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どう転んでもナベツネさんの負け

 例の巨人軍内紛問題で巨人軍と読売新聞社が清武さんを訴えたというニュースが飛び込んできた。

 まあこの内紛劇、今後清武さんの側からも訴訟を起こすことになっているようなので訴訟合戦となるのは間違いなく、いよいよ闘争は法廷の場に持ち込まれることになるようだ。

 ただまあ、今回それぞれの訴訟内容が微妙にずれているので、それぞれ2つの裁判で別の結論が出る可能性もあり、さらに裁判上の結論というのは手続き論の問題であるので、勝ったほうに正義があるのかと言えば必ずしもそうはなっていないのが日本の裁判のような気がする。

 特に事の発端となった巨人軍GMの人事権限について言えば、裁判の結論がどっちに転ぼうともナベツネさんの負けであることは明確である。

 何故ならばGM制度というのチームの編成権の責任を一手に負うのがGM制度であり、そうでないならばGMではないからである。

 つまり一般的なGM制度ではGMが決めた人事はオーナーといえども覆せず、もし覆したければGM自身を換えるというのがGM制度の基本であり、その観点から言えば清武氏の主張が正しいことになる。

 逆にもし、巨人軍側が社内規則を盾にGMという役職にそこまでの権限を与えていないとして今回のようにナベツネさんや本社の介入をOKとする解釈をするならば、ナベツネさんの側は何も本来のGM制度を理解していないことを露呈することになる。

 あるいは名前だけ恰好だけ言葉だけのGM制度をつくったことになり、本質的には何も変える気が無く単なる見栄を張るためだけの形だけのGM制度を作ったという志の低さを露呈することになる。

 故に今回の裁判で巨人軍の中でのGM制度の位置づけという論点になった場合、具体的にGM権限の記載が規則にないという時点でナベツネさん側に理があるという結論が出る可能性があるが、これは同時に逆にその時点でそんな意味のない役職をGMと呼んで立てていたことが確定することを意味し、ナベツネさん側の自己矛盾を露呈するのである。

 よってこの論点での争いは裁判でどっちの結論が出ようとも、争った時点でナベツネさん側は愚かさを露呈することになり負けは決まっているのである。

 ただまあ繰り返しになるが日本の裁判というのは理屈の中身ではなく単なる法律上の手続き論の中での争いになる場合が多く、名誉棄損とか、実は本来は本質から外れた理屈が手続きの上で勝ってしまう可能性もあり、外部から見ればおかしな結論がでる可能性もある。

ルールをないがしろにする人

巨人軍の清武球団代表の会見をネットで見た。

まあ、あの会見をやることでどれだけのものが得られるかなどいろいろ批判はあったりもするが、世の中には決められたルールをないがしろにする人がいることは常で、ルールを真面目に守っている側からすれば非常に腹が立つことが多いのも常である。

 ただ腹が立っても一般的には、そのことがよほど犯罪性でも帯びない限りなかなか糾弾するのは難しいのも事実で、多くの場合はその不満は腹の中に仕舞い込まれることになる。

写真はイメージ

写真はイメージ

 そしてそのルールをないがしろにする人は糾弾されないことをいいことにルールを無視し続ける。あるいは糾弾されても訴追でもされない限り知らぬ存ぜぬを突き通す。

 もし勇気を振り絞って正義のために訴追などを行い、最終的に正義を勝ち取ったところで、時間的ロスや社会的な立場など返り血は免れまい。

 つまり刺し違える覚悟でもなければ、ルールをないがしろしたもの勝ちということになる。

 それを知って彼らはルールを平気でないがしろにする。

 実に困った話である。

オリンピックの名曲①東京五輪「オリンピックマーチ」

日本で阪神タイガースのファンの共通言語となっている「六甲おろし」と、その永遠のライバルである読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」が、実は同じ古関 裕而(1909年- 1989年)であることはあまり知られていない。

中日ドラゴンズの歌」も彼が作曲したというから驚きで、普段お互いにライバル心むき出しで歌うお互いの曲の根っこが同じだと知ると、少々拍子抜けでもある。

 さらに早稲田大学応援歌「紺碧の空」と慶応大学応援歌「我ぞ覇者」のライバル同士も彼の作曲だというからなんという幅の広さであろう。

 このように日本のスポーツ関連のテーマ曲のヒットメーカーだった古関 裕而は、そのほかにも夏の高校野球のテーマ曲「栄冠は君に輝く」など、日本のスポーツ史、メディア中継史に欠かせない人物である。

戦中には戦時歌謡をたくさん作っていたようで、スポーツテーマ曲といい、戦う人間を鼓舞する曲の天才ともいえ、音楽界では和製スーザとも言われているという。

その古関 裕而が、五輪組織委員会に依頼されて作曲したのが「オリンピックマーチ」である。

 残念ながら私が生まれる前なのでリアルタイムでは体験していないのだが、戦後の暗いイメージからの脱却の象徴であった東京五輪の開会式で、この曲とともに各国の選手団を会場に迎えた瞬間は、日本国民が世界にようやく認められたという喜びの瞬間であったともいう。

 彼の音楽の特徴はスポーツの応援歌といえども、軍歌のように攻撃的ではなく、どちらかというと格調気品があり、選手をリスペクトし舞台を整えるという、音楽の役割としての脇役に徹したスタンスが感じられる。
 それによって選手は舞台の重みを感じ、自尊心をもって正々堂々と戦いたい気分になるのである。

 東京オリンピック終了後も、この「オリンピックマーチ」を含め古関裕而の曲は、全国の小中学校の運動会や式典で使われ、私を含めオリンピック後世代は「オリンピック」の冠を知らないまま、知らず知らずに彼の曲が耳になじんでいる。

 東京オリンピック世代のみならず、その後の世代に受け継がれている隠れた名曲であり、今後も大事にしていきたい曲である。

CS方式のお陰で面白過ぎる日本のプロ野球

中国にいるとTVの視聴契約でもしなければ見られない日本のプロ野球であるが、今年からセリーグが去年までのパリーグ同様にポストシーズンにクライマックスシリーズ(CS)というプレーオフを設けたお陰で非常にスリリングな最後まで面白い状況となっている。
 28日の試合結果で阪神が中日に勝ったため、中日のマジックが消滅し巨人にマジック2が点灯した。巨人が残り試合2、中日が残り試合5であることを考えるとつい最近まで3チームの三つ巴が続いていたペナントレースも巨人が圧倒的に優位に立ったと言えよう。
一時は逆転優勝かと言われていた阪神はここへ来ての8連敗で優勝の可能性がなくなり完全に脱落した、といつもの年ならここで阪神のシーズンは終わっているのだが今年はCSがあるため3位まで残っていれば日本シリーズの可能性があるので諦める必要はなくなった。

ただし!実はこの8連敗のお陰でその3位の座さえ危うくなって来ている。そう4位の横浜が馬群後方から差し馬のように3番手を伺っており自力浮上の可能性が残されているのだ。しかも横浜は現在4連勝中で勢いがあり28日から10日間で11試合、つまりダブルヘッダーを含む連続試合であるため、一度勢いがつくと怒涛の勢いで勝ち続けるかも知れない。
 29日以降の残り試合を見ると古田監督退任で勢いを失っているヤクルトと5試合、ターゲットの阪神と2試合、優勝が決まって気が抜けちゃうかも知れない巨人と1試合、やはり優勝を逃して意気消沈してるかもしれない中日と1試合、そして最下位に沈んでいる広島と1試合。虎党には申し訳ないが期待を十分期待を抱かせる日程だ。しかもそんな勢いで万が一CSに進めば日本シリーズまでそのまま進んでしまうかもしれない。そんな可能性を生んだ今年のCS導入である。 CSのお陰で最後まで楽しめる今年のプロ野球である。ああ日本がうらやましい。。