオフィス内とでは業務効率がまるで違うし、喫茶店の中でオフィスと同じ緊張感と効率で仕事に取り組める人もそう多くはあるまい。

 自由に開放された緊張感のない中で仕事をすれば、例えクリエイティブな仕事であったとしても人間の心は楽なほうに向かい、自制が甘くなる。

 これは自分ひとりしかいない個人事業主でも同じことのようで、時間を決めずのべつ幕無しに、仕事だかプライベートだか分からない時間を過ごしていると結局は業務効率が低下してしまう。よって彼らの中には仕事とプライベートをきっちり分けるために、業務時間を設定したり自分ひとりしか出勤しないオフィスであっても自宅とは別にオフィスを設け仕事をしているという人もいる。

 つまり、SOHOを成立させるためには、働く人間がモチベーションを維持しながら働ける状態を整えることが必要条件となる。

 この点、個人事業主なら仕事の成果がそのまま自分の生活に直結するので他人に言われなくてもモチベーションを維持できるが、会社組織の中の一般従業員にこれを適用するには少々難がある。
 月給制や時給制の中では、余程きちんと成果を管理する体制をとらない限り、人目から隠れて楽をしようと考えるのが人間の自然な心理である。どんなに真面目に仕事に取り組んでいるつもりでも、いつでもできるという心の隙が油断を生む。

 このような会社組織の一般従業員にSOHOを適用するには、他人の目がなくても業務時間を守れるほどの動機付けが必要になる。例えば生活に影響するほどの成果主義評価制度を導入するとか、社員を社内個人事業主的な扱いをするとかを考える必要がある。

 これらの条件を整えず、ただ野放図にモバイルだのITだの技術を過信しSOHOを推し進めたところで、結局は業務効率が落ち理想のワークスタイルは絵に書いた餅となる。
 放っておけば楽をしたがる働く人間の特性を考えず、IT技術の面だけでSOHOを語っても限界がある。

意味無い会社の冷房

 新オフィスに引っ越してからようやく、快適な業務に従事できる!と思っていたら、どうやらまたもや体感温度格差による被害に逢ってしまい結局は自分にとって快適な環境になっていない。

 女性のほうが冷房に弱く、男性の方が暑がりであることは去年のブログにも書いたと思うが、その図式が新オフィスにもそのまま持ち込まれてしまった。
 しかも女性陣は日の当たらないオフィス内部に配置され、私はというと外部環境の影響をモロに受けてしまう窓側に座している。

 そもそもこの配置自体が間違いではないかと思うが、女性陣の一人に目が悪い人がいて、窓際だと太陽光の影響で業務に支障があるというのでそのグループを窓際から離すために現在のような配置になった。

 そして私の出勤する時間は朝でも既に暑いので、会社までたかが10分ほど徒歩通勤とはいえ、暑くなり汗をかいてしまう。
 故に会社についた途端ひんやりした空気を求めて冷房を強くする。ところが後からやってくる女性陣は同じように汗をかいて出社してくるものの、冷房の冷気はどうやら苦手のようで、会社に着いて何分も経たないうちに空調を弱めたりすぐに切ったりされてしまう。

 こうなると私のほうはたまらない。まだ汗が完全に引いてないタイミングで空調を切られてしまうと汗が止まらない状態になる。
さらにお昼にかけて気温が上がるにつれて室温も上がり、私は窓際ということもあってどんどん暑さを感じ始めるのだが女性陣は一向に気にならない様子で私だけが汗をかきせっせと団扇を仰ぐ状態になる。

 もちろん外部が暑い日はさすがに女性陣も暑さを感じるようで冷房のさすがにスイッチは入れるのだが、私が納得するような温度までは下げてくれない。結局はまた団扇で扇ぐ。

 そんな暑い状態では結局頭も働かずボーっとしてくる。おまけにパソコンさえも暑さのおかげで動作が鈍ってくる。

 こうなると私にとって会社の今の冷房はは全く意味のない存在でしかない。もちろん全くかけないよりはマシかもしれないが、労働効率の向上にとても寄与しているとはとても言い難いのである。

 そもそも私は家で作業しているときは冷房を非常に強くし、おおよそ24~25度を保って作業している。このくらいの温度が汗もかかず、頭も非常に回転するので都合がいい。もちろんパソコンもフル稼働させても問題ない快適な温度である。

 故に自宅での作業は非常に能率がよい。そんな環境から会社に出勤しても暑いだけで効率よく仕事をこなせるわけがない。

 つまり夏場は私にとってオフィスに出勤することにあまり意味が無く、自宅で作業したいこと然りなのであるが、会社に所属する身分である故に毎朝出勤している。

 しかしながらあの暑いオフィスで仕事をしなければならないと考えると出勤自体が憂鬱でもある。

 なぜ神様は男女の体感温度を平等に作ってくれなかったのか、恨むこと然りである。