Monthly Archives: 6月 2009

日本退職3周年

日本の会社を退職して、今日でちょうど3周年。3年というと長いようで意外とあっという間だった気がする。

3年前退職時にもらったボーナスを使って買ったVAIOは、今も健在である。というかこれがなければこの3年間は何もできなかったのではないかと思うほど頼りきっているし、ほとんどそばを離れたこともない恋人のような存在だ。

 3年前に比べ年収は1/3まではいかないが、確実に半分以下だ。

まあ日々努力しているお陰で、最近浮上の兆しは若干見え始めている気はするものの、思ったような結果にたどり着くにはもう少し時間がかかりそうな気がする。今のままでは安定して自立した生活を送っているとは言えず、親にも友達にも迷惑をかけてばかりいる。3年間、いろんなことの基礎を固めることに時間と労力とお金を費やしてきたが、まだまだ結果にはなってかえってきていない。

 またそろそろ今までのように、一人で努力してても、一人でやれることには限界がある気がしており、もう少し周りを巻き込んだ動きをしていかないと本当の力になっていかない気がしている。

 3年前、このVAIOを買いに秋葉原に降り立った時、偶然にもあるストリートバンドがそこにいたことは今でも忘れられない。ある事情があって、品川駅の前で毎晩耳にしていたそのバンドが、その時のその曲を演奏していた。

 そういう運命的な流れを持って今この上海にいるのだと信じたい。

意気に感ず!?石原都知事の東京オリンピック招致

 2016年のオリンピック開催都市決定まであと100日を切ったそうである。

 最初に石原都知事がこのアイデアを掲げたときに、単なるパフォーマンスのアドバルーンだと皆が笑っていた。

 しかし彼は最初っから本気であったようで、国内の他の候補地との争いを勝ち抜き、更に世界の他の候補地と戦うべく着々と招致計画を進めてきた。
 最後の追い込み時期になった現在でも、石原知事は手を緩めず真っ直ぐ進んでおり、世界のオリンピック委員を説得すべく交流工作に世界中を飛び回っている。
 挙句の果てに皇太子まで担ぎ出そうという意見まで出るのだから、その本気度が伺える。

 税金の無駄遣いだの、今更意味がないだの今でも反対の声をあげる人は少なくないが、賛同する人も徐々に増えてきたように思う。

 上海の日本人の間でも、都民の会などで招致活動を盛り上げていこうという声になり、応援の声は増えてきている。

 事の是非はともかく、知事という一人の人間にこれだけ熱心な行動をされると人間はその熱意に心惹かれる部分がある。心打たれるといったら大袈裟かもしれないが、少なくとも真剣に物事に取り組む相手には真剣な姿勢で相対さねば失礼であり、その真剣さを否定するほどの理由がないならば、相手の心を認めてもいいのではないかと感ずる。

 つまり「意気ニ感ズ」という心境である。

 昨今の日本は、余りにも物事がシステマチックに完成しすぎており、お祭りなどのイベント事に対しては商業的な目的のほかは、余程の大義名分がない限り無駄遣いの声が上がりやすく、新しいことが行いにくい社会環境になっている。

 特にオリンピックのような大イベント招致に関しては、単なる商業的な目論見だけでは突破できるような状況にないのが今の日本の社会である。言い方を代えると、自分たちの力を冷静に判断しすぎて熱く可能性を追い求めることを諦めたり忘れたりして、夢を失っているのが今の日本である。

 石原都知事はそういう凝り固まった日本の社会だからこそ、オリンピックのような風を再び東京に吹き入れて、新たな活力を生み出すきっかけにしたいのではないか?
そう感じる。

 今ある反対意見というのはそういう凝り固まった社会から出る意見がほとんどのような気がするし、そういったことが分かっているから、数々の反対にもひるまずに前に進んでいるように思える。

 オリンピック招致というやり方が賢いのかはよく分からないが、反対意見がある事を分かってて、敢えて旗振り役を買って出たのは勇気ある行動だと思う。

これから人口が減少し、活力が徐々に失われていくと予測されている祖国に、オリンピックという刺激を与え、その衰退カーブを少しでも食い止めたいのが彼の気持ちであるように思う。

 また私自身も中国に来て、昨年の北京オリンピックを見て、あの活力を羨ましいと思いつつも、中国の国としての子供っぽさを馬鹿にしていた自分がいる。

 もし、日本で再びオリンピックを行なうことが叶うならば、北京のようなみっともないオリンピックではなく、それなりの活気を保ちつつ、もっと世界に対して大人の振る舞いのできるオリンピックを、日本なら開催できる、そう感じた。

 そういった成熟した大人の国のオリンピックを是非今の中国の人たちに見せてみたいし、金メダルだけがオリンピックじゃないんだとそう教えてあげたいと思って昨年の北京オリンピックを見ていた。

 石原さんの熱心な行動を見るに連れ、私のそういった想いが再び思い起こされ、彼を支持してもいいかなと、そういう気持ちに最近なった気がする。

月曜に休むな!

 日本の会社にいるときよく言われたのがこの「月曜は何があっても出て来い」ということ。

 月曜日、つまり前日は休日の土日であったわけで、仕事に備えて休養するというのが本来の休みの意味であり、週末に遊びまくり月曜日に疲れを持ち越して、体調を崩し休むなどということは言語道断であったわけである。

 故に月曜に体調を崩すというのは自己管理能力を問われ、会社の人物評価としてはほかの日を休むよりマイナスポイントが高い。

 もちろん、予め仕事を手配した上での計画休暇についてはこの限りではないが、例え計画的な休暇であっても、やはり一週間のはじめに会社にいないというのは少々印象が悪い。
 何故なら週末には予定外の状況の変化が生じやすく、その対応に追われるのが月曜だからである。それが客商売の仕事であったりするならなおさらである。
 故に月曜に休まれてしまうと、周りの同僚に負担がかかってしまい、それが続けば自分勝手なやつだと評判も低くなりがちになる。 
 
 まあ病気は日を選んでくれないので、止むを得ず月曜を休んでしまうことは仕方なくお互い様といえなくは無いが、やはりできることなら月曜を休むことは極力避けたい。それが中国であっても会社で働くときのマナーのように思える。

ぼったくり?協力会という看板を掲げる事業

先日一度ブログにも書いた通り上海には協力会や勉強会という名の元、情報交換会として中小企業の経営者などを集めて多くの会合が開かれているが、どうも会費として集めている費用と、提供しているサービスの価格バランスが取れていないような会が存在する。

 予め企業が事業として開催しているのであれば何の問題も無いが、協力会など一見非営利活動にみえるような看板を掲げているのに実は会社事業であったという会が存在するので性質が悪い。
 私が知っているある会は企業の総経理、副装経理しか参加できないことをウリにしているようだが、集まっている会社はほとんどが出来立ての中小企業であり、その他の日本人会合とその質においてあまり差が無い。

 また自主運営的な看板を掲げているが、実質的には主催者の会社の管理運営となっていて、集められる会費の発票の発行者はこの会社のものが使われている。
 この会社の発票が発行されているということは、つまり、会の収入は全てこの会社の利益になっているという意味であり、その対応から見て、この会社がこの会費収入を「会」の費用として別立てでプールして管理しているとは考えにくい。

 また会のホームページというものも存在しており、「特別会費」という名の下に、費用を取ってホームページにバナー掲示を行い、ページ作成費に充てているとされている。

 しかしその作業も実は主催者の会社内で行っており、結局は会費に名を借りた自社の利益のための作業受注の状態になっている。「特別会員」がたくさん集まらなければホームページは赤字だと主催者はいうが、もしその数が集まったときの総収入は、現在のホームページの制作費相場を遥かに上回る費用になり、とても「赤字」という状態ではなく、先の作業費も含めてほとんどがこの会社の利益になる。

 つまりは「会費」ではなく、バナーなどのネット「広告費」としてこの会社に費用を払っている状態になっているのだが、広告費として考えたとしても、参加者の人数やアクセス数を考えると相場を遥かに何倍をも上回る金額で、とても普通の広告会社が掲げられる金額ではない。結局は、ほんの少しのメリットのほかは、特別会費の名の下にこの会社に寄付をさせられているような状態である。

 これが予めこの会社の事業として看板が掲げられ運営されているものなら納得も出来るが、共同運営の名の下にこの会社が大きな利益を稼いでいるとなるとちょっと裏切られたような感覚になる。

 また特別会費を払わない普通会員とされる会員も参加できる会合の飲食費用も、どうも参加者が支払う金額とお店に支払う金額に差がありそうで、その差をポケットに入れている様子がある。

 まあ一般の会合でも、幹事の役得が存在することは良くあることで、取り纏めの手数料として幹事に幾らかの役得があってもそれは暗黙の了解で、今更目くじらを立てることでもないのだが、上述の会は表向きの事務運営費として参加会費の中から費用を取っているにも関わらず、更に裏で二重に間を抜いているような点が見えておりちょっと悪質だ。一人当たりは大した金額ではないにしろ、善意の信用を裏切られたようで日本人としてはちょっと気分が悪い。

 なぜ、このような状況があることを知ったかというと、実は無料の普通会員としてこれらの会に参加していたのだが、会場となっている飲食店の通常の料金より会費が高く設定されていたので、その点の質問と、会として上記の制作費関係の透明化を主催者にぶつけたところ、いきなり「お互いに仕事で忙しいですから、何回繰り返し説明する時間も必要もありません。申し訳ありませんが、ご理解ができないなら、退会してください。」とメールが来ていきなり会員名簿から削除されてしまった。

 どうやら図星だったようである。

 参加されているほかのメンバーは、このような主催者の目論見を、貴重な交流機会が存在するための必要悪として、その負担に目をつぶる人もいるかも知れないが、それも程度問題と、人間としての誠意の問題である。

 ましてやそのことにすら気づかされず、自社の利益を思いながら、せっせと主催者に利益を注いでいる中小企業の経営者がかわいそうでならない。

日本で11年働いたという経験の価値

 私は日本で日本人として生まれて、日本の学校に通い、卒業したあとそのまま日本の会社に就職したわけだから、日本で働いた経験があるというのは当然というべきか、意識してそういうキャリアを積んだわけではない。
 故にそれを改めてヴァリューピースとして切り抜かれてしまうととっても違和感があるのだが、こうやって外国へ来て見るとそうやって働いてきたことが一つの価値を持っていることに気づかされる。
 まあこれだけを持って求職活動をしても大した評価にはならないと思うが、実際に中国で働いていると、「仕事をする」ということに関して周りとの相対的な経験値の差が分かってしまう時がある。
 私は30代になってから中国へ来たのだが、上海に来ている現地採用の日本人は20代そこそこで中国へ来てしまっており、例え日本で働いたことがあるといってもせいぜい3年程度の経験でしかなかったりして非常に浅いものだ。
 言葉の能力の面や行動力の面では彼らに一歩も二歩も譲るが、「仕事をする」という意識の上では、まだまだ彼らは青いなと感じる部分がある。
 特に若いうちから中国に来てしまっている人は全般的にルーズな中国のビジネススタイルに慣れきってしまう場合があり、日本人といえどもどこかルーズな感覚が身についている。

 仕事の締切りに対する意識や、先の見通しの立て方や計画性、客先の難しい要求に対する応対など、お金をもらって仕事をするという価値の意識が弱く、お客の存在や会社全体の利益を忘れた仕事の仕方になってしまっている。
 そういった点が特に顕著に目立つのが、仕事の締切りに対する対応である。
期限をまたいでしまうこと自体、日本でもあることだが、日本だとその時点で説明がある。説明がなければ相手が説明を求めてくるというのが通常の対応だが、そういった仕事の基本的な「イロハ」が中国では一歩二歩くらいルーズになっている。
 それがお互いの習慣で慣れっこになっているので、例えば締め切り1ヶ月も遅れてしまえば別だが月を数日跨いだくらいの話は許容範囲になってしまっていて厳しい問い合わせをすることはまずない。
 日本だと1日でも遅れると担当者の責任問題になってしまうのだが、大手の外資系企業などはともかく、それほど大きくない企業だと管理側も含めて総じて中国的なルーズさがある。
 私も中国に来て3年が経ち、生来のルーズさも手伝って中国的なルーズさに流されそうな面もあるが、少なくとも仕事そのものを放ったらかしで無責任に忘れ去ってしまうことはなく、やり終えていない仕事はずーっと心にひっかかって残っていて余裕ができたら失礼の無いように客先に対して後処理をするようにしている。

 そういったお客の存在を意識して仕事をすることが、自分にとっては当たり前の心がけだと思っていても、日本で働いた経験が浅い人はその認識が不足している部分がある。今の中国であればそれでも通じてしまうが、いずれ上海などの大都市ではグローバルスタンダードが広がって、そのルーズさが許されない時期がやってくるはずである。そしてその変化は思いもよらず早くやってくる可能性がある。
 中国的ルーズさに一度染まってしまった日本人にとっては、環境が変わったからといって改めて襟を立て直すことは、中国人のように変化に対する適応力がないだけに、非常に難しいことのような気がする。
 こうやって将来の中国を想像して眺めてみると、日本で11年働いた経験は意外にも大きな価値を持っているかもしれないなと、中国で働いてみて改めて見つけた自分の価値である。