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ブログ書く暇があったら仕事しろ

 以前もこのブログに書いたが、鹿児島県の某市の有名なブログ市長の周辺が紛糾している。

議会に鍵をして立てこもるなど、もうおよそ末期症状といえるような様相を呈している。

 この市長、ブログでは何やら立派な意見を述べているらしいのだが、私には結局はブログでしか自分の意見を述べることのできない、社会的にチープなコミュニケーション能力しか有しない人物のようにしか写らない。

 しかも人と面と向かって満足なコミュニケーションが取れないのであるから、人として市長として満足な仕事をしているとはとても思えない。

 彼のブログがどれだけ社会的に認知されているか知らないが、今の日本の行政の仕組みの中ではブログはブログでしかなく仕事ではない。
 市長としての仕事は議会や市役所など公式な場で行われるべきであり、ブログを通して何か言ってもそれは私人としての発言に過ぎなく市民へ発信した形にはならないのである。それを業務連絡のように本人が捉えているのだとしたら勘違いも甚だしいところである。

 人を取りまとめる一組織のリーダーたるもの、組織とのコミュニケーションが取れずして組織をまとめるなどありようはずがなく、この市長のやるべき仕事はブログに一方的に自分の意見を書き殴ることではなく、自分に反対する者とコミュニケーションをとって相手の意見に耳を傾け、自分が正しいと信じる方針を粘り強く訴えていくことであろう。

そのためにはブログなど却って邪魔なのではないか?ブログを書く暇があったら市長としての仕事をしろといいたい。

 まあ意見が通らないからといってコミュニケーションを拒否して立てこもってしまうような人物では、市長どころかどんな仕事も向かないであろうから、まずはブログを捨てて社会と一から向き合うことをお勧めしたい。

そんなブログに頼られたコミュニケーションのままでは周囲が迷惑だと思う。

日本人の無責任な「お上依存気質」

日本のニュースを見ていると沖縄の普天間基地移転問題において、鳩山首相がリーダーシップ不足でずるずる支持率が低下している姿が連日のように伝えられる。

 まあ確かに彼の決断力不足がその要因にあるという面も否めないが、それ以上に個人的には彼の立場を非常に気の毒に感じる。

 マスコミや周囲の人間はこの普天間の問題を内閣に委ねながら、誰一人基地の受け入れ側に回ろうという発想の元に意見を述べていないのである。

 沖縄の負担を軽減するならば、沖縄県以外のどこかに移転させなければならない。
しかし、県外の候補地の名前が浮上するたびにその地元から反対意見が噴出してくる。日本全国どこを探しても米軍基地の移転を受けてもよいなどという自治体は全く現れてこないのである。

 つまり結局は、どこの自治体にとっても米軍基地は厄介者の存在で、貧乏くじを引くことなく問題をたらいまわししたいというのが日本全体の趨勢なのだ。
 そんな状況の中、鳩山さん一人や現政権にだけ責任を押し付けても何も始まるまい。
 
もしどこも米軍基地を受け入れないのならば、例えば米軍基地を追い出して日本の独自の安全保障でやれるのかどうか?もしそうなればきっと日本全体に必要される独自軍隊の規模は沖縄の普天間基地の規模では済むまい。

 もちろん、軍隊や自衛隊などなくても良いなどという理想論もあるが、現代社会において一つの国家が全くの丸腰状態というのも非現実的だ。

 こんな重要な国全体の安全の問題を、首相や内閣に任せっきりにして「安全は欲しいが基地は来て欲しくない。でも首相にはきちんと決断してほしい。」などと意見を述べるマスコミや国民の態度は非常に無責任というほかないであろう。

 鳩山首相に決断力がないのは、日本国民全体に決断力がないからで、彼が無責任のように見えるのは、日本国民全体がこの問題に対して無責任であることにほかならない。

そんな象徴としての鳩山さんが責められるのはやはり少し気の毒な気がする。

 全てはお上の指示待ち、悪いのはお上の責任だとする日本の国民体質はそろそろ改めたほうがいいように感じる。
 外国にいると日本人のそんなお上依存気質が良くわかる。

中国人に頼って生きるということ

 中国にいる限り当たり前のことであるが、自分が余程ネイティブな語学力を身につけない限り、周囲の中国人たちの好意なしでは無事に暮らせないということを最近ひしひしと感じるようになった。
 今でこそ、部屋探しにローカルの不動産屋を回ってもそれなりに交渉が出来るようになったが、それでも細かい微妙な点については、会社の人間や友達の中国人などを頼らないと不安を感じる場面は少なくない。

 まあそれでも現在のように一人でぬくぬく暮らしているうちは、場面場面でちょっとだけ頼れば何とかなってしまうが、将来の結婚などということを考えた場合話はそんなに簡単では無い。

 例えば、もし中国人をパートナーに選んだ場合は、どうしても生活の色々を相手の中国人に頼る場面が多くなり、そのパートナーが中国人同士で結婚するよりかかる心理的負担が大きくなることは想像に難くない。

 こちらも却って日本人同士のカップルなら、たとえ外国暮らしでも二人の生活の中は日本式で問題ないのでお互いで考えて、その二人なりに中国での生活に溶け込んでいけばいい。

 しかし国際結婚をするとなればそうはいかず、ホスト・ゲストで分ければ、ホスト側の人間が、現地での役所や対外的な手続きの一切を背負うことになる。
 もちろんゲスト側だって言葉をそれなりに覚えればそれなりの自立や生活はできるがホスト側の協力無しで大事なことを決めるのは非常に危ういのが現実である。結局はホスト側にほとんど主導権を預けるというか頼ることになる。

 そう考えるとホスト側に強いホストの奉仕精神がなければ国際結婚は成り立たないことになる。それを考えるとじゃあゲスト側はホスト側に何を与えられるのか?

それは金か?愛情か?

 まあ何を求めるかはホスト側次第であるのだが、いずれにしろホスト側に喜んで苦労させるようなものがなければ結局国際結婚は大変である。

 私が今後国際結婚をするかどうかわからないが、普段の生活も今のところゲスト側として中国人に頼らなければ生きられないのは確かで、例え結婚するパートナーでなくても何かしら世話になる場面は続いていくと思われる。
 そんな親切のお礼について「自分は相手に何を返して上げられるか?」を最近考えるようになった。考えれば考えるほど、自分には何もなくつくづく無力だなぁと感じてしまう今の上海生活である。