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ウルトラマンから児童合唱が消えた理由

 アニメの主題歌などがアニソンと呼ばれるようになって久しいが、最近のアニソンと私が子供の頃に聴いていた音楽とは圧倒的な雰囲気の違いがあることに以前から疑問を持っていた。

 曲調とか歌詞に違いがあるのは確かなのだが、それを差し引いても決定的な違いがあるような気がしていたのだが、その違いがなかなか見つけられずにいたのである。
 そんな時、アニメではないが特撮のウルトラマンにおいて、決定的な変化のポイントと思われる部分を見つけた。

 それは、児童合唱の有無である。
 
 ウルトラマンシリーズの主題曲をチェックしていくと、初代、セブン、帰ってきた、エース、タロウ、レオ、そしてアニメのザ・ウルトラマンまで主題曲には必ず児童合唱が使われていた。

 それが80年のウルトラマン80(エイティ)になるとTALIZMANという新進気鋭のバンドの曲が使われ、突如として児童合唱の曲が使われなくなる

 まあこの「80」は番組制作内部のごたごたがあったようで、その約1年後には同じアーティストの曲で差し替えが行われていて児童合唱もサビだけ復活する。
 しかしこれ以後ウルトラマンシリーズでは、放映そのものがしばらく途絶えたこともあって、児童合唱付きの主題歌は使用されなくなるのである。

 実はこの傾向はウルトラマンシリーズに限らず、他のアニメ主題歌などでも同様の傾向が見られ、子供向けアニメで当たり前だった主題歌への児童合唱の使用は80年以降激減する。
 月光仮面、鉄腕アトム、バビル二世、タイムボカンシリーズなど、戦後の子ども向け番組で主題歌に使われていた児童合唱が全く登場しなくなるのである。

 そしてその後のアニメの主題歌では(私が見ていないだけかもしれないが)、大人のバックコーラス付きの歌や女性デュオの歌はあっても、児童合唱はほぼ皆無であった。

 今回YOUTUBEなどで調べた中では、80年代以降に児童合唱が使われているのは宮崎駿のとなりのトトロの「さんぽ」ウルトラマンメビウスのサビのバックコーラスの一部に児童の声と思われる声が含まれていたが、後はほとんど見つからなかった。

ウルトラマンメビウスの公式壁紙

ウルトラマンメビウスの公式壁紙(引用元

 こういった児童合唱の常連だった東京の杉並児童合唱団音羽ゆりかご会(コロムビアゆりかご会などの名でも活動)のウィキペディアの説明を見ても、80年代以降はアニメソングなど子供向け番組の主題歌への出演は皆無に近い状態で、アニソンにおける児童合唱は途絶えていると言っていい状況となっている。

 何故こういった急激な変化が起きてしまったのだろうか?

 この「何故」の命題を解明するのはなかなか容易ではないのだが、一つ考えられるのが第二次ベビーブーム世代の成長によるボリュームゾーンの移行とその下の子供世代の減少によるターゲットマーケットの変化である。

 また、これに伴う世間の子供っぽいものからの離脱志向、或いは子供番組の二世代ターゲット戦略の始まりであるとも考えられる。

 ウルトラマンシリーズのドラマの作り方を見ているとその差が顕著なのだが、児童合唱がついてた頃のウルトラマンのドラマは、子供の世界での出来事を発端にドラマが構成され、そこへ大人やウルトラマンが加わって、ピンチを救うといった形を取っていた。

 ところが16年の沈黙を破って再開されたウルトラマンティガ以降は、ウルトラマン役の人物を中心とした大人の青春劇になり、どうも子供の等身大の役者が活躍するドラマではなくなっているのである。

 さらに主人公(ウルトラマン)にはイケメン俳優が次々と起用され、子供たちのヒーローでありながら、母親たちのアイドルも兼ねるような構成で二世代をターゲットとする番組となっていて、子供の願いを叶えるヒーロー一色ではなくなってしまっているのである。
 (チラ見だけで全編は見てないのでファンからの印象は違うかもしれないが) 

 この二世代ターゲット化が行われた理由として、少子化による児童マーケット縮小と、戦闘シーンが暴力的だという指摘が「80」放映の頃に保護者層からあった反省から、保護者層の離反を防ぎ親公認の下でマーケットを確保したい狙いがあったと思われるのである。

 このような背景から、ハイティーンや大人世代をも一緒にターゲットとして巻き込むには、主題歌に児童合唱が入っていてはいかにも子供っぽく聴こえるという判断で避けられたというのは十分考えられるのである。

 この結果、子供向け番組と言いながら、主題歌には児童合唱ではなく大人のバンドの曲が使われ、歌詞も「君を守る」とか「勇気」とか、子供でも大人でもどちらでも通用するような内容になっている。

 ウルトラマン以外のアニメ主題歌もほぼ同様の傾向であり、アニメが子供だけではなく大人も見るものになった結果が、80年代以降の児童合唱の排除であるような気がする。

 ただ、ここ数日これらの膨大なアニメの主題歌をチェックしてみて(曲を聴きすぎてアニソンオタクになった気分であるが)感じたのは、児童合唱がつけられたアニソンというのは、童心をくすぐられるし、非常に歌いやすいものであるということ。
(子供が歌えるように作られているので当たり前と言えば当たり前だが)

 また歌える曲である故なのか、かなり印象に残る歌に仕上がっており、ヒーローに対して観客側の一体感が得られる音楽になっているという印象なのである。

 児童合唱でなくてもバックコーラスや合唱が入っている曲はやはり共感を得やすい効果を持っているようで、ウルトラマンメビウスの曲がバックコーラスのお蔭で感じよく仕上がっており、合唱を取り入れる効果は小さくないという気がするのである。

 先日触れた宇宙戦艦ヤマトの主題曲も合唱が含まれ息長く歌われる例に漏れない曲であり、やはり単独ボーカルより合唱のほうが聴衆を魅了しやすい要素があるように思える。

 今後のアニソンがどんな変化をしていくかは私には分からないが、幅広いファン層に受け入れられる音楽として残したいなら、単独ボーカルの曲ではなく合唱やバックコーラスの採用、願わくば児童合唱の採用というのは実はキーポイントなのではないか、そんなことを感じた今回のプチ調査である。

 


動画作成にコストがかかる理由

アニメ界の巨匠とも言える宮崎駿監督が長編アニメ制作から引退するというニュースが伝わり中国でも記事になっている。

 理由としてはは既に間もなく73歳という高齢になり、今回の最新作も前作から5年が経っていて、次の最新作を完成する頃には80歳近くになると想像されることから、制作責任を全うできるの自信が無いというようなことだったと思う。

 まあ宮崎駿監督の引退は残念な面があるものの、この説明には納得できるものがある。
 
 当たり前と言えば当たり前だが一つの映像作品を制作するには写真などの固定画像に比べ非常に時間がかかる。

 何故、映像作品を作成するのに時間がかかるというのかというと、動画自体が時間の尺を持った存在であり、製作と確認という作業を繰り返す作品づくりにおいては、作品の尺の長さが伸びれば伸びるほど、制作作業に時間かかることになる。

 例えば2時間の作品を作るためには、固定画面の撮りっぱなしなどでどんなに簡易に製作しても撮影作業と確認作業を合せて最低でも4時間の時間が必要であるということになる。

 それが写真なら、撮影も確認もほぼ一瞬で済むわけで、そこに作業時間の大幅な差が生まれることになる。
(まあ実際にはそんな簡単でもないが、動画作品に比較すればやはり一瞬である。)

 流石に私はアニメ制作の経験はないが、ビデオの編集はちょっとかじったことがあり、10分や15分の作品であっても動画映像の編集は気の遠くなるほど根気のいる作業であったことを記憶している。

 動画だけでなく、芝居の舞台用の音楽と効果音の編集においても、コンマ何秒のタイミングを調整するのに、何度も聞き直して調整するわけで、1分の音を納得する編集に仕上げるまでに、1時間や2時間をかけることが多々あったのである。

 それが2時間の長編アニメともなれば、例え機材が発達し人力を分散して作業を行なったとしてもストーリー構築から、絵コンテ作成、実際の映像作成作業までを統括する監督というポジションがどれだけ大変かは想像を絶するものがある。

 もちろん若いころなら、集中力も体力もあろうが、宮崎監督が既に70歳を超えた現在
においては1日のうちに集中できる時間が徐々に短くなってきているであろうことは容易に想像できるし、それを考慮すれば作品制作に今まで以上の時間を要することは予想できてしまったことなのだと思う。

 そして、制作作業に時間がかかるということは、それはそのまま人件費となって制作コストにも反映されるわけであり、ますます完成作品の興業面を含めた成功を難しくすることになる。

 以前、YOUTUBEの出現などに煽られた人が「これからは動画の時代だ」と時代の先進を目指すかのごとく気軽に叫んでいたのを思い出したが、その意識には全く制作コストなどが考慮されておらず、見たまんま聞いたまんまの言葉を発しているだけで、こういった制作側の実体を考えないお気楽な発言なのである。

 確かに現在では編集も何も無しの撮って出しの映像ならスマートフォンで誰でも簡単に撮影が出来るが、それとて現実的な時間コストは、写真などの固定画像に比べ何倍もかかっているわけである。

 残念ながら動画や音楽などの時間尺をもつ作品の作成には、その時間の分だけ作業コストがかかり、高くついてしまうのが宿命なのである。

則巻千兵衛さん

 声優の内海賢二さんが亡くなった。

 YAHOOのニュースでは「ラオウの声優亡くなる」と出ていたので誰のことかわからなかったが、「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛さんの声優だと知ってびっくりした。

 まあ世代によって見ていたアニメが違うのは当然で、私はラオウの出ていた北斗の拳はほとんど知らないので、ピンと来なかったのである。
 (「お前はもう既に死んでいる」のセリフは有名だったが、それしか知らない)

 そうか、そんな歳になってしまったのか。

 考えてみれば最初の放送が行われたのは私が9歳の時であり、あれから30年以上が経ってしまっていると考えれば、声優さんが亡くなったとしても不思議ではないのであるが、やはり寂しさを感じる。

 そういった懐かしさを思い出してみてまたちょっと観たくなり、中国の百度で昔の映像がないかどうか検索したところ、全放送分が登録されていることを見つけた。

 まああまり時間も無い中でちょとだけ見てみたところ、40代バリバリの内海賢二さんが千兵衛を楽しむような演技っぷりは絶好調で、今見てもとても楽しかった。

 今回そんな小さなころの思い出がなくなったのは残念である。

 ところでこの、「Dr.スランプ アラレちゃん」は1997年にもリバイバルで作成されているのを今回初めて知り、その映像も見てみたが、初代作品とは声優陣も違い前作のイメージもあって私には馴染みづらい作品となっていた。

 まあ評するに、前作の面白さを知っていた世代のクリエイターが、主要要素だけ抜き出して、新時代的にアレンジしてスピードアップしたものであるという感じだったが、私には前作にあったアホらしい限りのペンギン村ののんびり感がなく、そこが魅力だったはずなのに新作にはそこが見られず寂しさを感じた。

 ただ、現在中国で売られているアラレちゃんのキャラクターグッズなどは、どうやら97年版のキャラクターデザインをベースにしている物が主流のようである。

 メガネの形などが微妙に違うのである。

 以前から最近の中国人達が売っているキャラクターグッズは私の記憶にある印象とどうもちがうなぁと常々感じていて、パクリ文化の偽物デザインだからと自分の中で片付けていたが、今回97年版があることを知って、そのグッズだという事を知って納得した。

 ただ、そうすると現在の中国人達がイメージするアラレちゃんや千兵衛さんのキャラは、97年版のものということになり、同じキャラを知っているはずなのに実は彼ら彼女らと違うものを意識しているのかと思うと、得も言われぬ壁を感じてしまう。

 私にとっての則巻千兵衛さんはやはり内海賢二さんでなくてはならないのである。

 故人のご冥福をお祈りします。