Tag Archives: 集団

待機指示の重要性

 あいまな指示の話の続きだが、仕事やイベントにおいて大勢の人が時間や行動を共有し進行する上で大事な指示のひとつに「待機指示」というものがある。

 文字通り「待機していなさい」という意味の指示であり、ある意味「何かをしろ」という行動を促すための指示とは真逆の指示となる。

 しかし、これは特に集団に相対するときに重要な指示となる。

 つまり指示する相手に、どう行動していいのか分からなくなるような中途半端な時間を与えないための指示であり、今は集団の行動に従う時間なのか個人の自由で行動していい時間なのかをはっきりさせるための指示である。

 最近何度か中国の結婚披露宴に参加して感じたことだが、中国の披露宴の司会者は「拍手をしてください」などの「行動指示」はするものの、この「待機指示」についてはほとんど気を配らず指示が出ない。

 故に参加者にとっては今がイベントの時間なのか、休憩の時間なのか判断できない空白の時間が度々生まれており、トイレや電話をかけに行ってもいいのかよくわからないアイドル状態になることがしばしばになっていた。

dsc08193

 まあ、イベントのタイミングであろうがなかろうが集団の中でも平気で個人行動ができる中国人達にはそのような「待機指示」は無意味なのかも知れず、故に司会者も指示しないのかもしれない。

 しかし周囲の流れに気を遣う我々日本人にとってはその指示は重要で、結婚披露宴のような特別な儀式の中では司会者の指示に頼るほかないので、その指示があいまいだととても行動に困るし、精神的に無駄な神経を使うことになる。

 このような結婚披露宴の参加者群という訓練されていない人の集団をまとめるには、やはり司会者などの取りまとめ役から動と静の切り替えの指示は必ず必要で、アイドル状態の空白の時間を作らないのがイベントの司会者の大事な仕事の一つとなる。

 つまり結婚披露宴で言えば「いましばらくご歓談ください」という司会者の一言は、くだいて言えば「次にタイミングを指示するまでの自由な時間ですよ」という意味になり、参加者たちにとっては拘束から解放される時間となり安心感をもたらす。

 まあ中国人達がこういった待機指示の重要性を理解していないのは、何も披露宴の司会者に限らず一般社会の仕事の中でも同様なようで、中国人達は「あれをしろ」「これは止める」の指示は出来ても止めた後のフォローをしない、つまり待機指示がなく放置状態となる場合が多々ある。

 止めさせたのだからいいのだというところで相手が思考の外に出ているのだ。

 つまり相手が「待機」という稼働状態であることへの理解が出来ていないのだと思われる。

 しかし集団が一つの行動をするためにはこの「待機指示」はやはり非常に重要である。

 中国人はスポーツにおいて団体競技が苦手といわれるが、こういった他者の状況の把握と指示という意識に欠けてしまえば、集団での行動がぎくしゃくしてまとまらずに力を発揮できないのは当然である。

 足し算ではいえば人口的に圧倒的な力を持っている中国が、未だ日本に及ばない面があるのは国民のこういった集団への気配りの差のような気がする。
 

日本人の博士は使い物にならない

 先日、日本のラジオ番組で社会学者の宮台真司さんが言っていたことだが、日本では政府が一時博士号取得者を増やすべく努力を行なったのだが、ほとんど効果が得られなかったということを言っていた。

 何故ならば、日本の企業が博士号取得者をあまり使いたがらなかったたため、博士を育ててもそれを受けいれる土壌にならなかったということが大きいらしい。

 では何故日本企業が博士号取得者を受け入れないかというと、はっきり言えば日本人の博士は企業であまり使い物にならないからだとのこと。

 諸外国では必ずしもそうでもないということらしいが、日本の博士号取得者の多くはグループワークに取り組む訓練を経ていないため、組織の中での協調性がなく共同作業に向かず、企業として扱いにくいのだとしている。

 さらにその博士号をとった能力に関しても、あまりにもピンポイントな自分の研究課題にこだわるため、つぶしが利かず企業としても余程マッチングしなければ研究者としても受け入れがたいのだとしている。

 そして実際受け入れられた後でも、彼らは博士号を取ったというプライドが高すぎて、頭でっかちに理屈を振り回し企業内では持て余すケースが多いということらしい。

写真はイメージ

写真はイメージ

 実はこの状況は博士号だけでなくMBAという修士取得者にも同様の傾向が見られ、やはり企業社員としては持て余すケースが多いようだ。

 まあ、皆それぞれ称号を得るために能力を積み上げに相当の時間を使っているはずなのに、結局は使い物にならないというのは、なんという時間の浪費であろうか。
 非常にもったいないことである。

 これらの事の根本的原因は恐らく日本の教育体制にあり、グループワーク能力を育てないまま学力試験だけで評価をしてしまうが故に、社会で使いものにならない無駄な博士を生み出してしまうのだろう。

 結局は彼らは社会で受け入れられず、大学の研究機関で黙々と自分の殻に閉じこもってオタク化してしまうようなことになるらしい。

 まあ博士になるならないに限らずグループワークが出来ないのは現在の若い世代に共通することのようで、どうにかこの状況を打破しないと日本は朽ちてしまうのではないかと私も危惧を抱いている。

SOHOの限界

 インターネットが普及し、IT技術が発達しつつある現代のビジネスシーンにおいて、SOHOというワークスタイルが理想だという言葉がよくきかれる。
 SOHOとはつまりスモールオフィスホームオフィス(Small Office Home Office)の略で、IT技術の発達により今までのように都心のオフィスにわざわざ人が出勤しなくても、ネット回線を通じて情報のやり取りを行なえば、大きなオフィスは必要なく、それぞれの自宅で仕事をすればよいといった意味で、将来のワークスタイルの理想像としてこの言葉が扱われている。

 確かに現代社会においてはそれだけのIT技術が発達し、中国においてでさえブロードバンドや3Gモバイルがどんどん普及しているので、それらを可能足らしめる十分な技術環境がほぼ整いつつあるとはいえる。

 しかしながら、ここに一つの視点の落とし穴がある。

 このSOHOというワークスタイルは、個人事業主など労務管理の必要なく、結果のみが問われる場合においては非常に有効だと思われるが、そうではなく一般的な労使関係で雇用される従業員やそれらを抱える会社組織に対して適用するにはあまり適当では無いということだ。

 言うまでもなく会社組織というのは専門性の組織連携によって生み出される合理性が、個人で仕事するよりアドバンテージがあるので会社組織という経済単位が生まれているだが、その会社組織が会社として機能にするためには、必ずといっていいほど綿密な連携が必要となる。
 この点においてはオフィススタイルがSOHOに対して圧倒的優位性をもっているのは自明の理である。

 しかしながら、現在では既に同じオフィス内にいても情報のやりとりをメールのみで行なう場合も多く、必ずしも対面で仕事をしているわけではないので、もしこれがSOHOに置き換わっても基本的に業務効率の面でそれほど大差ないようにも見える。
 しかし残念なことに、これをSOHOに置き換えてしまうと、同じオフィス内でメールだけで仕事をする場合に比べてもさらに業務の効率性は落ちてしまう。

それは何故か?

 実はそこに大きく人間的要素が介在するからである。
つまり「できる」ことと「やる」ということは同じでは無いということである。
技術的に可能だということと、それを実行するということの間には大きな隔たりがあり、実は働く人間のモチベーションによってこの溝が埋まるかどうかが決まる。
 
 オフィスに出勤すれば、必ず他の社員の目があり、少なくとも自宅にいるよりは緊張感を持って仕事に取り組むことになる。また時間管理の面でも朝決まった時間に出勤し決まった時間に退勤するというコアの時間があるとないとでは、生活リズムの面でもやはり業務に対峙する姿勢が異なってくる。

 また単純に業務環境の面でも差が大きく、モバイル機器がどんなに発達しても、やはり外部環境とオフィス内とでは業務効率がまるで違うし、喫茶店の中でオフィスと同じ緊張感と効率で仕事に取り組める人もそう多くはあるまい。

 自由に開放された緊張感のない中で仕事をすれば、例えクリエイティブな仕事であったとしても人間の心は楽なほうに向かい、自制が甘くなる。

 これは自分ひとりしかいない個人事業主でも同じことのようで、時間を決めずのべつ幕無しに、仕事だかプライベートだか分からない時間を過ごしていると結局は業務効率が低下してしまう。よって彼らの中には仕事とプライベートをきっちり分けるために、業務時間を設定したり自分ひとりしか出勤しないオフィスであっても自宅とは別にオフィスを設け仕事をしているという人もいる。

 つまり、SOHOを成立させるためには、働く人間がモチベーションを維持しながら働ける状態を整えることが必要条件となる。

 この点、個人事業主なら仕事の成果がそのまま自分の生活に直結するので他人に言われなくてもモチベーションを維持できるが、会社組織の中の一般従業員にこれを適用するには少々難がある。
 月給制や時給制の中では、余程きちんと成果を管理する体制をとらない限り、人目から隠れて楽をしようと考えるのが人間の自然な心理である。どんなに真面目に仕事に取り組んでいるつもりでも、いつでもできるという心の隙が油断を生む。

 このような会社組織の一般従業員にSOHOを適用するには、他人の目がなくても業務時間を守れるほどの動機付けが必要になる。例えば生活に影響するほどの成果主義評価制度を導入するとか、社員を社内個人事業主的な扱いをするとかを考える必要がある。

 これらの条件を整えず、ただ野放図にモバイルだのITだの技術を過信しSOHOを推し進めたところで、結局は業務効率が落ち理想のワークスタイルは絵に書いた餅となる。
 放っておけば楽をしたがる働く人間の特性を考えず、IT技術の面だけでSOHOを語っても限界がある。