嘘くさい文章

中国に来てからよく中国人の友達の履歴書など日本語チェックを頼まれる。

 その場合、意味の通じにくいところだけ説明して修正してあげるが、本人が書いた大筋は崩さず、ぎこちなさを残したままの文章で本人に返してやる。

 もちろん、こちらは日本人なのでもっと流麗な文章に直してやることも可能だが、そこまでやってしまうと、ネイティブが書いたようになってしまい嘘くさい文章になってしまうからである。

 もちろん本人にそれに近いだけの能力があれば別だが、残念ながらそこまで実力が無いのに流麗すぎる日本語の履歴書を先方に提出しても、後からがっかりされて恥をかくのは本人なので、あまり下駄を履かせすぎるのはよくないと思っている。

 まあ日本人の人事担当者の中には履歴書くらいは例えマニュアルを真似てでも綺麗な日本語を書いてくるべきだと考える人もいるかも知れないが私は全く逆である。

 私が日本で人事の仕事をやっていたときは、マニュアルそのまま的な文章を書いてくる奴がとっても嫌いで、テクニックばかりに走ってて、本人の中身が見えてこない気がしたのである。

 逆に言葉にぎこちなさがあっても、懸命に書いてきたような文章のほうが好感を持てていた。

 ただ当時の私には採用裁量権までは無かったので、私の意思で実際に採用を決めたりしたことは無かったが、上司の判断とはそんなに違わなかったような気がしている。

 そういえば先日某タレントが、部屋の大家でもあった大御所の女優に家賃滞納の詫びの手紙を送ったが、女優側が「自分の中から出てきた言葉というより、人に書けって言われたから書いたような手紙が来ました。」と反応したことがニュースになっていた。

 やはり型通りの綺麗な文章というのは、人の心に届かないということのようで、必要なのは言葉や型ではなく、伝えたいと思う本人の気持ちの様だ。

 もちろんビジネス文章と手紙の文章では、多少事情が違うと思うが、読むのが人である限り、型どおりの嘘くさい文章より、本人の心が現われているぎこちない文章のほうが読む人にとって気持ち良いものだと思っている。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA




Booking.com