上海の近代化のひとつの象徴ともいえる虹橋開発区だが、そのビル群エリアの一角にはまだローカル住宅が残されている部分が存在する。
私はここもいずれ近いうちに取り壊されてしまって近代的な建物が並んでしまうんだろうなと考えていた。しかしながらそんな開発は今のところ始まるような気配はない。
私が上海に来てからそんなに長くないので観察期間としては長くないのだが、それにしても虹橋開発区が整備されてからそれなりの時間が経っているはずである。
しかし、あのような至近距離にローカルな住宅が近接して残されている。それは何故か?
私はある仮説を立ててみた。
それは社会の労働階層の構成上、わざと残してあるのではないかという考え方である。
虹橋開発区のようなあれだけのビジネスエリアを誕生させると、必ずそこを支えるサービス業が必要になり、そこで支え働く人の存在が必要になってくる。それらは例えば飲食店の服務員だったり清掃のおばさんだったりする。
彼ら彼女らは所得階層でいうと低所得者層に分類され、高層の新しい住宅などにはまず住むことはできない。
遠くから通勤させて働いてもらうこともできるが、朝晩のバス代2元ずつだって彼らは節約したいので、職場のそばに住むところが確保できないような場所には働きに来ない。
故に、彼らに働いてもらうには彼らの収入で住めるレベルの住宅を職場の近くに確保してやる必要がある。その発想のもとに残されているのが実は虹橋開発区そばのローカル住宅ではないかと思うのだ。
日本では駅の周辺から地図の等高線的な曲線で地価が構成され、土地や家屋を持つ人は駅からの距離に比例して資産力の差が生じており、資産を持たない人はやはりやはり駅周辺をピークとした所得の等高線的分布で居住しており、そこには所得階層を前提にした都市開発というものはまず行われていない。
故にもし、ここ中国でこの所得階層を意識した都市開発が行われているのだとしたら、私からするとものすごく画期的なのである。
日本はまやかしの平等意識が蔓延しているため、低所得者層の存在を認めたがらないが、明らかに所得格差は存在する。本来ならばそういった社会構成を意識した都市開発を計画するべきなのに、住宅開発なら均一価格帯の住宅一辺倒、オフィス開発なら均一タイプのオフィス一辺倒の開発計画しか都市計画の中で行わない。
稀に職住接近をうたった都市開発もあるが、一部の高所得者層しか住めない高級住宅しか作らないのでは、とても社会としてバランスがとれた開発とはいえない。
故に効率的に行なっているはずの都市開発であっても実は社会としては効率がいいとはいえない場合がほとんどなのだ。
その点、所得格差を公に認めてしまっている中国では実はバランスの取れた効率的な都市開発区が進められるような気がするのである。
もちろん政治の体制が違うので都市開発に行政がかかわる場合の推進力に大きな差があるのは確かだが日本も行政にそういったセンスがあればもう少しまともな都市計画が立てられるのでないかと思うがどうであろうか?