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何も分かってない取材者たち

 昨日、取材をする人は本当は取材対象のことを何もわかっていないんだなと思わせる出来事があった。

 昨日の夜に某チャリティコンサートに出かけたのだが、その会場にいた「媒体」という腕章をつけた坊主頭の人物の行動には呆れてしまった。

 その腕章をつけた男性は、コンサートが始まった途端にビオラによるクラシック音楽の演奏が行われているにも関わらず、一般の聴衆を尻目に二階席の最前列まで赴き、バシャバシャとシャッター音を鳴り響かせ写真を撮っていたのである。

願いを込めたキルト

願いを込めたキルト

 シャッター音で音色を汚すという認識もなければ聴衆の視界を遮る失礼さも何も感じていないようだった。
 そしてある程度撮り終えると今度は自分の席に戻ってノートパソコンを開き、データ移行のような作業を始め、その作業を終えるとそのまま演奏中にも関わらず会場外へ出かけて行ってしまったのである。

 つまり演奏会の取材に来ているにも関わらず彼は音楽に何の敬意も関心も払わず、もちろん音楽もろくに聞かず写真だけ撮って満足していたようだった。
 例え関心のない音楽であったとしても、取材に来たのなら演奏者や聴衆にもう少し敬意を払い礼儀を尽くすべきであろう。

チャリティコンサート会場

チャリティコンサート会場

 
 ここは中国とは言えあまりにもひどい取材記者である。

 音楽や舞台においてはステージ上だけが会場ではなく、ホール内の空間全体がステージ上と一体化しているものなのであるが、少なくともその取材記者にはそんな認識すら無いのであろう。

 そういえば以前も似たようなことがあり、某ホテルの室内でピアノのコンサートが開かれたときであるが、中国人カメラマンたちは聴衆はもとより演奏者の本人に対する失礼さお構いなしに、ひたすら自分のアングルを追っかけ演奏者に近寄って写真を撮っている姿があった。カメラマンというよりまるで社会性のないオタクのようであった。

 日本でも通称「撮り鉄」の鉄道写真ファンのマナーの悪さが話題になっているが、彼らも含めて写真を撮るということに夢中になりすぎている人々は、被写体のことを実際には何もわかっていないのが実体なのだと思う。

 まあカメラマンに限らずともマスコミなどの取材者たちは、ともすると話題性追求を優先してしまうため、取材対象をロクに知らずろくでもない人間を素晴らしい人間だと持ち上げて取材しているケースがよく見られ、中国で活躍する医者などと持ち上げられてい某氏もその一例だろう。

 多くの取材者たちは実は何もわかってないで取材している可能性があるのである。
 そんなメディアたちの記事は気を付けて受け止めなければならないように思う。

原文

災害を商売広告のネタにしない姿勢

先日、あるマンションの管理側の方とお話する機会があった。

その方によれば、上海は災害とかの被害は直接何も関係ないが、やはり日本の自粛ムードをを感じ取り、マンション内の主だったイベント系のようなものは全て中止したのだという。

そして当面は淡々と通常の業務を行うだけだとおっしゃっていた。

 私は、ならばチャリティを主にしたイベントを行なったらどうかと会話の中で提案してみたが、それはそれで売名行為のようで、やはり日本人の中にはこころよく思わない人もいるかもしれないということで、募金などほんの一部の一般的な対応を除いては特にイベントを実施する予定はないとおっしゃっていた。

 私はこの姿勢にエラク感服した。

 世の中には、支援活動の名の下に、広告宣伝活動を活発に行って、売名行為とも思えるような企業や個人も少ない中、こういった慎ましい姿勢には凄く感心する。

写真はイメージ

写真はイメージ

 企業はもともと営利で成り立っているのだから、企業が社会奉仕活動を通じて、企業のイメージや存在意義を高めていくことは決して責めるべきことではないはずだが、そこには意図的、無意識に関わらずどうしても「偽善」「売名」という印象が付きまってしまう。

 そこをきちんと理解して割り切って、災害を商売広告のネタにしない姿勢を貫くこのポリシーは凄いなと思ってしまう。

 災害を商売広告のネタにしない姿勢を見せることで、顧客の信頼を損なわないようにするとはいかにも日本的対応である。
 日本人として、日本人と仕事をするにはこういう姿勢は是非見習わなくちゃいけない。