Yearly Archives: 2014

大みそかの自分

 何だか新年を迎える覚悟も雰囲気もないままに大みそかを迎えてしまった気がする。

 春節を正月とする中国では、12月31日と言えども単なる月末の一つでしかなく、元旦こそ形式上は新年などと謳う面もあるが、やはり12月の年末が年末とは言えない雰囲気なのである。

 日本で大みそかと言えば江戸時代などは「掛け」を支払う期限であり「掛取り(借金取り)」が方々走りまわっていたと聞き、そんな姿を描く古典落語の噺も多数ある。
 逆に正月を題材にした噺が数えるほどしかないのに比べると、非常に対照的な状況である。

 例えば大みそかを舞台にした噺の中で傑作とよばれる噺の中に「芝浜」という話がある。

 これは掛取りを題材にした噺ではないが、ある夫婦が大みそかを幸せに迎える場面が描かれており、演者によって描かれ方はかなり異なるが「芝浜のような嫁が欲しい」というほど内助の功が光る話になっていて、大みそかに何度でも聞きたい噺である。

 或いは「睨み返し」「掛取り」など幾つか有名な話はやはり掛取りとの返す人との攻防を描いており、いかにこの日が一年の中で重要な日だったことがわかる。

 この点現代に立ち返ってみれば、日本人にとっては大みそかに掛取りに追いまわされることこそなくなったと思うが、慌ただしい一年を収束させる1日であることは変わりなく、バタバタ何とか紅白に間に合わせようとして行動するのが現代の日本人の典型大みそかスタイルであろうか?

 しかし我が身を振り返ってみると、この日も上海にいることもあって、年末として世間的に追い立てられることもなく、経済的に大変な状態であっても借金取りが来るわけでもないので、気分的には言うなれば旧暦で示す11月10日の状態の感じなのである。

 今日カレンダー上でとうとう大みそかになってしまって、これではいけないと内心焦っている面もあるのだが、周囲の雰囲気もあって、年末としてのペースアップも新年への切替えも難しい気分になっているのが、大みそかに中国にいる日本人の私である。

なかなか増えない中国のトイレ

 8年も上海に暮らしていて今更なのだが、中国というのはあまりトイレの設置を重要視していないのではないかと感じる時がある。
 あるいは、トイレの設置は無駄な経費だと感じているのではないかと思うのである。

 例えば最近でこそ地下鉄各駅にトイレが設置されるようになったが、私が上海に来たばかりの頃は地下鉄の駅にトイレがほとんど設置されていなかった。
 今では各駅にほぼトイレがあるようにはなったのだが、現在でも設置率は100%ではないようだし乗降客の割にはどうにも数が少ないように感じる。
 例えば1日70万人利用されるとされる人民広場駅には、3本の地下鉄路線が乗り入れているが、トイレの数は各ホームに一カ所ずつしかなく計3か所しかないのである。
 しかもトイレ一つ一つのキャパが非常に小さく、男女それぞれ数人ずつの分しか用意されていない。
 まあ人民広場駅の場合は一歩外に出れば人民公園があり、そこには公衆トイレもあるのだが、それはそれであり、70万人も利用する駅なのにトイレが3か所×数人分しかないのである。
 また上海市内の大きな百貨店の中でも1フロアにトイレが一カ所ずつしかないところが少なくなく、オフィスビルでも同様で、どうもフロアの大きさの割にはトイレの数が少ないなと感じるビルが少なくない。
 この点日本には労働安全衛生法という法律があって、就業場所におけるトイレの設置個数が細かく定められ、男性用は30人に1つ以上の小便器を設置するなどといったことが決まっているが、中国ではそういった法律がどの程度決まっているか分からないが、設置数そのものはやはり日本に比べて非常に少ない印象なのである。
 じゃあ、中国人達はトイレに行く回数が少ないから数が少ないのかと言えば、恐らくそんなことは無いのであり、多少の差異があったとしても人間としてそんなに極端な違いがあるとは思えない。
 ならば彼らはどうしているのかと言えば、つまりはトイレを利用せず屋外で用を足していることになる。
 実際、上海の街でも人通りの多い街中はともかく、ちょっと外れた住宅街などでは、あちらこちらで茂みや壁に向かって用を足す姿が見られ、切羽詰まったというような状況でなくとも抵抗なく屋外で用を足す。
 さらに子供に至ってはローカル商店の立ち並ぶ店先でも用を足している姿が見られる。
 その極端な現れが地下鉄車内などでの子供の用足しであり、時々ニュースにもなっていて我々日本人からすると非常識極まりないという話になるが、彼らにとっては規範の出発点が違うので、親にとっては「子供だから仕方なかった」という程度の扱いにしかならない。
 それ故に残念ながら上海の街の中でもこういったマナー水準のお蔭で、街角に小便臭いところがあちらこちらに有るのである。
 地元の人は慣れていて気にならないのかもしれないが、私などは非常に気になり、こういうところに気がつくと改めて街の不衛生感の面を強く感じるのである。
 まあトイレが少ないから屋外で用を足すのか、屋外で用を足せば足りるからトイレ設置の重要性が大きくならないのか分からないが、とにかく大都会になった上海でさえ、まだそのマナーは改まりきらない。
 このトイレに対する重要性、少なくとも駅やデパートなどのトイレの数を増やす意識や屋外での用足しの習慣が改まらなければ、外国人の中国に対する悪い印象は永遠に拭い去れないだろうに思われる。

地下鉄は街を発展させるとは限らない

 昨日、12月28日は毎年恒例というか、中国的な年度末の公共工事の完成ラッシュの特異日というべき日付で、今年も恒例に違わず上海と北京で地下鉄の新路線が開通している。

 万博前からほぼ連続して、毎年この時期に地下鉄が開通しており、年々路線網が伸びる状況となっている。
 ただ最近感じるのは地下鉄と言うのは、重要な社会インフラの一つであるが、実は地下鉄を開通させただけでは街を発展させるとは限らないのではないかということ。

 地上の鉄道ならともかく、地下鉄というは意外と都市の発展に対するインパクトが弱いのではないかと感じるのである。

 それというのも上海の地下鉄2号線など比較的早い時期に完成した駅の周辺ではそれなりの商業発展がみられるのだが、近年開通した地下鉄のように地下駅しかなく、もともと商業蓄積のない場所ではあまり駅周辺の変化が見られないのである。
 それに1号線や2号線などは地下鉄が商業発展させたというより、商業発展している場所に地下鉄を通したという言い方が正しく、地下鉄が触媒となって発展したとは考えにくいのである。

 こういった上海の状況を見ると、地下鉄開通は街に何をもたらしたのかをちょっと考えてしまう。

 私なりにその原因をよく考えたところ、実は地下鉄が地下を走っていることが街の発展を阻害する原因なのではないと考えた。

 当たり前のことだが、地下鉄はその名の通り地下を走るので、駅以外の場所では地上との接点が無く走っている姿を見ることが出来ない

 また地下鉄の乗客からも同様であり、駅に停車した時以外はその土地に対して接点はなく、どこをどう通っているのかなど意識することなく目的地へ辿りつけるので、路線図上でその場所に駅があるのは分かっても、その周辺に何があるのかはほとんど分からないのである。
 つまり、この視覚的に遮断された関係が、地下鉄が街の発展に影響を与えない原因なのではないかという気がするのである。

 むろん地下鉄を単なる交通手段と考え、点と点を結ぶその機能だけを考えれば、地上交通同様に十分機能を果たしており、地上の交通や生活を遮断することなく非常に合理的な乗り物であると考えることは出来る。
 しかしながら、人は鉄道などを利用する際に単なる移動手段として利用するほかに、実はその移動時間中にかなり多くの視覚的情報を受け取っている

 例えばそれは車内の広告だったり車窓の風景であるのだが、地上交通であれば目にできる車窓の風景は、地下鉄では目に出来ないのである。

 もし地上に線路があれば、例え駅周辺の立地でなくても鉄道沿線にある商業施設は車窓から見えるように広告看板を設置し商業PRをするであろうし、商業機会があると目論む人が増えて商業施設の数も沿線に増えるだろうと思われる。
 また行政機関も駅が物理的に地上にあれば、その物理的条件に合わせて都市整備を行ない、自然と街の中心となり交通ターミナルとなっていく。

 それが地下駅であると、駅周辺こそは駅と言う点を中心に商業立地を生む可能性はあるが、それ以上の線的面的広がりを生むことは有り得ないのであり、鉄道が与える商業発展の影響は限定的となる。
 また行政機関による都市整備も、地下駅だと何故か焦点ボケしてしまい、駅前広場などの設置が行われず、駅を中心とした街や補助交通機関(バスなど)の組み立てが行われないケースが多いように思われる。

 実際上海で近年立地している大型商業施設はほとんど3号線などの高架駅周辺であり、既存の商業エリアではなく新規の地下鉄駅のそばに出来た大型商業施設というのは現時点ではほとんど思い浮かばない。

 どうも商業施設の投資事業者も、何も見えない地下駅周辺よりも実際に鉄道が見える、つまり鉄道から見える場所を自然と選んで投資しているのではないかという気がするのである。

 こう考えていくと、日本で行われた東京の小田急下北沢駅周辺の地下化や東急東横線の渋谷駅地下化なども、今すぐは影響が出ないにしろ長期的には駅周辺の商業競争力の相対的低下を招くのではないかという気がしている。

 今まで車窓から何気なく目に見えて自然な広告作用を得ていた施設が、地下化によって隔絶され、意図的な広告発信などに依らなければ存在を知られなくなるというのは非常に影響が大きいと思われるからである。
 開かずの踏切とか騒音とか何かと悪い評価も生まれやすい地上や高架の鉄道に比べ、非常にスマートに見える鉄道の地下化だが、スマートな分だけ鉄道利用客と街が切り離される可能性があるのである。

 つまり、地下鉄は地上の街を壊さないという意味では非常に優秀だが、その逆として街に人を惹きつける力が弱い交通機関とも言えるのであり、同じ鉄道(駅)ではあっても目的によって使い分ける必要があるという気がする。

 中国や日本の各都市では地下鉄計画や地下化があちこち進んでいるが、街の発展を期待する場合は、鉄道の地下化は必ずしも有効な方法とは限らないという気がするのであり、安易な地下化推進は実は文字通り墓穴を掘るの行為なのではないかと私は感じている。

鳥の巣を発見

上海の街路樹の鳥の巣

上海の街路樹の鳥の巣

 先日、家の近所を歩いている時に、路上の街路樹の上に鳥の巣を発見した。
 小枝をかき集めボールのような丸い塊に組み上げ、巣をつくっている。
 巣の中に雛鳥がいるのかどうかは分からなかったが、番いの親鳥のような2羽が巣のそばで仲良さそうに枝に止まっていた。

上海の街路樹の鳥の巣

番いの鳥と鳥の巣

 もしかすると雛は孵っておらず、まだ卵の状態なのかもしれない。
 自分自身ほとんど鳥の事は分からないので、どんな種類の鳥なのかも分からないが、こういった鳥たちを見上げて見守るのは嫌いではない。
 上海の本当の中心部ではこんな鳥の巣は見たことはないが、ちょっとだけ中心部から離れると、こんな鳥の巣を良く見かけることが出来る。
 日本にいた時には気がつかなかっただけなのかも知れないが、こういった鳥の巣は見たことの無く、上海に来て初めて見たちょっと新鮮な冬の光景である。

ダニ捕り忍者ロボを購入

 冬になって、どうも肌が痒く虫か何かに食われたような跡が残ることが増えた。
 どうもダニがいるようである。
 布団をマメに干したりシーツをマメに洗ったり、床を掃除したりと、最近は非常に環境に気を使っていたが余り効果が無く先週までは食われまくっており、痒みに苦しんでいた。
 そしてとうとうどうにも我慢がならなくなって人に相談したところ、日本のメーカーが発売している「ダニ捕りロボ」(中国語名:忍者老宝)なるものがあるとのことを聞き、早速アマゾンで探してみることにした。

 見つけた物は値段は1個138元(=2700円!)とあり決して安くは無かったのだが、こちらは痒さたまら無い状態だったので、すがる思いですぐに注文した。

ダニ取り忍者ロボ中国版

ダニ取り忍者ロボ(中国語名は忍者老宝)


 
 そして、先週の日曜日午前に届き早速届いたそばから封を空け、説明通りシーツの下に置いてみた。
  上の写真が届いたもので、無臭で場所取らずなのは謳い文句通りで、頼りないほど特別な気遣いもないので本当に効果があるのか心配なほどだった。
 で、現時点でまだ一晩しか使用していない状態なのだが、どうやら効果がそれなりにあったようで、ダニに食われる箇所は圧倒的に減少してほとんど気にならなくなった。

 すくなくとも数日前とは雲泥の差である。

 たかがダニだったとはいえここしばらくの随分苦しみから解放されたという気がする。

 説明書によると効果は約3ケ月程持つとのことで、このまま春までは使えるようである。
 中国のアマゾンでは138元と高かったが、日本のアマゾンで調べると1800円ほどで買えるらしく、中国への輸入コストがかかっているようである。
 まあ効果が3ケ月あるとのことで、春までに日本に帰った場合に買って帰るか、誰かに買ってきてもらえば、安く上がるので、そうしようと思っている。
 取りあえず、痒みがなくなり気持ち良く1日が過ごせそうな気がしている。

 こういうものを買ってみると今更ながら日本の技術って凄いなという気がする。