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船の進水式は未完成のまま実施する

 先々月のことになってしまったが、縁あって中国に進出している日系の造船会社を訪問させてもらった。
 実は私は日本にいるときは造船に関連する会社にいたのだが、造船とは関係ない部門だったので、造船の現場を見たことがなかった。

 で、今回初めて造船の現場を見学させてもらい、船のパーツの製造工程から組み立て現場までを見させてもらったのだが、その時の説明で今までの認識を覆させられる話があったのである。

海側から造船所を望む

海側から造船所を望む

 それは船の進水式の時点では船は完成していないということである。

 以前テレビなどで大型船の進水式の様子をちらっとみたことがあるが、その時は船体が組み立てドッグから滑るように水の中に入っていった姿が映し出されていた。
 そして、その傍では船の発注主であろう人が立ち合い、仰々しくイベント化された儀式が行われており、それを見て私はてっきり進水式=船の引き渡しだと思っていたのである。
 
 ところがである。

 今回の造船所の話によると私のその認識は間違っていたようで、進水式はあくまで水に初めて浮かべるタイミングでしかなく、船の完成や引き渡しではないとのこと。

 船はこの進水式を経た後、水上で艦橋設置や内装などの作業を行いその終了をもって完成となり引き渡しとなるとの話だった。
 つまり船の完成や引き渡しは進水式より随分あとになるようなのだ。

 実際ウィキペディアなどで調べても、船の命名式こそ進水式と同時にやるようだが、やはり進水式後に水上で内装工事などをやるのは事実らしく、当たり前のことだが造船会社の方の言ってたことは正しいようである。
 
 しかし、この進水式の事実を知った途端、どうして敢えて不安定な水上で作業を行うのかという疑問が湧いた。

 この件についてその場で先方に尋ねたところ、ドッグを早く空けて次の船の製造に取り掛かるためだとの答えが返ってきた。

 おおそういうことだったのか!

 この答えを聞いてようやく、進水式=完成とならない理由が腑に落ちた。

 造船というあれだけ大きいプロジェクトになると、何が効率的なのかは私のような素人にはわからなかったが、ドッグという希少な設備を効率よく運用してコストダウンに繋げているということのようなのである。

 もちろんこんなことは今の造船業界では常識であるに違いないが、門外の私にとっては初めて知った事実である。

 まあ理由を聞いてしまえば当たり前のこの進水式の実態であるが、いままで進水式=船の引き渡しと思い込んでいた私にとってはまさに目から鱗の話であった。

 まだまだ世の中には私の知らないことが沢山あるなと感じた今回の造船所見学であった。

入場行進で美女をトラックに並べるなんて悪趣味

開会式の入場行進を見ていて思ったことだが、トラックの周囲や通路の両脇に若い女性を並べていた。
女性一人ひとりは美しいのだが、オリンピックの舞台上の風景としてあの状況はどうなんであろうか?一見非常に美しいように見えるが、これは裏返してみれば男尊女卑の非常に女性を馬鹿にした男性的な視覚的演出のようにも見える。

そこらのクラブやKTVの入り口のようで非常に不自然で、オリンピックの舞台としては非常に気色悪さを感じる。何故女性だけをあのような場所に配するのだろうか?非常に男性的な感覚での人員配置である。

 演出している人々はそういうことを意識せず、気づかずやっているのだろうが、世界最高のオリンピックの舞台にあの光景を持ってきて、恐らくあれを美しいと感じている人々の前近代的な感性は非常に悲しく、この国がまだまだ発展途上にあるという感覚を持たざるを得ないと思う。
 オリンピックを開催する国の感性として非常に悲しいことである。

開会式 伝えたいことと伝わることの溝

開会式の演出は史上最低だったように思う。
伝えようとした中身にはそれなりに意味があったし、伝えたい歴史文化の重さもそれなりに評価したい。
 しかし伝えたいことと伝わることは同じではない。
今回の演出は、演出する側が伝えたいことと伝わる事の溝をまるでわかっていないように思えた。簡単にいうと伝えたいことに、全体を通しての一貫性もドラマ性も流れもなく、ただただ押し付け的な一方的な自己主張の演出なのである。
まず第一に演出家が会場の大きさをまるで分かっていない。あの大きな空間で小さな操り人形など扱っても、観客席から見えず、テレビ画面を通しても小さく惨めであった。
 アクティングエリアと利用しているスペースも会場の規模からすれば小さすぎる。会場の規模をもっと考えた大きさの演出をすべきであった。
さらに漢字という自国の文化を伝えたい気持ちも分からなくないが、世界の人々との間に横たわる文字文化の違いも意識せず、ただおしつけ的に「和」だけを強調しても結局は何も伝わらない。
 太極拳?と思しき踊りも一人ひとりの動きは悪くないが、やはり全体で動くことに意味を持たず、ただ同心円状で動くだけではあの会場に観客にすらその意味は伝えられない。

 いずれのシーンも最後は投射機で美しい映像を落として終わりでは演出として何もしていないのと同じである。

 映像として美しい瞬間があっても、それが意味として伝わらなければ表現している意味が何もない。演出家は伝える者と受け取る者の間にある「溝」に気がつかなくてはならない。
 どんな人と人の間にも伝える側と受け取る側の間には、モノを伝える潤滑油が必ず必要になる、それができなければ演出は失敗したのと同じ。

 今晩の開会式で感動した者がどれだけいたというのだろうか?どんなメッセージを受け取れたのだろうというのだろか?

 観客も義理堅いようで、観客もシーンが終わるたびに歓声を上げてはいたが
シーンのクライマックスと重なっておらず、終わったの?という間が一拍あってからの声援である。
 今回の観客が鈍い客かといえばそうではなく、歌手の歌い終わりではちゃんと盛り上がってくれる。観客席の様子を映し出した映像も流れていたが、観衆もまったく盛り上がってない様子で、ただただ団扇で暑さをしのいでいる姿だけが印象に残った。
 あんな演出ではやらなかったほうがマシ、中国4千年の伝統文化が泣いている。悲しい夜だった。

 入場行進がそこそこ盛り上がったのがせめてもの救い。
 日本の入場行進はやっとまともな衣装になりましたね。あれでいいんですよ、変な奇抜な衣装なんぞいらんのですよ。

中国にもようやく著作権協会が成立!?

中文の新聞からちょっと拾い取っただけなので詳しい情報は分からないが、
中国にも日本のJASRACのような著作権協会がようやく成立したらしい。
日本人の常識からすれば今まで無かったのかと驚くぐらい、時代錯誤なニュースだが、コピーDVDがはびこっている状況を考えると残念ながら納得してしまう。
主な業務はカラオケの使用料の徴収などらしいが、日本でもあったようにこういった業務が軌道に乗るまではかなり紆余曲折を経ることが予想される。

日本のJASRACでさえもスナック系のお店と長年のやり取りがあったり、管理という面で独禁法違反の疑いをかけられたりして、こういった組織の運営の難しさがいろいろ言われている状態である。

 中国人の今までの土壌を考えれば、この協会が本当に機能するのかは甚だ疑問である。そもそもこの組織でさえ著作権問題に真剣に取り組む真面目さがあるのかと問われれば、それさえもまだ半信半疑である。
このタイミングの成立に、オリンピックを前にした国際的パフォーマンスではないかという気もしなくはない。
遅まきながらの第一歩は評価すべきだが、どれだけ実効性をもった組織になるのか注意深く見守りたい。