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選挙の構図

 昨日の衆議院総選挙で、自民党と公明党のグループが300を超える議席を得て圧勝した。
 まあ議員の当選者数だけを見ていると、まさに圧勝そのものなのだが、その中身を見ていくと、自民公明側が圧勝したというより民主党側が分裂による敗北という構図が見えてくる。

 各小選挙区の各候補者の得票数をチェックしていくと、一部の超強力な基盤を持っている議員を除いて今回小選挙区で勝利した自民党議員が必ずしも得票率で圧倒的に上回っていたわけではない状況がわかる。

 つまり当選といっても30~40%の得票率で当選している候補者は意外に多く、50%を超えている候補者は数えるほどしかいない。

 さらに自民党が当選者を出している選挙区で、得票率2位と得票率3位の候補者、つまり民主や第3極の票を足すと自民党候補者が足を救われたり拮抗する状況になっている選挙区が数多くあった。

 つまり、この状況の意味するところは旧来の自民党の標榜する保守の勢力に対して、3年前の選挙で革新勢力の受け皿になったはずの民主党が瓦解して、その票がみんなの党や維新の会、未来の党などの第3極と呼ばれる勢力に流れて分裂状態になり、その結果相対的に固定の支持層を持つ自民党が浮上したような形となっている。

写真はイメージ

写真はイメージ

 もちろん、有権者一人一人の投票行動を見ればこんな単純な図式では割り切れないとは思うが、恐らく第3極支持者というのは思い描く支持政策は各々違えども、かつての民主党投票者と同様に現状から変革を望む人々に違いないとは思われる。

 しかしながら、この3年半の期間で民主党に対する変革の希望の多くが失望に変わってしまったため、新たな変革を語る候補者や政党に有権者の票は分裂し相対的に自民党が浮かび上がったような形になった。

 さらに一部では投票そのもに対するモチベーションも下げてしまったための今回投票率低下につながったと推測できるのである。

 つまり変革を求める人の声が一枚岩にならず分裂をした結果の自民党公明党の圧勝とも言える。

 まあ良く考えればこれは不思議な事ではなく、保守というのは守る内容がはっきりしているのに対して、変革というのは右や左、Aの主張、Bの主張というように「変える」ということで一致はしているように見えてもその中身において同床異夢の場合が多く1枚岩にはなりにくいのである。

 そうはいっても、現実的に変革を求める投票が半数前後あるにも関わらず、3~4割の支持しか得ていない政党が圧倒的議席数を有してしまう今の選挙制度はどうなのかとちょっと疑問に思ってしまう。

まるまる翻訳なレポート

 最近、中国の百度のサイトで、ある情報を調べていたらどこかで見たような情報にぶつかった。

 あれ、この情報どこかで見たことあるなぁ。

 思い出したのはある日本語情報の文章だった。

 気になってその日本語の情報を探して見て確認したら、やはり私が見つけた中国語の情報そっくりだったのである。
 もちろんネイティブな日本語なりに翻訳はしてあるが、文章構成や内容は機械で翻訳したかのごとく丸々翻訳してあり、そっくりだった。

 なんだ、これが情報ソースか、、、

 よくよく調べてみるとその日本語文書の筆者が書いた別の文章なども、中国語丸々翻訳の文章が多いということに気が付く。
 それらの文章は構成などが原文そっくりでほとんど構成に工夫がなく内容の裏付けを行なった雰囲気もないのだ。

 しかも中国語の原文で明らかにおかしいなと思われる表現もそのまま翻訳してある状態となっている。

 逆に明らかに本人のオリジナルだと思われる文章は文章構成の面でどうにも稚拙な文章になっていて同じ人間が書いたものとは思えない程、文章構成力に差がみられる。

 しかもボキャブラリーにもやや乏しく、言葉のチョイスが微妙に世間ズレしている印象も受け、それが文章アクセントとしてプラスに働く面もあるのかなと思いつつも、やはり日本の文化の中にいた時間が短かく本当の言葉のニュアンスが実は分かっていないんじゃないのかなという印象に映る。

写真はイメージ

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 また、この人は翻訳による文章作成は得意だが自身では文章を組み立てられないような印象を受け、故に情報に変更があっても修正したり更新したりする能力に乏しいようである。

 つまり翻訳的変換はできても内容を把握する能力がないから修正の方法がわからないようである。

 故にその人が行う情報の改訂は文章の引用付加の形が多く、ほとんど本文修正には手をつけられない。

 結果古い情報が変更されずそのまま残り、全体として全くへんてこりんな矛盾したいびつな文章が出来上がる。

 文章の内容を把握できる能力があれば、普通はこうはならないだろうと思うほどにひどいし、文章を読み返して全体の流れを再確認している様子も見えない。

 よって一度作った文章は情報変更があったとしても修正せず、修正する場合は新たなひな型を探して作り直しをするのがこの人の常の作業となっているようだ。

 もちろん翻訳には母国語能力の高さが必要とされるが、ネイティブな文章を書けるようなのにこうまで翻訳専門な人も珍しい。

 そういえばこの筆者が書くブログには本人の専門分野とあまり関係ないような突飛な社会問題があちこちの話題から取り上げられるが、こんな文章傾向を見るとあれにもオリジナルの中国語記事などがあって単に翻訳しただけなのではないかと勘繰りたくなってしまう。

 引用を明らかにした上での文章ならば、ギリギリセーフなのかも知れないが、オリジナルの存在を伏せたまま翻訳文を自分の意見の如く書いているのだとしたら明らかにアウトであろう。

原文

社会構成を意識した都市開発

 上海の近代化のひとつの象徴ともいえる虹橋開発区だが、そのビル群エリアの一角にはまだローカル住宅が残されている部分が存在する。
私はここもいずれ近いうちに取り壊されてしまって近代的な建物が並んでしまうんだろうなと考えていた。しかしながらそんな開発は今のところ始まるような気配はない。

 私が上海に来てからそんなに長くないので観察期間としては長くないのだが、それにしても虹橋開発区が整備されてからそれなりの時間が経っているはずである。
 しかし、あのような至近距離にローカルな住宅が近接して残されている。それは何故か?

 私はある仮説を立ててみた。

 それは社会の労働階層の構成上、わざと残してあるのではないかという考え方である。

 虹橋開発区のようなあれだけのビジネスエリアを誕生させると、必ずそこを支えるサービス業が必要になり、そこで支え働く人の存在が必要になってくる。それらは例えば飲食店の服務員だったり清掃のおばさんだったりする。
 彼ら彼女らは所得階層でいうと低所得者層に分類され、高層の新しい住宅などにはまず住むことはできない。

 遠くから通勤させて働いてもらうこともできるが、朝晩のバス代2元ずつだって彼らは節約したいので、職場のそばに住むところが確保できないような場所には働きに来ない。
 故に、彼らに働いてもらうには彼らの収入で住めるレベルの住宅を職場の近くに確保してやる必要がある。その発想のもとに残されているのが実は虹橋開発区そばのローカル住宅ではないかと思うのだ。

 日本では駅の周辺から地図の等高線的な曲線で地価が構成され、土地や家屋を持つ人は駅からの距離に比例して資産力の差が生じており、資産を持たない人はやはりやはり駅周辺をピークとした所得の等高線的分布で居住しており、そこには所得階層を前提にした都市開発というものはまず行われていない。

 故にもし、ここ中国でこの所得階層を意識した都市開発が行われているのだとしたら、私からするとものすごく画期的なのである。

 日本はまやかしの平等意識が蔓延しているため、低所得者層の存在を認めたがらないが、明らかに所得格差は存在する。本来ならばそういった社会構成を意識した都市開発を計画するべきなのに、住宅開発なら均一価格帯の住宅一辺倒、オフィス開発なら均一タイプのオフィス一辺倒の開発計画しか都市計画の中で行わない。

 稀に職住接近をうたった都市開発もあるが、一部の高所得者層しか住めない高級住宅しか作らないのでは、とても社会としてバランスがとれた開発とはいえない。

 故に効率的に行なっているはずの都市開発であっても実は社会としては効率がいいとはいえない場合がほとんどなのだ。

 その点、所得格差を公に認めてしまっている中国では実はバランスの取れた効率的な都市開発区が進められるような気がするのである。
 もちろん政治の体制が違うので都市開発に行政がかかわる場合の推進力に大きな差があるのは確かだが日本も行政にそういったセンスがあればもう少しまともな都市計画が立てられるのでないかと思うがどうであろうか?