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オリンピックの名曲③ロス五輪「オリンピック・ファンファーレ」

 回を重ねるごとに巨大化してきたオリンピックは、1976年のモントリオール大会において運営費で大赤字を計上してしまったため、オリンピックはその財政のあり方について大幅に見直しを迫られることになった。

 1980年のモスクワ大会は西側諸国のボイコットなどにより大会規模が縮小したことと、主催国が社会主義国家だったためその問題が表面化することはなかったが、1984年大会の立候補がロサンゼルスただ一都市であったことからその不人気振りが露呈していた。

 モントリオール大会の反省を受けて、運営費の大幅な見直しが行なわれ、税金を1セントも投入しないという大胆な商業主義へ変革を遂げたのがロサンゼルスオリンピックである。
税金を受け入れないということはボイコットが続発していたオリンピックへの政治介入を防ぐという意味もあった。

 この商業主義化においてハリウッドやブロードイウェイを生み出したエンターティメント大国アメリカは、MLB、NBA、NFLなどスポーツをショービジネスに変えた手法をオリンピックに対してもかかんなく発揮することになる。

 その象徴的なイベントが、この大会より初めて導入された開会式演出セレモニーである。
 人間ロケットが飛び、馬車が走りまわるといった演出は世界の人々を驚かせた。

 その華々しく変貌を遂げたオリンピックを、音楽的な演出効果面で強烈にサポートしたのが、このジョン・ウィリアムズ(1932-)作曲の「オリンピック・ファンファーレ」である。

スターウォーズ」や「E.T」といった映画音楽でスペクタクルでドリーミーな音楽を提供してきたJウィリアムズが、このオリンピックに捧げたこの曲は、アメリカのエンタティメント的演出そのもので、オリンピック選手の力強く華々しい印象を世界中に与えることになる。

 表彰式のたびに流されるこのファンファーレは、栄光を勝ち取った選手への賛美のみならず、その映像に対してドラマ性を与えて感動という言葉を強烈に呼び寄せてスポーツを映画そのものに変えた。

 特に曲の冒頭で高々と奏でられるトランペットのアンサンブルは非常に印象的で、以降のオリンピックやオリンピック関連のイベントなどで度々利用され、オリンピック音楽の代名詞的な形で語られることになる。

 また非常に高音部を使用するので技術的に非常に難しいとされながら、吹奏楽の演奏会などで何度と無く挑戦されるように、トランペットを吹く大勢の方の憧れの曲になったと言われている。

 このロサンゼルス大会の成功を受け、以降のオリンピックへ立候補する都市が急増し、また開会式の演出セレモニーも定着することになり、以降のオリンピックに多大な影響を与えたのがこの大会の「オリンピック演出」であった。

オリンピックの名曲②モスクワ五輪「祝典序曲」

 政治的な原因がきっかけで、アメリカや日本を初めとする当時の西側諸国が参加をボイコットし、日本の選手にとっては幻のオリンピックとなってしまったのが1980年のモスクワオリンピックである。

 その大会の入場行進曲として使われたのが、地元ロシアのドミトリー=ショスタコヴィチ(1906-1975)が作曲した「祝典序曲」。
 もともとこのオリンピック用に作られた曲ではなく、そもそも作曲者自身、このオリンピックが始まる5年も前に既にこの世を去っているので、オリンピックで自分の曲が使われるかどうかなど知る由もなかったはずである。この曲は本来ロシア革命37周年の記念日祝典のためにソヴィエト共産党中央委員会からの委嘱され作曲されたもの。

 37周年というのがいかにも中途半端だが、実は30周年記念の式典の時点で一度曲を委嘱されており作曲をしたのだが、スターリン政権下での政治的な理由で、日の目を見ることができなかった。

 スターリンの死後改めて委嘱され発表されたものがこの37周年用「祝典序曲」なのだが、その原型が、そのときの幻の曲だと言われている。
 その曲が今度はオリンピック用入場行進曲として用いられた。

 曲は、冒頭の伸びやかなファンファーレが華々しく、伝統と格式を感じさせる荘厳な響きは、いかにも近代まで厳格な政治体制を保ったロシアの音楽という気がする。
 しかし一転して、ショスタコヴィチらしい軽やかな曲調に変わりクラリネットが奏でる音色がさらに印象的である。

 この曲をオリンピックに用いた人の名前は分からないが、伝統的なオリンピックの入場行進曲としてはいかにも適当である。
 それが証拠に、オリンピックで使われたきっかけかどうかわからないが、日本でもよく演奏されるようになり、特に各地の吹奏楽団に好んで演奏され、今ではいろんな式典の入場行進曲などに頻繁に使われている。

 ところで、このモスクワオリンピックでは、今では当たり前になった開会式のイベント的演出ははまだ行なわれておらず、入場行進と開会宣言、聖火の点火、オリンピック旗の掲揚などが主なイベントで、言うならば入場行進が一番のメインイベントであった。
つまり分かりやすくいうならば甲子園の開会式のようなものである。
 従って、オリンピックにとって音楽といえば行進曲がほとんどであり、この時代までオリンピックから求められた音楽とは式典音楽でしかなかった。

 それが次のロサンジェルス五輪では、全く違う意味を持って音楽が登場してくることになり、人々に強烈な印象を与えることになるのである。
 そういった意味で、モスクワオリンピックは伝統的な式典を保った最後のオリンピックであり、この「祝典序曲」はその伝統的な雰囲気を感じ取るのに適当な音楽といえよう。

オリンピックの名曲①東京五輪「オリンピックマーチ」

日本で阪神タイガースのファンの共通言語となっている「六甲おろし」と、その永遠のライバルである読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」が、実は同じ古関 裕而(1909年- 1989年)であることはあまり知られていない。

中日ドラゴンズの歌」も彼が作曲したというから驚きで、普段お互いにライバル心むき出しで歌うお互いの曲の根っこが同じだと知ると、少々拍子抜けでもある。

 さらに早稲田大学応援歌「紺碧の空」と慶応大学応援歌「我ぞ覇者」のライバル同士も彼の作曲だというからなんという幅の広さであろう。

 このように日本のスポーツ関連のテーマ曲のヒットメーカーだった古関 裕而は、そのほかにも夏の高校野球のテーマ曲「栄冠は君に輝く」など、日本のスポーツ史、メディア中継史に欠かせない人物である。

戦中には戦時歌謡をたくさん作っていたようで、スポーツテーマ曲といい、戦う人間を鼓舞する曲の天才ともいえ、音楽界では和製スーザとも言われているという。

その古関 裕而が、五輪組織委員会に依頼されて作曲したのが「オリンピックマーチ」である。

 残念ながら私が生まれる前なのでリアルタイムでは体験していないのだが、戦後の暗いイメージからの脱却の象徴であった東京五輪の開会式で、この曲とともに各国の選手団を会場に迎えた瞬間は、日本国民が世界にようやく認められたという喜びの瞬間であったともいう。

 彼の音楽の特徴はスポーツの応援歌といえども、軍歌のように攻撃的ではなく、どちらかというと格調気品があり、選手をリスペクトし舞台を整えるという、音楽の役割としての脇役に徹したスタンスが感じられる。
 それによって選手は舞台の重みを感じ、自尊心をもって正々堂々と戦いたい気分になるのである。

 東京オリンピック終了後も、この「オリンピックマーチ」を含め古関裕而の曲は、全国の小中学校の運動会や式典で使われ、私を含めオリンピック後世代は「オリンピック」の冠を知らないまま、知らず知らずに彼の曲が耳になじんでいる。

 東京オリンピック世代のみならず、その後の世代に受け継がれている隠れた名曲であり、今後も大事にしていきたい曲である。