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都道府県知事の存在感

 最近、気のせいか、以前より日本の都道府県知事の存在感が大きくなっているような気がする。
 以前は都道府県知事と言えば、目立ったのは東京都知事大阪府知事くらいなもので、県知事レベルだとマスコミにその存在感が大きく取り上げられるようなことは少なかった。

 もちろんこの都府知事以外の知事も時々新聞でクローズアップはされてはいたことはあったものの、位置付けとしては地方自治体のトップであるということくらいなもので、その地元の人間には知られてはいても、全国区では誰が何をやっているのかは知られることは少なかった気がする。

 時々アイデアマン的な首長が登場すると物珍しくマスコミに取り上げられもしたが、それ以外はそれほど注目されず、存在感のなかったのが知事というポジションだった気がする。

 ところがその状況が最近変わってきたような気がする。

 最近この知事が、国などが進めようとしている方針にNOを言い出して、強く抵抗するケースが増えてきたのである。

 そのまずトップバッターと言えるのが、沖縄県の翁長雄志(おながたけし)前知事である。

 普天間基地の辺野古移転を巡って、強い反対姿勢を貫いた方であり、惜しくも志半ばで病に倒れ亡くなってしまったが知事として、最大限地元のために国と戦う姿勢をとっていた。
 それまでも沖縄県は伝統的に中央政府に対して抵抗するような知事が代々就任してきたが、最後は国に懐柔されたような印象で和解してきたような形となっており、条件闘争の駆け引きだと見られている面もあった。
 しかし、翁長知事は最後まで抵抗をし続けたのであり、その姿勢は後をついだ玉城デニー氏に受け継がれている。

 そして次に注目されているのが佐賀県の山口祥義(よしのり)知事である。

 九州新幹線の西九州ルート(別称:長崎新幹線)の建設をめぐり、全線フル規格化を実現し所要時間短縮を目指したい長崎県や長崎県選出の国会議員に抵抗し、過去の合意に基づき「佐賀県はこれまでも新幹線整備を求めたことはなく、現在も求めていない」とし、莫大な財政負担が必要とされる建設計画に異論を唱えている。

 これにより、事実上建設計画がストップし、佐賀県知事の存在感によってプロジェクトの動向が左右される状況になっている。

 さらに最近注目されているのが、静岡県の川勝平太知事
 中央リニア新幹線の静岡県内の建設区間を巡って、水源保全対策が不十分だとして工事知事が着工の許可を出さない状態が続いている。

 これらは何れも国家的建設プロジェクトに対して、地域を守るために知事が抵抗しているという図式で、過去にはあまり見られなかった各知事の明確な態度である。

 もちろん過去にも国側の方針にそれなりに抵抗した知事はいただろうが、そもそも日本の都道府県知事の大半は中央官庁の元官僚などが多く、中央省庁の役職の一部のような感覚で立候補し就任している人が多いため、中央と徹底的に喧嘩するような意識の知事は少なく、むしろ利益誘導のためのクレクレ陳情に熱心な知事が多かったような印象である。

 今回取り上げた四人は山口氏を除いて官僚出身ではないし、山口氏も総務省出身ではあるが、官民交流でJTBに出向し民間の水に浸かった経験のある方で、純粋な官僚培養とは違う方である。

 このような知事たちの存在感の増大は、実はインターネットメディアの普及が大きい様な気がする。

 これまでは都道府県知事の動向は地元紙での扱いが主で、全国区の新聞での扱いが小さかった。

しかしネットメディアというのは見出しの大きさという意味ではどんなニュースも平等となるのと、一地方のニュースでもYAHOOサイトのトップに掲載された場合は全国区のニュースになってしまうからため、これまで扱いが小さかったニュースが大きくなることが増えてきたのである。

こういった状況から古くから揉めて来た沖縄はともかく、佐賀や静岡と言った大都市圏ではない地域の知事の動向が目に入るようになってきたのである。

 また知事に与えられている建設許可などの権限が意外と大きいことも伝わるようになり、国の意向のごり押しが実は簡単ではないという事実も、この知事らのニュースが知れ渡るようになってきた。

 ただ上記以外にも、鹿児島県の三反園知事が原発停止などを公約に掲げ当選し、現在必死に働きかけを行なってはいるが、県政運営がスムーズにいってない面もあって成果は出ていないような知事もいる。
どうやら知事の権限は新しく作るものに対しては許可権限などにおいて力はあるが、過去に許可が出されてしまったような既に存在しているものに対しては決め手を欠くようである。

 いずれにしても、以前よりは知事という存在が飾り物ではなくなってきたのが最近の日本の行政状況だという気がしている。

何も分かってない取材者たち

 昨日、取材をする人は本当は取材対象のことを何もわかっていないんだなと思わせる出来事があった。

 昨日の夜に某チャリティコンサートに出かけたのだが、その会場にいた「媒体」という腕章をつけた坊主頭の人物の行動には呆れてしまった。

 その腕章をつけた男性は、コンサートが始まった途端にビオラによるクラシック音楽の演奏が行われているにも関わらず、一般の聴衆を尻目に二階席の最前列まで赴き、バシャバシャとシャッター音を鳴り響かせ写真を撮っていたのである。

願いを込めたキルト

願いを込めたキルト

 シャッター音で音色を汚すという認識もなければ聴衆の視界を遮る失礼さも何も感じていないようだった。
 そしてある程度撮り終えると今度は自分の席に戻ってノートパソコンを開き、データ移行のような作業を始め、その作業を終えるとそのまま演奏中にも関わらず会場外へ出かけて行ってしまったのである。

 つまり演奏会の取材に来ているにも関わらず彼は音楽に何の敬意も関心も払わず、もちろん音楽もろくに聞かず写真だけ撮って満足していたようだった。
 例え関心のない音楽であったとしても、取材に来たのなら演奏者や聴衆にもう少し敬意を払い礼儀を尽くすべきであろう。

チャリティコンサート会場

チャリティコンサート会場

 
 ここは中国とは言えあまりにもひどい取材記者である。

 音楽や舞台においてはステージ上だけが会場ではなく、ホール内の空間全体がステージ上と一体化しているものなのであるが、少なくともその取材記者にはそんな認識すら無いのであろう。

 そういえば以前も似たようなことがあり、某ホテルの室内でピアノのコンサートが開かれたときであるが、中国人カメラマンたちは聴衆はもとより演奏者の本人に対する失礼さお構いなしに、ひたすら自分のアングルを追っかけ演奏者に近寄って写真を撮っている姿があった。カメラマンというよりまるで社会性のないオタクのようであった。

 日本でも通称「撮り鉄」の鉄道写真ファンのマナーの悪さが話題になっているが、彼らも含めて写真を撮るということに夢中になりすぎている人々は、被写体のことを実際には何もわかっていないのが実体なのだと思う。

 まあカメラマンに限らずともマスコミなどの取材者たちは、ともすると話題性追求を優先してしまうため、取材対象をロクに知らずろくでもない人間を素晴らしい人間だと持ち上げて取材しているケースがよく見られ、中国で活躍する医者などと持ち上げられてい某氏もその一例だろう。

 多くの取材者たちは実は何もわかってないで取材している可能性があるのである。
 そんなメディアたちの記事は気を付けて受け止めなければならないように思う。

原文