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都知事選挙コストは50億円!都民は究極の選択を迫られる?

 三たび舛添都知事のネタだが、つい先ほどラジオで聞いた情報によると、都知事選挙を実施するのに一回50憶円弱ものコスト(公費)がかかるということらしい。

 何故こんなにかかるのかというと、東京都は人口が多く1000万人以上の有権者を抱えているため、選挙の啓蒙から投票券の発送から投票所の設置、集計までが膨大な作業量」になり、膨大なコストがかかってしまうことのようだ。

 この都知事選コスト、本来は各知事が任期満了まで勤め上げれば、4年に一回で済むはずで、東京都の場合2011年まではこの4年周期が守られていた。

 しかし2012年暮れの石原慎太郎氏の辞任後の選挙、2013年2月の猪瀬直樹氏の5000万問題が発端による辞任後の選挙など、過去5年ほどの期間に130億円もの税金が都知事選挙につぎ込まれてしまっている。
(2012年は国政選挙と同時だったので国が一部負担して38憶程度だった模様)

つまり前回は、猪瀬氏の5000万円が原因で50億円の税金を消費した格好だったことになる。

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 今後もし、このまま舛添タタキの問題が収束せず辞任に追い込まれた場合は東京都は再び50憶の税金を選挙費用につぎ込むことになり、5000万円の出張費や数十万円の食事代が原因で再び50憶円の税金が使われるという図式になるのである。

 まさに都民にとっては究極の選択であり、これをどう考えるかはかなり難しい。

 感情論では都民の世論は舛添都知事を辞めさせたい方向に傾いていると思われるが、その原因となっている問題がコスト問題であるのにも関わらず、責任を追求し過ぎるともっとコストがかかる結果を招きかねない状況なのである。

 まあ振り返ってみれば、高額出張費も政治資金の使い道も庶民感情から乖離している内容ではあるものの、法律上では違法とまでは言えないグレーゾーンであり、50憶という選挙コストから考えればさほど大きい金額ではないともいえる。

 ならば、舛添氏には辞任ではなく誤った使い道の経費があれば返金してもらい、今後は新たに設定する新ルールで経費節約を徹底した都政運営に改めていただくのが、都民にとっても舛添氏にとっても現実的な選択となるのでは、そうラジオの中で提案されていた。

 ほぼ受け売りの意見で申し訳ないが、感情に流されず冷静に判断する必要がありそうな今回の状況となっている。

猪瀬さんの5000万の理由

東京都知事の猪瀬さんが辞任を表明した。

 言うまでもなく、辞任の理由は医療法人徳州会から受け取った5000万円の件が都政に混乱を引き起こした責任をとってとのことである。

 しかしながらこの5000万円について、都議会でイジメに近い状態で追及を受けてもなおそのお金の受け渡し理由については周りが納得できるような理由が説明されないでいる。

 本人の口からは、最初は政治資金と釈明し、すぐに個人の借入金だと訂正しているが、どうも釈然としない。

 まあ巷では、東電病院の譲渡先選定を巡っての賄賂だとかという説もあるが、当選が確実視されていたとはいえ選挙前の受け渡しであり果たしてそうなんだろうかと思ってしまう。

 一般的に政治家に渡った5000万円という数字を聞けば、誰でも真っ先に私腹を肥やすために金に目が眩んで受け取ったものだという風に見られ易いが、これまでの猪瀬さんの活動の足跡を見れば、彼はそういうお金に流されて受け取ったものとは思えないのである。

 もちろん、人間には誰でも欲があるし、最終的には誘惑に負けることが有ってもおかしくないので、いずれ事実が明らかになれば今回の件も贈収賄事件になるかも知れないが、私個人の印象ではそうではないと映る。

 またお金を送った側の徳州会側の徳田虎雄元衆院議員にしてもかなり特殊な人物であり、確かに選挙時に金を派手にばらまくなど公正な選挙という意味では酷い政治家だが、一方では弟が緊急医療を受けられず病気で死んだことをきっかけに、人口の少ない離島に立派な病院を建ててへき地医療の改善に努めており、人の命のために手段を選ばず行動していた人間で、とても単なる金の猛者と言えるような人物ではない。

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 そんな人物から猪瀬さんへ渡された5000万円にどんな意味があったのか?

 私が推測するに、猪瀬さんは都知事になるにあたって、政治家としての自信がなかったことがお金を借りた原因なのかなと推測する。

 猪瀬さんは元々作家であり、石原前知事に気に入られて副知事として重用されていたが、選挙に必要な政治的な基盤や人脈を持つ人物ではなかったという気がする。

 そこへ前知事の突然の辞任により後継者に指名され当選が確実視され、一躍政治の表舞台に直接立つことになってしまったのであるが、ただ猪瀬さん本人にとっては行政には強い意志を持ってはいるものの、政治家としては何の経験も基盤もない状態であり、特に財産や人脈などに関して非常に心もとない不安を感じた中での都知事立候補だったのだと推測される。

 ましてや東京都知事などというポジションは、東京という世界でも有数の大都市の顔でありオリンピック誘致が決まるかもしれないという時で、それなりの品格と政治力が求められるわけで、身の回りの全てに東京の顔に相応しいと箔を求められるような印象がある。

 人付き合い一つとっても内外の要人と会食したりするのに都庁の一役人時代とは、比べものないくらいに格が要求されるわけであり毎回の支払額が一桁以上あがりそうだと感じるのは想像に難くない。

 ましてや石原さんの華麗な交流をそばで見ていただろう猪瀬さんにとっては、そのあたりのプレッシャーは非常に大きかったのではないかと推測する。

 そして政治家として生きていくには、万が一の不測の事態が発生した場合、公費を使える状況ばかりではないわけで、表に出せない個人のお金で物事を一時的に処理しなければならない可能性もあるやもしれず、そのような場合長く政治家として生きてきている人たちのような人脈がないため、事態を乗り切るための個人で自由に使える予備金の保険が欲しかったのだという気がする。

 そこで、石原前知事が親しくしていた徳田氏という人物を紹介してもらい、緊急時に表に出さずに個人のものとして使える予備の裏金として5000万円を、頼み込んで貸してもらったのではないかという気がする。

 確か猪瀬さんから徳田氏側に要求された額は一億5000万円ということと報道されており、あの5000万はとりあえずの最初の分で、使わなかったら還すというやりとりがあったと聞く。

 よくまあ無利子でそんな大金かと思うが、徳田氏にとって盟友石原さんの後継者であり、信用できる人物だと思って貸したのかもしれない。

 猪瀬さんはこの件が明るみに出た時に、最初に言った言葉は選挙資金ということであり、その後政治資金規正法に引っかかる可能性があると気づいて、選挙後の生活に不安があるから個人の借金だという言い訳をしており世間からは信じられていなかったが、今になって思うと実はそのままの言葉だったのではないかという気がするのである。

 本来猪瀬さんのような頭の良い作家が本気で悪巧みをする意識が有れば、もっと用意周到に出来るはずであり、逆に発覚してもあのような発言が二転三転するような印象を与えるおどおどした会見にはならない気がするが、今回あまりにも稚拙な受け答えが目に付いた印象があり、想定外の相当な動揺が見てとれる。

 つまり猪瀬さん本人としては今回の5000万円は都知事としての見栄のためのお金であって、やや裏金的な性格を持つ面はあっても、特に具体的な必要性がなければ手を付けずに還せる色のついていないお金だという認識があったところに、想定外の徳州会への捜査のメスが入って、お金の授受が発覚して疑われることになり動揺したのではないかと言う気がしている。

 今後真実が明らかになって、法律に違反する部分があれば猪瀬さんは償わなければならないが、私腹を肥やすための5000万円ではなかったと信じたいところではある。

浮気な代表者たち

 日本の東京都知事選に向けて、他県の知事経験者というか、直前までほぼ現職である知事たちが都知事選への立候補をしようとしている。

 もちろん本人たちにはそれなりの考えがあっての行動なのだと思うし、何ら法令などに反することはないのだと思うが、傍から見るとやはり人としての良識を疑ってしまう。

 特に「捨てられた県民」の立場を考えれば、前回当選した選挙のとき語った「県民のために」などの言葉は何だったのかと考えざるを得ない。
 彼らを信じて一票を投じた県民の心を思えば、その心中は「浮気のような裏切り」に近いものではないのだろうか?
 地元のためと耳あたりのよい言葉を振りまきながら、落選したわけでもないのにあっさりその地元を捨ててもっと条件の良いポジションへ鞍替えをしようとする人は例え任期の4年の実績があったとしても、やはり地元からすれば「裏切り者」に他ならない。

写真はイメージ

写真はイメージ

 もしK県民やM県民に、都知事選の結果に対する「拒否権」があれば確実に行使したいのではないか。
 こんな自分の地元を捨てた人がのうのうと他の土地で大きな顔をしているというのは捨てられた側からすれば耐え難いはずなのである。 

 もし元知事側にそんな県民一人ひとりの生活を支え、そして人に支えられているという自覚があればこんな安易な行動は取れないと思うのであるが、まあ実際に行動できてしまうということは、立候補する本人は結局は県民のことを考えているのではなく自分のことしか考えていないということであろう。 

 つまりは彼らが地元の知事選で語った「県民のために」という言葉も都知事選へのステップ、或いはその上を目指すための「方便」であった可能性が高いのである。

 故に今回目指す都知事というポジションも、彼らにとっては単なるステップアップのための階段であると考えている可能性は捨てきれず、今回彼らが口に出すであろう「都民のために」という言葉もまた当選のための「方便」である可能性が高いといわざるを得ない。

 こんな名誉欲に駆られた「浮気性のヨソモノ」を選挙に簡単に通してしまうほど、東京都民の良識は駄目になっていないと信じたいが、選挙は良識が通用しないのが選挙であったりもするのでなかなか未来は明るくならないのかもしれない。

まさに客寄せパンダ!上野に復活

上野動物園にパンダが戻ってくる!
こんなニュースを目にした。
2008年にリンリンが亡くなって以来、パンダ不在であった上野動物園に2011年パンダが戻ってくることになったらしい。

上海野生動物園のパンダ

上海野生動物園のパンダ

私の小さい頃からの印象としては、やはり上野動物園といえばパンダで、パンダといえば上野だった。
猿山の猿のボス争いがどんなに過激化しようとも(笑)日本人にとってのパンダの地位は不動であった。
そしてまさに客寄せパンダの名前そのままに、動物園に客を呼んでいた。
 実際2008年にリンリンが死んでから客足が落ち、年間入場者数が60万人も減ったらしい。

まあそれに危機感を募らせた東京都が再びパンダ招致に本気になったということでもないらしいが、まさに救世主となるパンダの再登場である。

上海野生動物園のパンダ

上海野生動物園のパンダ

自分のことを考えても、パンダがいなければ動物園にはなかなか足が向かないし、パンダがいると思えば、暇つぶしに行ってみようという気になる。
 私でさえそのくらいパンダの存在の有無に差を感じるので子供達にとってはなおさらだろう。

 石原知事の言うとおり、上野にパンダが復活し、希少動物の価値を通して地球環境を守る大切さが、子供達ならず大人にも伝わっていくことを是非願いたい。

 原文

意気に感ず!?石原都知事の東京オリンピック招致

 2016年のオリンピック開催都市決定まであと100日を切ったそうである。

 最初に石原都知事がこのアイデアを掲げたときに、単なるパフォーマンスのアドバルーンだと皆が笑っていた。

 しかし彼は最初っから本気であったようで、国内の他の候補地との争いを勝ち抜き、更に世界の他の候補地と戦うべく着々と招致計画を進めてきた。
 最後の追い込み時期になった現在でも、石原知事は手を緩めず真っ直ぐ進んでおり、世界のオリンピック委員を説得すべく交流工作に世界中を飛び回っている。
 挙句の果てに皇太子まで担ぎ出そうという意見まで出るのだから、その本気度が伺える。

 税金の無駄遣いだの、今更意味がないだの今でも反対の声をあげる人は少なくないが、賛同する人も徐々に増えてきたように思う。

 上海の日本人の間でも、都民の会などで招致活動を盛り上げていこうという声になり、応援の声は増えてきている。

 事の是非はともかく、知事という一人の人間にこれだけ熱心な行動をされると人間はその熱意に心惹かれる部分がある。心打たれるといったら大袈裟かもしれないが、少なくとも真剣に物事に取り組む相手には真剣な姿勢で相対さねば失礼であり、その真剣さを否定するほどの理由がないならば、相手の心を認めてもいいのではないかと感ずる。

 つまり「意気ニ感ズ」という心境である。

 昨今の日本は、余りにも物事がシステマチックに完成しすぎており、お祭りなどのイベント事に対しては商業的な目的のほかは、余程の大義名分がない限り無駄遣いの声が上がりやすく、新しいことが行いにくい社会環境になっている。

 特にオリンピックのような大イベント招致に関しては、単なる商業的な目論見だけでは突破できるような状況にないのが今の日本の社会である。言い方を代えると、自分たちの力を冷静に判断しすぎて熱く可能性を追い求めることを諦めたり忘れたりして、夢を失っているのが今の日本である。

 石原都知事はそういう凝り固まった日本の社会だからこそ、オリンピックのような風を再び東京に吹き入れて、新たな活力を生み出すきっかけにしたいのではないか?
そう感じる。

 今ある反対意見というのはそういう凝り固まった社会から出る意見がほとんどのような気がするし、そういったことが分かっているから、数々の反対にもひるまずに前に進んでいるように思える。

 オリンピック招致というやり方が賢いのかはよく分からないが、反対意見がある事を分かってて、敢えて旗振り役を買って出たのは勇気ある行動だと思う。

これから人口が減少し、活力が徐々に失われていくと予測されている祖国に、オリンピックという刺激を与え、その衰退カーブを少しでも食い止めたいのが彼の気持ちであるように思う。

 また私自身も中国に来て、昨年の北京オリンピックを見て、あの活力を羨ましいと思いつつも、中国の国としての子供っぽさを馬鹿にしていた自分がいる。

 もし、日本で再びオリンピックを行なうことが叶うならば、北京のようなみっともないオリンピックではなく、それなりの活気を保ちつつ、もっと世界に対して大人の振る舞いのできるオリンピックを、日本なら開催できる、そう感じた。

 そういった成熟した大人の国のオリンピックを是非今の中国の人たちに見せてみたいし、金メダルだけがオリンピックじゃないんだとそう教えてあげたいと思って昨年の北京オリンピックを見ていた。

 石原さんの熱心な行動を見るに連れ、私のそういった想いが再び思い起こされ、彼を支持してもいいかなと、そういう気持ちに最近なった気がする。